巻の三「人の振り見て我が振り直せ」「あ、あははははは、いいかげん機嫌を直してくださいよぉ」「……別に、機嫌は悪くないよ。ちょっと自分の人を見る目を疑ってるだけで」「その、疑うきっかけは私ですか?」「そこで他に原因を押しつけていたら、疑問は確信に変わってたね」「…………あやややや」 相変わらず、僕は射命丸さん―――結局さん付けは止められなかった。慣れって怖い―――に抱えられながら幻想郷の空を飛行中だ。 さっきまでと違うのは、目的地が変わったことと―――冷静になった射命丸さんが、速度を落としてくれたことだろう。 それでも人里に向かおうとしないのは、さすがだとしておく。「すみません。思いがけず大スクープが転がり込んできたせいで、冷静さが失われまして」「そうだね。もし冷静だったら、もっとさりげなく僕を拉致してたろうさ」「……久遠さん、随分とやさぐれましたね」「違うの?」「…………あやややや」 否定はしない、と。 ほんっとーに自分の欲求に素直な妖怪だなぁ。 まぁ、僕の皮肉に苦笑で答える程度の愛嬌―――愛嬌? うん、一応愛嬌だろう―――はあるみたいだけど。 下手したら、幻想郷にきてそっこーで妖怪不信に陥ってたぞ、僕。「そりゃ、僕は幻想郷を旅出来れば問題ないから、目的地がどこでも構わないんだけどさ」「旅―――ですか?」「そう、旅。僕の目的は、幻想郷の全てをこの目で確かめ記録することだから」 そしてそれこそが、僕の夢でもある。 最終的に、その過程と結果で一冊の本を綴る事ができればさらに満足なんだけど。「えらく、酔狂な事を考えているんですねぇ」「否定はしないよ。もうすでに幻想郷の事を記している人間もいるっていうのにね」「……あやや、そんな事まで知っているんですか」「一応僕も持ってるからね、『幻想郷縁起』」 もっともそれは、初代稗田が書いた第一版の写しの写しのそのまた写しの一部という、お世辞にも使えそうにないシロモノだったりするんだけど。 それでもその情報の大半が、僕の知識の片翼を担っていることは確かなんだ。 ……あまりこういう事は認めない方がいいのかもしれないけど、きっと僕の書く本は、幻想郷縁起の足元にも及ばない出来になると思う。 それでも、僕は。「――――それでも僕は、幻想郷の全てを見たいんだ」「………そうですか」「………うん」「久遠さんは、意固地な生き方しかできなくて人生損するタイプですね」「そうでもないよ? 他人の目にはそう映るかもしれないけど、僕自身はそんな人生も楽しんで生きるからね」「ポジティブですねぇ。では、そんな久遠さんに朗報です」「朗報?」 射命丸さんが、また僕の顔を覗き込んでくる。 まぁ、さすがに三度目な上に彼女の本性も分かったから、緊張する事はないけど。「ええ、朗報です」 ごめん。無理、やっぱり緊張する。 そんな可愛らしく微笑まれるとどうしていいものか分からなくなります。 マジでダメな男、略してマダオでごめんなさい。「旅をしたいという久遠さんの夢―――お手伝いさせてください」「え? お手伝いって……」「はい。幻想郷は危険の多い場所です。そこを旅するのに、幻想郷最速の天狗はお役に立つと思いますよ?」「それはまぁ、確かに」 射命丸さんの早さはすでに証明済みだ。 いくら僕が呆けていたからって、こっちが認識するよりも早くあれだけの距離を稼げるなんて普通なら考えられない。 今後、他の妖怪に襲われた時でも、彼女がいれば速やかにその場を去る事ができるだろう。 だけど……正直その提案は、いくら何でもこっちに都合が良すぎる。「射命丸さん。僕が怒ってないって言ったのは本当の事だよ? 助けてもらったのはまぎれもない事実だし」「あやや。私としても、ご機嫌窺いのつもりで言ったわけではないんですが。……久遠さんって、善意の言葉ほど疑いますよね?」「…………ま、人間だからね」「なるほど。それなら仕方ないですね。―――ですが、安心してください。これは純然たる取引ですよ」「取引?」