巻の七十九「二人の女を和合させるより、むしろ全西欧を和合させる事の方が容易であろう」 ……今朝から、薄々嫌な予感はしていたのだ。 お気に入りのティーカップは何故か真っ二つに割れ、下ろしたてだったテーブルクロスに紅茶がぶちまけられ。 この前買ったばかりのヘアバンドも、まだ二回しか付けて無いのにその寿命を全うしてしまった。 あげくの果てに、悪戯兎まで我が物顔で遊びに来る始末。 魔法使いである私には幸せを呼びよせないあの子の笑顔は、これから起こる不吉な運命を暗に知らせている気がした。 ―――そして、その結果がこれである。 「どうも、僕です!」「フランです!」「早苗です!」「……え、これ私もやるの?」 玄関を開けると、そこにはもうすっかり見慣れた腋メイドの姿があった。 真っ直ぐ伸ばした右手を自分の額に当て、直立不動の形で挨拶をする彼の姿は中々に筆舌しがたいモノがある。 しかもその小脇には、悪魔の妹ことフランドール・スカーレットを抱えているのだから尚の事シュールだ。 同じ様に右手を自分の額に当てているのは、何かのジョークなのだろうか。 そして、腋メイドの右やや後方には謎の腋巫女。緑と青のカラーリングのせいか、霊夢のパチモンみたいな感じがする。 彼女も同様のポーズをとっており、ここまでくると何かの宗教じゃないのかと疑わしくなってくる。そんな事は無いだろうけど。 そんな三人を、困ったように見つめているのが永遠亭の薬師見習い、鈴仙・優曇華院・イナバだ。 こちらは別段ポーズ等はとっていないものの、「自分一人が何もしていない」と言う点に戸惑いを感じているようである。 どう考えてもそちらが正しいのだから、無視するなり突っ込むなりすれば良いのに。相変わらず難儀な妖怪ね。「とりあえず上がりなさい、玄関に溜まられると迷惑だわ」 帰れ。という言葉を無理矢理呑み込んで、おかしな一団にどうにか指示を飛ばした。 伊達に今まで、久遠晶と言う人間と付き合ってきたワケでは無いのだ。 ここで拒否した方が面倒な展開になる事は、すでに経験則から理解しているのである。 ……何の自慢にもならないけどね。ああ、腹立たしい。「それじゃあ遠慮なく、お邪魔しまーす」「しまーす」「どうも初めまして、お邪魔しまーす」 私の言葉に遠慮無く移動を始める三人、予想通りの展開に思わずため息が漏れる。 どうやら、唐突に増えた巫女の性格は晶達に近しいようだ。なるほど、またトラブルの種が増えたワケか。 私は肩を竦めながら、三人の後を追おうとする。「……ねぇ、七色の人形遣い」 するとそんな私の背中に、唯一動いていなかった鈴仙が声をかけてきた。 恐ろしく緊迫した声で、彼女は救いを求める様に私に問いかける。「何よ、別に貴女だけ入るななんて意地悪は言わないわよ? あ、どうせなら貴女の所の悪戯兎、回収していってくれない?」「てゐってば、また貴女の家に遊びに来ているのね……ってそうじゃなくて、少し聞きたい事があるのよ」「聞きたい事?」「貴女……晶の性別が男だって事、知ってる?」「――えっ? 貴女、知らなかったの?」 思わずそう聞き返すと、露骨に鈴仙の顔が曇った。 どうも彼女は、アイツの正しい性別を知らなかったらしい。 ……まぁ、あの外見で男だと気付けと言うのは中々に酷な話だろう。 私も、女装する前の晶を知らなければ勘違いしていたに違いない。 それでも今更、と言う気はしないでもないけどね。 この拘りようを見るに、本人は相当ショックだったようだ。 「一応聞くけど……良く平気ね、あんな女装男と一緒で」「まぁ、本人がそれで性的な興奮を得ているワケじゃないからね。外見を気にしなければ全然平気よ」 むしろ最近、馴染み過ぎてて違和感を覚えなくなってきているわね。 深くは気にして無かったけど……改めて考えるとちょっと問題かもしれないわ、今後は少し注意しないと。「それに、アレで結構晶は男らしい所もあるのよ?」「……そうなの?」「おかげでたまにドキッとさせられる事が―――ゴホンゴホン、今のは何でも無いの。忘れて」 迂闊だった。