巻の七十一「人間は自分の知っていることなら半分は信じるが、聞いたことは何も信じない」 妖怪の山の奥深くに、天狗の縄張りは存在していた。 縄張りと言っても、別に町の様なものがあるワケではない。 正直、にとりに言われなければここが縄張りだと気付く事は無かっただろう。 何しろ深い森の中に点々と、隠れ家のような天狗のお家が点在しているだけなのである。 天狗と言う種族的には自然な事なんだろうけど、やっぱり紛らわしくてしょうがない。 ……本来は、縄張りに入った時点で哨戒天狗の警告があるらしいんだけどね。 すでに話が通っているらしい僕等は、ほとんど素通りで文姉の家へと辿り着いたのだった。「ようこそ妖怪の山へ。このような形での招待となって、大変心苦しく思っています」「あはは、全然気にしてないから謝らなくても良いよ、文姉」 むしろ再会早々、僕をモフモフし続けた事を謝ってくれると嬉しいなぁ。 今はカッコつけてるけど、一時間ほど恍惚とした表情でモフモフしてた貴女の姿は忘れませんヨ? 「いえ、謝らせて下さい。全ては私の力不足が招いた事態です」「文姉……」「だから、お詫びとして頭も撫でさせてくださいっ!」「これほど誠意の無い謝罪も珍しいですネ」 ちなみに文姉の家は、僕が予想していた以上にシンプルな構成となっていました。 書きかけの原稿が散乱した部屋を想像していたんだけど、実際には紙屑一つ見当たらない。 やっぱり、意外と几帳面ではあるんだよなぁ。そうは見えないけど。 ……ゴメン、今ちょっと現実から逃げてた。 文姉の、隙在らばボディタッチを目論むその姿勢にちょっと引いてたんです。 なんかこの人、スキンシップが過剰になってません? なるほど、これが禁断症状なワケですか。分かりました。「ほら文、馬鹿な事やってないで本題に入ろうよ」「私は至って真面目なんですけど……まぁ良いです」 僕の隣で呆れながら様子を窺っていたにとりのツッコミに、文姉がしぶしぶと言った具合で従う。 彼女は机の引き出しから頭巾を取り出すと、それを僕に差し出してきた。「はい、晶さん。とりあえずコレを身につけてください」「ほへ? なにこれ?」「天狗の一員である、と言う証明書みたいなものですよ。晶さんは人間ですからね」「あ、いつもの仮装じゃなかったんだ……」「失礼な事を言わないでください! 着飾らせるなら、もっと可愛いアイテムをプレゼントしますよっ!!」 ……や、そんな気合いを入れて力説されても。 しかしまぁ、とりあえずは納得した。確かに区別は必要だよね。 天狗の手伝いをしていたら、侵入者として攻撃される羽目になりました。なんて事になったらさすがに笑えないし。 僕は文姉から頭巾を受け取ると、ポニーテールの邪魔にならないよう取り付けた。 「むっ、これはっ!」「あ、文姉? 何か変な所があった?」「―――頭巾を付けた晶さん、ありですね」 まるで真理を見つけた哲学者のような顔で頷く文姉。 色んな意味で絶好調過ぎる。そして、そのせいで話が一向に進まない。 さすがにそろそろ看過出来なくなったのかだろう。そこで、相変わらず呆れ顔のにとりが苦言を呈してくれた。「もう、いい加減にしなよ。話が全然進まないじゃないか」「うぐっ、スイマセン。晶さん分の不足を補おうと身体が勝手に動いてしまうんです」「……僕からは、一体どんな物質が放出されているのですか」「聞きたいですかっ!?」「言わなくて良いから。で、アキラには哨戒天狗の手伝いをしてもらうんで良いのかい?」「ええ、そのつもりです」「哨戒天狗の手伝いかぁ……」 実を言うと、そこらへん何をするのか具体的には分かってないんですよネ。 何しろ話に聞いただけで、働く所は見ていなかったから。 白狼天狗と言う、哨戒に適した天狗がチーム単位で活動している事は以前教えて貰ったんだけどね。 ……下っ端っぽい役割と白狼って呼称を考えると、多分木の葉天狗の事なんだろうなぁ。 いや、だからどうしたって言われると答え様は無いんですがね。毎度お馴染無駄な考察って奴ですよ。 「それほど難しい仕事じゃありませんよ。決まったルートを巡回してもらうだけです」「え、それだけで良いの?」「あくまで仕事は‘哨戒’ですからね。