巻の二十二「子は三界の首枷」「かくして、異邦人たる久遠晶は新たなる可能性を発現し……発現し……はぁ」 紅魔館の屋根の上で、朝靄のかかった空気を払うように私は大きなため息を吐きだしました。 手にしているのは文々。新聞のネタを書き込む文花帖。 何度も継ぎ足しを重ねすっかり分厚くなったその手帳には、今度の新聞の一面を飾るであろう記事の草案が書かれています。 ですが……。「―――没、ですね」 最後まで書ききって、私は愛用の万年筆を仕舞いました。 ……結局、また記事に出来ませんでしたね。 文花帖のページを遡り、私はもう一つの没草案に目を通します。「『花の妖怪が人間をペットに!? 驚きの顛末!』……はははっ、これも記事にし損ねてましたね」 新聞という形にして、草案はようやく「記事」と呼べるモノとなります。 だからすでに推敲まで済ませたこの文も、やはり記事ではないのです。 ―――本来、文々。新聞に「没記事」はありません。 それは、私の中にブン屋としての確固たる自信と誇りが存在しているからです。 たとえ三流記事と言われようとも、私が捉えた真実を「記事」にするという、誇りと自信が。 そんな私が記事にしないと決めている例外事項は「私が関わった事件」だけです。 ゆえに、この記事も本来は草案すら書かれないはずなんですが……。「……言い訳がましいですよ、射命丸文。アレで『関わった』と、本気で主張するつもりですか」 私は、何もしていない。 風見幽香との弾幕ごっこの時にも、紅魔館へ「散歩」に行った時も。 ただそこに居ただけ。 久遠さんの危機を前にしても、何も。「―――はぁ」 何度目かになる溜息を吐きだしました。 きっと、私の幸せは急激に減っているに違いありません。 「私は、何がしたいんでしょう」 彼に付き添っているのは、「約束」のためでした。 ですが実際のところ、私が久遠さんに出来る事があるのでしょうか? ……私は、彼を護るつもりでいました。 ロクに能力を扱う事も出来ない、呑気で優しく、そして危なっかしい夢追い人の事を。「……全部、本気だったんですけどね」 取引を持ちかけた時の言葉に、方便はありませんでした。 自らの夢を語る彼の姿はそれほど綺麗で―――目をそらしたくなるほど、眩しいモノだったのですから。 ……幻想郷という世界は、悪い言い方をすれば閉鎖的な場所です。 ゆえに妖怪も人間も、自然と「自分があるべき形」に納まってしまう傾向にありました。 もちろん私は、それが悪い事だとは思いませんし、言うつもりもありません。 幻想郷ではそれが自然な在り方なのですから。 ですが――いえ、だからこそ、いなかったのかもしれません。 臆面もなく「自らがありたい形」を語ってしまう、そんな変わった人間が。「ですけど……」 私は、何もできていない。 世界を見せると言う約束も、彼を護るという約束も、何一つ守れていない。 ……だから、なんでしょうかね。 約束を守れていない私が、対価である彼の記事を書けないのは。「あー、情けない。伝統の幻想ブン屋がこの体たらく。普段の強気な私はどこにいったんでしょうか」「どこにいったのかしらねぇ」「……うぐっ」 いつのまにか、背後にはにこやか笑顔のフラワーマスターが。 最悪です。よりにもよって一番見られたくない妖怪に、体育座りでマジ凹みしてる私を見られてしまいました。「な、何の用ですか」「晶の調子が落ち着いたから、ワザワザ教えに来てあげたのよ。感謝なさい?」「……それはどーも。けど、ワザワザ貴女が教えに来なくても良かったんですがね」「紅魔館の連中は、主に合わせておねむの時間なのよ」 「あー、そうですか」 一時期は死んだ可能性すら危惧されていた久遠さんでしたが、思いのほか早く復活しました。 同じく早々に復活した美鈴さん曰く、「おそらく無意識に内功を練って治療を促進したのでは」との事。 ……さっぱり分かりませんが、【気を使う程度の能力】を持っている方は総じて回復力も高くなるという認識で良さそうです。 それでもまぁ、パチュリーさんがかけた治癒魔法の結果を含めても重傷患者扱いなんですが。 