巻の五十二点五「不思議なものは多い。しかし人間ほど不思議なものはない」文「……晶さん分が足りない」にとり「なにさ、その不可思議な成分は」文「晶さん分はお姉ちゃんの魂とも言える重要なエネルギー源よ。晶さんをモフモフしたりクンカクンカしたりすると溜まっていくの」にとり「あー、うん。聞かなければ良かったと後悔してる」文「そんな事言うと、分けて上げないわよ?」にとり「遠慮しとくよ。……まったく、以前は一緒に風呂へ入るのも恥ずかしがっていた文が、ここまで変わるとはね」文「いえ、さすがにそれは今でも恥ずかしいわ」にとり「――ゴメン。文の基準がさっぱり分からない」文「男の子を感じさせるスキンシップはダメなのよ。男の娘なら大丈夫なんだけど」にとり「私には、同じ言葉を言ってる様にしか聞こえなかったよ?」文「やれやれ、にとりにはこの壮大な違いをしっかり教え込まないといけないみたいね」にとり「冗談じゃない。私はまだ普通でいたいよ」文「むむっ、それはどういう意味――」?「失礼。にとり殿、文様はこちらに?」にとり「おっ、椛ナイスタイミング。禁断症状出かかってる姉ならここにいるから、遠慮なく持っていって」文「酷い言い様ね。だけど今日の私はサボりじゃないわよ?」椛「存じております。私も今日は私用で参りました」文「私用? 大将棋の相手……なら、私じゃなくてにとりを呼ぶわよね。一体何の用?」椛「風の噂で文様が姉弟の契りを交わしたと聞きまして。ならば部下として是非、文様に祝いの言葉をと思い駆けつけた次第です」にとり「椛は相変わらず態度が固いねぇ。文の部下とは思えないよ」文「どういう意味よソレは。……にしても、もう貴方の耳まで届いているのね、その話」椛「すでに妖怪の山中で話題になっております。‘あの’射命丸文に弟が出来たと」文「ちなみに、噂の出所は?」椛「天魔様です」文「……あんの衆道天狗。いい年してどれだけ口が軽いのよ」にとり「天狗だしね」椛「文様にも、同様の事が言えると思われます」文「私は良いのよ。清く正しい射命丸だから」にとり「………はぁ、人の振り見て我が振り直せとはこの事か」文「本当に酷い言い様ね。ほら、椛からも何か言ってやりなさいよ」椛「文様の部下として、上司の不利になる発言は出来ません」文「貴方の忠誠心に涙が止まらないわ」にとり「はいはい、漫才はそこまで。その様子だと、言いに来たのはそれだけじゃないんでしょ?」椛「はい。……実は今回の流れを、快く思っていない輩がいるようでして」文「何かと思えばそんな事? その輩達は、私が何をしようと快くは思わないわよ」椛「しかし――」文「派閥だとか一門だとかグチグチと。結局あいつ等は、自分達が大多数で無いと落ち着かないだけなのよ」にとり「……天狗の縄張り事情は知らないけど、そんなに閉鎖的なのかい?」椛「その、私からは何とも」文「右も左もお山の大将だらけよ。天狗としての集まりの中で、各々が勝手に派閥を作っているんだから」にとり「それはなんというか……大変そうだねぇ」文「ふんっ、私だって群れる有用性を否定する気は無いわ。だけどあいつ等は、それを他人に強制するから気に食わないのよ」椛「文様は如何なる派閥にも所属していませんから、風当たりも強いんですよね」文「それがジャーナリズムってものよ、椛。私はあいつ等みたいに、新聞を権力闘争の道具にする気は一切無いの」にとり「そういや、他の天狗の新聞は酷いもんだったね……文のも結構アレだけど」椛「文様の意見は少し極端ですが、天狗の新聞が身内ウケを優先して作られているのは事実です。……中には確かに、ご機嫌伺いになってる新聞もありますね」文「そういうのは勝手に淘汰されるけどね。偏った目で作られた、偏った新聞は意外としぶとく生き残るのよ」にとり「おお怖っ、この話題は地雷だったかな」 椛「いつもの事です、お気になさらず。文様と彼らは文字通りの犬猿の仲ですから」文「私は別に相手にしてないわよ。無視してもあっちが絡んでくるの、まったく忌々しい」椛「しかし彼らの気持ちもそれなりに分かります。何しろ文様は、天狗の中でも天魔様に次ぐ実力者です」にとり「なるほどね。そんなどこかの派閥に所属すれば一発でバランスを崩すような奴に、宙ぶらりんで居て欲しくないって事か」椛「そうです。