洛陽の商人からの融資を受けたおかげで、并州の再建は順調に進んでいた。桃香は無主になっている土地へ移住すれば、そこを自分の物にできて、かつ最初の三年間は税を安くする、と言う政策を立て、人集めにも成功していた。おかげで黄巾の乱時に他の州へ逃げていた難民たちも戻ってきた。
また街道を整備して、幽州から洛陽への流通経路を構築した。商人たちが并州を通るようにすれば、自然と街道沿いにお金が落ちて賑やかになる。桃香はかつて学んだ事や洛陽での見聞を活かして、并州をもっと豊かな土地にするつもりだった。
しかし、政務に専念していられたのは、半年ほどだった。ある日の事。政務室にいた桃香の元に、星が書状を持って入ってきた。
「桃香様、一大事ですぞ」
「星さん? どうしたの、一体」
訝る桃香に、星は書状を手渡した。
「白蓮ちゃんからだ。なになに……」
読み進めるうちに、桃香の顔が険しくなってきた。それは、袁紹が反董卓連合軍の結成を呼びかけ、既に呼応する諸侯が出始めている事、そして自分たちはこれに対処するため、どうすべきか協議したいと言う内容の文面だった。
全国を戦火に包んだ黄巾の乱から、僅か八ヶ月あまり。再び動乱の炎は燃え上がろうとしていた。
恋姫無双外史・桃香伝
第六話 桃香、白蓮に時節を説き、諸侯は中原へと兵を進める事
幽州・并州の境にある小さな砦で、桃香たちと白蓮は半年振りに再会を果たした。
「桃香、元気そうだな。ずいぶん立派に仕事してくれてるって、みんなの評判だぞ」
笑顔で言う白蓮に、桃香も笑顔で答える。
「そんな事ないよ。毎日陳情が来て、すっごく大変なんだから」
そうやって三人は近況報告を兼ねてしばし雑談に興じたが、やがて白蓮は真面目な顔になると、袁紹からの書状を机上に置いて言った。
「さて、そろそろ本題に入ろう。まずはその書状を読んでくれ」
桃香は頷いて、その書状を開いた。
「えーっと……告。董卓は洛陽を制し、朝廷を蔑ろにして政治を私し、その暴政はなはだしく、民の嘆きは天を覆い、民の涙は地に満ちるものである。このような悪行は到底許すべからざるところであり、我は天に代わり暴君董卓を誅すべく、ここに決起した。義心ある諸侯よ、我が旗の下に集われたし……」
「なかなかの名調子ですな」
桃香の朗読を聴いて、星が皮肉ったように言う。
「さて、お前たちはこの書状についてどう思う?」
白蓮が言った。桃香がまずあっさり答えた。
「嘘だらけの内容だね」
「いやまったく」
星も相槌を打つ。白蓮は思わず苦笑した。
「まぁ、洛陽から融資を受けている身としてはそうだろうな」
半年前、桃香は自ら洛陽に赴いており、董卓の政治が悪いものではない事を、自分の目で確認している。そんな彼女にしてみれば、袁紹の檄文など笑止の限りと言うべき内容でしかない。
「で、どうする? 連合への参加は止めておくか?」
続けて白蓮が言った。桃香は少し考え込み、しかし首を横に振った。
「ううん。ここは参加するべきだと思う」
意外な桃香の言葉に、白蓮と星は少し驚いた表情で彼女の顔を見た。
「……理由は何だ? 桃香」
白蓮が促すと、桃香はさっきの書状を手でぽんぽんと叩いて答えた。
「これが嘘っぱちの内容だって事は、書いた袁紹さんもわかってるはず。それでもこんな大義名分を持ち出したからには、袁紹さんは本気で董卓さんと戦うつもりなんでしょう。だとすれば、この戦いが終わった後の次の敵は……」
「連合に参加しなかった勢力、と言うわけですな」
星が言うと、桃香はその通り、と答えて続けた。
「袁紹さん自身が天下を取るつもりかどうかはわからないけど、その辺を見極めるためにも、連合には参加したほうが良いというのが、理由の第一かな」
「ん? 第二以下の理由があるのか?」
白蓮はさらに説明を続けるよう促した。桃香は頷いた。
