巻の二十六「その日その日が一年中の最善の日である」 「久遠晶行動調査書 調査者:十六夜咲夜」 そうとだけ書かれた淡白な表紙で綴られている分厚い書類が、私の目の前に置かれていた。 これを提出してきた私が最も信頼する侍従長は、いつもどおりの瀟洒な態度で私の傍に佇んでいる。 ……これは、咲夜流のジョークなのだろうか。 自らのメイドから回された不可解なフリに、さしもの私もどう反応すべきか言葉に詰まっていた。 紅魔館の主として表面上は冷静に受け取ってみたが、内心はどういう言葉を返そうかで一杯になっている。 「何やってるのよ」――咲夜が私にこれを渡してきた以上、そこには何かしらの意味があるはずだわ。頭ごなしに否定すべきではないわね。 「……そんなに好きなの?」――確かに咲夜は晶を可愛がっていたけれど、ここまでするほどではなかったはずよ。却下ね。 「御苦労さま」――ね、労うの? このよくわからない報告書を提出したことを?「お嬢様?」 咲夜は、一向に反応を示さない私の態度を怪訝に思ったらしい。 ということは、この案件には私も係わっていたのかしら? まったく心当たりはないのだけど……いや、待った。 一つあった。たった一つ、これに関係していそうな命令を、彼女に下した覚えがあった。「……咲夜」「はっ」「確かに私は、「久遠晶の動向に注目しておきなさい」と言ったわ」「「面白い所があったら報告なさいよ」ともおっしゃられていましたね」 「ええ、そうね。―――だからって、こんな報告書まで作ってくるんじゃないわよっ!!」 報告書を、置いてあった机ごと一気にひっくり返す。 軽くとはいえ私の腕力で勢いよく回したため、机は高速で回転しながら天井へと向かっていく。 が、次の瞬間。机と報告書は何事もなかったかのように最初の位置に戻っていた。 私のお気に入り紅茶までしっかり用意している、その周到さが今は少しだけ腹立たしいわ、咲夜。「お嬢様、そのお言葉を口にするのは少々早いかと思われます」「……どういう事よ」「報告書をお読みいただければ分かるかと」 あくまで咲夜は、この報告書が「必要なモノ」だと主張するつもりらしい。 ……そういうことなら、検めさせてもらおうじゃないか。 私は意を決して表紙を捲った。 AM 7:00「起床」 吸血鬼との生活習慣の違いや、客人でありながら手伝いでもあるという複雑な立場から、対象の起床時間はある程度指定している。 対象は朝を苦手としているようで、しばらく布団の中で悶えた後、声ともつかない唸りをあげて上半身だけを起こした。 その後はしばらく、意味のない「あー」や「うー」等の呟きに合わせ頭を前後させ続ける。 時折ナイトキャップ(パジャマと合わせて、風見幽香より譲り受けた品であるらしい)のボンボンが顔に当たり表情を歪ませるが、意識の覚醒には至らないようだ。 ――以上の行動はすべて起床後のお嬢様と同じ行動パターンであり、何かしらの関連性が考えられる。「ないわよっ!!」 今度こそ、私は妨害されることなく報告書を床に叩きつけられた。 咲夜が驚愕の表情でこちらを見ているが、むしろその表情をしたいのは私の方だと言わせてもらいたい。 いや、むしろ言う。「私はここまで無様な真似を晒さないわっ!」「それはまぁ、寝ぼけているのですから当然ではないかと」「なっ―――」 確かに寝起きの記憶はアレだけど……で、でも、ここに書かれてるほど酷くはないわよ。きっと! いえ、そこじゃないわ。そこも問題だけど、そこだけじゃないわ。「咲夜……こんなプライベートな部分まで書き連ねているというの?」「面白い結果でしたので」 真顔で、本当に心の底から思っているような真剣な表情で、咲夜は頷いた。 久遠晶には、同情の念を送らざるを得ない。 この職務に忠実な侍従長は、おそらく本当に生真面目に「面白かった結果」を洗い出して報告書を書いたのだろう。 ……こういった部分は覗いてやるな、と言い含めるべきだったかしら。 まさか、寝起きの姿をこうも克明に報告するとは。