フラワーマスターの「気の扱いを覚える良い機会だし、残りは本人に治させましょうか」という無茶ぶりによって、永遠亭行きは阻止されてしまいました。 微妙に正論な所が腹立たしいです。 本当に、風見幽香はイジメとしか思えない提案を色々としていますが……全部それが、久遠さんの力になっているんですよね。 言うまでもなく、かなり無茶ですけど。「あら、私の顔に何かついているかしら? 役立たずさん」「…………ふんっ」 紅魔館の主であるレミリアさんは、久遠さんの治療場所を喜んで提供してくれました。 おかげで細やかに対応してくれるメイドと、もしもの時の治癒魔法の使い手が常にいる好環境を手に入れる事が出来たのですが……。 その結果、幻想郷最速の称号を持つ鴉天狗は何の役にも立たない置き物と化してしまったわけです。「貴女だって、役立たずじゃないですか」「私は、‘自分が役立たずだ’とは思ってないわ」「……………っ」「――反論も出てこない、と」 心底呆れたように、私を見つめるフラワーマスター。 同じように久遠さんと関わる彼女が、彼に与えた影響は大きいです。 それはきっと、彼女が久遠さんにどう関わるかを決めているからなのでしょう。 私は―――決まっていると、思っていただけでした。 「貴女にはガッカリね」「な、なんですか突然!?」「何だか落ち込んでいるようだったから、立ち直れないくらい弄ってやろうかと思ったんだけど……その気も失せたわ」 肩を竦めながら、とんでもない事をぬかす花の妖怪。 こういう「らしい」ところを見れば、久遠さんへの態度がどれだけ異常か良く分かるというものです。 それにしても、随分と失礼な事を言ってくれるじゃありませんか。「私が落ち込んでいるですって? あやや、そんな事あるわけないですよ」「そう。なら、それでいいわ」 興味を失ったと言わんばかりに、フラワーマスターは屋根から飛び降ります。 その目には、中途半端な立場の私を蔑む冷たい意志が宿っていました。「落ち込んでなんか、いませんよ」 ただ、自分がここに居ていいのか、分からなくなっているだけです。 今更私に、見せられるものがあるのでしょうか。 今更私が、彼を護れるのでしょうか。 私は………。「―――――はぁ」 頭の中で、考えが堂々めぐりを起こしています。 ……それから、どれくらいの時間悩んだでしょうか。 気づけば、空では太陽がその姿を堂々と晒すようになっていました。 そんな中迷いに迷った私は―――「そうです。久遠さんにドロワーズを履かせれば問題ないんですよ」 結果、堂々めぐりし過ぎて思考が不可思議な領域に至ってました。 意味不明過ぎますね、我ながら。 こんな呟き、久遠さん本人に聞かれたらどんなことになるか。 「あの、ドロワーズは勘弁してもらえませんか……」「あ、あややややー!?」 本日二度目のしまったー!? よりにもよって、一番聞かれたくない妄言を一番聞かれたくない相手にっ。「ちちち、違いますよ!? 今のはなんて言うか、無意識下の願望が漏れ出ただけでっ」「何一つフォローされてないよっ!?」「久遠さんが女装の似合うキャラをしているのが悪いんですよ!」「挙句逆切れされた!?」 氷の翼でふよふよ浮いている久遠さんが、涙目になって下がりました。 ……ああもう、何をやってるんですか私は。 こんなくだらない討論をする前に、確認する事があるでしょう。 「す、すいません。ちょっと混乱していまして」「うん。尋常じゃ無いくらいしてたねっ! ビックリしたよ」「あはは……それで、久遠さんはどうしてここに?」 すっかり元気そうになった久遠さんですが、服の下からは包帯や湿布が覗き見えます。 確か、七曜の魔法使いから絶対安静を言い渡されていたはずですけど……。「幽香さんから、歩けるんなら動いて治せとご命令を受けまして」「……断りましょうよ、さすがに」「いやー、上手い具合に乗せられちゃって」「なんと言われたら、重傷患者が能力を使ってまでうろつく様になるんですか……」「あの鴉天狗が屋根の上で柄にもなく泣いてるわ、って」「……そんな嘘に、乗せられないでくださいよ」 というかあのフラワーマスターも、なに久遠さんに吹き込んでいるんですか。 