「このまま状況を手をこまねいて見ていたら、もしかしたら洛陽が戦場になって、たくさんの人々が困るかもしれない。だから、連合に参加する事で、そう言う最悪の事態になった場合に備えたい、と言うのが二つ目。并州の復興は洛陽頼みのところも多いしね」
融資の件もそうだが、河北各地から洛陽に入る通商路の経済効果が無くなったら、并州の復興は大いに遅れるし、場合によっては多くの難民が押し寄せる事になるかもしれない。并州のためにも、そして桃香個人の心情としても、洛陽が戦火に巻き込まれることは避けたかった。
何しろ、洛陽には個人的な知り合いもできている。月と詠、名も知らぬ彼女たちの護衛の武人。たった一度の出会いだったが、忘れられない思い出だった。あの三人が焼けた都で途方にくれたり、戦火に巻き込まれて怪我をしたり、と言う光景は見たくない。
「はは、桃香らしいな」
白蓮は笑った。二番目の理由のほうが、桃香の中で主たる理由になっている事を、白蓮は悟っていた。
「まぁ、私も参加した方が良いかなとは思う。本初の奴、放っておくと無理無体な事ばかりしそうだし」
本初と言うのは袁紹の字の事。白蓮は名家同士の付き合いで袁紹とは顔見知りであり、真名は預けていないが、互いに字で呼び合う程度の仲ではあった。当然性格もある程度知っている。
「ああ、そう言えば白蓮ちゃんは袁紹さんとは知り合いなんだっけ。どういう人なの?」
桃香が聞くと、白蓮はちょっと疲れたような表情を浮かべた。
「まぁ……根っから悪い奴ではないんだがな。とにかく自分が一番でなきゃ気が済まない奴さ。今度董卓と戦う気になったのも、ぽっと出で相国なんて地位を貰い、洛陽を支配している事への嫉妬だろ」
「嫉妬って……そんな理由で戦争を起こすの!?」
桃香は呆れと怒りの混じった声を上げた。白蓮は手を振った。
「いやまぁ、そう単純な話でもないけどな。董卓に取って代わって、洛陽を支配する事で利を得ようと言う気ももちろんあるだろ。ただなぁ、ちょっと気にかかる事があるんだよな」
桃香は首を傾げた。
「気にかかること?」
「ああ。本初はさっきも言ったように、自分が一番って言う考え方をする奴だ。ただ、そう考えるだけの実力はある。財力も兵力も、今の諸侯じゃピカイチだしな。そんなあいつが、連合を呼びかけたってのが気になる。どっちかと言うと、本初は自分だけで董卓を倒せるだろうって考えるし、それを実行に移せる奴だ」
袁家はかつて三公……司徒、司空、太尉と言う高官を何度も輩出した名族で、その権威は皇族に次ぐものがある。むしろ朝廷が弱体化した今、その権威と実力は最大級と言ってもいいだろう。先の黄巾の乱でも、十万に及ぶ兵力を動員した事がある。
「十万ですか。それは凄まじいですな」
星が言う。彼女が今指揮できる兵力は、五千程度に過ぎない。その二十倍もの兵力を動員できる袁紹の強大さを考えているようだった。
「それが、今回は連合呼びかけ。それも、ある程度親交のある私はわかるとしても、お互い嫌いあっている曹操や、大して親交があるとも思えない孫権にまで声をかけているのが不思議なんだ。自分が主導権を取れなくなるのは、いくらあいつでもわかると思うんだが」
曹操はやはり名家の出で、黄巾の乱では張三兄弟の末弟、張梁を討ち取る功績を挙げている。兵力、財力では袁家にやや劣るが、曹操自身が人材を愛する事もあり、綺羅星のごとき勇将・智謀の士がその配下に集っていると言われており、袁紹に対抗しうる数少ない有力諸侯だ。
確かに、曹操が参加すれば袁紹が好き勝手できる余地は減るだろう。白蓮が不審に思うのも無理は無かった。桃香は少し考え込み、ある可能性に思い当たった。
(洛陽に、全ての諸侯が集まると言う「状況」を作りたい人がいるのかな……?)
