今までレイを預かってくれた人に『ご挨拶』と『お礼』がしたいということで、シンとマイは、現時点においてレイの保護者となっている碇ゲンドウが待つ総司令官公務室に赴いた。
リツコからの連絡で綾波親子の件を聞いたゲンドウは、すぐに保安部に二人を拘束するように指示した。が、レイ本人がこの二人を家族だと認めた為、ゲンドウは興味を持ち、二人の入室を認めた。もっとも、部屋の外には完全武装の保安部員が待機しているが。
部屋に入ってきたシンとマイ
――――― 特にマイを見て、ゲンドウと冬月は驚愕した。
「ユイ!!」
「ユイ君!!」
ある意味、お約束の反応。
シンは嘆息するふりをしながら、内心 ほくそ笑んだ。
「母さん……また間違われてるよ」
「仕方ないわね。 私とユイを見分けられるのは、親族の中でも一握りだから………」
「何を言っている、ユイ………私だ、ゲンドウだ!!」
「こうして会うのは初めてですね。 こちらでお世話になっている綾波レイの母で、マイと申します」
「兄のシンです」
「な…何だと!?」
「今まで娘を預かって頂き、本当にありがとうございました。 ですが、これ以上お世話を掛ける訳にもいきません。 十年ぶりにやっと逢えたのですから、これからは実の母親である私が面倒を見ますので」
「き…貴様はユイではないのか!?」
「さっきご挨拶したと思いますが………あなたの奥様、碇ユイさんの従姉妹で、碇家の分家である綾波家第十五代当主、綾波マイです。 初めまして」
「あ…綾波家だと!?」
「ええ」
「ふざけるな! 碇の分家に綾波家など無い!!」
「伯父様………碇家の当主である碇ソウイチロウ様の許しも無く、勘当同然に家を飛び出したユイと結婚したあなたが、碇家の親戚筋を全部知っているとは思えませんが?」
「グッ………」
図星だった。唇を噛み、唸るゲンドウ。
さらにシンが続ける。
「それに今度の事にしても、大伯父様は大変お怒りです。 なにしろ、孫であるシンジを他人同然の家に預けたばかりか、そのシンジを無理やり戦闘兵器に乗せ、死なせてしまった。 大伯父様はあなたに碇の姓の名乗ることを禁じました。 既に法的手続きを済ましていることでしょう」
「なっ………!?」
「つまり、あなたは碇の籍を抜かれ、旧姓である『六分儀』に戻ったわけです。 お判りになりましたか、六分儀ゲンドウさん?」
思いも寄らぬ話に、ゲンドウは言葉を失い、顔面蒼白になる。
だが、何を思いついたのか、その表情は、すぐに余裕を取り戻した。
「………ふっ、問題ない」
「碇? あ、いや六分儀?」
「NERVは超法規機関だ。 そのような手続きなど無効だ」
予想通り………。あまりに予想通りの答えに、シンは額を押さえ、呆れ果ててしまった。
「………大伯父様から聞かされていましたが、やっぱり頭悪いんですね」
「何だと!?」
「碇家が訴えたのは特務機関NERVではなく、六分儀ゲンドウ本人です。 超法規特権など使えるわけないでしょう」
「そうなのか、冬月?」
「……そうだな。 あくまでお前は、国連からこのNERVの総司令を任されているにすぎないからな。 悪い言い方とすれば、お前の代わりはいくらでもいるということだ。 そんな人間のプライベートに対して超法規特権など使えんよ。 もし使えば、その場で解任だな」
「グ…ググッ………!!」
「あ、それと、綾波レイの親権も私どもにありますから」
「!!」
「それは当然でしょう。 実の家族がいるのに、何が悲しくて血も繋がってない元親族に預けなければならないのですか?」
「………………」
「というわけなので、レイはこれから僕たちと一緒に暮らします。 エヴァのパイロットに関しては彼女の意思を尊重しますよ………今のところはね」
「ま、待ってくれ! レイ君はいまや貴重なパイロットなのだ。 辞められては困る!!」
慌てて冬月が止める。
「パイロットはもう一人いると訊いてますが?」
「いまドイツからこちらに向かっている」
「なら、その人が来るまでですね」
「………何故、そこまで知っている?」
「碇家がどういう存在か、知らないわけではないでしょう?」
「ああ」
「碇家の諜報能力を、NERVの四流・五流の諜報部と比べてもらっては困ります」
「五流だと!?」
「何も判ってないんでしょう? GGGのこと」