詳しい事は同行した子に説明させますが、無茶な内容では無いはずですよ」「そもそも、天狗の縄張りに喧嘩を売るやつ自体少ないしねぇ。私も何度か手伝ったけど、侵入者なんて数えるほども居なかったかな」 そりゃそうか。最大最古の妖怪コミュニティだもんなぁ。 余程自分の腕に自信が無ければ、真正面から挑んだりはしないだろう。 そして前回の異変は、その‘余程’の事態だったワケだと。「それにここだけの話ですが、白狼天狗ってそんなに強くないんですよね」「そうなんですか?」「はい。……実の所、前に晶さんが戦った氷精相手でも勝てるかどうか怪しい程度の実力なんですよ」 文姉の困ったような言葉に、にとりが何度も頷く。 多分、今のはかなり分かりやすい説明だったのだろう。 しかし残念ながら、親分に勝った事の無い僕には良く分からない例えだったりする。 ……つまりは僕と同じくらいのレベル、と考えれば良いのでしょうかね? うーん、しかしそんな実力しかないと言う天狗さんを巡回させて、防衛面では大丈夫なのかなぁ?「ま、心配しなくても大丈夫だよ。ヤバい時には文を呼べば良いワケだし」「そういう事です。不本意ではありますが、現在私は哨戒天狗達の取り纏め役ですから」「そっか、別に哨戒天狗が侵入者を倒す必要は無いんだよね」「まぁ、面子を気にする輩は嫌がるでしょうけど……晶さんに同行させる子はそこそこ頭も切れますから、そこらへんの判断は誤りませんよ」「と言う事は、やっぱり同行するのは椛なんだ」 にとりの言葉に、文姉は苦笑しつつ頷いた。 どうもそのもみじ? と言うのが、同行する天狗さんの名前であるらしい。「下手に他の排他的な天狗を宛がうより、あの子に任せた方が安心出来るもの」「と言う事は、私もかい?」「ええ、戦力的に偏っちゃうのは分かるんだけどね。協調性とかを考慮すると、どうしてもそうなっちゃうのよ」 肩を竦めつつ、他の天狗に対する愚痴をこぼす文姉。 どうも、多くの天狗は仕事と割り切って僕等に協力する気がないらしい。 人間である僕はともかく、にとりもダメなのにはちょっとビックリ。 別に、天狗と河童が種族的に仲良しなワケでは無いようだ。「さてと、そろそろその椛が来る時間ね」「――文様、犬走椛参りました」「お、ナイスタイミング」「指定した時間ピッタリか、相変わらず生真面目な。――良いわよ、入ってきなさい」 文姉の言葉に合わせて、扉がゆっくりと開いた。 入ってきたのは、修験者風の服を着た犬耳少女だ。 白い髪に白い犬耳。なるほど、確かに白狼天狗と呼ぶに相応しい外見をしている。 もっともそれよりも、紅葉がプリントされた盾と大振りな刀の方が目を引くワケだけど。 うーむ、そういえばここまでゴテゴテに武装した相手は初めてかもしれない。 一番武装していたであろう咲夜さんですら、どこに仕舞っているのか分からないナイフオンリーだったワケだし。 ……強いて言うなら、氷結武装を良く使う僕が一番重装備かな。普段は棒しか持ってないけど。「失礼します。文様の弟君を預かりに参りました」「はいはい御苦労さま。晶さん、この子が貴方達に同行する予定の白狼天狗ですよ」「あ、どーも。久遠晶です」「犬走椛と申します。久遠様のお噂はかねがね」「あはは、そうですかー」 ……それ、確実に良い噂じゃないですよね? なんか犬走さんの視線に、探るような色が含まれてるんですけど。 どう反応したものかと僕が視線を彷徨わせていると、難しい顔をした彼女は文姉に向かっておずおずと口を開いた。「ところで……その、久遠様は‘弟’だと聞いていたのですが」 ――問題なのは、噂では無く僕の外見でした。腋メイドでスイマセン。 首を傾げ、探るような目でこちらを見つめてくる犬走さん。 当然の事ながらそれは、噂の真偽では無く性別を確かめるためのものであるワケでして。 この人もやっぱ部外者は嫌いなのかな、とか思ってしまった自分が恥ずかしい。色んな意味で。「弟で合ってます。紛らわしくて申し訳ない」「えっ? しかしその姿はどう見ても……」「趣味です。――主に文姉の」 「さいっ高に可愛いでしょう!?」 僕が激凹みしているにも関わらず、心からの笑顔とサムズアップを犬走さんに向ける文姉。 