例えば、そう言う状況を作っておいて、空になっている諸侯たちの本領を奪取する……などだ。しかし、桃香はすぐにこの考えを捨てた。
(袁紹さんを焚きつけても、こんな状況を作れるとは限らない。策としては運に頼りすぎかな。わたしの考えすぎかも)
ただ単に、袁紹が自分の権威を天下に示すために、諸侯たちを招集した。そう考えるほうが、まだ理にかなっている。どのみち連合への不参加と言う選択肢がありえない以上、後は状況に合わせて行動するしかないだろう。
「ともかく、後は行って確かめるしかないな。桃香、并州からは兵をどれだけ出せる?」
白蓮も同じ事を思ったらしく、ここは行動の時だと判断したようだ。桃香はこの質問は予期していたので、すぐに答えを出した。
「騎兵三千、歩兵五千、弓兵二千。都合一万。何時でも出陣可能だよ」
これは現在并州で動員できる兵力のほぼ全力である。星は尋ねた。
「桃香様、南に備えて守備隊を残す必要はありませんか?」
并州のすぐ南は、董卓の勢力圏だ。仮に并州をがら空きにしてそこを董卓軍に蹂躙されたら、目も当てられない事になるだろう。しかし桃香は首を横に振った。
「必要ないよ。連合軍結成の動きは、董卓さんも察知してるはず。まずは兵力を盟主である袁紹さんへの対策にまわすと思う」
加えて、洛陽から并州を攻めるには、黄河を渡る必要があるし、たかだか一万の并州軍への対策として、董卓が洛陽の兵力を割くとも思えない。この戦い、董卓は洛陽さえ守りきれれば勝ちなのだ。
また、単独でも五万は率いてくるだろう袁紹や曹操に対し、あまりに兵が少ないのでは発言力を失う。無理をしてでも多くの兵を連れて行く必要があった。
「そう言うことでしたら、異存はございません。白蓮殿の兵は?」
星は桃香の説明に納得して、今度は白蓮の方を見る。
「騎兵五千、歩兵八千、弓兵二千。合計で一万五千だな。合わせると二万五千の兵力になる……だが、袁紹と曹操はこの倍は連れてくるだろうな」
人口と経済規模から言えば、白蓮の領地ではこの倍以上の兵を動員できるはずだが、今はまだその体制が整っていない。ともかく、出陣した後は可能な限り兵力の損失を抑え、多くの兵を連れて帰れるように策を練らなくてはならないだろう。
(たぶん、やってくる諸侯は、みんな同じことを考えるだろうなぁ……足並みの揃わない連合で、わたし達は董卓さんに勝てるのかな……?)
