巻の三十「不幸な人間は、いつも自分が不幸であるということを自慢しているものです」 さて、上白沢先生と爺ちゃんの意外な接点を知った僕達は、彼女の案内である人に会わせてもらう事となった。 と言っても、彼女が誰と会わせようとしているのかはまだ分からないんだけどね。 誰と会うのか尋ねても、先生は「会ってからのお楽しみだ」というだけで答えてくれない。 ただどうも、爺ちゃんに関係する人ではあるらしい。 ……まぁそれはいいんだけど、先生から漂う「サプライズでビックリさせてやろうオーラ」はどうにかならないものか。 そういうテンションを取られれば取られるほど、こっちは逆に冷めてきちゃうんですけど。 いや、楽しみではあるんですけどね?「運が良かったな。普段は竹林にいるから、人里で会える事は滅多にないんだぞ」「ふーん、そうなんですか」「ああなるほど、誰かと思ったらあの……」「こ、こら! 言うなっ!!」 どうやら、アリスは誰のことなのか分かったようだ。 別段、正体を隠す必要性はない気もするけど……学校の先生なんかやってると、こういう事もイベントっぽく演出してみたくなるのかな。 さすがにいくら感慨深くても、祖父の友人パートツーと相対した時までしんみりしてたらキリがないと思うんですが。 でもここまで期待されたら、やっぱりこう涙の一つでも見せなきゃって気になっちゃうよね。 ……今のうちに泣く練習でもしておこうか。「何やってるのよ、目頭なんて押さえて」「いやまぁ、予行練習と言うか空気作りと言うか」「……アンタはそういう空気を読めない人間なんだから、大人しくしてなさい」 失敬な、アリスはどうして僕を空気読めない子にしようとするのか。 確かに場の雰囲気を読めてないんじゃないかなぁと思う事は無きにしも非ずだけど、そこまで酷くは……。 酷くは……ひど……。「心当たりがあるだけマシね」「あはははは……でも、なんで普段竹林にいる人と僕の爺ちゃんが知り合いなんですか?」「ああ、細かい経緯は省くが、当時は今ほど妖怪と人間の関係が良好でなくてな」「……そういえばそうだったわね。最近は緩くなってたから忘れてたけど、貴方だって本来なら排除の対象なのよね」「うむ。当時から私を認めてくれた人間達はいたのだが、私の立場は食客に近いモノだった。なので外来人を置いてくれ等と易々頼む事は出来なかったのだ」「へ? なんで?」「……まずアンタには、幻想郷の常識を語った方がよさそうね」 人差し指を教鞭に見立て、アリスは教師のように説明を始める。 曰く、幻想郷における外来人の扱いの悪さは、僕が思っているよりも遥かに酷いものなんだそうで。 まず基本が妖怪の餌。と言うか最悪の場合‘そのために’連れてこられる人すらいるらしい。 次に多いのが野垂れ死に。まぁ、現代人の感覚で幻想郷を生き抜くのは至難の技だから、納得と言えば納得だけど。 そしてこの二つの死因を抜け出した人間が至るのが、帰還。 外とココとの明確な‘境目’である博麗神社では、迷い込んだ外来人を追い出す役目も担っているらしい。 なるほど、道理で外にもココにも同じ神社が存在しているわけだ。 ちなみに今の説明は原文そのままから引用です。アリスさん、外の人になんか恨みでもあるんですか。「もちろん、居付く外来人がいないワケじゃないわ。だけど、基本‘人間’で幻想郷に残る人間はほとんどいないの」「まぁ、人間には住みにくい環境だもんね」「そういう事。ま、人里に住む事が出来ればほぼ安全は確保されたと思っていいけどね」「え、そうなの?」「そうでなきゃ、幻想郷に「人里」なんて出来ないわよ」「なるほど」 確かに、食物連鎖の観点からみると幻想郷の生態系は少々歪だ。 まず最初に誰もが思うのが、捕食される立場である人間の住み家が一部にしかないという点。 そもそも、人間なんて生き物は増えるのにも育つのにも時間が係る面倒な生き物である。 それなのにその総数は、下手すると妖怪よりも少ないんじゃないかと言うこの矛盾。 恐らく人間がレッドデータブックを通り越して絶滅動物記録書に載りそうなこの状況を、何とか保っている仕掛けが幻想郷にはあるんだろう。 ……多分その一つが、外来人なんだろうけどね。「幻想は、それを認識できるモノが居て初めてそう呼ばれる、か」「あら、随分と面白い解釈ね。それが、アンタなりの「人里」がある理由?」「人間が高度な存在だと驕るつもりはないけどね。妖怪の誕生と維持に、人間が関わっているのも事実でしょう?」