今の私に、興味がないと言ったのは貴方でしょう。 意外と優しいところもあるんでしょうか? ……本当に久遠さんを動かすための方便だった気も、しないでもありませんが。「まったく、子供じゃないんですから、理由もなく鴉天狗が泣くわけないでしょう」「あー、うん。僕もまさかとは思ったんだけど……心当たりもあったからさ」「心当たりですか?」 はて、何かありましたっけ? 久遠さんの言う「心当たり」が見つからずキョトンとしていると、彼が突然頭を下げました。 へ? ど、どういう事ですか?「ごめんなさい!」「あ、あやや?」「何度も注意されたのに、無茶ばっかりして本当に申し訳ないっ!!」 ……ああ、そういう事ですか。 確かにそういう約束もしていましたね。 一度も守られた事がなかったので、私もすっかり忘れてましたよ。 まぁ、仕方ないですよね。「……幻想郷では、無茶のうちに入りませんよ。あんな事も」「ほへ?」「あの約束は、「普通の人間」だった久遠さんに必要だったモノですから」「普通じゃないって―――確かに、反論はできないけど」 ……そう、なんですよね。 私が交わした「約束」が必要だったのは、会った頃の久遠さんなんです。 様々な経験を経て成長した今の久遠さんに、私との約束が必要なわけではありません。「私が居る必要は、ないんですね」 今、分かりました。 記事が書けなかった理由は、怖かったからなんです。 自分の存在意義が無い事を知ってしまうから、書く事が出来なかったんです。 ……けれど、いい加減認めてしまいましょうか。私がもう、久遠晶に不要な存在であると。 少し、寂しいですけどね。「はわわわわ!? ゴメンナサイ、ゴメンナサイ、本当にゴメンナサイ!」「ちょ、く、久遠さん!?」 涙目が号泣に変わりましたよこの人!? 凄まじい勢いで私に詰め寄ってくる久遠さん、はっきり言って少し怖いです。「うわぁぁぁぁああん! もう無茶な事しませんからぁぁぁぁ、見捨てないでくださいよぉぉぉおおおおお!!」「ゆ、揺さぶらないでください。な、ななな、何でそんな話になってるんですかっ!?」「あうあうあうあうあう、ごめんなさいなのですごめんなさいなのですごめんなさいなのです」「キャ、キャラが変わってますよ!? 落ち着いてください!」 というか、何故そこで貴方が慌て出すんですか。「ううっ、もう幽香さんに命令されて突貫する事もしな……いや、それは置いといて」「……むしろそこを優先的に直して欲しいんですが、まぁそれよりも」「はい?」「何でそこまで、必死になって引き止めるんですか?」「………………………………………………………………………………………………………………………………へ?」「いや、ですから―――」「 」 今度は無音で泣きだしましたー!? ぼろぼろという擬音が似合いそうな大粒の涙を流しながら、久遠さんは棒立ちしています。 ああ、何だか良く分からないけど罪悪感が!?「……射命丸さん」「は、はい」「今まで大変お世話になりました。もう、あな、あな、貴方の迷惑に、に、に」「な、泣きながら無理やり話さないでくださいよ!?」「すいません。ぼ、ぼ、ぼ、僕、射命丸さんが無理に付き添っているなんて、ぜ、ぜ、ぜぜ、ぜ、全然、気づかなくて」 ハンカチで目じりを押さえながら、つっかえつっかえ語る久遠さん。 ……えーっと、これはどういう事なんでしょうか。「いや、その、私は全然嫌だったとか思っていませんよ?」「じゃあ、じゃあ、そ、その、な、ななな、なんで」「……約束を、護れそうにないので」 顔からいろんな水を垂れ流しつつある久遠さんを宥めつつ、正直に告白します。 ああもう、小さい子供を宥めている気分ですよ。 成長したとか言った矢先にコレですか。本当にもう、面倒のかかる人ですね。「そういう事ですから、私は――」「え゛ぐっ、射命丸さん」「はい、なんですか?」「……約束ってなんでしたっけ?」 わぁい、そうきましたか。 いや確かに私も忘れていた約束がありましたよ? ですけど、私達の関係の根本にある取引の事を完璧に忘れてるってどうなんですか。「私があなたの記事を書く代わりに、幻想郷を見せるって言う話ですよ」「……ああ、なるほど」 マジですか。