そう考えると、桃香は先行きに不安を感じるのだった。
不安はあっても、将としてはそれを見せる事無く、兵を統率しなくてはならない。桃香は出兵の準備を進め、一週間後に并州軍一万を連れて太原を出立。途中で白蓮の幽州軍と合流して南下。諸侯連合軍の集結地に指定されている陳留に二週間ほどで到着した。
「これはまた……」
「凄い眺めだねぇ……」
「絶景ですな」
陳留についた桃香たちは、口々にそう感嘆の声を上げた。陳留市街の城壁の外には、各諸侯軍の張った天幕が所狭しと立ち並び、無数の軍旗、牙門旗が翻っている。ざっと見て桃香は総兵力を二十万と推測した。
実際、ここに集まっていたのはまず袁紹軍と曹操軍が各五万、江東の勇、孫権軍と、西涼の盟主、馬騰軍がそれぞれ三万。桃香たち公孫賛軍が二万五千。そして……
「あ、一刀さんたちも来てたんだ」
桃香は陣地の外れに翻る「十」の牙門旗を見て言った。北郷軍は一万五千ほど。これで総計は二十万となる。
「北郷軍はずいぶん多いな。あいつ県令だろう? 二千くらいしか兵を動かせないと思うが……」
白蓮が言う。この国の地方行政区画は、県<郡<州という順番で大きくなる。二州で二万五千の公孫賛軍と比較して、県令の率いる軍が一万五千と言うのは、異常なまでに多い。
「この数ヶ月の間に、なにやら勢力を拡大する機会があったのかもしれませんな。いずれにせよ、軍議の席に出れば何かわかるでしょう」
星が言った時、陳留の城門のほうから、一騎の武官が馬で駆けてくるのが見えた。金の飾りがつけられた、華麗な鎧に身を固めている。
「あの軍装は、本初の所の奴だな……お、顔良将軍じゃないか」
白蓮が言うと、星がほう、と関心を示した。
「顔良将軍と言えば、袁家の二枚看板の一ですな。勇将にして良将、袁家の軍を背負って立つ逸材と聞いております。一度会ってみたかった」
桃香は顔良の事をよく知らなかったが、星が関心を示すからには、それだけの人材なのだろう。やがて、顔良は三人の前で立ち止まった。一見武人らしからぬ穏やかな顔立ちの少女だったが、その立ち居振る舞いには隙が無かった。
「公孫賛さま、長の行軍お疲れ様でした。姫の命により、お迎えに上がりました」
耳に心地よい、涼やかな声で顔良が言う。
「ああ、そっちこそお疲れ様、顔良。久しぶりだな。元気でやっていたか?」
白蓮が笑顔で言う。よその所の武将とは言え、顔良には親しみを持っているらしい。
「はい、おかげさまで……これから城内で軍議を開きますので、公孫賛さまもお越しください」
白蓮は頷くと桃香たちを見た。
「桃香は私と一緒に軍議に出てくれ。星は陣地の造営を指揮していてくれ」
「うん、わかった」
「承知しました」
二人はそれぞれに返事をし、星は兵士たちのほうへ走っていく。桃香は白蓮と顔を見合わせた。
「じゃ、行こうか白蓮ちゃん」
いよいよ、連合軍を構成する諸侯たちと対面するのだ。いずれ劣らぬ英傑ぞろい。一体どんな人々なのか、怖くもあり、楽しみでもある。二人は顔良につれられて城門を潜り、市街地中心部の政庁へ向かった。
「失礼します。公孫賛さまをお連れしました」
政庁内の一室、その戸を叩いて顔良が言った。
「お入りなさい」
中から返事が聞こえ、顔良は戸を開けると、手のひら全体で中に入るよう桃香と白蓮に促した。
「失礼する。遅くなった」
白蓮がそう言って堂々と中に入り、桃香も後に続こうと部屋の中を見て、その雰囲気に息をのんだ。
そこには、今のこの国を代表する有力諸侯たちが、ずらりと顔を揃えていた。特に戸に向かって正面に座る少女の威厳は、群を抜いていた。