「はい。今更下心を隠す気はありませんから、はっきり申し上げます。私は、貴方という存在を取材したいんです」「それは……別にかまわないって言うか、僕も初めからそのつもりなんだけど」「あやややや、違いますよ。一度だけの取材ではなく、もっと長期的に、いろんな観点から貴方の記事を書きたいと思っているんです」 ……それって、なんかプロポーズの言葉っぽいなぁ。 いや、多分彼女的には、連載コラム「外来人からみた幻想郷」みたいなノリを書きたいってだけなんだろうけど。 ヨコシマな想像をする人間でごめんなさい。「私は新聞記者です。貴方のためでなくても、幻想郷中を飛びまわりネタを探しています」「だから、僕一人ぐらいをネタ探しのお供にしたって全然問題ないと」「はい。久遠さんも、変な気を回してもらわない方が都合いいでしょう?」 その通りだ。正当な取引である以上、彼女の提案を僕が断る理由はない。 だけど、ひとつだけ引っかかる事がある。 「―――なんで、急にそんな事を?」 そう、彼女の提案は、あまりにも突然過ぎる。 ……いや、僕が目的を話したのはついさっきだったから、そう考えると自然な流れなのかもしれないけど。 それほど彼女に不利益な目的ってわけでも無いし。 だけどやっぱり腑に落ちないと言うか。 付き合いのほとんど無い僕でもわかるほど自己利益優先するタイプの、彼女らしからぬ提案だと言うか。「……深くを語らずとも、その態度だけで言いたい事は大まか分かります」「う、うぐぅ」 モロバレですかそうですか。捻くれ者のくせに、顔に出やすい素直なタイプの人間でマジすいません。「ふふふっ、そうですねぇ。鴉天狗の気まぐれ―――じゃあ納得しないでしょうから、ここは素直に言っておきましょうか。貴方の、その考え方が好ましいからですよ」 「僕の考え?」「はい。自らの目で見、確かめた事実を自分の言葉で綴る。私も新聞記者として、その意味と重要性は理解しているつもりです」「……射命丸さん」「恥ずかしながらこの射命丸。そんな久遠さんのお手伝いをしたいと思いました。ですから――この提案は、本当のところただのお節介なんですよ」 今度はゆっくりと速度を落とし、射命丸さんは姿勢を変えて僕と正対する。 まっすぐ、僕の眼を見ながら言い切る彼女の姿に僕は―――「――――で、オチは何なの?」 警戒しまくりで身体を硬くし、次なるセリフに身構えた。「……今更ながら、自分のした事が相手の信頼を裏切るひどい行為だったんだなぁ、と実感いたしました」「何それ。誤魔化してるの? 誤魔化してるんだね!? 誤魔化してるんでしょう!?!?」 騙されるもんか騙されるもんか騙されるもんか騙されるもんか。 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。 「あ、あやややや。ごめんなさい、ほんっとーにごめんなさい。もう二度と貴方の意思を無視しませんから、虚ろな目でブツブツ言いださないでください」「クケケケケケ。引っかからない引っかからない引っかからない。クケケケケケ」「ううっ、すいません久遠さん。――――――えい」「けぇわん!?」 な、なに? 何が起こったの? 何でうなじの部分が痛いの? あと、射命丸さんが同情的な目で僕を見ているのは何で!?「く、久遠さん。大丈夫ですか?」「えーっと、何だかびみょーに記憶があやふやになってる部分が少し」「………不肖、この射命丸。久遠さんの夢を全力で補佐させていただきます」「え? あ、うん。お願いします」 あーそっか、射命丸さんが僕の旅の手伝いをしてくれるって話だったっけ。 ……あれ? それだけだったかな? まぁいいや。僕にとって渡りに船な提案だ、断る理由は無い。 …………なんだかとても忌まわしい事を忘れている気もするけど。「ええ、任せてください。―――と、言ったところで到着しました」「…………へ?」「ですから、目的地に到着したと言ってるんですよ」 そう言いつつ、射命丸さんはゆっくりと降下していく。 