「誕生に、で切らなかった所はさすがね。妖怪は精神に比重を置く者。何らかの形で人間を食さないと、やはり自身を保つ事が出来ないわ」 「「信仰」とか「畏怖」とか、食事方法は多様にあるけどね」「……スムーズに話が通じるのも、それはそれでつまらないわよ」「……どうしろって言うのさ」 幻想と言うのはあやふやなものだ。 具体的な形にしないからこそ怖いものもあれば、具体的だからこそ恐れるものもある。 そして妖怪達は、大なり小なりその「あやふやさ」を基点にしている。 そのあやふやさを支えるのは、恐れ怖がる人間達の想像力だ。 人がその妖怪に抱くイメージは、逆にその妖怪の存在を侵食する。 強く思えばより強く、弱く信じればより弱く。 個体差による違いはあるだろうけど、人がその妖怪の存在を強く信じ続ける影響は決して小さくないはずだ。 だからこそ、幻想郷は妖怪と人間の在り方を維持しなければいけない。 人間が信じる事を止めた瞬間、人間と言う「観測者」がいなくなったその時、幻想郷の妖怪たちも緩やかな滅びを迎えてしまうのだから。「となると、人間側が‘必要以上に増える’事もできないワケか」「そういう事よ」 なるほど、バランスとるって大変だね。 迂闊に外来人を受け入れて人数を増やしてしまえば、人里に悪しき影響を与える恐れがある。 ましてやその話を持ってきたのが半獣の上白沢先生なのだから、人里の方達が渋るのもまた当然の話なのか。 ……爺ちゃんも本当、薄氷を踏むような危うい環境を生き抜いていたんだなぁ。「なぁ、素晴らしく知的な会話を楽しんでいる所悪いが」「ほへ?」「なによ?」「……教師役なら、現役の私が担うべきだろう」 そしてやたら静かだと思っていたら、先生が裏路地の所で落ち込んでいた。 どうやら彼女はわりと教えたがりな傾向にあったらしい。 だけど無視されたからって、そんなハブられた子供みたいなヘコみ方しなくても。 この人、意外と愉快な性格をしてるよなぁ。「いいんだいいんだ、このまま是非とも私を無視して全ての謎を解明してくれたまえ」「うわぁ、厄介な拗ね方するなー」「とりあえず、幻想郷の常識は教えたワケだし。そろそろコイツの祖父の事情を教えてくれない?」「……別に私がワザワザ教えなくてもいいだろう」「いやいや、教えてもらえないと分かりませんって、先生だけが頼りなんですから」「そ、そうか?」 あっ、ちょっと復活した。 なるほど、頼られると乗ってくるのか。「そうそう! 超聞きたい!! 僕の爺ちゃんってどういう経緯でその人の所に!? ねぇアリス!」「そ、そうね!! 外来人を受け入れ難い事情があったとはいえ、あいつに頼る理由は分からないモノ! ねぇ、何でかしらっ」 必死に体育座りした先生を持ち上げる僕とアリス。 傍から見るとすっごく間抜けに見える。 それを町中でやっている僕らの苦労、推して知るべし。 しかしおかげで、上白沢先生のテンションは最初の頃に戻りつつあった。 よーし、後少し!!「せんせー! お願いしまぁーす!!」「よぉーし任せろぉー!」 ようやく完全復活した上白沢先生。 自信満々なその頭から角が幻視出来るのは僕だけではあるまい。 ところで、真横で手間をかけさせてという顔をしているアリスさん。 お気持ちはよく分かるけど、今は自重して。「うむ、それでは慧音先生の分かりやすい説明を始めよう!」「わーわー」「ぱちぱちー」 何と言うやる気のない掛声。それでもテンションの落ちない先生は一体どこを見ているのでしょうか。 なお、紙芝居屋に集まる子供達みたいな陣形を思い浮かべていただければ、現状の間抜けさ具合がよく分かるかと。「さて、なぜ久遠の祖父を私の友人に預けたかと言うと―――」「当時の私は、竹林に籠りっきりの暇人だったんでな。‘護衛’を任すには最適の相手だったんだよ」「―――ぁう?」「はわ?」「あら、貴女」 そして、華麗に始まるはずだった上白沢先生の特別授業をかっさらった謎の声。 声の主に振り返ると、銀髪赤眼の少女が皮肉げに口の端を歪ませながら両腕を組んで立っていた。 何と言うか、昭和の女学生みたいな格好をしている。 お札のついた紅いモンペ? がやたらと様になってるのが凄い。「よぉ! 戻ってくるのが遅かったから、慧音の様子を見に来たんだが――随分と面白い事になってるじゃないか」「えーっと、どなたさん?」「コイツが藤原妹紅よ。