巻の七十四「学校での成績がよいからといって、社会で認められるとは限らない」 それは、僕が紫ねーさまのお世話になり始めた頃の話。 幻想郷が実在する事を知った僕だけど、その生活は以前と何も変わりはしなかった。 もちろん住所が変わった以上、転校する必要はあったけど……。 学業をほっぽり出してまで幻想郷の情報を集めて回る、みたいな真似は結局一度もしなかったのである。 いや、正確に言うと止められたのだ。僕の後見人である紫ねーさまに。『今の貴方は、目的地だけを教えられた船乗りの様なものよ』『船乗り、ですか』『幾ら冒険したいからって、コンパスも地図も持たないで慌てて海へ飛びだすのは無謀の極みだと思わない?』『はぁ……』 かなり迂遠だが、要するに「幻想郷を探し求める風来坊生活なんて始めたら即死ぬぞ、人生舐めんな」と言いたかったのだろう。 実際、幻想郷を見つけた今だからこそ言える。 あの時無計画なまま飛び出していたら、僕は間違いなくどこかで野垂死んでたに違いない。 まぁそれでも、コンパスや地図を手に入れるためにも、昼夜を問わず情報を集めたいと言う気概はあるにはあった。 しかしその心意気も、ねーさまの至極もっともな言葉にあっさりとへし折られてしまう。『晶、国民の三大義務を知っているかしら』『えっと、納税と勤労と……教育を受けさせる義務の三つでしたよね』『ふふ、正解よ。私は妖怪だけど、同時に貴方の後見人でもある。だから、私もその三つの義務を果たさなければいけないわ』『してるんですか、納税』『してるわよ、もちろん勤労も。仕事の内容は秘密だけど』『怖いので聞きたくないです』『そう言ってくれると信じていたわ。……さて晶、後私は何をすれば義務を果たした事になるのかしらね?』 以上、紫ねーさまによる「義務教育はちゃんと受けろ」と言う旨のお説教でした。 まぁそうですよね。日本国籍を持ってる以上、日本の法律には従わないとダメですよね。 そういうワケで僕は、特異な目標を掲げながらも割と普通の学園生活を送る事になったワケです。 ……やっぱり結果論だけど、後の情報の空振りっぷりを考えるとねーさまの忠告は本当に正しかったと思う。 丸一日、幻想郷の事ばかり考えて当てもなく情報収集していたら、絶対二ヶ月くらいで心を病んでいた。 で、ここからが本題。その転校した学校には、まぁ何と言うか皆のマドンナ的存在が居たんですよ。 それが彼女――東風谷早苗ちゃんだ。 今時マドンナかよ、と言うツッコミは受け付けない。別にアイドルでもヒロインでも良いんだし、要は呼称の問題だ。 とにかく、学校では知らない者のいない有名人だった彼女だけど、始めから僕と仲が良かったワケでは無い。 本人非公認だとしてもそこはマドンナ、異性の近づける隙間は中々空かないのです。 そもそも僕自身、あーそんな人が居るんだなって認識だったし。 そんな彼女と僕が親しくなった切っ掛けは、意外……なのかどうか今となっては疑問だけど、やはり幻想郷に関わる事だった。 当時の僕は放課後になると幻想郷の情報を追い求め、図書館から始まり神社仏閣、果てはオカルトショップに至るまで色んな所を巡っていた。 ……まぁ、ほとんどは外れだったんだけど。 そしてある日、僕はそんな情報収集の一環として、近所で最も大きな神社――守矢神社に向かったのである。 そこで僕は、守矢の風祝としての早苗ちゃんに出会った。 守矢神社の話を聞きに来た僕を、彼女は大喜びで迎えてくれた。 それはもう、予約も無しにやってきた僕を拝殿に上げて、神社の事を一から十まで手ずから教えてくれると言う熱心な歓迎っぷりでしたよ。 いや、僕の方も珍しく話題の合う相手にテンションが上がって、その説明を丁寧懇切隅々まで聞いたりしたんですがね。 ……今振りかえると分かるけど、あの当時はお互い同年代で同趣味? の相手に飢えていたんだと思う。 それからだ。僕等が割と頻繁に話すようになったのは。 