天井、壁、床
―――― シミなどの汚れ一つ無く、綺麗で清潔感あふれる建物。外からの光を採り込む大きな窓が、それを一層際立たせる。
何処からか、薬や消毒液等の独特の匂い漂うここは、ジオフロント内にある病院施設。その三階の廊下を、一人の女性が歩いていた。
特務機関NERV本部 戦術作戦部 作戦局 第一課所属、葛城ミサト一尉。
彼女はある場所に向かっていた。ファーストチルドレン、綾波レイの病室へである。
数日前の零号機起動実験の際に起こった暴走事故により、彼女は重傷を負って入院。そして先の使徒襲来の折、怪我を押して初号機で出撃しようとした無理が祟った為、再度 病院のベッドに戻されていたのだ。
ミサトは、レイの病室の前まで来た。
ノックしようとするが、気が重い。今までも何度か見舞ったことがあったが、どうも間が持たない。話し掛けても最低限の返事を返すだけで『会話』というものが成立したことが無いのだ。
ある意味、一番苦手とするタイプの人間
――――― それが、綾波レイという少女なのだ。
はぁ~………と溜息をつくが、気弱になったところで何の解決にもならず、前にも進まない。
俯く顔を上げ、覚悟を決めた。
コンコン「レイ~、入るわよ~ぅ?」
ミサトが病室に入るとレイは起き上がっており、静かに窓の外の景色を見ていた。
「レイ、起きていて大丈夫なの?」
「………葛城一尉」
レイは、視線を外からミサトに移した。
「目が覚めたって言うからお見舞いに来たけど………どう? 調子は?」
「………問題ありません」
「そ。 良かったわ」
「………………………」
「………………………」
「………………………」
「………………………」
「(こ、これだから嫌なのよね~~………)」
ミサトの気持ちも判らないではない。しかし、こう育てられたのだからしょうがない。己の補完計画遂行の為、ゲンドウはこの少女を、従順な『人形』に仕立てたのだから。
「………あの……葛城一尉」
「ん? え? いや? あ?………なに?」
突然問い掛けられ、ミサトは慌てた。レイの方から話し掛けてくるなど初めてのことだったので、つい訳の判らない返事をしてしまった。
「いか……サードチルドレンは何処ですか?」
「へ?」
「サードチルドレンは一緒ではないのですか?」
ミサトは戸惑った。質問の意味がよく判らなかったのだ。レイの口から、いきなりサードチルドレンの話題が出るとは思ってもみなかった。
「レイ、シンジ君のこと知ってるの?」
「?………ケイジで会いました」
「あ…ああ、覚えてたのね。 うん、彼がサードチルドレンよ」
「………彼は?」
「え?……え~と……その……あの……う~ん……」
「…………?」
ミサトは返答に困った。
言うべきなのだろうか?
作戦指揮官として、あの場に居なかった部下には戦闘報告をキチンとしなければならないと考える。でも、初戦でいきなりの戦死者、しかも彼女と同じエヴァのパイロットが死んだなど、今後の彼女の士気に影響が出ないだろうか?
判断に迷うところである。
だが、ミサトは言うことに決めた。どうせ彼女なら「………そう」の一言で済むと考えたからだ。
しかし、それは大きな間違いだった。
「レイ。 昨夜、地上で行われた使徒との戦闘結果について説明するわ」
「はい」
「結論から言うと、使徒は殲滅されたわ。 でも、それはエヴァ初号機によってではなく、ガッツィ・ギャラクシー・ガード
―――― GGGと名乗った組織の所有兵器によってよ」
「GGG?」
「ええ。 初号機発進直前にね、割り込んできたのよ。 で、こっちの命令を無視して勝手に戦闘を開始したの」
「そのGGGが使徒を倒したのなら、いか……サードチルドレンは無事なのですね?」
「それがね………使徒戦後、こっちの命令を無視したGGGを押さえる為、私は初号機を発進させたわ」
「………………」
「改めて武装解除を勧告したけど、向こうは完全に無視。 初号機と向こうの所有兵器は戦闘を開始」
「!?」
「その結果
――――― 」
「………………」
「初号機は敗れ、機体は消滅したわ。 パイロットごと………ね」
「
――――― 申し訳…ありません…………もう一度……お願いします」
レイの身体が小刻みに震えていた。何か、とても嫌な言葉を聞いた気がした。
「初号機パイロット・サードチルドレン 碇シンジは、その機体ごと消滅………死亡したわ」
