巻の三十一「食卓は、最初の間は人々が決して退屈することのない唯一の場所である」 私の友人、久遠晶のズレまくった証言に混乱しきった場は、鴉天狗の登場でさらなる混迷に陥ろうとしていた。 場を煽る文、ヒートアップする慧音、見てるだけの妹紅。 各々が好き勝手に動き完全に収集がつかなくなったこの場は、まさに人外魔境の領域に向かっていく――。 と、私は思っていたのだけど。「晶さんの環境は確かに特異ですが、現状問題はありませんよ」「そ、そうなのか?」「確かに紅魔館の主やフラワーマスターにも、それぞれ思惑はあるみたいですがね」「……それは、久遠を害する問題にはならないと?」「少なくとも当面は安心です。晶さんの姉として、それだけは保障しますよ」 意外な事に射命丸文の登場により、状況はゆっくりと落ち着きを見せ始めていた。 普段なら率先して場をかき回す鴉天狗が、こんなに協力的なのは何だか気味が悪いわね。「ゴメン、文姉。助かった」「これくらいお安い御用です。まぁ、お姉ちゃんに色々と任せくださいよ」 文が自慢げに胸を張る。 私は今、とても珍しいモノを見ているのかもしれない。 鴉天狗の一人が晶に協力していると聞いてはいたけれど……まさか、ここまでおかしな状況になってるとはね。「私としては、慧音さんの言うとおり人里に行ってほしいところなんですが……」「ダメだよ。レミリアさんや幽香さんに失礼じゃん、それ」「そういうと思っていたから、説得に協力したんですよ」「むぅ……確かに、不義理なのは良くないな」 慧音の方もまだ納得していない部分はあるみたいだけど、本人の意思を優先する事にしたみたいだ。 妥当な引き所でしょうね。晶も意外と頑固だから、一度こうと決めたら意地でも引く事はしないでしょうし。「話はついたみたいだな。それにしても、天狗と人間の義姉妹とはまた凄い組み合わせだ」「……まったくね」 黙って三人のやり取りを聞いていた妹紅が、不思議そうな顔で呟く。 それと同時にとんでもない誤解に気づいてしまったけど、特に訂正する理由は無さそうなので放っておく事にした。 ……そういえば、晶の性別に関して言及した事はなかったわ。 文が出てきた時にちらりと弟だと言ってたけど、それを覚えていられる状況でもなかったワケだしね。 ま、あんな紛らわしい格好が似合ってる方が悪いのよ。 「ところで文姉、人里に取材って言ってたけど」「ああ、その話ですか。実はそろそろ新聞の締め切りが近くてですね。ネタ探しにとりあえず人里の稗田――」「なんで僕、置いていかれたの?」「……へっ?」「文姉、僕が出かける前に「今日はうだうだする予定ですよー」って言ってたじゃん」「ええまぁその時は本当にそのつもりだったんですが、美鈴さんに「ところで文々。新聞はいいんですか?」と指摘されまして」「……僕、結局一度しか取材に連れてってもらってない」「あ、あはは」 真顔で文に詰め寄る晶。 困ったように苦笑しているけど、アレは本気で焦っているんでしょうね。 やたら感情の希薄な瞳で、晶は文の眼を見つめ続ける。 普段が普段だけに、その不気味さは計り知れない。「良く分からんが、久遠は射命丸の取材に付き添う約定を交わしていたのか?」「そうなんですけどね。色々不具合がありまして、一度しか同行させてないんですよ」「まぁ、何となく理由は分かるわね」 連れ回すたびに死ぬような目に遭いそうな奴を同行させたくはないだろう。 相応の実力はあるはずなのに、不思議と危なっかしく見えるのよね、何故だか。「ううっ、いくら何でもあんまりだー」「……んー、そうですねー。では、今度の取材には晶さんも同行させましょうか」「今度っていつなのさ。そんなお母さんみたいな言い方で誤魔化さないでよ」「いえ、実は人里でのネタ探しが空振りに終わりましてね。明日は別の所でネタを見つけようと思っていたところなんですよ」「ほへ? それってつまり、明日にでも取材に行くって事?」「そういうことになりますね」 文の言葉を聞いた途端、晶の瞳に輝きが戻った。 