体格自体は小柄で、容姿も決して威圧的なものではなく、むしろ可愛いとさえ言える。どこか猫科の生き物を思わせるしなやかな雰囲気を漂わせているが、そうした愛らしさを遥かに凌駕して発せられる、凄まじいまでの存在感。これは只者ではない、猫ではなく獅子のような人だと桃香は思った。
「……私の顔に、何かついているかしら?」
少女が口を開いた。その途端、桃香を圧倒していた覇気は綺麗に消え去り、桃香は慌てて頭を下げた。
「い、いえ。失礼しました。そういうわけじゃないんです」
桃香はそう不作法を謝罪すると、白蓮の横に座った。改めて座の面々を見渡すと、上座に座っていた、豪奢な金色の髪の女性が口を開いた。
「ようこそおいでくださいましたわ、伯珪さん」
「ああ、元気そうだな。本初」
そのやり取りから、桃香は彼女が袁紹だとわかった。なるほど、さすがに名族袁家の当主だけあって、ちょっとした動作の一つにも気品がある。続けて、桃香を圧倒したあの少女が会釈した。
「はじめまして、公孫賛殿。曹孟徳よ。名高い幽州の白馬長史に出会えて光栄の至りだわ」
なるほど、この人が曹操か、と桃香は思った。袁紹に対抗できる唯一の大諸侯。確かに尋常の人間がもてる覇気ではない。すると、横に座っている猫耳のような形の頭巾をかぶった軍師らしき少女が、曹操の知恵袋と名高い荀彧か。
白蓮が曹操に挨拶し終えると、その向かいにいた褐色の肌を持つ少女が頭を下げた。
「江東から来た、孫権だ。よろしく頼む。こちらは私の副将の甘寧だ」
曹操が獅子なら、この孫権は江東にも数多く生息すると言う虎だろうか。曹操、袁紹が笑顔を浮かべているのに対し、この主従は硬い表情を崩しておらず、寄らば切れそうな抜き身の刃物の凄みを感じさせた。
続いて手を挙げたのが、白蓮同様馬の尾のような髪形をした快活そうな少女だった。
「西涼の馬騰の名代として来た、馬超だ! 幽州の白馬、アンタには一番会ってみたかったんだ。よろしくな!」
幽州と並んで名馬の産地として名高く、五胡をはじめとする剽悍な西方の異民族たちと常に対峙する涼州。そこを治める馬一族の次代を担う人材でも、この馬超は「錦馬超」「白銀姫」と名高い英傑だ。しかし、腹に一物も二物もありそうな他の諸侯と違い、彼女は裏表の無い親しみやすさを感じさせる。白蓮も同じ騎手、騎兵使いとして馬一族を意識しているだけに、こちらも気軽に挨拶をしていた。
そして、最後の一人が口を開いた。
「当陽県令、北荊州五郡郡代の北郷一刀。まぁ、俺は挨拶の必要は無いかな」
八ヶ月前に別れて以来、久々に会う一刀と、ついてきたのであろう孔明が会釈してくる。桃香が微笑んで彼に会釈を返すと、袁紹が言った。
「ところで、伯珪さん? 貴女が連れてきたのは誰なんですの?」
自分は挨拶を忘れていた事に気づき、桃香は頭を下げた。
「すみません。ぱいれ……公孫賛様にお仕えしております、劉玄徳と申します。軽輩の身ではありますが、以後お見知りおきを」
「玄徳は私の下で軍師をしてもらってるんで、軍議と聞いて連れてきた」
白蓮が情報を補うと、曹操は興味深そうな表情になり、それに気付いた荀彧がキッと桃香を睨んできた。何故睨まれるのかわからないので、桃香はその視線を無視した。
「さて、これで皆さんお揃いですわね。この度はわたくしの呼び掛けに賛同し、集まって頂き感謝いたしますわ」
袁紹が立ち上がって優雅に一礼すると、最初の議題を切り出した。
「さて、まずは連合軍の総大将を決めたいと思うのですけど……」
すると曹操があっさりと言った。
「貴女で良いんじゃないの、袁紹。そもそも連合の呼びかけ人は貴女なんだから」
