巻の七十八「男に惚れられるような男でなければ、女には惚れられない」 どうも。新聞作りのために紅魔館までやってきた男こと久遠晶です。 早速ですが、今僕は良く分からない戦いに巻き込まれています。「ううぅ~」 対戦相手は、僕の姉弟子であり永遠亭の薬師の一人である姉弟子――レイセンさん。 両腕を十字に交差して胸の前に掲げた彼女は、こちらの間合いからギリギリ外れるくらいの距離で警戒を露わにしている。 フランちゃんのお守りを押し付けた後輩に、敵意を剥き出しにしている……と言うのとはちょっと違う。 むしろ戸惑っていると言うか、怯えていると言うか、とにかくそんな感情の方が強い気がする。「………ふむ」「ん? どーしたの、お兄ちゃん」 ひょっとして、小脇に抱えた状態が無駄に安定しちゃったフランちゃんが原因なのだろうか? 現在進行形でトラウマを叩きこまれている彼女に怯えているなら、レイセンさんの反応にも説明が付く。「――とりゃあっ!!」 確認の意味を込めて、フランちゃんを姉弟子に向けて突き出してみた。 気分はまさに、印籠を掲げる水戸の光圀公だ。 ……体勢的には、相手を逆方向に向けた高い高い以外のナニモノでも無いんだけどね。 あ、ちょっとフランちゃん。そんなニコニコしながら手足をジタバタさせないで、高い高いしているようにしか見えないから。 しかしどうも、僕の考察は根本からして間違っていたらしい。 フランちゃんを突きだされた姉弟子は、僕の行動が理解出来ないとばかりに首を傾げている。「何やってるんですか、晶さん?」「えーっと……愛と青春のリビドーを表現してみました」「ロリータコンプレックスの構えって事ですか」「……スイマセン、本当はてきとーでっち上げました」 リビドーなんて単語、使わなきゃよかった。 早苗ちゃんに真顔で突っ込まれて、僕は素直に自分の言葉を引っ込めた。 確かに、今の台詞とフランちゃんを掲げた状況から導き出せる答えとしては、かなり妥当な所ですけどね? 性犯罪者扱いされてもおかしく無い構えを、人前でとってると解釈するのは勘弁して貰えませんか。「ねぇねぇお兄ちゃん、ろりぃたこんぷれっくすって何?」「コンプレックスが確か劣等感でしたから……ロリータへの劣等感? と言う事では無いでしょうか」「そうなんだー。で、ろりぃたって?」 幸運な事に、美鈴とフランちゃんはそもそもロリコンと言う言葉自体を知らなかったようだ。 不思議そうな顔で首を傾げる二人に視線を向けられた僕は、顔を逸らしながらフランちゃんの疑問に答えた。「……ウラジーミル・ナボコフの書いた小説のタイトルっす」「つまりロリータコンプレックスとは、小説への劣等感の事をさす言葉なんですね。……全く意味は分かりませんが」「げ、芸術だからね」「芸術とは、難解なモノなのですねぇ」 いえ、煙に巻いただけです。小説も劣等感も関係ありません。 早苗ちゃんが突っ込まないのを良い事に、好き勝手な事をほざく我が身の可愛い僕。 嘘ついてごめんなさい。でも、二人には知らないままで居て欲しいんです。「……ロリータコンプレックスって、そういう意味だったんですか」 あ、こっちもこっちで信じてたのか。 今まで黙っていた早苗ちゃんが、とても深刻な顔でポツリと呟く。 多分彼女は正しい意味の方を知っていたんだろうけど、僕の虚言にあっさり脳内の辞書を書き換えたようだ。 何と言う天然の巣窟。ツッコミが追いつかないとはまさしく今の状況をさすに違いない。 と言うか、そもそも誰もつっこんでないじゃないか。ツッコミ担当はどこに行ったんだろう。 僕はこの場に居る唯一のツッコミ担当――レイセンさんの様子を窺った。 彼女はここまでの流れを一切合財無視して、クロスアームブロックを続行している。 視線は相変わらず険しい状態でこっちに向けられたままだ。本当に、どうしたんだろうこの人。「姉弟子、どうしたんですか?」「近寄らないでよ、変態!」 わぁ、手厳しいご意見だー。 僕が一歩近づくと、姉弟子は即座に一歩下がった。あからさまに警戒されている。 