「……待て、ということは咲夜。貴様は私の寝起き姿も面白いものだと」「いえ、お嬢様の寝起きは大変可愛らしいものとなっております、ご安心ください」 それはそれで不愉快よ、あと鼻血は拭きなさい。「とはいえ久遠様の寝起きが充分可愛らしいモノだったのも、また事実です。そういった点から報告している箇所も多々あります」 しれっと言い切る咲夜に、下した命令の意図を問いかけたい衝動に襲われた。 あれは、彼が本当に「運命」を託すに相応しい相手かを確かめるために言った事なのよ? そんな「ペット面白大百科」みたいな話を聞きたくて言ったわけじゃ無いのよ?「ですが命令の根底までは外しておりませんので、続けて報告書をお読みください」 再び机の上に戻された報告書を見て、小さく溜息を吐く。 どうやら彼女は、あくまでもこの書類を成果として提出するつもりらしい。 ……仕方がないわね。無責任に命令を下したのは私なのだし。 私の能力が「見るな、ガッカリするぞ」的な警告をしているのを無視し、私は報告書の続きに目を通した。AM 7:30「着替え」 対象が完全に意識を覚醒させるのに、結局30分ほどの時間を要した。 重たそうに体を動かしながら、対象はいつものメイド服に着替え始める。 初めの頃は、別途の袖を付け忘れたり、髪型を整え損ねたりと、身だしなみの至らない部分があった対象だが、今では、着用前に見せていた躊躇う素振りさえも無くなり、鏡の前で自分の髪型を何度も調整するにまで成長した姿を確認できた。 余談だが、そうやって髪型を整えた対象は、最後鏡の前で満面の笑みを浮かべる作業を日課としている。 共に観察していた烏天狗が一撃で沈黙するほどの威力を誇る日課だが、どうやら自身にも効果があるらしく、これを行った対象は顔を伏せたまま長時間沈黙してしまう。 それでもなお対象が日課を行う理由は不明。追加して調査する必要あり。「ふっ、なんだ。久遠晶も私が決めた髪型を気に入ってるんじゃないか」 私が髪型を整えてやった時には、世界の終わりのような顔をしていたというのに。 カワイイ奴め。今度髪留め用に私とお揃いのリボンでもくれてやるか。「しかし咲夜、ひとつ聞きたい」「何でしょうか」「……ここの、『共に観察していた烏天狗』のことだが」「射命丸文ですが」「いや、それはわかっている」 問題は、なぜソイツがお前と一緒に犯罪ちっくな観察行為を行っているのか、という点なのだが……。 まぁいいか。元々取材のためには手段を選ばんやつだ。 きっとその行動も新聞作りの一環なのだろう。そう思う事にしよう。AM 9:00「訓練」 一時間程の沈黙と軽い朝食を挟み、対象は表門へと移動する。 対象は自身の能力をより使いこなすため門番に師事したようで、空いた時間を門番の下で過ごす事が多い。 現在安静の身である対象は、「気」の効果的な扱いを学習中であるようだ。 自らの肉体の治癒速度を促進させているため、本来よりも早い回復効果が見込まれる。 追記:対象の訓練を名目にして、門番が居眠りしているのを確認。罰則、ナイフ二本。「なるほど、美鈴に能力の使い方を習い始めたか……」「美鈴も満更ではないようで、気の使い方から身体の動かし方まで丁寧に教えています」「ふむ、仲が良くて結構な事だな」 つい先日その二人が殺し合っていた事も、うっかり忘れそうになってしまうわね。 そりゃ、二人とも本意で戦っていたわけではなかったのだけど。 片や絶対安静の大怪我、片や能力を写し取られた身だと言うのに、何の遺恨も残さず付き合えるなんて……。 ――本当に、何で仲がいいのかしら、あの二人。「相性が良いのではないかと。特に用事が無いときでも、二人で雑談している姿を良く確認できますので」「そ、そういう他愛ない会話も記録しているのか?」「いえ、会話まではさすがに。ただ、二人の雑談が長時間に及ぶ場合、美鈴に「忠告」する必要がありますので」「……あまり締め付けてやるなよ」「畏まりました」AM10:00「仕事」 家事手伝いの一環として、対象に紅魔館の清掃を手伝ってもらった。 