袁紹は機嫌が良さそうな、しかし目は笑っていない表情で答えた。
「あら、良いんですの? 曹操さん。あなたも盟主に相応しい人物だと思ってましてよ?」
お互い見つめあい、含み笑いをする曹操と袁紹。よほど仲が悪いらしい。袁紹としては総大将になりたいのは山々だが、曹操からの推挙が気に食わないと言う事だろう。桃香は白蓮の肩をつついた。
「白蓮ちゃん……」
「ああ、わかってる。こんな事で無駄な時間を食いたくない」
白蓮は桃香の危惧を理解していたのだろう。とんとんと机を叩き、睨みあう二人の注意を向けさせた上で言った。
「私も総大将は本初で良いと思うぞ」
特に理由は言わなかったが、袁紹はちょっと耳が痛くなりそうな高笑いを決めた後、ふんぞり返って答えた。
「まぁ、伯珪さんもわたくしを推挙すると言うのであれば、総大将になって差し上げてもよろしくてよ。皆さんもそれで構いませんこと?」
孫権、馬超、一刀は面倒くさそうな表情で答えた。
「異存は無い」
「ああ、任せた」
「好きにしてくれ」
三人とも、拙い所に来てしまった、と言う表情がありありと浮かんでいるが、袁紹は全員から賛同された事で満足したのだろう。再び高笑いの後、宣言した。
「それでは、今回の同盟の盟主にして総大将は、このわたくし袁本初が務めさせていただきますわ」
やる気無さげな拍手が湧き、孫権がまず口を開いた。
「して、総大将殿。進撃にあたり、敵の布陣、総勢等を踏まえ、作戦を立てたいのだが」
実にもっともな発言だったが、袁紹は鼻で笑った。
「作戦? そんなもの必要ありませんわ」
「……は?」
質問した孫権、それに桃香、白蓮、荀彧、一刀、孔明が異口同音にそんな声を発する。袁紹は浴びせられる「お前は何を言ってるんだ」と言う視線を跳ね返し……というより最初から感じていないのか、堂々と胸を張った。そう言うところは確かに大物らしいが……口にしたのは大物と言う問題では済まない暴論だった。
「わたくしたち連合軍は、正義の軍。その旗の征くところ、誰もがひれ伏し、悪の董卓軍もたちまち意気が挫けると言うものですわ。まして、総大将はこの高貴なる袁家の当主たるわたくしなのですから。おーっほっほっほっほ!!」
すると、馬超がバンと机を叩いた。一瞬抗議するのか? と期待を持った一同だったが、馬超の目はきらきらと輝き、袁紹の言葉に大いに乗り気になっているようだった。
「いいね! 正義の軍に歯向かう者なし!! カッコいいじゃないか!! あたしは大いに気に入った!!」
(だ、ダメだこの人たち……はやく何とかしないと)
桃香は頭を抱えたくなった。一方、横では白蓮が腕を組み、なにやら首を捻っていた。すると、曹操が笑顔を浮かべて言った。
「袁紹、作戦については了解したわ。ところで、進軍順くらいは決めておかない? 私は殿を希望したいのだけど」
言いながら、曹操は何故か桃香の方を見て、目配せしてきた。
(……? 曹操さん、何かわたしに用が……?)
曹操が意味も無く目配せをするとも思えない。少し考えて、桃香は曹操の狙いに気付いた。
袁紹は実質的に作戦を立てていない。立てる気も無い。逆に考えれば、それぞれの諸侯が自分に都合が良いように、指揮下の軍を動かしても構わないと解釈できる。見れば、孫権は微かに眉を動かし、孔明は一刀に耳打ちをしていた。二人とも、曹操の微妙な態度から桃香と同じ結論に達したのだろう。
曹操の狙いはわからないが、おそらく殿と言う位置が、彼女にとって都合のいい位置なのだろう。では、自分たち公孫賛軍にとって、一番目的に適した位置はどこか?