しかし自分の所に来られたら、トップの座を取られてしまうから困る。他の人の所に行かれたら、パワーバランスが変わってもっと困る」文「そして新たに派閥を作られたら、勢力図が入れ替わって一番困る。……ハタ迷惑な話よね。こっちは最初から関わる気なんてないのに」にとり「あー、つまりそいつ等が今回の流れを快く思ってない理由ってのは」文「ついに私が派閥を作り始めたんじゃないのかって、お山の大将たちが騒いでいるだけの話よ」椛「……違うのですか?」文「違うわよ。私はあくまで新聞記者、今の立ち位置を変える気は無いわ」椛「それを聞いて安心しました。これで素直に祝いの言葉を口にする事が出来ます」文「……一応聞いておくけど、私が「この腐った天狗の世界に風穴を空けるわ!」とか言い出したらどうする気だったの?」椛「部下として、命をかけて文様を止めるつもりでした」文「貴方の忠誠心に涙が止まらないわ。出来れば、もう少し上司を信じる心も持って欲しかったけどね」にとり「相手が文じゃあ疑いもするって」文「いうわね。友人としての言葉がソレだなんて、私はなんて友達思いの河童を持ってるのかしら」椛「おめでとうございます、文様」文「そこ、少しくらい空気を読もうとしなさいよ」椛「ところで文様。少々尋ねたいことがあるのですが」文「……なによ。部下の制御も出来ない私に教えられる事があるのかしら?」椛「そう拗ねないでください。私は文様の弟君の事を教えて欲しいだけなのですから」文「晶さんの事ねぇ……」椛「人間だと言う話は噂に聞いています。ですが、文様が弟と認める方です。ただの人間では無いのでしょう?」にとり「結構男前なヤツだよ。努力家でいつも一生懸命だし、何より心根が真っ直ぐな所が良いね」文「かなり可愛い人よ。天才肌で気まぐれな所はあるけど、愛嬌の良さは一級品ね」椛「……早速評価が噛み合わないのですが」にとり「文は姉馬鹿だからね。弟びいきな評価するから、話半分で聞いといた方が良いよ」文「そういう貴方は友達馬鹿でしょうが。身内びいきな評価するから、にとりの話こそ半分にして聞くべきよ」椛「結局、正当な評価は誰もしてくれないのですね」にとり「まぁ……アキラはどうにも説明のし辛い人間だからなぁ」文「他人の評価では、その人の本質など分からないものですよ」椛「せめて取っ掛かりくらいは頂きたいのですが――結局、どんな人間なのですか?」にとり「どんなって……」文「そりゃ……」二人「――――うっかり屋?」椛「……左様ですか」にとり「左様です」文「さて、そんなこんな言ってる間に休憩も終わりみたいね。――ああ、また退屈な見回りの時間が始まるわ」椛「文様は実質待機状態ではないですか。実際に哨戒しているのは、我ら白狼天狗なのですよ?」文「はいはい。感謝してるわよー」にとり「そういや、天狗達はまだ警戒中なんだよね。私はあれから工房に籠り切りだったんだけど、今どんな感じなんだい?」文「山の上の神様とは、お互い妥協し合って何とか境界線を引けたみたいね。あっちも力尽くでどうこうする気はなかったみたいで、とりあえずは一安心よ」にとり「あの神様は似たようなケースで侵略してるからねぇ。ま、平和的に解決したならそれで良いけどさ」椛「……そうもいかないかもしれません」にとり「へ? どういう事だい?」文「縄張りの問題は一応解決したけど……他がね。あっちも布教する気満々みたいだし、下手すれば異変になるかもしれないわ」椛「最近、豊穣の神が弾幕ごっこで倒されたという話も聞きます。当分は大将棋に耽る事も出来なさそうです」にとり「そっか……じゃあ、私もちょっと見回りをしてこようかな」文「そんなに気を使わなくてもいいわよ? 本格的にヤバくなったら巫女が動くでしょうし」にとり「なに、山の住人としてじっとしていられないだけさ。私にだって、無関係な人間を山から遠ざける事くらいは出来るだろう?」文「まったく人が良いんだから……」椛「そこが、にとり殿の良いところなのだと思いますよ」にとり「ははは、そう言われると照れるねぇ」文「それじゃ、今日も一日お勤め頑張りましょうか!」にとり「おーっ!!!」椛「はいっ!!」椛「(―――それにしても、今日はやけに山が騒がしい。何事も無ければ良いのだが)」