特記事項:無し 「……咲夜、むしろこういう公的な内容こそ細やかに記録すべきではないか?」「特筆する事がありませんでした」 つくづく思う。もう少し別の言い方をするべきだったと。 まぁ、要するに「面白くない」真っ当な仕事ぶりを見せたんでしょうね。 ダメだったらダメと、咲夜ははっきり言うもの。 とりあえず、妖精メイドよりは使いモノになるという事が分かっただけでも、良しとしておきましょうか。AM12:00「昼食」 仕事を中断し、対象と共に食事をとる。 参加する顔ぶれは毎回変化するが、今回は偶然にもお嬢様を除いたほぼ全員が揃った。 その後、食事はさしたるトラブルもなく終了。 特記事項:やはり無し。強いて言うなら対象のジョークで花の妖怪が呼吸困難に陥り、パチュリー様が喘息悪化で療養室行きになった程度。 「え、何よそれ。何を言ったら、あのしかめっ面の顕現みたいなパチェが喘息悪化させるほどに笑うと言うのよ」 おまけに、フラワーマスターが呼吸困難? そりゃ、あの妖怪はいつもニコニコ笑ってるけど。 そこまで笑う事態は、稀と言うより最早異変よ?「ぷふっ、そ、その、私の口から説明すると面白さが半減してしまうので……くくっ、詳細は久遠様から、ふふふっ」 さ、咲夜が笑いを堪えながら報告している!? 思い返すだけで笑ってしまうような会心のジョークだったと言うの!? 気になる。すっごく気になるっ。 っていうかその部分を特記しなさいよ。この報告書、そういう趣旨じゃなかったの!?「お嬢様、次の項目へ。この項目に留まられると、色々思いだしてしまって私に危険が。くふふっ」「ひょっとして貴女、わざとやってない?」「はぁ、何の事でしょうか」「……次何かやらかしてくれたら、私の怒りが有頂天に行くわよ」「肝に銘じておきます」PM 3:00「読書」 昼食後しばらく清掃を続けた後、対象は大図書館で休憩をとる。 なお、夕食の時間になるまで対象が図書館から出てくることはない。 この日はパチュリー様が不在だったが、在住の場合は互いに薦めた本を読んでいるようだ。 その間に交わされる言葉は、「それはダメよ」「どうぞ」「はい」「ありがとう」の四つのみ。 対象とパチュリー様の親交も、順調に進んでいるようだ。「それは順調と言うの!?」 確かに、熟年期入った夫婦みたいな会話だけど! 色々間違ってるでしょう? 夕食まで一緒に居てそれだけなの!?「ほ、本当に仲が良いのかしら、それは」「違いないかと。小悪魔からお墨付きも貰いました」「……あの子は最近、目に変なフィルターがかかってるから駄目だと思うわ」 知ってる? あの子の中では貴女と美鈴、禁断の関係になってるのよ? ちなみに私は、博麗の巫女に懸想しているそうよ。 一応言っておくけど、「私のモノにしたい」という言葉にそういう意味は無いわ。 あ、いや、ちょっとはあるかもしれないけど。本当にちょっとだけよ?「そうかもしれませんね。「魔理沙さんと久遠様の間で揺れるパチュリー様の乙女心……ドキドキする展開です」とか言ってましたし」「今度パチェに、あの子を再教育するよう言っといて」「畏まりました」 娯楽に飢えているのかしらね……。 パチェと久遠晶の関係改善と合わせて、少し考えておく必要がありそうだわ。PM 7:00「夕食」 お嬢様の起床に合わせ、対象の休憩も終了する。 この時間以降、対象は私と共にお嬢様付きの侍従として、お嬢様の様々な要望に応える事になる。 対象に与えられた役割は、お嬢様の話し相手。 意外と豊富にある対象の話に、お嬢様もご満悦していただけたようだ。 「ふむ、ここからようやく私も関わってくるのか」 私の記憶では、ここ最近ずっと久遠晶の顔を見続けている気がしていたのだが。 こうして客観的に見てみると、それも一日の半分にも満たない僅かな会話でしかないのだな。 咲夜といい久遠晶といい、人間の勤勉ぶりには毎回驚かされる。 しかし、そういえば……。