仕方が無い事とは言え、さすがに変態扱いは気持ちの良いモノでは無い。 僕はフランちゃんを小脇に抱え直し、苦笑しながら姉弟子に弁解した。「一応言っておきますけど、僕にペドフェリアのケはありませんよ?」「ぺど?」「そんな事はどうでもいいのよ! ―――この、変態女装男!!」「………ほへ?」「フランドールに聞くまで知らなかったわ。貴方が男だったなんてね!」 汚物を見る様な目で、僕の事を睨みつけるレイセンさん。 敵意と嫌悪感丸出しな彼女に、僕は恐る恐る言葉をかけてみた。「えっと、レイセンさん。……今更、何言ってるんですか?」 僕の言葉に唖然とする姉弟子。だけど、唖然としたいのはこっちも同じだ。 自慢じゃないけど、ほんっとうに自慢じゃないけど、僕が女装しているのはいつもの事である。 レイセンさんだって、その事は知ってると―――アレ、知って? そういえば僕、姉弟子に自分の性別を話した事あったっけ。「今更? ふざけないでよ、今まで自分を女だと偽っていたのは貴方じゃないっ!」「言わなかった事は謝りますけど――女と偽った覚えもありませんヨ?」「その外見で何を言ってるのよ!」「まぁ、そう言われると反論は出来ませんが」 今の今まで、腋メイド服を着ている事をすっかり忘れていたのだから仕方が無い。 慣れって怖いなぁ。……そういえば最近、自分の姿に疑問を抱く事が無かったような気がする。 他の誰かから女装を指摘される事自体少なかったワケだし、自分の容姿を忘れてしまうのも無理無い事だよね。 ――うんうん、しょうがないしょうがない。 そう自分に言い聞かせながら苦笑いする僕の姿に、レイセンさんは苛立った視線を向ける。 埒が明かないと判断したのか、姉弟子は同意を求める様に他の三人に話を振った。「ねぇ、貴方達はどう思う?」「可愛いからアリだと思いますよ。私としては、巫女服の方が似合うと思うんですが……」 これは早苗ちゃん、肯定どころか推奨扱いである。勘弁して欲しい。 もっとも、まだ恥じらいを持っている所が文姉より辛うじてマシだと言えるかもしれないけど。「……お兄ちゃんの格好って、どこか変なの?」 こっちはフランちゃん、そもそも疑問にすら思っていなかったらしい。 これも五百年近い幽閉の影響か。どうやら彼女は、男女で服装に差があると言う基本的な所を知らなかったらしい。 アレ? と言う事は僕の格好って、さりげなくフランちゃんに悪影響を与えてる?「晶さんの女装には、紅魔館が大きく関わっているので……とりあえずノーコメントで」「私が? 私がおかしいの?」 最後のは美鈴、そういえば腋メイド服になった原因の三分のニは紅魔館の方々にあったんだっけ。 自分が少数派だと知ったレイセンさんは、悔しそうに歯ぎしりをする。 その気持ちは良く分かります姉弟子。貴方は、出来れば常識を持ったままでいてください。 ちなみに、輝夜さんやお師匠様も女装の事実は知っているんだけど……言うとレイセンさんの中の何かが爆発しそうなので黙っておこう。「ところで晶さん、今日は何のご用で? 天狗のお仕事が終わった――と言った感じには見えませんが」「ああ、そうだった。実はフランちゃんの力を借りたくてね」「何か壊すの?」「解体業的なお手伝いでは無いです。実は、新聞作りのお手伝いをお願いしたくて」「――新聞作りっ!?」 小脇に抱えられたままのフランちゃんが、僕の言葉に目を輝かせた。 懐をゴソゴソ弄ると、一枚の紙切れを取り出して僕に見せる。「新聞って、コレの事だよね。ね」「うん、そうだけど……どうしたの、これ?」「前にパチュリーが持ってきたの! おべんきょーの一環だって言ってたわ」 彼女の持っている記事は、紅魔異変に関する事が書かれた文姉の新聞の一部だった。 恐らくは、以前レミリアさんが呟いていた「姉の威厳」を増すための意図もあったのだろう。 微妙に端が焦げビリビリに破れたその記事の姿が、その時の‘お勉強’の結果を静かに物語っていた。 しかし、今のフランちゃんの反応を見るにウケの方は良かったようだ。 