満面の笑みを浮かべた晶は、目をキラキラさせながらぴょんぴょんと跳ね始める。 ……可愛い仕草だし、似合ってもいるんだけど、アンタそれなりにいい年した男なんでしょうが。 あと文、鼻血が出てるわ、鼻血が。色々台無しよ。「本当!? 本当に連れてってくれるの!?」「もちろんですとも、清く正しい射命丸に嘘はありませんああもう可愛いにゃあ」「本音が漏れてるわよ」「うむうむ、良く分からんが姉妹が仲睦まじくしているのは良い事だな」「……仲睦まじいとは少し違わないか? コレ」 妹紅のツッコミもその通りだけど、それと同時に私はもう一つ誤解に気づいた。 そうよね。厳格な慧音先生がこんな恰好をスルーするとか、普通はありえないわよね。 ……ま、ほっとこう。「それで、明日はどこに行くの?」「ええ、永遠亭の方に行ってみようかと」「えいえんていぃ~?」 文の言葉に、妹紅が渋柿を丸かじりしたような声を絞り出した。 色々と因縁がある相手の住処だから、そういう態度を取る理由も分からなくは無い。「永遠亭って言うと……幻想郷の病院みたいなところだったっけ?」「いや、外道の巣窟だよ」「外道の巣窟!?」 「こらこら妹紅、知らない人に主観だらけの意見を話すな」「ど、どういう事なの?」「あそこの連中とそれなりに因縁があるのよ、妹紅は」 永遠亭の主に対する、彼女の恨みはだいぶ深い。 何しろ千年以上続いている因縁だ。今更引っ込みがつかなくなっている、というのも少しはあるのだろう。 あそこの奴ら全員を憎んでいるわけではないだろうけど……「坊主憎けりゃ袈裟まで憎し」とはよく言ったものね。 「基本的に晶さんの解釈で間違いありませんよ。まぁ、薬師としての仕事は副業みたいなモノですが」「そうなんだ。じゃあ、主な仕事は何をやってるの?」「……あー、ちょっと言い方が紛らわしかったですかね。より正確に言うと「片手間」にやっているんですよ」「片手間?」「永遠亭は隠れ里のようなものだったのだが、ある一件から人里とも関わりを持つようになってな」「あいつらの知識と技術って、幻想郷の中でもかなり高いレベルにあるのよ。だから、片手間で作った薬とかでも凄い効き目があってね」「あの人達もまぁ、収入が無いとシンドイですからね。たまに人里にきて診療と薬売りの真似事をするようになったんですよ」「……見事な連携による説明、ありがとう。おかげで良く分かりました」 別に、そう意図していたワケではないんだけどね。 全員それなりの知識を持っているから、どうしても教えあいになっちゃうわ。 悪くないんだけど、説明不要でも話が進むのはちょっとつまらない。 ……私もあまり、あの先生の事を笑えないわね。「ふむ、永遠亭に行くのなら、あの館に戻るのは少々億劫ではないか?」「……確かにそうですね。紅魔館からだと、ほとんど幻想郷を横断するような形になってしまいますし」 幻想郷の範囲を考えると、往復になるのも仕方がない事だとは思うけどね。 その言葉に慧音は一瞬だけ考え込むと、名案を思いついた表情で文と晶に向き直る。「そういう事なら久遠も射命丸も、今日は私の家に泊まったらどうだ?」「ほへ?」「あやや?」「これも何かの縁だ。人里に住む事が叶わないというなら、せめて一日くらいゆっくりしていってくれ」 満面の笑みで、慧音が二人に提案する。 彼女らしい提案だ。予想できていたのか、妹紅も後ろで苦笑していた。 それに対し、文と晶の反応は。「わー、ありがとーございまーす」「それじゃあ、お世話になりますかね」 ……予想はできていたけど、本当に遠慮という言葉を知らない姉弟ね。 あっさりと提案を呑んだ二人に、妹紅も私も苦笑せざるを得ない。 まぁ、双方納得しているみたいだから、私に関係のない事で口出しする気はないのだけれど。 礼儀を弁えているというなら、もう少し躊躇したらどうなのよ?「それでは妹紅。少し大がかりになりそうだから、食事の準備を手伝ってくれ」「あ、じゃあ僕達も手伝いますよ。ねぇ、アリス」「……なに?」「へっ?」 突然話を振られて、呆然とする私と妹紅。 いや、ちょっと待ちなさいよ。 