それだけで全てを悟ったのか、彼女は僕に同情的な笑みを送ってくれた。 ああ、この人も僕と同じポジションに居るのか。 互いに理解し合えた僕等は、全く同じ笑顔を交わして相手の苦労をねぎらう。 とりあえず、犬走さんとは仲良くする事が出来そうだと思いました。めでたくなしめでたくなし。「それじゃ、早速見回りに出かけようか」「おや。と言う事は、にとり殿も?」「厄介者は纏めとけって事らしいよ。椛には迷惑かけるね」「……いえ、全ては天狗の体制が原因ですから。それに、文様の部下をやってるとこういう事にも慣れてしまうモノです」「あはは、違いないねぇ」「…………どういう意味よ、それ」 犬走さんの皮肉満載な言葉で大笑いするにとりに、文姉は憮然とした顔で文句を言う。 だけどゴメンナサイ、口には出さないけど僕も納得してしまいました。 僕らが苦笑していると、一人大笑いしていたにとりが手をヒラヒラさせながら立ち上がった。 「おっと、怖い怖い。こりゃ、吹き飛ばされないうちに出かけた方が良さそうだ」「ではにとり殿、久遠様、参りましょうか」「あ、はーい。文姉行ってきまーす」 犬走さんの言葉を切っ掛けにして、座っていた僕も立ち上がる。 不機嫌そうだった文姉もさすがにいつまでもこの話を引きずるつもりは無かったのか、真面目な顔に戻って僕等を見送ってくれた。「いってらっしゃい、晶さん! ピンチになったらお姉ちゃんを呼ぶんですよー! あと、その他の皆さんもまぁ適当に頑張ってください」 ……真面目な顔して言う事がそれですか。 どこまで本気か分からない文姉の見送りに呆れながら、僕等は文姉の家を後にするのだった。「それでは巡回を始めましょう。にとり殿、久遠様」「あ、その前にちょっと良いかな」 鬱蒼と茂った森の中。先頭に立っている犬走さんに、僕は生徒のノリで手を上げた。 哨戒を始める前に、一つ言っておきたかった事があったためだ。 「なんでしょうか、久遠様」「それ、その‘久遠様’ってヤツどうにかならないかな」「はい?」「一緒に働く相手に、そう言う呼び方とか畏まった態度とかされると凄くやり難いと思うんだ」 何しろ、哨戒任務はチーム単位で動くのだ。 おまけに僕の立場は新人で、犬走さんの言う事を聞く立場にある。 上司の弟だからと言って変な遠慮をされてしまっては、最悪仕事にならないかもしれない。 紅魔館の手伝いをしてた時は、全然気にならなかったんだけどなぁ。 ……まぁ、咲夜さんは丁寧な物腰で容赦なくナイフを突き立てる人だから、畏まれようが様付けされようが気にならないってだけですが。「そうだねぇ。期間限定とはいえ、仲間内で上下関係があるのはマズいかもね」「に、にとり殿まで」「ねっ、犬走さん。文姉も僕も、そんな事くらいで文句は言わないからさ」 僕が両の掌を合わせて頼みこむと、犬走さんはしばしの間思索にふける。 やはり天狗にとって、上下関係は何よりも重視するモノなのだろう。 しかし、僕の言葉にも一理あると思ってくれたのか。 犬走さんはやや困ったように、それでも納得したようにしっかりと頷いてくれた。「分かりました……いや、分かった。これからは久遠殿の言うとおり、畏まった態度はとらない様にしよう。これで良いだろうか?」「うん、問題無し。改めてよろしくね、犬走さん」「椛で良いさ。共に仕事をする仲間に遠慮は無用なんだろう?」「あはは、そうでした。よろしく、椛」「こちらこそ、よろしく頼む」 犬走さん――もとい、椛が差し出してきた手を握り返す。 この人、素だと随分凛々しい言葉遣いするんだなぁ。「では、これから哨戒任務に移ろう。他に何か質問はあるか?」「んー……特に無いけど、強いて言うならこれだけ遮蔽物の多い森をどう見回るのかが気になってるかな」「ああ、そういや説明してなかったっけ」「白狼天狗には、「千里先まで見通す程度の能力」や優れた嗅覚があるのでな。多少の障害など、何の問題にもなりはしないのさ」 千里? 一里が確か大体四キロメートルだから……およそ四千キロ!? 北海道からフィリピンが覗けちゃうよ、ソレ! そもそも地球の丸みを計算に入れてるのかい!? はっ、いけないいけない。