「………………………………うそ」
そう呟くと、レイの目から輝きが消えた。澄み切った綺麗な赤色をしていた瞳は瞬時に濁り、身体が ブルッ…… と大きく震えたかと思うと、まるで糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。
「!!……レイ!!」
床に倒れ落ちる寸前、レイの身体をミサトが抱える。少女の顔色は真っ青だった。
「レイ! レイ!!………誰か!! 誰かーーーっ!!」
静かな病院にミサトの声が響く。言うんじゃなかった、と激しく後悔していた。
薄れゆく意識の中、レイは、胸の奥で何かが壊れる音を聞いた。
…………いかりくん…………いかりくん…………いかりくん…………いかりくん…………いかりくん…………
青く澄んだ生命育む星
――――― 地球の軌道線上に浮かぶGGG基地、オービットベース。
その作戦司令室であるメインオーダールームにGGGメインスタッフと碇シンジ、そして彼の母、碇ユイが集まっていた。ちなみに、ユイはまだ体力が完全ではない為、シンジが押す車椅子に乗っている。
「さて
―――― 」
大河長官が口を開く。
「全員が集まったところで今後の対応を協議したいと思う。 まず、我々の目的を再確認しよう………シンジ君」
「はい。 僕たちの目的は、使徒によるサードインパクトを防ぐことはもちろん、秘密結社SEELE 及び 特務機関NERV総司令 碇ゲンドウが画策する人類補完計画を完全に阻止することです」
「うむ! 目的を完遂する為にも、我々にミスは許されない! では、サキエル殲滅戦 及び プランβによる初号機コア回収戦の報告を」
各人から先の戦闘についての報告が上がる。そのほとんどは当初の予定通りであった。細かなところでの差異はあるが、修正可能な範囲のものである。
しかし、シンジからの報告だけは違った。
「綾波レイが『戻って』きています」
「何だと!?」
予想もしなかった報告に、大河は驚いた。それは他のメンバーやユイも同様だった。
「どういうこと、シンジ?」
「母さん、彼女は僕と同じだ。 彼女は、僕と同じ世界で同じ時間を過ごした『綾波レイ』なんだ」
「彼女はどうやって戻ってきたのかね?」
「それは判りません、長官。 彼女に再会した時は、前と同じように怪我をしていました。 それに、ゆっくり話ができる状況ではなかったので」
「なるほど………。 では、どうするね?」
「計画を早めようと思います。 本来は少しずつ心を開かせるつもりでしたが、彼女が『僕を知っている綾波レイ』なら話も通じると思いますし、それに
――――― 」
「それに?」
「彼女こそ『僕が救いたかった綾波レイ』だから」
「そうか…………判った、許可しよう」
「ありがとうございます、長官」
「計画って何のこと、シンジ?」
話が見えないユイがシンジに訊ねる。
「母さん、一日でも早くレイと一緒に暮らしたいよね?」
「当然じゃない」
「それでね………」
ユイにそっと耳打ちする。
ごにょ、ごにょ、ごにょ………「ナイスよ、シンジ!」
ビッ! と親指を立てて賛成するユイ。
母さんて思ったより明るい性格なんだ、と思い、シンジは苦笑した。
「次に人類補完計画だが
――――― Dr.ライガ、NERVが画策する補完計画の方は、エヴァ初号機の消滅とコアを回収することで防ぐことができたと思われるが?」
「確かに! 碇ゲンドウの計画は、初号機とそのコアがあってこそのじゃからのう。 この二つが手元に無い以上、あやつの補完計画は全く意味の無いものになる。 まあ、完全に防ぐ為にはレイちゃんの救出と、セントラルドグマにある素体たちをどうにかせねばな」
「それは僕に任せてください」
「頼むぞ、シンジ君」
「そのNERVの現在の動向はどうなってる?」
腕組みしながら会議に参加する火麻。
「ボルフォッグからの報告によると、NERV諜報部が現在の任務を全て中断して、我々の行方を捜してるようです」
諜報部オペレーター、猿頭寺コウスケが報告する。
「どんなに探しても無理だろうな。 俺達はこの世界にあまり接点を残してないからな」
火麻が嘲笑するように言う。
「あとはSEELEと使徒か」
と、ガイ。
「EU・ヨーロッパに潜入しているルネ君とJからの報告を」
大河が話を進める。