桃香たちにとって、一番の目的は敵味方双方、そして洛陽の庶人たちの被害を最小限に抑える事である。そのために都合の良い位置は……
「わたし達は二陣目で行軍したいと思います。白蓮ちゃん、構わない?」
桃香は言った。二陣目の位置なら、敵と真っ先に激突する事になる先鋒の状況を良く見た上で、行動を決める余地がある。場合によっては苦戦する先鋒の救援も可能だろうし、どうしようもない場合に撤退する余裕もある。
また、連戦の場合は次の先鋒は自分たちで、洛陽攻めあたりに主導権をとる順番が回ってくる可能性が高い。そう考えての提案だ。
「お前がそれでいいなら、私には文句は無いぞ」
白蓮はあっさり頷いた。桃香は白蓮に礼を言い、ついで曹操に笑顔で会釈した。彼女がどういうつもりで桃香に考える手がかりをくれたのかは不明だが、ここは好意にたいする礼をしておくべきだろう。
「では、伯珪さんは二陣目……ですわね。他の方々はどうするんですの?」
袁紹が言うと、馬超が手を挙げた。
「いよっし! それなら先鋒はあたしが貰う!!」
やる気満々だ。先鋒は被害が大きくなる位置なので、こういう状況では避けたいところだが、馬超は自分の武を見せ付ける機会を欲しているのだろう。
しかし、馬超率いる涼州軍の性質から考えると、もう少し違う戦い方をしてほしいところである。桃香はそう言おうと口を開きかけたが、孫権が先に言った。
「馬超殿、申し訳ないが先鋒は我らに譲ってもらえないか?」
馬超は意志の強さを示すような太い眉を吊り上げた。
「なんだって? 先に名乗りをあげたのはあたしだぞ? 何で先鋒を譲らなきゃいけないんだ」
孫権が説明するより早く、孔明が口を開いた。
「馬超さんたちは騎兵中心ですから、先頭切ってぶつかるよりも、機動性を活かした遊撃軍として、ここぞと言う時に戦場に突入してもらうほうが、実力を発揮できると思います。言ってみれば、戦いの趨勢を決める決戦部隊ですね」
「そう言うことだ。その方が貴公としてもその武を発揮しやすかろう。第三陣あたりが最適の布陣だな」
孫権が言い添える。決戦部隊、と言う響きが気に入ったのか、馬超は笑顔を浮かべた。
「そう言うことなら、その遊撃部隊をあたしが引き受けよう」
桃香はホッとした。孫権と孔明が言った事は、彼女の考えた事と全く同じだった。
「では、先鋒は孫権さん、第三陣は馬超さん、ということで良いですわね?」
袁紹が確認すると、曹操が手を挙げた。
「孫権だけで大丈夫かしら? 孫呉の武威を疑うわけではないけど、董卓軍は汜水関と虎牢関に合わせて七万近い兵を入れているという情報があるわよ」
汜水関、虎牢関は洛陽の東を守る一大拠点だ。洛陽へ続く、切り立った断崖の間の道を塞ぐように建てられた二重の関所で、人の背丈の十倍近い垂直の城壁が聳え立つ要害である。
「あの二つの関に七万か。厳しい戦いになるな。しかし、七万とは多いな……洛陽の人口は多いし、経済的にも七万くらいの兵は余裕で養えるだろうが……董卓はそこまで力をつけているのか」
白蓮が言うと、孔明が真剣な表情で言った。
「それなのですが、董卓軍は二十万の兵を整えたとの情報があります」
「二十万!?」
室内がざわめく。二十万と言えば、連合軍とほぼ同じ戦力だ。
「話半分としても、十万……汜水関、虎牢関、洛陽を戦場と想定して、三~四万の兵が篭る拠点に対して連続で攻城戦を仕掛ける事になります。孫権軍だけでは厳しいですね」
荀彧が言って甘寧に睨まれ、場に緊迫した空気が流れるが、その時一刀が手を挙げた。
「じゃあ、俺たちが孫権さんと並んで先鋒を務めよう。それならどうだ?」
「一刀さん?」
桃香は大丈夫か、と言う心配の気持ちを込めて一刀を見る。一刀たちの軍は諸侯連合の中では最小だ。孫権軍と協力するとは言え、先鋒で消耗すれば立ち直るのが大変だろう。すると、一刀は心配ない、と言うように桃香に笑って見せた。
「孫権はどうなの?」
曹操が言うと、孫権は一刀のほうをじっと見て頷いた。
「よろしく頼む」
「ああ、こちらこそ」
一刀も挨拶を返したところで、袁紹がまとめに入った。
