巻の五「芸は身を助く」「それで、どんなアイディアがあるのかしら」 お姉さん、それは身体を押しつけながら聞くことなんでしょうか? 答える気はあるんですが、ぶっちゃけ口が上手く回りません。 「ねぇ。私の話、聞いてる?」「はうあっ!? き、聞いてます聞いてます」 だから、耳元に息を吹きかけるのは止めてください! 今、非常事態なんですよね? これから僕は、命をかけて戦う予定じゃないんですか?「ふふふっ、なら教えてもらえるかしら。何を考えているのか……」『んー? そこなのかー?』 うん。まぁあんな声出していれば、さすがに見つかりますよね。 今までも大声出した直後に見つかってたワケなんだし。「あらあら」 あれ? お姉さん、見つかったわりには随分と楽しそうなんですが。 ひょっとして狙ってたの? まさか、ワザと僕に大声を? いやいや、まさかねぇ。『どこなのかー』 妖怪の声は、近づいたと思ったら少し遠ざかった。 相変わらずどこにいるのか分からないけれど、これは……。「完全に見つかったワケじゃないですね」「そうね、見つかるのは時間の問題でしょうけど」 お姉さん。最高にイイ笑顔してます、みたいな声を出さないでくださいよ。 それじゃまるで、こういう状況になるって予想済みの上で行動したみたいに聞こえるじゃないですか。 ……あははー、んなわけないかー。「あーもう! こうなったらブッツケ本番、やるだけやってやる」 出来ればもうちょっと考えが固まってから始めたかったんだけど、この際贅沢は言ってられない。 お姉さんが背中につかまっている事を確認し、僕は両腕を虚空に突き出した。『そこかー?』 再び破砕音。おそらくは、あの妖怪の攻撃だろう。 すぐ近くで木々がへし折れたらしい、破片が少し顔に当たる。 ……今の叫び声で結構近づかれたか。注意しないと。「―――広がれ」 相手に気づかれないよう、小さく呟いた。 場所を気取られる危険性を知りながらあえて声に出したのは、『これから起こる事を確かな形にする』ためだ。 幻想を操る際に必要なのは、明確なイメージ。 僕はソレを―――正確には能力の扱い方ではなかったんだけど―――「おねーさま」から教わった。 その時は……と言うか幻想郷を訪れるまでは、意味の分からないアドバイスだとしか思わなかったんだけど。 今は、少しだけあの人に言われた事が分かった気がする。 これも幻想の力だ。きっと、同じ基本で操れる! …………………その、たぶん。 ううっ、そこは自信持てよ自分。確固たるイメージが必要なんだから、そういうネガティブな事は考えないの。 とにかく集中、集中!「………これは」 相変わらず抱きついたままのお姉さんが、周囲の異変に気づいたようだ。 出来るだけ僕らの周りには集まらないよう注意したんだけど……やっぱり上手く操りきれてないのかな。 いやいや、慣れてないだけ、慣れてないだけ! ネガティブ厳禁。やるなら最後まで自信を持って!!「はい。冷気を闇の中に広げているんです」 僕に使える、今のところただ一つの能力。 【冷気を操る程度の能力】 チルノは自分の能力を、氷弾の生成に使っていたみたいだけど。 『冷たい空気』を操る能力なんだから、こういう扱い方だって可能なんじゃないのか、とは思っていたんだ。「まさか、アイツを闇ごと氷漬けにする気なの?」「い、いや、そんな大層な真似僕にはできませんから。それに実を言うと、広げるのに『冷気』である必要性は、あんまり無いんです」「どういうこと?」「『何かを操る』能力を使用している者が、ソレをどういう風に認識しているのか。結構、賭けだったんですけどね」「……賭け? 何を言っているの?」「えへへー。知ってますかお姉さん。冷たい空気って、ただそこにあるだけじゃ見えないんですよ」 氷やドライアイスから出ている白い冷気は、温度差による水分の移動が原因となって出来たものだ。 空気がただ冷えただけで色が変わってしまうのなら、ロシアあたりは不可視の世界になってしまうだろう。 ……そんな自慢げに言う事でもないか。家庭の科学レベルの話だし。 もちろん闇に包まれた今、空気の色なんて見えるはずがないんだろうけど。 問題なのは、そこじゃあない。「なら、その能力を使ってる僕は、どうやって冷気の広まりを認識しているんでしょうね」 つまり、そういうこと。 それがどんな能力だったとしても、使用者である自身はその力を何らかの形で認識していないといけないはずだ。 目の前の妖怪は、闇の広がりを視覚でとらえている。 なら、僕の冷気はどうなるのか。 決まっている。目に見えないのなら、他の感覚でその広がりを捉えているのだ。 どこまで広がっているのか、何か障害物にぶつかってはいないか。 