上白沢慧音の友人で、恐らく彼女が言ってた「アンタの祖父の友人」ね」「そういう事、よろしくな」「あ、よろしくお願いします、藤原さん」「妹紅でいいよ。名字で呼ばれるのは苦手でね」 何故か、アリスが紹介してくる「祖父の友人」妹紅さん。 と言うかこの人、見た目上白沢先生より若いんですが。さすが幻想郷は外見に縛られない人が多い。「ふぅ~ん」「な、何か?」 「お前さんが‘あの’久遠の孫なんだって? 確かに、頭は切れるのに発想がおかしいところなんてアイツそっくりだ」 じろじろと僕の顔を眺めまわしながら、妹紅さんは愉快そうにそんな事を言った。 そういう言いまわしで似てると言われたのは、さすがに初めてだ。 僕が会った頃の爺ちゃんは、わりと普通の気の良い好々爺だったからなぁ。 ……でもそれ、明らかに褒めてないですよね。 と言うかソレ以前に―――「いきなり話題についていけてるって事は、ずっと前から見ていたんですか? 僕らのやり取り」「ああ、慧音の『運が良かったな。普段は竹林にいるから~』の下りから、ばっちり全部な」「それは移動直後のお話ですね」「そんなに早く居たんなら、さっさと出てきなさいよ」「ははは、何とも出づらい空気だったんでな」 申し訳なさそうに顔を逸らす妹紅さん。 どうやら、彼女なりに上白沢先生のサプライズに協力しようと努力はしたらしい。「ううっ、もこぉお」「ど、どうしたよ、慧音」「見ていたのならなぜ、なぜ私の出番を奪ったぁぁぁあああ」 半泣きで妹紅さんに縋りつく上白沢先生。 この人は本当に人里の守護者で、寺子屋の教師なのだろうか。 まるで己の尊厳全てを奪われたような絶望的な泣き顔に、あんまり関係ないはずの僕達まで心が痛くなってくる。「いや、その、さすがに隠れ続けるのも辛くてさ」「もこぉぉおお」「そ、そこまで落ち込むとは思わなかったんだ。軽い冗談のつもりで」「もこぉぉぉおぉぉぉぉおぉお」「……ごめん」 まぁ、謝るよねさすがに。 それでも、先生の涙は止まらないわけなんですけどね。「とりあえず、あそこの茶屋に入って落ち着きましょうよ。このままだと偉い目立つわ」「さ、賛成!」「い、異議なし!!」「もこぉおおおおお」 結局、周囲の目に耐えきれなくなった僕らは、アリスの提案で近くの茶屋に逃げ込む事になったのだった。「お前さんの祖父は、外来人にしては機転の利く人間だったな」 「……それは、褒められてるのか貶されてるのか」「褒めてるんだよ。適応できなきゃ生きていけない世界さ、ここは」 咄嗟に入った茶屋は、町並みに相応しい和風の作りをしていた。 僕達四人は、その店に座って軽い雑談に浸る。 先生はだいぶ落ち着いたらしく、今では恥ずかしそうにお茶を啜っている。 ……茶屋のおばさんに、すごい心配されてたからなぁ。 友人である妹紅さんがいなかったら、害のある妖怪として追いまわされていたかもしれない。僕も含めて。 そもそもの原因は彼女なんですけどね。あえて言及はしないけど。「だけど、やっぱりアイツは外の世界が良かったみたいでな。まぁ、止める理由も無かったから、私と慧音で送り返してやったというワケさ」「なるほど……アレ? じゃあ泊まる云々の話は?」「ああ、すぐに帰れるワケじゃなかったからな、少しの間どこかに泊まる必要があったんだよ」「それで爺ちゃんは人里に?」「いや、結局人里に泊める許可は取れなかったんでな、その間お前さんの祖父は私の家に泊めてやったさ」 なるほど、それじゃあ爺ちゃんも人里には泊まらなかったのか。 ……そういえば、爺ちゃんの口から人里関係の話を聞いた事はなかったような。 なんだろう、ウチの家系は人里に関われない呪いとかにでもかかってるの?「泊めてやったって……貴女の家、迷いの竹林の近くでしょ? 妖怪とかゴロゴロいるんじゃないの?」「うむ、妹紅がいるから安全面は保障されていたが、精神衛生上の安全は確保されていなかったな。しかし久遠殿は、嫌がりもせずその提案を受け入れてくれたよ」 アリスが会話に混ざり、だいぶ落ち着いた先生が疑問に答える。 今さらだけど、妹紅さんがいる竹林は結構な危険地帯であるらしい。 まぁ、タダモノじゃ無さそうな妹紅さんだから、そういう所にいても不思議ではないけど。 ……危険地帯と縁深いのは血筋なのかなぁ。「アイツは図太い奴だったからなぁ。確か慧音が最初に会った時は、蛇の妖に半分くらい食われてたんだろ?」「ああ、あの時は肝が冷えた。