「ルネはNERVドイツ支部に潜入成功。 惣流アスカ・ラングレーの護衛の任に就いたようです。 Jは地中海でジェイアークと共に待機中」
ミコトが答える。
「予定通りか。 本来、彼女をガードする予定だった加持リョウジの方は?」
「NERV本部とSEELE、それと日本内務省からもGGG調査の命令を受けています」
「ふう……ここでも三足草鞋なのか、加持さんは」
シンジは嘆息し、呆れた。
ルネ・カーディフ・獅子王とソルダート・Jの二人は、SEELEの膝元であるヨーロッパ地方に潜入していた。
ルネは対特殊犯罪組織・シャッセールの捜査官である。その経験を生かし、フリーの情報員として『裏の世界』で動き出した。彼女は瞬く間に頭角を現し、いつの間にか、ヨーロッパで彼女の右に出る者はいなくなった。SEELEはその実力に目を付け、彼女をNERVドイツ支部に配属させたのである。GGGの予定通りに。
SEELEは優秀な情報員を手に入れたつもりであった。しかし、実際はGGGのスパイを組織の中に潜り込ませる結果になった。それに気付くのは全てが終わった後だったが。
ともかく、彼女は第1の任務を達成した。後は、この可憐な赤毛の少女をあの坊やに会わせるまで守りきるだけ。
「獅子の女王(リオン・レーヌ)の名は伊達じゃない」
シンジの「お願いします」という願いに、彼女は自信満々にそう応えた。
一方、Jはルネのサポートに回った。
只の後方支援というわけではない。トモロと共にSEELEに関係している組織や研究施設の調査を行っていた。ある少年の所在を確かめる為に。
少年の名は、渚カヲル。
トモロは、ヨーロッパ中のコンピューターをハッキングして情報を集めた。ジェイアークのメインコンピューターであるトモロの性能は、この世界で最高性能を誇るスーパーコンピューター・MAGIを凌駕していたので誰にも気付かれることはなかったが、秘密結社と言われるSEELEの情報はさすがに少なかった。
そんな中、ルネがSEELEと接触しNERVに入れたのは、予定通りとは言え僥倖だった。彼女からの情報でSEELEに対する足掛かりができたのだ。
このチャンスを逃すわけにはいかない。エヴァ弐号機の本部移送まで時間は僅か。
「シンジ、約束は必ず果たすぞ。 戦士の誇りに懸けて!」
「SEELEの動向に関しては、あの二人の報告待ちか………」
「なぁに長官、ルネに任せておれば安心じゃて」
「親バカですね、ライガ博士」
「シャラーップッ!!」
シンジの厳しいツッコミに、ライガは顔を赤くする。彼はルネの父親なのだ。彼女は嫌がっているが。
「あとは使徒の動きに気を付けるだけか」
ふと、ガイが呟く。
「でも、シンジ君の情報で使徒襲来のスケジュールは判っています。 そう構えることは………」
と、ウッシーこと整備部オペレーター、牛山カズオ。
「いや、油断はできない」
「ガイさんの言う通りです。 僕の情報は、前の世界の経験でしかありません。この世界が平行宇宙である限り、何処かに違いがあるはずです。 そもそも、僕らがこうしてここにいること自体、この世界にとっては最大のイレギュラーなんですから」
ガイの言葉にシンジが同意する。
「歴史の修正力が働くと?」
「可能性の問題ですがね」
「物事は既に我々の予想を超えて動いている………そう考えたほうがよさそうじゃな」
「だが、何が起ころうと、俺達のやることに変わりはない。 だろう、長官?」
「その通りだ、火麻君。………諸君! 我々は後戻りできない。 各人、勇気ある誓いを胸に行動してもらいたい」
「「「「「「了解!!」」」」」」
ミーティングが終り、それぞれが持ち場に戻っていく。
「母さん。 じゃあ計画通り、明日 レイを迎えに行こう」
「そうね」
「シンジ君、ユイさん」
メインオーダールームを出ようとするシンジ母子を、大河が呼び止めた。
「長官?」
「お二人に、ぜひ会ってもらいたい方がいるのでね。 特に、ユイさんに」
「私に……ですか?」
「あ!」
「察しがついたかね、シンジ君?」
「わざわざ来たんですか? 僕らの方から行こうと思ってたのに」
「待ちきれないようなのでな、こちらにお越し願ったのだよ。 お帰りの時、一緒に地球に降りるといい」
「そうします」
「何のお話?」
蚊帳の外のユイは、少し不機嫌になった。
「ああ……ごめん、母さん」
「では、案内しよう」
大河は二人を連れて、客が待つという応接室に向かった。
第拾壱話へ続く