綺麗な川が流れている、さっきまでの森とはまた違う雰囲気のある場所だけど……何も無いよ?「ここが何なの?」「すぐにわかりますよ。おーい、にーとーりぃー」 僕を近くの大きな石に降ろし、彼女はなぜか川に向かって話しかけた。 ……ひょっとして、天狗って川とも会話できるのかな。 いや、なんかそれとはまた違う雰囲気だ。 それに「にとり」って――― などと考えていると、川の方に異変が。「あれ? 今、川が歪んだ?」「おやおや、そこにいたんですか。えーっと、『高額明細』でしたっけ? 邪魔ですから取っ払ってくださいよ」「……なにそれ、大企業の社長の給料詳細でも書かれてんの?」「それこそ何なんですか? そうでなくて、こう、姿が見えなくなる……」「ああなんだ、光学迷彩のことか。――――って、ええぇぇぇぇえええええええええっ!?」 こ、光学迷彩!? それって、あの? 僕の世界でも実験的にしか成功していない、あの!? つーか何で幻想の世界にそんなもんがあるのさ。「あやややや。久遠さん、この発明品を知っているんですか」「うん。外の世界にもこれと似たようなものがあるからね。……その、これよりずっとショボいけど」「外の世界だってぇ!!」「うわっ!?」 突然、歪んでいた空間から女の子が現れる。 薄水色のツーピースに、緑色の野球帽を被ったツインテールの少女だ。 背負った緑色のリュックから色々な道具が見え隠れしているが、凄い剣幕で近づかれている現状じゃあ、中身を気にしている余裕なんてない。 え? 誰? 誰なの? 誰だかわかんないけれど、僕の襟首をつかむパワーが尋常じゃないんですけど。「ちょっと! 君のこともう少し詳しく聞かせてくれないかい!! 特に外の世界の話を!」「え? え? え? ええ?」「ちょっとにとり、落ち着きなさいって」 合間に射命丸さんが入った事で、ようやく目の前にいる少女が落ち着いたようだ。 よかった。あのまま放置されていたら、脳みそがグチャグチャになるほどの勢いで首を揺らされていた気がする。 そんな事になったら、僕はきっと死ぬ。たぶん死ぬ。「―――そうだった、申し訳ない。外の世界の人間と聞いてつい興奮してしまったよ」「でしょうね。人見知りする貴方が、久遠さんの首根っこを掴んで離さないくらいなんだから相当よ?」「これはこれは、ますます申し訳ない事をした。盟友に食って掛かるなんて河童の恥だ」 恥ずかしそうに両手を離して、彼女が遠ざかる。 射命丸さんといい、彼女といい、外の世界って言葉はどれだけ幻想郷の妖怪を惑わせるんだろうか。 このネタ、僕の本の題材として使えそうだね。 ……あれ? 妖怪?「えーっと河童さん――なんですか、あなた?」「うん。河城にとり、気安く「にとり」って呼んでくれていいよ、親愛なる盟友」「あ、どうも。僕は久遠晶、呼び方は好きに……」「じゃあ、アキラって呼ばせてもらうね! よろしくアキラ!!」「う、うん」 やたら人懐っこい笑顔で、彼女――河城にとりはそう言った。 射命丸さんもそうだったけど、幻想郷の妖怪って妖怪と気づかなければイマイチ種族が分かりにくいよね。 いや、単に僕の情報が遅れているだけなのかな? 河童と人間がそこまで友好的な関係にあったなんて事も、今日初めて知ったわけだし。 第一版幻想郷縁起だと、人間に無理やり相撲を挑んで負けたら尻子玉を抜くとか、害悪じゃないけど悪質な妖怪だって書かれていたからなぁ。 「……盟友だなんて思っているのは、あんたぐらいよ。にとり」「ん? 射命丸さん、何か言った?」「あやや、なんでもないですよ。ええ、なんでもないです」「………あんたも大概口が悪いねぇ、文」「………なんのことやら、わかりかねます」 やれやれとため息を吐く河童に、ニヤリと笑う鴉天狗。 なんだろう、このハブられ感。 寂しい気はするんだけど、巻き込んでも欲しくないと言うか。「えっと。とにかく射命丸さんは、僕ににとりを紹介するためここに来た……って考えていいのかな?」