「私は久遠晶から、ジョークの話をされた事はなかったな」 会話量だけで言えば、紅魔館で私ほど彼と話した奴はいないはずだ。 久遠晶が話題を出し惜しみしている様子も無かったのに、何故私はそのジョークを知らないんだろうか。「パチェリー様を療養室送りにした後悔から、久遠様がそのジョークを封印なされたからではないかと」「なるほど、それなら納得が――――ええええええっ!?」 な、なによソレ! それじゃあ私がそのジョークを聞ける機会がないじゃない!「咲夜ぁ! それなのに貴女さっき、久遠晶に聞けって―――」「はい。ですからお嬢様、是非ともご自身でそのお話を聞きだしてください」 なるほど、そういう事なのね。 確かに咲夜の言ってることはもっともだわ。 ……だけど、ジョークってそんなに苦労して聞き出すものなのかしら。 断言してもいいわ。そこまで手間をかけた時点で、どんな面白い冗談も白けてしまうでしょうね。「まったく……」 私は報告書を閉じて咲夜に投げつけた。 それを咲夜は、音も立てず受け取ってみせる。 私が登場した以上、一日を綴ったこの報告書に意味はない。 これから私が眠るまで、久遠晶はずっと私の傍にいるのだから。「どうでしたか、お嬢様」「どうもこうもないわよ。結局命じた事なんて、一つも書かれていないじゃない」 こんな報告書で、久遠晶が運命を託すに相応しい相手なのかなんて、わかるはずない。 分かる事は、たった一つ。 ―――久遠晶は、紅魔館でそれなりに上手くやっている。という事実だけ。 まったく、くだらないわ。 彼が紅魔館に問題なく馴染める事なんて、私はとっくに分かっていたわよ。「それでも、退屈しのぎにはなったわね」「そうですか」「ええ、思ったよりは楽しめたわ」 苦笑しながら、未だに温かい湯気を放つ紅茶に手をかける。 そのまま、朱色の液体を口に含もうとした私は―― 突如目の前に現れた三倍になった報告書に、思わずその動きを静止させた。「……え?」「では、次の報告書に目通しを」「こ、これで終わりじゃ無いの!?」「お嬢様がご命令を下してから十日間、ご要望に沿えるよう記録を続けて参りました」 そう告げる咲夜はいつのまにか、人が殺せそうな量の紙束を抱えていた。 ……そこに何が記されているのかは、最早推測する必要もあるまい。「も、もういい。貴様の忠義、確かに受け取った」「そうはいきません。面白いものを見せると言っておきながら、お嬢様を退屈させてしまってはメイドの名折れ」「ええっ!? 本当にそういう意図で記録してたのっ!?」 久遠晶がちゃんと紅魔館に馴染めているかを、湾曲的に報告するためのモノじゃなかったの!? 私の驚愕の言葉に、咲夜の顔色が変わった。 表情は変わらないけれど、明らかにムッとした事が雰囲気から感じ取れる。 ……しまった、ついうっかり。「次は、きっと次は面白いのでご安心ください。さぁ、御嬢様!」 ―――今度は、運命を覗かないでも分かるわ。 全部読み切るまで、きっと咲夜は私を解放しない。 さらに追加される報告書の束を見ながら、私は頭痛を抑えるため紅茶を飲みほした。 これもまた、主としての勤めなのね。 最後まで変わらないであろう評価をどうやって咲夜の望むように言いかえるか考えながら、私は次の報告書に手を伸ばすのだった。おまけ:昼食の一幕晶「……眠い」文「どうしたんですか、目の下に凄いクマがありますよ?」晶「吸血鬼の生活スタイルは、とことん人間に遭わないッス」幽香「……空いた時間で眠りなさいよ」晶「僕、明るいとどんだけ眠くても眠れない体質なの」美鈴「不憫ですねぇ。私なんていつでもどこでも眠れふぎゃっ!?」晶「(相変わらず学習しないなぁ)ところで咲夜さん、さっきから何書いてるんですか?」咲夜「お気になさらず。久遠様はいつもどおりに振舞ってください」パチェリー「……ここまで明け透けにやられたら、もう感心するしかないわね」小悪魔「そうですねぇ」晶「……なんの話か分からないけど、なんか泣けてきた。これは何なんだろう」