高校は別々になってしまったけど、今でも彼女は一番の友人であると僕は思っている。 で、そんな一番の友人はと言うと――現在、物凄い不満顔で僕を睨んでいます。 長い説得の末、ようやく僕が久遠晶当人である事を認めてくれたと言うのに、彼女は何が気に食わないのでしょうか。「うぅ~、ずるいです!」「何が!?」「何でそんなに可愛いんですか! 晶君は男の子なのにっ!!」「それは僕に聞かれても困りますよ……」「前もそうでしたよね。いつの間にかミスコンに参加してて、私の二倍近い得票数で優勝を」「止めて触れないで僕の黒歴史!!」 ああ、早苗ちゃんだ。このズレた反応は間違いなく早苗ちゃんだ。 そりゃ確かに一番弄りやすいポイントだけどさ、他にも尋ねるべき所があるでしょう? と言うか、ツッコミ入れてる部分も微妙に間違ってない? さりげなく今、僕の女装を肯定したよね。 こうしてほんの僅かな会話で、僕の美化されつつあった昔の早苗ちゃん像は吹っ飛んだ。 ……そういや思い出したよ。マドンナなんて呼ばれてた彼女が同性に嫌われなかった理由。 天然なんだよねぇ。良い意味でも悪い意味でも、浮世離れしていると言うか。「一向に話が進まないわね」 隣で傍観を決め込んでいる、幽香さんの冷静なツッコミがとても痛かった。 いや、話に混ざられてもそれはそれでややこしい事になりそうなんで、是非とも傍観し続けて欲しいんですけどね? この人もこの人で、ここに居る理由が謎なんだよなぁ。紅魔館で何かあったんだろうか。「おーいアキラ、大丈夫かーい」「ふぅ、やっと追いついた。機動性ですら勝てないと言うのは地味に堪えるな」 そんなこんなでウダウダしている間に、引き離した二人が追いついてきた。 ちなみに、二人が来るまでに結構な時間があったけれど、話は何一つ進んでいない。 僕も幽香さんも早苗ちゃんも、現状を全部把握出来てないんじゃないだろうか。 つーか、問答していた時も含めて腋メイド服の話しかしてなかった気が。しかも羨望的な意味で。 「それにしても……また貴女か、守矢の巫女よ。今度は何をやらかしたんだ」「失礼な事を言わないでください天狗さん! 私は同じ山に住む者として、妖怪の山に害なす侵入者を迎撃していた所ですっ!!」「……ああ言ってるけど、実際の所はどうだったんだい?」「面白そうだから、『害を為す気はなかった』と言っておくわ。喧嘩を売る気もなかったワケだし」 その言い方から判断するに、売られた喧嘩は漏れなく買って行くつもりだったんですね。 だとしたら、早苗ちゃんの判断は意外と間違ってなかったのかもしれない。 天狗の縄張りに入ったら、確実に誰かは警告と言う名の喧嘩を吹っ掛けただろうし。 しかも、現在の哨戒天狗取りまとめ役は文姉なワケで。 ……おやぁ? 間違ってないどころか、絶妙な足止めだった気がしてきたぞ?「まぁまぁ椛。早苗ちゃんも善意でやってくれた事だし、そう頭ごなしに文句を言うのは止めよう?」「言いたい事は分かるが、何故久遠殿はそんなにも汗を流しているんだ?」「いや、僕の事はどうでも良いんですよ。それよりもほら、早苗ちゃんにお礼とか言ったら良いんじゃないかな」「む、それとこれとは話が……ってにとり殿?」「私も正直、お礼言っといた方が良いと思うよ。悪い事は言わないから」「何だか良く分かりませんが、理は私にあるみたいですねっ!」「……分かれとは言わないけど、少しは頭を使いなさい。馬鹿に見えるわよ」 違います幽香さん、早苗ちゃんは頭を使わないんじゃ無くて空気を読まないんです。 本人的には、場の流れを最大限に読んだつもりなんですよ。読めてないけど。 「ところで、幽香は何で妖怪の山に来たんだい?」「あら、私がここに来る理由なんて、そうないと思うけれど?」 そう言って、ニヤリと笑う幽香さん。 無駄に不安を煽られる様な笑顔だけど、多分煽ってるだけで深い意味は無いんだろう。 