キラキラと期待する目で、彼女は僕の事を見上げてきた。「これ、私も作れるの?」「そうだよ。内容は……まぁ、まだ考え中だけど、どうせ作るなら皆で楽しくやった方がいいかなーって」「わーいっ! ここで? ここで作るの?」「いや、他にも何人か頼みたい人が居るから、また移動するつもりだけど……」「それじゃあ私、お姉様に外へ出て良いか聞いてくるねっ!」 小脇から抜け出して、フランちゃんは紅魔館に向け走っていく。 その姿を僕は、ちょっと感慨深げに眺めていた。 思いの外スムーズに話が進んだなぁ。もうちょっと揉めるかと思ったけど、フランちゃんも日々成長しているらしい。「美鈴はどうする? 一緒に来る?」「すいません、遠慮しておきます。幽香さんが居るからと言って、門番の任を放棄するワケにはいきませんからね」「そっかぁ……出来れば僕のほかにもう一人、フランちゃんの抑えが欲しかったんだけど」 ここは、早苗ちゃんや他の助っ人に頼るしかないかなー。 フランちゃんの扱いに慣れた人が居ると、安心して新聞作りに望めるんだけどね。 僕が両腕を組んで考え込んでいると、同じ様な事を考えていたのだろう美鈴が意見を求める様に視線を姉弟子に向けた。 ちなみにレイセンさんは皆を説得するのを諦め、クロスアームブロックの姿勢を続行している。「優曇華院さん、私の代わりに同行して貰えませんかね」「ええっ、私がぁっ!?」「今までの延長だと思って、どうか付き合ってあげてください。ね、晶さん」「うん、僕からも同行の方をお願いします、姉弟子。ついでに新聞作りの方も協力してください」「今、いけしゃあしゃあと注文を増やした事は置いとくとして……私に変態の手伝いをしろって言うの?」「はい。その通りです」 弁明も無しに僕が一礼をすると、防御態勢に入った姉弟子が少し怯む。 どうやら、完全に僕の事を拒否しているワケでは無いようだ。 多分姉弟子は、異性だと分かった僕とどう接して良いか分からなくて戸惑っているのだろう。 ある意味自然な反応である。最近、自分が男として扱われているかどうかすら怪しかった僕としては感涙モノのリアクションだ。 どうしたものかと視線を左右していた彼女は、僕の姿を見て抵抗の理由を思い出したのか、若干肩を強張らせて口を開いた。 「……見事に開き直ったわね」「言い訳した方が姉弟子の心証が悪くなる、と判断しただけっす。それに、この外見じゃ否定しても説得力が無いでしょう?」「そこまで認めるなら、その格好を止めなさいよ!」「――ねぇ、レイセンさん。貴女はお師匠様に「ニンジャの格好で生活しろ」と言われて、それを拒む事が出来ますか?」 あ、黙った。あまりにも分かりやすい例えに、さすがの姉弟子も事情を察してしまったようだ。 実際には半分くらい自由意思で着ているんだけど、選択の余地が無い所は変わらないからこれは別に言わなくても良いだろう。「……まぁ、変態は言い過ぎだったかもしれないわね。ゴメンなさい。貴方の事情も知らないで」「いや、僕に悪意が無かった事さえ分かっていただければ。この格好は多分、ずっとこのままでしょうし」「貴方も苦労しているのね。……まぁ、あの子の面倒を見るくらいなら構わないわよ」 物凄い同情的な苦笑で、未だかつて無い優しさを姉弟子から受ける僕。 先ほどの例えは、それほどまでにレイセンさんの共感を得れる代物であったらしい。 ……お師匠様って自分が凄いせいか、他人にも同程度のハードルを課す事が多いからなぁ。 レイセンさん、苦労してたんだろうね。 ホロリと同情の涙を流しながら、僕は姉弟子に仲直りの握手を差し出した。「えっと、よろしくお願いします」「――ただし、貴方の女装を認めたワケじゃないから。半径5メートル以内には近づかないでよ」 ああ、クロスアームブロックは続行するんですね。分かりました。 やっぱり間合いに入ってこない彼女の姿を見て、僕はションボリと腕を引っ込める。レイセンさんはガードが固いなぁ。 まぁ、フランちゃんの面倒を見て貰うだけで恩の字なので文句は特に無い。 