その言い方だと、まるで私達までお泊りのメンツに入っているみたいじゃないの。「どうしたんだ妹紅? そんなハトに抓まれたような顔をして」「アリスも、思いもしなかった事実を突き付けられたみたいな顔して、どうしたのさ?」 ダメだ。この二人、まず私達と前提が違う。 どうやら「慧音の家に泊まる」と決まった時点で、私達二人の宿泊も自動的に組み込まれていたらしい。 ……あのね晶、私が何のために人里へ来たのか覚えてる? 掃除とか備品の購入とか色々とあるのよ?「ねぇ晶。一応言っておくけど私は」「じーーーーっ」「……いい加減そのパターンが通じると」「じーーーーーーーっ」「…………いや、あのね。本当に私にも事情が」「じーーーーーーーーーーーっ」「………………まぁ、一日くらいなら」 私は、一生晶に勝てないのかもしれない。 隣で同じように慧音に説き伏せられている妹紅を横目に、私は諦めのため息を漏らすのだった。「じゃあ行ってきますね。まぁ、すぐに戻ってきますけど」「行ってらっしゃい。幽香さんとレミリアさんによろしく言っといてね」「はいはい、お任せください」 そんな軽い口を叩きつつ、文が紅魔館に向かって飛んで行く。 外泊するなら、連絡は入れた方がいいと晶が言いだしたからだ。 ……一旦戻るのなら、もう慧音の家に泊まる意味はないんじゃないのかと思いはしたけど、今更なので黙っておいた。 ちなみに、言いだしっぺでなく文が連絡しに行く事になったのは、彼女が自分で言いだしたためだ。 何でも文曰く、晶一人で紅魔館に戻ると軟禁される恐れがあるとの事。 どう聞いても穏便でない予測だけど、文に言わせるとそれも気に入られているが故の結果なのであるらしい。 紅魔館における晶の立場は本当にどうなっているのかしら。「さて、それでは私達は食事の準備に取り掛かるか」「はーい」「……分かったわよ」「おー、頑張れ頑張れ」 言うまでも無い事だけど、最後のやる気皆無なのが妹紅。 一人暮らししているから家事くらい出来るはずだけど、あっさり拒否。 曰く、「私は食事いらないから、作りもしないんだ」との事。 ちなみに、横で慧音があからさまに呆れていたから、その発言は間違いなく嘘だ。 ……三人いれば十分だから、誰も何も言わないけどね。 そう言うわけなので、私達三人はそれぞれ食事の用意にかかる。「ところで、二人の炊事の腕前はいかほどのものなんだ?」「私はそれなりに出来るわ。習慣としての食事は欠かせていないしね」「僕は……今のところ、一個しかレパートリーがないです」「なによそれ。アンタそんな‘出来そうな’服着てるくせに、料理ロクに出来ないの?」「ははは、そのツッコミを受けるのは二回目ですが、何一つ反論は出てきませんね」 おかしそうにケタケタと笑う晶。 掃除、手伝わせなくて良かったかもしれないわね。「で、でもその一種類だけは大得意だよっ!」「ふぅん。で、その得意な料理って?」「肉じゃが!!」 ……それが真っ当に作れれば、他にも色々と作れるでしょうに。「なら、久遠はそれを作ってくれ。道具の使い方は分かるか?」「大丈夫ですよー。密かに練習してましたから」「じゃあ、私は汁物と主菜を担当するわ。人形も使うから数はこなせるわよ」「そうなると私は飯だな……ふむ、今日は妹紅もいるし多めに炊くか」 役割分担もわりとスムーズに済み、其々が調理に入った。 私と晶は隣り合った状態で、テキパキと食材を切っていく。 ……へぇ、意外とやるじゃないの。「もっともたつくと思ってたけど、意外と手際は良いのね」「へへへ~、練習してたからね」「……それでどうして、一品しか作れないのかしら」 相変わらず、器用なのか不器用なのかイマイチ分からないヤツね。 鼻歌交じりにジャガイモの皮をむく晶を見ながら、私は彼の不思議な力量に首を傾げた。 まぁ、これなら放っておいても大丈夫かもしれないわ。 こちらの方の作業は人形達が全てやってるし、場合によっては私がフォローに入ろうと思ったけど。 ……いや、味付けまで油断はできないか。 