ついうっかり言わなくても良い事を。 羞恥と照れで紅くなった頬を隠すように、私は鈴仙から視線を逸らした。 そんな私の肩に、ゆっくりと彼女の手が添えられる。 てっきり懐疑的な表情を浮かべていると思っていた鈴仙の顔には、何故か同情的かつ自嘲的な笑みが張り付いていた。「ワカる」「へ?」「反則よね、アレは。普段は顔面に湯煎でもかけたのかってくらい間抜けな顔してるくせに、変な所でキリッとしてさ」「そこはまぁ同感だけど……女だと思ってたのよね?」「そうよ。同性にときめいたと思って自己嫌悪していたら、相手が異性だと分かってさらにワケが分からなくなった次第よ」 心中複雑そうな笑みを浮かべて、シニカルに肩を竦めて見せる鈴仙。 彼女は彼女で、色々と苦労しているらしい。 私は同じく同情的な笑みを浮かべて、肩に置かれている鈴仙の手をとった。「有りがちな慰めになるけど、あまり深く考えない方が良いわよ? 一番男とか女とか気にしていないのがアイツ自身だと思うし」「ああ、なるほどね……」 すでに室内からは、合流したであろう他の面々らの楽しそうな談笑が漏れてきている。 恐らく、晶も普通にその中に紛れている事だろう。 結局お子ちゃまなのよね。男女間のあれこれを気にするよりも、皆でワーワーやってる方が楽しいって所かしら。 だからこそ、女装姿が容認されてるのかもしれないわ。 ……どっちにしろトンデモ無く紛らわしいけど。 「とりあえず入りましょう。あの面子を放っておくのは危険だし」「入る……ねぇ。てゐとフランドールと晶が詰まってるのよね、あの中」「止めなさいよその言い方、私の家は肉まんの皮か何か?」「ううっ、入りたくないなぁ。身体的にも精神的にもボロボロになりそう」「……その弱音に、貴女が普段どういう扱いを受けているかが集約されているわね」 しかし、その問題児を詰め込んでいる家の家主としては、このまま棒立ちされるワケにはいけない。 私は歩みの鈍い鈴仙を押しながら、自分の家へと入っていく。 するとそこには――半ば予想通りの姿で、家主不在にも関わらず我が物顔で寛ぐ客人達が居た。「でね。そのうどんげおねーちゃんって人が凄く面白くて」「へぇ~、そうなんだー」 まぁ、寺子屋の一件ですっかり仲良くなった二人は良いとしよう。 子供にはしゃぐなと言うほど、私の心は狭く無いつもりだ。 問題なのは、椅子に座りながらてゐの髪を弄っている青緑の巫女の存在である。 警戒心の強いてゐが、為すがままで癖っ毛の強い髪を触らせている姿はかなり珍しい――が論点はそこじゃ無い。 ……で、結局誰なんだろうか、この巫女は。 さっきからフツーに混じっていたけど、私は名前以外何の説明も受けていない。 と言うか、さっきのアレは自己紹介になるのだろうか。正直、何かのギャグとしか思えないんだけど。 その巫女の隣でニコニコしている晶の様子から判断するに、それなりに親しい知り合いなんでしょうが。 見知らぬ人間に堂々と居座られると言うのは、はっきり言って良い気分じゃないわね。「かわいい~、髪もふわふわでお人形みたい」「えへっ、もっと触っても良いんだよ☆」「……てゐちゃん気持ちわるーい」 私が憮然と謎の巫女を眺めていると、てゐが営業用のスマイルを浮かべて巫女にウィンクを送った。 これはまた、随分と露骨に媚を売っているモノだ。 怖気が来るほど空々しい態度の彼女に、思わず私は両肩を抑えて体調の不良を訴える。もちろん、てゐに伝わるはずも無いのだけど。 「えらく気前が良いわね。金の匂いでも嗅ぎつけたの?」「そういうワケじゃないけど、ちょっとねー」 鈴仙が代弁してくれた私の疑問に、てゐはこっそりと苦笑を返した。 彼女がこの手の笑みを浮かべている場合、大概は不本意な状況に居ると思って間違いない。 と言う事は、大人しくせざるを得ない事情があると言うワケか。 巫女が髪を弄るのに夢中な事を確認すると、てゐは私達にだけ聞こえる程度の声量で理由を話し始めた。「何だか良く分からないけど、どうも私の姿がこの巫女の‘ツボ’にハマったみたいでねー。