マジ忘れですか。 あんまりな展開に、怒りよりも先に呆れが湧き出してきましたよ。「はぁ、どうしてその事を忘れられるんですか、貴方は」「あはははは、すいません。いつの間にか射命丸さんが居る事に疑問を抱かなくなってまして」「………まったく、何ですかそれは」 こっちが自分の尊厳すら危うくしながら悩んでいたというのに、疑問すら抱かなくなったって。 その、正直に白状するとかなり嬉しい言葉ですけど。 真面目に色々考えていた私が馬鹿みたいじゃないですか。「んー何だろう」 いつのまにか涙を引っ込めた久遠さんが、眉間にしわを寄せて悩み始めました。 どうやら、自分で自分の言葉の意味が分かっていなかったようです。 まったく気の抜ける人ですよ。 とりあえず、怒るのは次の言葉が出るまで待つ事にしましょうか。「きっとさ――――僕は射命丸さんの事を、身内みたいに思ってたんだよ」「……あやや?」「兄弟とか姉妹とかいなかったけどさ、「姉」がいたら射命丸さんみたいな人なのかなーって」「な、何を言ってるんですか。久遠さんには紫ねーさまがいるじゃないですか」「あの人は……どっちかというと憧れの人って感じで、姉って言うほど気安くなかったからさ」「そう、なんですか」 ――――まさか、姉と呼ばれてしまうとは。 確かに私も出来の悪い弟と接している気がしていましたが。 久遠さんの口からも、そんな言葉を聞かされるとは思いもしませんでしたよ。「そうですか。姉ですか」「えっと、射命丸さん? その、やっぱり身内は言い過ぎでしたかね?」「うふふふふ、なるほどなるほど」「……あ、あのー?」 お互い姉弟みたいなものだと思っていたのなら、これはもう本物の姉弟と主張しても問題ありませんね。 久遠さんが弟ですか……ふふふ。 いえいえ、待ちなさい、違いますよ射命丸文。 姉弟がそんな他人行儀な呼び方をするのは正しくありません。ここは姉弟らしく、お互いに正しい名称で呼び合おうじゃありませんか。「久遠さん―――いえ、晶さん」「ほ、ほへ?」「そういう事なら不肖、この射命丸文。貴方の姉となりましょう」「は、はぁどうも」「ですから、私の事は是非とも「文お姉ちゃん」と」「―――へっ?」「姉弟間なんですから、呼び方もフランクに行きましょう。ですから、「文お姉ちゃん」と」 私の必然的な主張に困惑する晶さん。 まったく、恥ずかしがり屋さんなんですから。「ちょ、ちょっと待ってよ射命丸さん。そりゃ身内みたいなモノだと言ったけど、いきなりお姉ちゃんってのは―――」「なら「文姉」でもいいですよ? あ、むしろそっちの方が特徴的で良いですね、そっちでいきましょう」「いやいや、問題はそこじゃなくて」「りぴーとあふたーみー、「あ・や・ね・ぇ」さんはいっ」「…………あ、文姉」 ――――――――その時、私に衝撃走る。 なんでしょうか、この胸の奥から込み上げる筆舌しがたい衝動は。 照れくさそうに上目遣いで私を呼ぶ晶さんを見た瞬間、歓喜と幸福と慈愛とその他諸々とが混ざった感情の波が私に襲いかかりました。 ああ、そうか。私は遂に見つけたんですね、成長した晶さんとの新しい関係を。「晶さん!」「わぷっ」 私は晶さんを抱き締めました。 胸元でジタバタしている晶さんを見ていると、先ほどまでの感情が倍増される気がします。「私は決めました! 貴方を、どこに出しても恥じる事のない立派な天狗に育ててみせます!! ええ、お姉ちゃんに任せてください!」「あ、文姉……苦しい。あと僕は人間なんですけど――」「今こそ分かりました! 私は貴方の姉となるために出会ったんです!! そうです、そう決めました!!!」「わか、分かったから、息が、息が」 まるで天啓を得た賢者の様な気分の私は、晶さんを抱えたままグルグルと喜びを表現するため回り続けました。 ――――その後、窒息プラス回転によるダメージで晶さんが再び生命の危機に晒されたため、私は色んな人にたっぷりと叱られる事になるのでした。 おまけ 無音で泣き出す晶(SD白黒)(http://www7a.biglobe.ne.jp/~jiku-kanidou/tensyouka22sd.jpg)