晶には悪いけど、一品しか作れない料理人を私は信用できない。 変なオリジナリティを発揮しようとしたら、悪いけど即座にご退場願うわよ。「炒めて炒めて、お肉を炒めて~♪」「夜雀じゃないんだから、即興で変な歌わないでよ」「ははは、いいじゃないか。黙々と作るより、話しながらの方がずっと楽しいさ」「そうそう、上白沢先生の言う通り」「どっちも呑気なんだから……」 普段、もっと騒がしい子供たちを相手にしている慧音先生にとって、晶のうるささなんて物の数に入らないんでしょうね。 特別音痴ってわけでもないし、私だって口やかましく否定する理由はないんだけど。 ――なんだか、嫌な予感がするのよ。 霊夢や魔理沙と弾幕ごっこした時の話とか、あの永遠に続いた夜の騒動を遥かに超える悪寒が、何故か消えて無くならないのだ。「味付け味付け、じっくり味付け~♪」 ついに、私が懸念していた味付けに移行した。 これまでの手順に問題は無し。むしろ、本当にコレしか作れないのかと言いたくなるほど完璧な調理だった。 晶は、酒とみりんとしょうゆと砂糖を用意する。 ちゃんと調味料があっているか、確認する事も怠らない。 ……おかしい。何一つ問題が無いわ。 いやいや、これは多分、大量の調味料をドバドバ投下するというオチでは?「適量適量加えて加えて、おいしくなぁれぇ~♪」「おー、いい匂いしてきたなぁ」 私の疑念はあっさりと裏切られた。晶の使った調味料は、全て適量である。 すでに台所からは、肉じゃがのおいしそうな匂いが漂ってきていた。 居間から妹紅が顔を出すのも、頷けようモノだ。「……あれぇ?」「どうしたんだ、さっきから。様子がおかしいぞマーガトロイド」「だよね。それでも料理を仕上げてる所は凄いけど」 おかしいわね。考えすぎだったのかしら。 目の前で沸々と音を立てて煮込まれている肉じゃがからは、なにひとつ問題が見つからない。 ……私、疲れているのかしら。 見当違いな自身の悪寒に、思わずコメカミを抑えていた。 「何でも無いわ。それよりこっちも仕上がるから、食事の準備をしましょう」「おっ、それくらいなら私も手伝うぞ」「なら妹紅、肉じゃがを入れる器を取ってくれ」「任せろ! ほら、久遠も手伝え!」「了解っす!!」「……まったく、妹紅は調子が良いな」「まぁ、最後まで手伝わないよりはマシでしょ」 その後も、問題なく夕飯の準備は終わった。 結局私の懸念は杞憂だったようだ。徹夜の影響で、精神に悪影響が出ているのかもしれない。 明日は、久しぶりにゆっくりと休む事にしよう。「よし、それじゃあ食べるかっ!」「ええっ!?」「こら妹紅、まだ射命丸が帰ってきてないぞ」「いいじゃないか。飯は熱い内に食べた方が上手いんだ。いつ帰ってくるか分からない鴉天狗なんて――」「清く正しい射命丸! 晶さんの手料理と聞いて帰って参りました!!」「……図ったようなタイミングで帰ってきたわね」「文姉って、結構おいしいとこどりするよね」「そんな褒めないでくださいよぉ」 褒めてないわよ、気づいているだろうけど。 いそいそと食卓に座る文。 二、三視線を巡らせた彼女は、即座に肉じゃがへと顔を向けた。 どうやら、一瞬にして晶の作った料理を見分けたらしい。 ……文のヤツ、どういう眼をしてるのよ。「では、早速晶さんの手料理をいただきましょうか」「おいコラ、いきなり出てきてずーずーしいぞっ。その肉じゃがは私だって眼をつけてたんだからな」「どっちもどっちだ。少し落ち着け」 文と妹紅が睨みあう。確かに晶の肉じゃがは、かなり美味しそうな出来をしている。 私自身あの肉じゃがに興味はあるから、二人の態度は分からなくもないけど。 調理する過程を見る限り、無難な味しかしないと思うわよ?「っと、しまった。茶葉が足りんな……」「別にもうお茶はあるから、茶葉が無くなっても問題ないんじゃない?」「いや、この大人数だ。念のため用意しておいた方がいいだろう」「あ、それなら僕がとってきましょうか?」「そうか、悪いな。廊下の奥の物置に置いてあるから、ちょっと取って来てくれ」「了解っすー」 晶が一人、廊下の奥に向かっていく。 