何しろウワバミに呑まれかけていたのだからな」「良く生きてたわね、それで……」「消化が遅い上に丸呑みだった事が幸いしたんだよ。しかし助けた直後の第一声には、さすがの私も驚いた」「お、それは私も初耳だな。なんて言ったんだい?」「確か……「蛇は食事が遅いものだと聞いていたが、本当だったのだな」だったか」「あははははははは、言いそうだ! アイツなら言いそうだ!!」 先生の言葉に腹を抱えて大爆笑する妹紅さん。 無理もない、他人事なら僕だって笑っていた事だろう。 うん、他人事だったらね。「……えっと、僕の聞いた話では「助けられた直後もしばらく恐怖で話せなかった」らしいんですが」「いや、普通に話してたぞ? むしろ食われた直後とは思えないくらい元気そうだったな」「アイツが食われた程度で動揺するかよ! あははははっ」 ああ、崩れる。理知的で優しい祖父のイメージが崩れていってしまう。 どんだけマイペースだったんですか爺ちゃん。適応力ありすぎじゃないですかお爺様。「さすがアンタの祖父ね。行動パターンがほとんど変わってないわ」 「え? 僕ってそんなにのーてんきなの?」「……ねぇ晶、アンタってどういう経緯で私と出会ったんだっけ?」「……氷精にカチンコチンに凍らされたからです」 そうですか、僕も大して変わらないですか。 というか当時の事情を考えると、僕の方がのーてんきであったような気がする。 何しろ僕の場合、その前にも同じ目に会ってるんだから。 ……余計ダメじゃないか、それは。「カチンコチンって……お前さん、幻想郷でどういう生活してきたんだよ」「うむ、私も少し気になってきたぞ。人里の外で暮らしているらしいが、本当に大丈夫なんだろうな」 どうやら今の一言で、変な不安まで煽ってしまったらしい。 心配そうに僕を見つめる妹紅さんと先生。 別に、言うほど危ない状況じゃ無いんだけど……やっぱりはっきり言わないと、ダメなのかなぁ。「あはは、その時はたまたま運が悪かっただけで、今はそれほど辛くないですよ?」「なんだそうなのか。では今は、どういう状況なのだ?」「どうって……文姉と幽香さんに面倒見てもらいながら、紅魔館で世話になってるという平穏な」「こ、紅魔館だぁ!?」「‘幽香’とは、フラワーマスター風見幽香の事か!?」「……文姉?」 はっきり言ったらもっと驚かれました、何故。 硬直する妹紅さんと先生。 アリスも、ブツブツと呟きながら何かを考え込んでいる。 ……僕はひょっとして、凄い爆弾を投下してしまったのだろうか。「久遠! 悪い事は言わん!! 今すぐ人里に来い!」「慧音の言うとおりだ、あの悪魔の館からはとっとと逃げ出した方がいいぞ」 二人がキツイ表情で詰め寄ってくる。 だから、僕は平穏に暮らしてるんだってば。 まったく、何でその事が分からないのかなぁ。「いやその僕は――」「洗脳か!? 傀儡とされたか!? おのれ紅の悪魔めっ!」「いっそ私らで保護するか? 下手に日数をくれてやると何かされる可能性が……」「そういえば晶には、鴉天狗の知り合いがいるって言ってたわね。ならひょっとしてその「文姉」ってのは」「ああもう、誰か何とかしてぇぇぇええええっ」「―――お呼びとあらば即参上!!」 僕の叫び声と共に、激しい風が巻き起こった。 この、唐突過ぎる登場方法は……。「文姉!」「清く正しい射命丸! 可愛い弟の危機に参上ですっ!!」 無駄にポーズを決めて現れる、幻想郷最速のお姉ちゃん。 確かに助けは求めたけど、まさか本当に誰か出てくるとは思わなかった。 っていうか見てたの? 今までの行動ずっと見てたの? 「いえ、たまたま人里へ取材に来ていただけです」「相変わらずの心を読んだ返答、ありがとうございます」「そんな水臭い事言わないでください、私と晶さんの仲じゃないですか。晶さんが私を呼べば幻想郷の彼方からでも駆けつけますよ」 たまたま来ていただけってさっき言ったじゃないですか。それに、別に貴女を呼んだわけではないですよ? なぜか顔を赤らめ身をよじる、助っ人のはずの文姉。 他二人は、そんな謎のやり取りを見ながら硬直し続けていた。 ……どうしよう。結局何の解決にもなってない。 むしろ余計な混乱を招いただけだと、僕も薄々ながら感じ始めてきた。 そんな中一人納得したようなアリスの呟きだけが、茶屋の中に響くのだった。「なるほど、晶の言ってた世話になってる鴉天狗って、やっぱり射命丸文の事だったのね」 ―――あの、そこよりも先に気にする事が他にあると思うんですけど。