そのシンの言葉に、ゲンドウは驚き、椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がった。
「知っているのか!?」
「さあ? 報告は一旦、全て大伯父様の元に行きますからね。 僕たちはまだ何も知りません」
「シン、もう行きましょう。 いつまでもこの人の顔は見たくないわ」
「そうだね。 犯罪者がTOPの組織なんてね」
「待ちたまえ! どういう意味だね!?」
「そっくりなんですよ、そこの偉そうな男が………十年前、レイを誘拐した犯人に!」
「な、何っ!!」
バッと振り向き、ゲンドウを見る冬月。
「これが犯人の似顔絵です」
「こ、これは………」
冬月は知っている。そっくりだった。髭の無い頃のこの男と………。
「そういうことです。 これ以上、妹をここにおいて置くわけにはいかないんですよ」
「待て! レイを連れて行くことは許さん」
「いか……六分儀!?」
「ファーストチルドレン・綾波レイは、エヴァンゲリオン零号機専属操縦者としてNERVの任務である使徒殲滅に欠かせない戦力だ。 それを連れて行くということは、NERVの任務に重大な障害を与えることになる。 NERV特務権限により、この二人に公務執行妨害罪 及び スパイ罪を適用、拘束する」
「ふ~ん………そうきましたか」
「冬月、保安部を呼べ」
「判った」
「おっと! そのセリフは、これを見てから言ってください」
「何かね
――――― ………なっ!? それは!!」
「そう。 国連事務総長の白紙委任状です」
「「!!!」」「大伯父様が『切り札として持っていけ』ということでしたのでね」
「………………」
「これを持っているということの意味………判っていますね?」
「………君たちは、事務総長より全権を委託されている」
「その通り! 国連の一機関に過ぎないくせに調子に乗ってはいけませんよ」
「………………」
「事務総長も呆れていたみたいですよ。 特務機関の長が誘拐犯だとは………とね」
「シン、行きましょう。 これ以上、下衆に用は無いわ」
「あ……待ってよ、母さん」
総司令官公務室を出て行くマイとシン。後には、呆然とする男二人が残された。
ユイは激しく後悔していた。
何故、自分はあの男を愛したのだろう。
何故、あの男と結婚したのだろう。
何故、あの男に抱かれたのだろう。
あの赤い世界でシンジの記憶を見せてもらった時のように、様々な思いがユイの頭の中を駆けていった。
考えてみれば、幼い頃から父に可愛がられ、箱入り娘として育てられ、学生時代も勉強・研究であまり異性との接点は無かった。
ああ、そうだ。自分はただの世間知らずだったのだ。自分の無知が招いた結果がこの世界。そして息子と娘の境遇。
なんて私は馬鹿なのだろう。
無知は罪なり……その通りね。この罪を償う為にも、私は
―――――「母さん」
悲痛な顔で考え込んでいるマイに、シンが話し掛ける。
「あまり思い詰めないで。 僕やレイじゃ力になれなくても、頼りになる人はたくさんいるから」
「ええ。 大丈夫よ、シン。 大丈夫」
「そう? ならいいけど」
そう……大丈夫よ、シンジ。あなたとレイがいれば、私は大丈夫。
【
生きてさえいれば、何処だって天国になる………】
本当に、私は嘘吐きね。
もし、あなた達に二度と会えなくなるとしたら………その世界は私にとって、地獄と同義。
でも、そんなことは絶対にさせないわ。その為に、私はここにいるのだから。
「でも、父さんは相変わらず
――――― 」
「シンジ」
「母さん、僕はシンだよ」
「シ・ン・ジ」
有無を言わさぬ母の声。
「ナ……ナニ、カアサン」
思わずカタトコになってしまうシン。
「二度と、あの下衆を『父』と呼ぶことは許しません」
これがユイとゲンドウの完全な決別であった。
「本当なのか?」
「濡れ衣だ」
「だが、レイも認めているぞ」
「三人目へ移行する」
「誰にやらせるつもりだ? 今はどこも猫の手を借りたいほど忙しいのに………諜報部と保安部はGGGの調査、技術部は零号機の調整、作戦部は先日の使徒戦の後始末。 さあ、誰にやらせる?」
「冬月先生、後を頼みます」
「殴るぞ、貴様」
「……………………」
計画通り、すっかりシンとマイの嘘に騙されたNERVであった。
第拾肆話へ続く