さっきからずっとこんな感じなんだよ」「それで為すがまま? らしくないわね、貴女なら何かしらの形で抵抗すると思ったけど」「相手は守矢神社の風祝だからねー。点数稼ぎはしといた方がいいかなって。……あそこの神様、どっちもおっかないんだよ」「――守矢神社?」 確か、つい最近妖怪の山に出来た神社がそんな名前だった気がする。 なるほど、彼女はあそこの関係者だったワケか。 ……晶のヤツ、ついに妖怪の山にまで行動範囲を広げたのね。「あれ? てゐさん、うちの神様の事知ってるんですか?」「うげっ、聞かれてたのか」「えっへん! 自慢じゃないですけど私、ボーっとしながら人の話を聞くの得意なんです!!」「……早苗ちゃん、それ本当に自慢にならないから」「えへへ、やっぱりそうですかね?」 どこかズレた会話をしながら、お互いに笑いあう巫女と晶。 どうでもいいけど、やたら親しげよねこの二人。 独特の空気を出してると言うか、互いのノリを分かっていると言うか。 天然同士、気があったのかもしれないわね。どっちも見て分かるほどポワポワした空気を垂れ流しているし。「それでてゐさん、神奈子様達との関係なんですけど……」「そ、そんな事より、ちょっと聞いて良いかな。何か二人ともやたら仲良いよね? 何で?」「言われてみれば少し気になるわね。貴方達ってどういう関係なの? 紅魔館では女装の事ばっかり気になってて聞きそびれたけど」「あ、僕と早苗ちゃんは、外の世界に居た頃からの付き合いなんですよ」「はい! 所謂大親友と言うヤツですっ!!」 肩を組んで、良く分からない仲良しアピールをする天然二人。 へー、そうなんだ。外に居た頃からの友達だったワケね。 道理で私より晶に馴染んでいるはずよ。付き合いの差があるなら仕方が無いわよね。「……アリス、お顔怖いよ?」「アリスお姉ちゃん、お腹痛いの?」「あはは、何でも無いわよ。」 何故か怯えた様子で話しかけてくるメディスンとフランドールに、正直な気持ちを伝えて笑顔を返す。 二人はまだ怪訝そうな顔をしていたが、実際特に何でも無いのだから他に答えようが無い。私は話題を変える事にした。「で、これだけの大所帯でウチに何の用なのかしら?」「ああ、そうだった、すっかり忘れてた」「なんだ。友達自慢しに来たワケじゃないんだ」「てゐさん、どういう意図があればそんな行動をとるというのですか? そうじゃなくてですね……」「今日は皆さんを、新聞作りのお手伝い仲間として誘いに来たんです!」「早苗ちゃんソレ僕の台詞ダヨ!?」 コントの様なやり取りを交えつつ、来訪の用件を語る愉快な一団。 思ったよりはまともな用件だったけれど、参加するのであろう面子を見ると不安にならざるを得ない。 何でメンバーの中にフランドールが居るのよ。もう完全に遊ばせる気満々じゃないの。 まぁ、新聞なんてゴシップの塊、真面目に作ってもたかが知れてるけど。 ……ここに晶が来た理由は間違いなく、この前寺子屋の教師をやる羽目になった時と同じモノよね。 「また私に、問題児共のお目付役をしろって言うのね」「あ、あはははは、ナンノコトデスカ? 僕はただ、アリスを誘いに来ただけで……」「そしてそのついでに、色々頼らせて貰おうと」「わっはっはっは―――お見通しですかそうですか」 脂汗を垂れ流す晶に、冷やかな目線を送る。 幸か不幸か、コイツの考え方も大分理解出来る様になってしまった。「ところでフランちゃん、新聞って何?」「んーとね、私も難しい所は良く分かって無いんだけど……」 しかしまぁ、メディスンもヤル気みたいだし、断る理由自体は特に無い。 特に無いけれど……晶ってば私の事、便利屋か何かと勘違いしてないかしら。 正直、頼ってもらえるのは少し嬉しいけど、この家が駆け込み寺みたいに思われるのは正直困る。 今度暇のある時にでも、晶には少し釘を刺しておく事にしよう。 ……多分、意味は無いと思うけどね。 はぁ、これでも私、友達いない疑惑をもたれる程度には愛想の悪い都会派魔法使いなんだけどなー。「えっと、それでアリスさん。