苦笑しながら頷いていると、館の方から満面笑顔のフランちゃんが日傘を持って勢い良く帰ってきた。 その目は、まっすぐ僕を向いて―――マズい。 即座に中腰に構えた僕は、気を全力で腹部に集中させ衝撃に備える。「ただいまーっ!!」 水風船が弾ける様な音と共に、高速飛行物体と化したフランちゃんが突撃してきた。 しっかりと受け止めたつもりだった僕も、あまりに凄い勢いで飛来した彼女に為すすべも無く吹き飛ばされる。 と言うか、今なんかフランちゃんが来る前に変な壁みたいなものに当たったよ? これ、並の人間が当たったらミンチになるんじゃないのかな。実はさりげなく下半身が吹っ飛んでるとか無いよね? 僕は恐る恐る、自分の身体を確認する。倒れた僕の下半身には、タックルの勢いでそのまま抱きついたフランちゃんがついてきていた。 あ、良かった大丈夫だ。僕の下半身は全然元気です。 でも次までには、フランちゃんに「ゆっくりと抱きつく」と言うやり方を教えるとしよう。命は惜しいし。「お姉様に許可貰ってきたよー」「それは良かった。他に何か言われた事は?」「えっと……「紅魔館の威光を、幻想郷中に知らしめるような記事を書け」って」「あーうん、それは無視して良いよ」 人の新聞をプロパガンダに利用しないで欲しい。早苗ちゃんにも釘刺ししたばかりなのに。 そもそもこれが創刊号である僕の新聞で紅魔館を褒めても、威光には繋がらないと思うけどなぁ。 ――ちなみに今まで会話に参加して無かった件の早苗ちゃんは、美鈴の腰付近を揉みながら親の敵のように彼女に何かを問い詰めている。 風に乗って聞こえてくる言葉の端々からは、「ダイエット」とか「特別な食べ物」とかの分かりやすい単語が。 そういえば、外で一緒に甘味を食べに行った時も似たような反応してたなぁ。 思春期の女の子は色々複雑なんですね。でもこの状況下で美鈴の腰に着目するのはどうよ。「なんというまとまりのないぼくら……」「類は友を呼ぶって事でしょ」 現状の感想を素直に呟いた僕に、レイセンさんの冷たいツッコミが入るのだった。 なお、「でもその理屈、姉弟子自身にも適用されますよね?」と言う切り返しをする勇気はさすがに出てこない。 チキンと呼んでいただいて結構です。これ以上姉弟子と揉めるつもりはありません、怖いし。「ところで、これからどこに行くの?」 抱きついたままのフランちゃんが、無邪気な笑顔で僕に尋ねる。 もっとも、基本行き当たりばったりな今回の行脚に「次の予定」なんてモノは無いんだけどね。 さて、どうしたもんかなー。 どうせなら、フランちゃんのお勉強教室も兼ねて親分とかを誘いたい所だけど……新聞作りにチルノを誘うのは、さすがに無謀過ぎだよね。 なら後は――あ、そういえば。「それじゃあ、次は魔法の森に行こうか」「まほうのもり?」「キノコが一杯生えてる森ですよね、確か」「……間違ってないけど大雑把な認識ね」「そうそう、そこにアリスと――多分メディスンが居るから、新聞作りに協力して貰おうかなって」 協力者としては妥当なメンツだろう。 全員が初対面だと話が進まなくなる事は、今回のやり取りで重々承知したし。 ……と言うか正直ツッコミが欲しい。姉弟子はツッコミキャラだけど、自分に無関係な事には絡んでくれないからなぁ。 とりあえず、頼りになるアリスさんにボケ過多なこの状況を裁いてもらおう。うん、そうしよう!「さぁ、それではいざ魔法の森へ!」「おーっ!!」「何かしら、晶の笑顔がてゐみたいに見えるわ」 再びフランちゃんを小脇に抱えながら、僕は紅魔館を後にする。 レイセンさんの冷静な一言は、とりあえず聞こえなかった事にした。「―――へくちっ」「アリスどうしたの? 風邪?」「……良く分からないけど、凄いイヤな予感がしたわ。とにかく今すぐ逃げ出したい感じ」「むぐむぐ、そりゃー大変だね。むぐむぐ」「オカワリドデスカー」「遠慮無くいただきますとも。メディちんも居るかい?」「はーい」 「我が物顔で寛いでるんじゃないわよ、そこの兎詐欺。それにしても何かしらね、この悪寒は……」