それをはっきりと認識することができれば、僕はこの闇の中を視覚に頼らず把握することができる。 ……いやその、単に冷気をソナーに代わりにしているだけだろと言われてしまえればそれだけなんですけどね。「ふぅん。面白いことを考えるわねぇ」「あれ? 考えてた事、口から洩れてました?」「いいえ。でも、あなたの言ってた事だけでだいたい理解できたわ。冷気を使って相手の居場所を特定するんでしょ?」「……おっしゃる通りでございます」 断片的な情報だけであっさり答えに行きつくとか、マジ何者なんですかお姉さん。 それとも、僕の浅知恵くらいなら即座に見破れるほど幻想郷の就学率は高かったりするんですか? 「けど、そう上手くいくのかしら」「へ?」「居場所を特定するのに使うのなら、冷気の扱い方が雑過ぎるわよ」「う、うぐぅ」 や、やっぱりそうなんですかね? 実は、さっきから嫌な予感はしていたんだ。 冷気を広げる事は出来るんだけど、満遍なくやろうとすると上手くいかない。 はっきり言ってムラだらけ。 細かい部分が分かるほど冷気が集まっている所と、触れている事しか分からないほど冷気が集まっていない所が、はっきりとした形で出来上がってしまっている。 あの妖怪も、冷気の薄い部分ばかりを選んで移動しているみたいだし。 まぁ、おかげで少し遠ざかってくれたようだけど………移動している物体がアイツだけだから、中途半端に位置も分かるので全然安心できない。 相手の位置をきちんと把握できないことには、次の行動も考えられないしなぁ。「まるで借り物みたいに不器用な能力の使い方ね。氷の妖精だって、もう少し可憐に冷気を操るわよ?」「……ごめんなさい。おっしゃる通り借り物なんです」「あら、どういうこと?」「僕の能力は【相手の力を写し取る程度の能力】なんです」「――――――へぇ」 あれ? ちょっと冷気を撒き散らし過ぎた? お姉さんが呟いた瞬間、背中に凄い寒気が走ったよーな。 「じゃあ、貴方の力は氷精から奪ったものなのね」「いえ、そこまで強力な力じゃないですよ。相手の能力を劣化させて覚えるので精一杯です」「なるほど、だから力の使い方が雑なのね」「そ、それは、能力を一度しか経験していないからだと思うんですが……」「一度? 見たのが? 使ったのが?」「………………両方です」「…………」 僕の答えに、お姉さんが沈黙する。 やっぱ無謀ですよねー。それだけの経験でこんな真似するのは。 お、怒ってるかな?「うふふふふ……あなた、最高ね」 あー、むしろご機嫌なんですか、そうですか。 今までで一番楽しそうな笑い声を上げて、お姉さんは僕の頭を抱え込む。 ううっ、集中しろー。 ここで色香に迷って冷気を動かすことさえできなくなったら、僕は本物の馬鹿だぞ。 あうう~、む、胸が顔にぃ。「けどそれなら、『冷気』を選ぶべきではなかったわね。貴方が相手を探ろうと冷気を集めれば、その分そこが冷えてしまうわよ」「ほ、他の能力はまだ覚えてないんですよ。けど、冷気が集まる事に問題があるんですか?」「あの妖怪、特別寒さに強いわけじゃないのよ?」「……あ、そうか。なら、冷気が集まれば逃げちゃいますよね。寒いんだし」 ましてや、他に温かい部分があるのならなおさらだ。 あの妖怪が冷気の薄い場所を選びながら動いていたのは、そのためだったのか。 ううっ、相手の事を把握しようとすればするほど、相手の位置が分からなくなるなんて思いもしなかった。 …………ん? まてよ。「だとしたら―――」 ふと思いついた事を試すため。僕は抱えられたまま、冷気の広げ方を変えていく。 難解な操作をするわけじゃない。 ただ、すでにできているムラをより明確化するだけだ。 冷気の空白地帯が幾つもできるほど荒く。 闇の中に、『穴』を作りだす。「……本当に、色々と考えるのね」「人間は、知恵を絞って生き抜く生き物ですから」 神経を冷気に集中させる。 妖怪はまだ、冷気の中にいた。 ムラを広げたおかげで、より具体的に相手の動きが伝わってくるのがありがたい。 温かさを求めてゆっくりと移動する妖怪。 ……まだ、早い。 だんだんと手ごたえが薄れていく。 まだ、まだ。 やがてゆっくりと。本当にゆっくりと。妖怪の気配が―――――――――――――消えた。「今だ―――――――!!!」 叫び声とともに、最後の締めに入る。 逆転の発想……と言うほどのモノでもない、お粗末な策。 あの妖怪は闇の中を出ないという推論と、暖かいところに行こうとする傾向を利用した罠だ。 幾つか作った空白地帯からは、冷気を完全に取り除いてある。 選んだ場所はムラになっていた冷気の薄い部分なので、そこらへんの操作は満遍なく広げるより簡単だった。 そこは、僕の広げた『目』の及ばない場所だ。 