新聞作りには協力して頂けるのでしょうか」「……次に来る時は、手土産の一つでも持ってきなさいよ?」「それは、つまり?」「……手伝ってあげるって事よ」「わぁいっ! だからアリスってば大好きーっ!!」 我ながらお人好し過ぎる答えを返すと、感極まった晶が元気よく抱きついてきた。 抵抗しようにも身体能力では勝ち目が無いので、為すがままになってしまう私。 ああ、異性に抱きつかれているはずなのに全然それを感じない。何て細くて柔らかい身体なんだろうか。 何とも言えない感覚に私が思わず苦笑していると、何故か青緑巫女の表情が険しくなった。「……何だかあの二人、凄く仲良しさんですね」「みたいだねー。まぁこの中じゃ、巫女さんの次くらいに付き合いが長いみたいだから当然じゃないかな」「ふーん、そうなんですかー」 何かしらこの感じ。拗ねている彼女を見ていると、ちょっとした優越感のようなモノが。 ――等と思っていたら、私の身体に更なる重みが加えられた。 そして晶の背中越しに見える、シャンデリアの様な羽根と球体関節の腕。 どうやら何かの遊びと判断したちびっ子二人が、晶の背中に飛び乗ってきたようだ。 あ、何だか徐々に徐々に重量がこっちの方に流れてきた。 晶のヤツ、このまま流れに逆らわず私に体重をかけていくつもりねっ!?「ブレイク! ブレイク! 重たいから乗っからないの!!」 人形を呼びだして、私は晶の背中のフランドールとメディスンを引っぺがした。 そして、手の空いている上海で晶を思いっきり殴り飛ばす。「テイオウニトウソウハナイノダ!!」「げふぅっ!? 僕だけ離し方に愛が無い!?」 要らないでしょ、アンタは踏んでも蹴っても平気なんだから。 抱きしめられたせいで微妙に歪んだ服を直しながら、私は晶に距離をとるよう手で指示する。 ……最初から、人形で実力行使に出ていれば良かったんじゃない。 まったく、無駄な時間を過ごしたわ。ちょっと晶の図々しさを甘やかし過ぎたかしら。「さて、そろそろ本題に入りましょうか」「――本題?」「新聞作りよ、新聞作り! 何ですでに忘却の彼方なのよっ!!」「あはは、申し訳無い」「そういえば、私達も聞いて無いわね。結局私達、どんな記事を書いてどんな新聞にする予定なの?」 どうやらこの中で、今回の新聞作りを把握している者はいないらしい。 鈴仙の今更と言えば今更な問いに、晶は不敵に微笑む。――フリをして顔を引きつらせた。「……晶、貴方全然考えて無かったの?」「い、いやいや、そんな事無いよ? うん、そんな事無い」「それじゃあどーすんの? てゐちゃん出来れば簡単な記事が良いなぁ」 全員の視線を一身に受けた晶は、引きつらせた笑顔に大量の冷や汗を流す。 間違いなくアレは何も考えていない顔だ。 ノープランで、人員だけを掻き集めてきたと言う事だろうか。 とてつも無く晶らしい行動の仕方だけど……巻き込まれた私達には迷惑甚だしい行動だ。 何となく事情を察し、徐々に冷めて行く一部の視線。 それを受けた晶は、ほとんど苦し紛れに近い様子で何とか言葉を絞り出した。「それはアレですっ! 全員集合してから発表する予定ですっ!!」「……全員集合?」「そうっ! 僕の新聞を手伝ってくれる人員全員を揃えてからの方が、二度手間にならなくて良いでしょう?」「あ、そうだったんですか。私てっきり、晶君は新聞の内容を全く決めて無いのだと思っていました」「あっはっはっは、ソンナコトハゴザイマセンヨ?」 あからさまに嘘くさい言葉を吐きながら、それでも乾いた笑いをあげる晶。 その姿が余りにも憐れ過ぎて、さすがに次のツッコミを入れる事は出来なかった。 まぁ、趣味で作ってるみたいだから、何も決まって無くても特に文句は無いんだけど。 ―――そうか、まだ全員揃って無いのね。 むしろ晶の漏らしたその言葉に、私は溜息を吐きだすのだった。「ちなみに、次はどこに行く予定なんだい?」「うん、次はいよいよ最後に廻る予定だった場所――人里に行こうと思っております」 ……次に誰を誘う気か、何となく分かったわ。