一気に家の人数が五倍になったんだもの、仕方ないわよね。 そして、そんなやり取りの中でもじっとお互いを睨みあいながら間合いを窺う子供が二人。 ……貴女達、ムキになり過ぎよ。「ほら、晶が帰ってくるまで待つんだぞ。二人とも」「いえその、私は晶さんの手料理を一番に食べたいだけで、お腹が空いているワケでは」「――隙ありっ!」「あーっ!!」「こ、こら、妹紅!」 慧音が文に注意している間に、妹紅がジャガイモを摘まんで口に運ぶ。 まったく、何をやっているんだか。 悔しそうに歯ぎしりする文を笑いながら、妹紅は勝利の味を噛みしめ―――。「げふぅっ!?」 突然、そう吹きだして倒れた。「………えっ?」「も、妹紅?」 彼女は顔から地面に落ち込み、そのままピクリとも動かなくなる。 時間が凍りついた。 私達三人も、いきなり過ぎる展開に唖然としている。 やがて、この凍った時間に変化が起きた。 倒れていた妹紅に動き始めたからだ。 いや、それは「動いた」というのとは少し違った。そう、むしろアレは……。 ―――リザレクション 炎が妹紅を包み込み、彼女を焼き尽くす。 まるで不死鳥が再誕するために、自らの身を焼くような光景。 やがて炎が晴れたそこには、完全な姿をした藤原妹紅の姿があった。 ただし、顔はまるで死人のように青ざめているが。「……なんだ、コレ」「も、妹紅さん、どうしたんですか? 急にリザレクションするなんて」「なぁ、慧音にアリス。晶はあの料理に毒物でも仕込んだのか?」「そ、それはないわ。私が監視してたもの。手順にも材料にも異常はなかったわ」「どうしたと言うんだ、妹紅。晶の肉じゃがに何か問題でもあったのか?」「――分からない。気づいたら意識を刈り取られていた」 全員の視線が、晶の肉じゃがに向いた。 美味しそうな匂いを放つ極普通の肉じゃがが、今は何かの兵器に見えてくる。「で、でも確か、久遠は最後に味見をしていたはずだ。特に問題は――」「そう思うなら食べてみるか? 死ねるぞ」 何と言う説得力の在り過ぎるセリフだ。 実際一度死んでいるのだから、彼女の言葉に嘘偽りはない。 いや、おかしい。ちょっと待って。不老不死の蓬莱人じゃないと食べられない肉じゃがって何なのよ。「……妖怪なら大丈夫でしょうか」「あ、文!? 何考えてるのよ!? 死ぬわよ!!?」「いえ、でもこれは晶さんの作ったもので、食べなければ晶さんが悲しんで」 こ、混乱してる!? 急いで人形を使い、文を捕縛させる。 下手をすると本気でこの致死性抜群のキラー肉じゃがを食べかねない。 ……自分で言っててだいぶおかしい表現だと思うけど、事実なのだからしょうがない。「落ち着きなさいって! そんな安易な考えで食べたら本当に死ぬわよ!!」「離してください! 姉には命をかけてもやらなきゃいけない事があるんです!!」「ま、待て待て、いきなり久遠の肉じゃがが悪いと言うのは失礼だろう」「どう考えてもこの肉じゃがが原因じゃないっ」「落ち着け。何か不具合があっただけで、晶の肉じゃがに罪はないはずだ。ほら、その証拠に私が食べてぐはぁっ!?」「けぇーねぇー!?」 牛肉を口に含んだ慧音が、仰向けに倒れた。 そんな彼女に、妹紅が慌てて近寄り抱きかかえる。 「けーね、けーねぇ、しっかりしろよっ」「妹紅。……済まない、私はここまでのようだ」「嘘だろ!? こんな、こんな別れ方って、アリかよぉおおっ!!」 慧音の体から力が抜けていく。 絶望感が広がる中、妹紅の悲しい叫びだけが空しく居間に響き渡った。「……まだ死んでないから、落ちつきなさい」「やっぱり、妖怪なら多少は耐えられるんですね」「アンタも止めなさいって!」 結局その後、意識を取り戻した慧音に「肉じゃがを作った」歴史を食べてもらった。 さらにあの謎の殺りく兵器を文に捨ててもらったおかげで、私達の平穏な食卓は保たれたのである。 ―――後日、肉じゃがを捨てた周辺で危険視されていた妖怪が謎の死を遂げた事は、きっとこの一件には何の関係も無い筈だ。