椛とにとりが警戒丸出しで身を固くする中、僕は額に指を当てて彼女の‘理由’を考えてみた。「んー、僕等に会いに来たんですか?」「ふふっ、正解よ。でも意外ね、晶なら「まさか天狗の里を壊滅しに!?」なんて言って慌てると思ったのに」「あ、あははー、僕も日々成長しているんですよー」 ……言えないよなぁ。天狗の里には、幽香さんが楽しめそうな事は無いだろうなんて考え。 別に、僕程度に負けるヤツばっかの天狗共なんて相手にしてもつまんねーぜうぷぷー。等と言うつもりは欠片もないですよ? ただ何と言うか、若手天狗しか戦ってない僕が言うのもアレなんだけど……天狗の戦いってわりと保守的なんだよね。 伝統的って言い方も出来るけど、どうしても大半の天狗が文姉の劣化になるからなぁ。 幽香さんの‘趣味’に合うかと聞かれると……わざわざ出向く必要は。としか言いようがないっす。 ゴメンね椛、決して馬鹿にしているワケじゃないんですよ?「けど少し違っていたわね。正しくは「貴方」に会いに来たのよ」「ほへ? 僕ですか?」「ええ、フランが貴方の事を心配していてね」「僕が……心配?」「私がいなくて寂しくないか。とか、誰かに苛められてないか。とか、まるでどこぞの自称姉みたいだったわよ」「フランちゃん……」 いや、嬉しいよ? フランちゃんが心配してくれて。 今まで自由気ままだった彼女が、誰かを気遣えるようになったのは素直に成長だと思う。 だけど――何か僕の扱いおかしくありませんか? 前者はギリギリセーフ……うんまぁセーフだとしても、後者は完全に貧弱なぼーや扱いされてるよね。 「まぁ、細かい事はここに書いてあるから、読んで返事してあげなさい」 頭を抱えている僕に、幽香さんが二通の手紙を差し出してきた。 便せんに書かれている名前は、フランちゃんと――レイセンさん?「姉弟子からも何かあるんですか?」「みたいねぇ。私も手紙を受け取っただけだから、内容は知らないわ」 ふむ、何の用だろう。ちょっと触りの部分を読んでみようかな。 僕は幽香さんから手紙を受け取り、姉弟子の送ってきた手紙の中味を確認した。 便せんの中には、二つ折りにされた手紙が一枚。 開いてみると、そこにはレイセンさんらしい几帳面な字で簡潔にこう書かれていた。 いっシょうウラんでヤル やっぱり読むのは後にしよう。うん、出来れば五十年くらい後。 僕は無駄に爽やかな笑みを浮かべながら、姉弟子からの手紙を封印した。「と言うか幽香さん、レイセンさんは大丈夫なんですか?」「安心なさい。これでも手加減は上手いのよ? ……簡単に死なれるとツマラナイデショウ?」「あ、姉弟子は結構強いと思いましたが、そ、それでも加減が必要なんですかねっ!?」「実力はあるんだけど、ね。馬鹿正直に突っ込んでくるのが考えモノだわ」「幽香さんやフランちゃん相手にソレは、逆に凄いと思いますが……」「勝算の無い突貫は、ただの自殺と変わらないわよ。それでも、幻術使いとやり合うのは中々面白いけどね。――たまに、手加減を忘れるくらいに」 ……嗚呼、本当にゴメンナサイ姉弟子。 もう一生恨まれ続けても良いです。だから、この仕事を終えるまで生きていてください。 幽香さんの話の節々から零れ出る不吉な響きを聞くたびに、僕は空を仰いで姉弟子の無事を祈った。 ちなみに、紅魔館関連の事情を知らない椛は、僕等のやり取りに首を傾げている。 同じく知らないはずの早苗ちゃんは……あ、にとりと何か話してる。何だろ。「貴女がこの山に住む河童さんですね。ヨロシクお願いします、東風谷早苗ですっ!」「あ、ああ、知ってるよ、私は河城にとり。今まで話せなくてゴメンね。私――っていうか河童はシャイでね、あんまり積極的に」「突然ですがにとりさん! 貴女は神を信じますか!!」「私の話は無視なのかい……」 っていうか早苗ちゃん、幻想郷には神様売るほど居ますぜ。 