「いえ、違いますよ?」「へっ?」「なんだい違うのかい、わざわざそっちから私を呼びつけたくせに」「こっそりこっちの様子を窺われたくなかっただけよ、単に」 ―――なんて直球な。呼んでおいてこの言い草は無いだろう。 にとりも、これはさすがに怒るのでは。「そんだけのスクープが、この人間にあるっていうのかい?」「ええ、まぁそういうこと」 ……僕が思っている以上に、天狗と河童は分かり合えているらしい。 いや、この二人限定かも知れないけど。 もしくは、むやみやたらに河童の懐が広いのか。 謎は尽きない。いや、こんな謎まで解明する気は無いんだけど。「本当は私の家でじっくり話を聞かせてもらいたいんだけど、さすがにそれは天狗として問題だしね」「なるほど。だから妖怪の山の麓、顔見知りの私の領域で話を聞かせてもらおうと」「そういう事よ。構わないでしょ?」「いいけど、私も一枚かませてくれないかな。外の世界の話、すごく興味ある」「文々。新聞に掲載予定です」「河童は自分の手で確認した事でないと信じられないの」 へぇー、射命丸さんって河童相手だとあんな口調になるんだー。 というより、これが彼女の素の喋りってことなのかな? まぁ、どっちでもいいか。 どっちにせよ、僕の存在がスルーされている事には変わりないんだしね! ちくしょう。「―――こうしましょう? あくまで取材するのは私。にとりはコメンテーターとして彼や私の意見を補足するの」「あくまでも基本は聞き役ってわけか。……なら、質問内容を幾つか決めさせてよ。それなら問題ないから」「いいわよ。一つね」「少なすぎだって、八つは欲しい」「三つ」「彼がさっきから背負っているリュック、外の世界の機械が詰まってるわ。便利な機械が多そうだけど、外来人側からの説明だけじゃ用途はわかんないでしょ」「………五つ」「たぶん、文が今使っている写真機より高性能な奴も入ってるね」「―――根拠は?」「河童はね、自分の好物を見逃す事はないの。そういう嗅覚は天狗よりも優秀なのさ」 ……それにしても、なんかにとりは接しやすいせいか、呼び捨てがデフォになっちゃったなぁ。 射命丸さんはさん付けなのに。 や、本人は気にしてないみたいだけどさ。「事前に決められる質問は五つ。だけど、私も聞きたいと思った疑問があったなら、プラスアルファで質問を増やしてあげる」「……質問する前にあんたを通さなきゃダメかい?」「そうでなきゃ意味がないでしょ」「なら、事前に決められる質問は私が直接聞きたい。内容もアンタを通さない」「……七つ、プラスアルファ。だいぶ勉強したわよ」「あとで文の新聞も見せて。私の意見が捻じ曲げられていないか確認したいし。……推敲するのに、料金は取らないよね」「しっかりしてるわね。いいわ、今回話を持ってきたのは私だし、そこらへんは折れてあげる」 当人置いてけぼりで進められていた交渉に、ようやく決着がついたようだ。 いつのまにか僕が背負っているリュックの中身にまで話が移っていたみたいだけど、僕の許可はとってないよね二人とも。 とりあえず、超好意的に判断して、好奇心から視野が狭まっているのだと思っておくことにしよう。 で、僕はそろそろ口を挟んでいいのかな?「じゃあ次、質問の内容決めるわよ」「そうだね。そこはきちんと決めておかないと」 ……そうですか、まだですか。「二人ともー。時間がかかるんなら、僕ちょっと辺りを散歩してくるよー」「あやや、それはちょっと……」「何言ってんだい。アンタだって最初からその事を聞くつもりだったんだろ?」「だからこそ、その質問は私の意思で聞きたいのよ」「私だってそうさ」「……行ってきまーす」 これはもう、ちょっとやそっとの時間で片が付きそうに無い。 そう結論付けた僕は、白熱した議論を交わす二人から離れていく。 ―――同じ知識の探究者として、ああはなるまい。 目の色が変わっちゃってる二人を遠くに置き、僕はひとり静かに決心を固めるのであった。