「では、先鋒は孫権さんと北郷さん、第二陣は伯珪さん、第三陣は馬超さん、第四陣はわたくし、第五陣……殿は曹操さん、と言うことでよろしいですわね?」
一同は頷いた。本当は桃香としては文句が無いわけではない。最有力の二人の諸侯が後陣と言うのは不公平だ。どっちかに先陣を切ってもらうべきだとは思う。特に袁紹には。しかし、力関係から言ってもなかなかそれは言い出しづらい。可能な限り戦力を温存したままで、この戦役を乗り切るしかないだろう。
「では、明日当たり出撃としましょうか。後は董卓軍の出方を見て決めましょう」
「わたくしの台詞を取らないでくださいます!?」
曹操が結論を口に出すと、袁紹がそう言って曹操を睨んだが、曹操は冷笑で答えた。孫権主従は我関せず、とばかりにさっさと部屋を出て行き、馬超は張り切った様子でそれに続いた。桃香は一刀を呼び止めた。
「一刀さん」
「ああ、桃香さん。なんです?」
孔明と共に部屋を出て行こうとした一刀が振り返った。すると、白蓮が言った。
「桃香、私は先に戻ってるぞ」
「朱里、軍議の内容を愛紗たちに伝えてくれ。俺はちょっと劉備さんと話してから戻るから」
一刀も孔明に言った。孔明は一瞬躊躇ったが、では、と言って白蓮に続いて部屋を出て行った。
「で、何の用で……って、少し場所を変えますか」
一刀は桃香に話しかけようとして、背後で起きている袁紹と曹操の言い争い(と言うより、袁紹が一方的に絡んでいる)に目をやった。こう煩くては、落ち着いて話もできない。
「そうですね」
桃香は頷いて、二人は少し離れた政庁の回廊に移動した。まず話を切り出したのは桃香だった。
「一刀さん、先鋒を受けて大丈夫なんですか? あの兵力、かなり無理してかき集めたと思うんですけど……」
一県令に過ぎない一刀が一万五千の兵を何故持っているのか、と言う疑問を桃香はぶつけた。
「ん? まぁ、確かに大変は大変だけど……実はあれ、周りの県や郡の兵たちの指揮権を預かってきたんだ」
「え?」
一刀の答えに戸惑う桃香。すると、一刀は荊州の思わぬ実情について話し始めた。それは、桃香にもにわかに信じがたい内容だった。
「州の太守や、知事たちが着任していない? それは本当なんですか、一刀さん」
桃香が聞き返すと、一刀は頷いた。
「ああ。どういうわけか誰も来ていないらしい。それで、俺のところに周りの県や郡の住民代表が来て、保護を求めてきたんで、本来の太守や知事が来るまで、俺たちが暫定的に荊州北部の五郡の政治を預かることになったんだが……半年経っても誰も来ないんだ。これは中央で何かあったに違いない、って言う話になった時に、袁紹さんの檄文が来てね。状況を確かめる機会だと思って、参戦を決めたんだ」
荊州は黄巾の乱で大打撃を受けたため、乱以前の太守や県令、郡知事はほとんど交代させられた。一刀が県令に任命されたのも、人事異動が大規模だったためだが、いくら状況が厳しいとは言え、新任者が現地に入らないのはどう考えてもおかしい。怠業の廉で斬首、流刑に処せられてもおかしくない。
「それで、一刀さんは現状をどう思っているんですか?」
桃香は聞いた。さっきの軍議の様子から見ても、一刀たちは董卓軍の情報をかなり集めているようだ。ひょっとしたら、桃香の知らない事を知っているかもしれないと期待したのだが。
「正直わからない。董卓が政治を牛耳っているとしても……牛耳っているからこそ、任地に逃げ出したいと思う人は多いだろうし。こればかりは洛陽に行かないとわからないと思う」
それで、一刀たちは敵に一番近い先陣に身を置いて、真っ先に情報を集めたいと考えていたのだと言う。
「なるほど……わかりました。もし何かあったら、何時でも相談してください。わたしたちもできるだけの事はします」
「うん、ありがとう。よろしく頼むよ」
桃香の言葉に、一刀は笑顔で頷いた。桃香は胸が高鳴るのを感じた。
(一刀さん、凄く厳しい状況なのに頑張ってるんだな……わたしも負けないように頑張らなくちゃ)
一刀への敬意と共に、決意もまた新たにする桃香だった。
―あとがき―
主要君主がとうとう勢ぞろい。各軍の武将とかでまだ出て無いキャラもいますが、反董卓連合軍戦の途中にはできるだけ出す予定です。