だからその質問、根底からすでに成り立ちませんよ? いや、外の世界でもその手の質問は八割がた断られるフラグだったと記憶しているけど。 ……守矢神社は大きいから、外だと信者勧誘とかしてなかったんだろうなぁ。 「ま、紅魔館の方は心配しなくて平気よ。あの子も、弱音を吐けるうちは大丈夫でしょう」「一応僕の代理なんで、お客様待遇をお願いしたいんですが」「あら、ゴメンナサイね。あの兎はあの兎で色々有望そうだから、今のうちに‘甘え’を取っておきたくなって」 レイセンさん本当にゴメーン!! 僕は虚空に浮かぶ姉弟子の陰へ、無言の敬礼を送った。 「さてさて、ついでだからあの鴉天狗の顔も見て行きましょうか。返事も今日の内に受け取りたいしね」「ま、待ってくれ風見殿。貴公の目的は理解出来たが、部外者である貴公を通すわけには……」「安心なさい、許可はいらないわ。――力尽くで押し通るから」「そっ、それは」「ふふふ……最初は、貴女からかしら?」 ゾクリと、空気が一気に冷え込んでくる。 幽香さんと相対している椛の身体が固くなり、にとりや早苗ちゃんの動きも止まった。 マズい、幽香さんは本気だ。ここで椛がイエスと答えれば、彼女は迷わず弾幕ごっこを始めるだろう。 僕は慌てて二人の間に割り込み、椛の方へ顔を向けた。「その、椛! 幽香さんはその……文姉の友達、そう友達だから! 来訪ぐらいは許可取れないかな!! ねぇっ!」「ゆ、友人……?」「そうですよね、幽香さん!」 救いを求めるように、僕は幽香さんを見つめる。 彼女は僕の問いかけにしばし黙考していたが……やがてどこか困ったように肩を竦めて苦笑した。「……そうね。荒事せずに会えると言うなら、そっちの方が良いわね」「ほら! だから椛、お願いだから――」「わ、分かった、今から許可を取ってくる。それまでここで大人しくしていてくれ」「ふふっ、構わないわよ」 しぶしぶといった具合だが、それでもホッとした様子の椛が森の中に消えていく。 それを見届けて、僕は心の底から絞り出すような安堵の息を漏らした。 ああ、無事に終わって本当に良かったっす。「……意外だね」「あら、何がかしら」「幽香なら、晶も纏めて吹っ飛ばすと思ってたよ。その、失礼だとは思ったけどさ」「事実を指摘されて怒るほど、自分を知らないワケじゃないわ。けどそうね、確かに自分でも今の言葉は意外だったかしら」「おや、そうなのかい?」「あの子があんまりにも必死になるから、気勢を削がれちゃったのね。……まったく、らしくない」 珍しく、いつも笑っている幽香さんが遠い目をして空を見上げた。 そしてすぐに、僕の方を見つめて透明な笑みを浮かべる。 はて、どうしたんだろう? ……ひょっとして、戦うのを邪魔したの怒ってます? はわわっ、スイマセン。でもさすがに友人である椛の公開虐殺ショーはみたくなかったんです。 とりあえず軽くペコペコと頭を下げる。あ、何か呆れられた?「意外と、同族嫌悪なのかもしれないわね。あの天狗とは」 何か呟いた幽香さんの溜息が、やたら印象的だった。 と、ここで今まで黙っていた早苗ちゃんが、急に驚愕の表情で両手を叩く。「――そうです、晶君!」「な、なんですか、早苗ちゃん?」「どうして晶君が幻想郷に居るんですか!? それもそんなに馴染んじゃって!!」 それまで自殺だと思っていた事件が実は他殺だったと気付いた名探偵の様な表情で、早苗ちゃんは叫んだ。 その言葉に、にとりは「えっ、今更!?」と言う表情をし、さすがの幽香さんも呆れ顔でこめかみに手を当てた。 あー、やっぱり疑問にすら思ってなかったんだ。 彼女の性格上半ば予想出来た事態に、僕も遅ればせながら頭を抱えた。 それでも何とか言葉を絞り出せたのは――単純に慣れだろう。慣れって怖いネ。「僕も同じ事を、早苗ちゃんに聞きたいと思っていたよ……」 ただし返せた言葉は、何の解決にもならないただの同意だったけど。 ……悪かったね! 慣れてたって上手く反応出来るってワケじゃないんだよっ!!