なら―――僕があの妖怪を『見失った』場合、アイツは空白地帯のどこかにいると言う事になる。アイツが、闇の中から出ていかない限り。 後は簡単だ。今まで塞き止めていた空白地帯周辺の冷気を、一気に流し込んでやればいい。 冷たい空気は暖かい空気よりも重い。 一度放たれた冷気は、あっという間に空白地帯を覆い尽くすだろう。 そうなれば―――「……お見事」 闇が、晴れていく。 鬱葱とした森と、広大な空が視界に広がる。 その中で、森の木々に紛れて直立しているモノがあった。 ―――大小様々な、数本の氷柱達だ。 「僕の、『勝ち』だ」 ひときわ大きい氷柱には、黒いワンピースの少女が閉じ込められている。 おそらく彼女が僕らを襲ってきた妖怪だろう。 ………なんか、幻想郷の妖怪って少女の姿ばっかしてるなぁ。「まだ、生きてるよね?」「妖怪はこの程度じゃ死なないわ。貴方の言ったとおり、足止めぐらいにしかならないでしょうね」「やっぱそうか………でも、助かったぁ~」 へなへなと腰から崩れ落ちそうになった。 腰砕けにならなかったのは、お姉さんが頭を抱えたままだったからだ。 なんだか久しぶりな気がする彼女の顔には、向日葵の様な満面の笑みが浮かんでいる。 ……お、落ちつけ僕。気を抜くのは早いぞ。まだ足止めしただけなんだからね! だからドキドキするのはやめいっ! 僕の心臓!!「うふふ、お疲れ様。―――と、言いたいけど」「はい?」「最後の弾幕は頂けないわね。スペルカードは、使用前に宣誓するのがルールよ?」 また出てきたよ。すぺるかぁど。 お姉さんの唐突な忠告に、僕は首を傾げるしかない。「……あなた、スペルカードを知らないの?」「えーっと、弾幕ごっこに使うんですよね? それだけしか分かってないです。そもそも、弾幕ごっこの事も知りませんし」「ふふっ、知らないで宵闇の妖怪と弾幕ごっこしたの? ほんと、貴方って面白いわねぇ」「う、うぐぅ」 ううっ、こんな事なら射命丸さんに弾幕ごっこの事を聞いておくんだった。 やっぱり幻想郷だと常識なのかなぁ。 つーかこれ、弾幕ごっこだったんですかね?「良いわ。この私が弾幕ごっこに関して説明してあげる。特別よ?」「お姉さんが、ですか?」「ええ。面白いモノを見せてもらったご褒美よ。……ふふっ、こんな幸運、普通ならありえないわ」 それは確かにありがたい。ありがたいけど……。 何だろう、お姉さんのその言い方は。 まるで自分が誰かにモノを教える事が、すごい珍しいと言っているみたいだ。 実はこの人、すごい学者さんだったりするのかな? 三顧の礼的なモノを済ませないと何も教えてくれない、弟子お断りな賢者だったりとか。 「その様子だと、随分と頓珍漢な事を考えているみたいね」「いえ、その―――すいません」「……そうね。まずは、根本的な部分を教えあう事にしましょう。私もその方が都合良いわ」「根本的な部分?」「ええ、あの妖怪に邪魔されて出来なかった、大事な挨拶よ」 お姉さんは僕の頭を離して、傾きかけた太陽を背に数歩だけ下がっていく。 白い日傘が太陽を遮り、僅かに零れる光が彼女を美しく彩る。 まるで絵画の様な光景の中。お姉さんは空いた方の手でスカートを軽くつまみ、優雅に一礼した。「はじめまして。私の名前は風見幽香、あそこで氷漬けになっている三流と同じ――――妖怪よ」 彼女の持つ怪しげな美しさが、その言葉を信じさせるには十分すぎる証拠だ。 妖怪。お姉さん―――風見幽香さんも。 しかも彼女は、さっきまで僕らを襲っていた妖怪を三流と称した。 それだけの実力が、自分にあるのだと告げているんだろう。 風見さんの、威厳と、自信と、誇りに満ちた自己紹介に僕は―――――「えっと、どうもご丁寧に。僕の名前は久遠晶、幻想郷初心者の能力持ち人間です」 とりあえず、ふつーの返事をしておいた。 あ、風見さん唖然としてる。「……それだけ?」「その、もう少し風見さんを敬う態度を見せた方がいいんでしょうか?」「名前で呼びなさい。あと、敬意なんて見せられても鬱陶しいだけだからいらないわ」「はぁ、わかりました。……で、幽香さんは何が不満なんですか?」 やっぱ、こういう普通の対応はマズイのかなぁ。 けど幽香さん、敬うのは面倒だから止めろって言ってるし。 どうしよう。まさかタメ口で接して欲しいわけじゃないよね?「ふ、ふふふ、ふふふふ」 とか考えていたら、また幽香さんが笑い始めました。 今度は何がツボに入ったのやら。僕にはさっぱりわからない。「妖怪に襲われた直後だと言うのに、良くそんな……ふふっ」「えっと、幽香さん?」「なんでもないわ『晶』。ふふっ、私があなたの事を、少しだけ気に入っただけよ」「はぁ、そうですか……」 ――――おねーさま、幻想郷の妖怪は笑いのセンスも謎だらけです。