驚きのあまり、つい変なケチの付け方をしてしまった。 それにしても凄いなぁ。千里を見通せる能力だなんて―――「あれ? でも別に、千里を見通せた所で障害物の有無は変わらないような」「……「見通す」だから、障害物の有無は関係ないぞ」 あ、そうなんですか。無知でスイマセン。 それなら確かに、とんでもなく便利な能力だ。哨戒に関してはほぼ万能だと思っても良いだろう。 ……だけど、戦闘時に役立つ技能かと言われるとちょっと微妙なラインかなぁ。 能力持ちがほとんどデフォルトの幻想郷じゃ、如何せんパワー不足な感は否めない気がする。 ――いや、待てよ。ひょっとして彼女、剣の腕前が足利義輝並に凄かったりするんじゃないかな。 あれだけゴツい剣を持ってるなら、充分考えられる事だ。 現に、幽香さんみたいな例も居るわけだし……。 そんな風に考察をしていると、ちょっと不機嫌そうな椛が頬を膨らませながらこちらを睨んできた。「それで久遠殿、そういう貴方は何が出来るのだ?」「ほへ?」「哨戒する仲間の能力は、きちんと確認しておかないといけないのだろう?」「そういや、今のアキラに何が出来るのか私も知らないや」「ふむ、何が出来るのか。ですか」 ……そういえば僕、何が出来るんだろう。 えっーと、気と冷気と風と狂気と花を操れて、我流っぽい拳法とか棒とか氷の武器とか使えて、面変化出来て、得体の知れない力もあって。 アレ? 何だか、自分で自分が良く分からなくなってきたゾ。 出来る事なら一番優秀な能力を選んで、「これが僕の出来る事です!」って胸を張って言いたいんだけど。 ――コピー能力者にそんなモノがあるワケねぇよっ! しかし、ここは何か言っておかなきゃさすがにマズいだろう。 とにかく、役に立ちそうな能力を何か一つピックアップしないと。えーっと……。 身体が丈夫――いや、哨戒任務でそれは役に立つポイントかな。 逃げ足が速い――相手の不信感を増長する効果はありそうですネ。 遠くを見れます――ただし、有効範囲は全力を注ぎこんでも白狼天狗のだいたい千分の一。何の自慢にもなりゃしない。 散々考え抜いた結果、結局何も出てこなかった僕は――。「色々出来ますっ!」 恐らく、最もダメダメ過ぎるであろう返答をしてしまったのだった。 ああ、椛の表情も「こいつ、超役立たずだ」と明確に語っている気がする。「い、いやいや、これでもアキラは本当に色々出来るんだよ」「……ほぉ、そうなのですか」 即座に異常事態を感じ取ったのか、お気遣いの河童が慌ててフォローを入れてくれる。 しかし、ここで問題が一つ発生した。 幽香さんから僕の状況をある程度説明されていたらしいにとりだけど、実際に僕の戦う所を見たワケではない。 能力に関しても、最初期の空を飛ぶ事すら四苦八苦していた頃の僕しか知らないワケで。 そうなるとどうなるかと言うと。「例えばだね、えっと。冷気とか風とか扱えるし、空も飛べるし、えっと」 まぁ、こういうグダグダなフォローになるワケですよ。 それでもにとりは頑張ったと思う。少なくとも、本人よりは的確に説明できたと思う。うん。「何より凄いのが、「相手の力を写し取る能力」を持ってる事さっ!」「基本、劣化コピーだけどねー」「……それは、本当に凄いのか?」 しまった。いつものくせでうっかり自虐してしまった。 自らにとりのフォローを台無しにした、マヌケな僕。 いよいよ椛さんの目線が、詐欺師でも見る様なモノに変わっていく。 これは大変マズい。ここは多少嘘をついてでも、彼女に出来る男をアピールしないといけない。「も、もちろん! チルノに辛うじて勝てる程度には強いよ!」 そして、それが見事なトドメとなったワケでした。 完全に諦め顔となった椛は、溜息と一緒に絞り出すような声で辛うじて一言だけ呟いた。「とりあえず、我々の後ろから離れないでくれ………」「……りょ、了解しました」 もちろん散々自己PRに失敗した僕は、大人しく彼女の言葉に頷くしかなかったワケです。 後に椛は、この時の事を振り返り苦々しげに語った。 ―――久遠殿は、噂で聞いた通りのうっかり屋だったよ。 どんな噂だと尋ねる前に謝ってました。本当に申し訳ない限りです。