巻の十九「上に交わりて諂わず下に交わりて驕らず」 吸血鬼からアフタヌーンティーのお誘いを受けた僕らは、紅魔館の裏側へと案内されていた。 何でもこの館の主は、典型的な吸血鬼らしく日の光が苦手なんだそうだ。 そのため外でお茶をするためには、日陰に行く必要があるそうなんだけど……ここでその主が注文をつけてきたんだそうな。 曰く、「陰気臭いところでお茶をするなんて絶対ヤダ」とのこと。 ……なかなかに無茶を言う妖怪である。それでも条件を満たす場所を見つけたメイドさんは、凄いとしか言いようがない。 そう言った経緯で出来たお茶会の会場は、当然と言うかなんというか結構な距離がある。 だからおかげで、紅魔館の庭をゆっくり眺める余裕が出来たと言えば出来たんだけど……。「ううっ、そりゃ居眠りしていた私も悪かったですけど。忠告よりも前に投擲ってのは乱暴すぎやしませんか、さすがに」「あーはいそーですねー」「分かってくれますか、嬉しいですよぉ。パチュリー様もレミリア様も、自業自得だとか言うだけで全然助けてくれないんです」「あーはいそーですねー」 シラフなのに酔っ払い状態な門番の相手をさせられているせいで、景色なんて見ていられません。 一応お客扱いのはずなのに、何故。 ちなみに門番は、紅魔館の主に職務怠慢を咎めてもらうためついてきているんだそうです。 客人の前で部下を叱るってどうよとは思いましたが、幽香さんが受け入れたので僕も文句は言いませんでした。 その際、幽香さんの瞳が怪しく光った気がするのは気のせい。きっと気のせい。「そうですよね、そうですよねー。いやー、話の分かる妖怪さんですねー」「いえ、僕は人間です。久遠晶と言います」「へぇー、そうなんですか。私は紅美鈴、美鈴でいいですよー。よろしくお願いしますね、晶さん」「よ、よろしく美鈴」 えらい軽いノリで返されたなぁ。 門番――美鈴は、先ほどまでリアル黒ヒゲ危機一髪な状況だったにも関わらず、能天気に上司の愚痴を零している。 現在、彼女の上司が先頭を歩いているのにかかわらず、だ。 ……凄い人、もとい凄い妖怪だ。やっぱり。「ところで晶さん、人間なのになんでこんなところにいるんですか? しかもヤバい妖怪を二人も連れて」「成り行き、としか説明できないけど……ヤバい妖怪って誰の事?」「……え゛っ!?」「ほへ?」 なぜか、何気なく返したはずの言葉で驚かれてしまった。 ナイフが突き刺さった時でさえ、何だかんだで落ち着いていた彼女が驚くとは。 ……僕、何か変な事言ったかな?「えーっと晶さん。聞いていいですか?」「答えにくい事でなければ……」「そこの鴉天狗について、どう思っています?」「射命丸さんは誠実で親切な妖怪だと思ってるよ。色々面倒も見てもらってるし、頼れるお姉さんって感じかな」「……フラワーマスターは?」「幽香さんはちょっと厳しいところもあるけど、優しい妖怪だよね。尊敬してるよ」「うぇぇぇええええええええええっ!?」 うええってなんだよ、うえええって。 自分で聞いておきながら、彼女はありえない叫び声を上げて後ずさる。何とも失礼な話だ。 しかも美鈴はさらに、先頭のメイドさんの肩を揺さぶりながら僕を指さしてくるし。 失礼の極みだ。これは訴えても許されるレベルじゃないか。「さ、さささ、咲夜さん! あの人、あの人おかしいですよ!!」「私もそう思うけど、お客様に失礼でしょう美鈴。少し落ち着きなさい」「ぎゃふんっ!?」 まぁ、当然の結果として美鈴はナイフの餌食になった。 けど「私もそう思う」ってメイドさん……さりげなく酷いですよ。「門番が失礼しました。礼儀のなっていない輩で……後で躾けておきます」「あ、いえ、別に気にしていません。大丈夫です」 と言うより、ナイフが刺さった時点で制裁は終わったと思っていたのですが。 この上まだ何かするのでしょうか。 紅魔館恐るべし。でも、身内に対してその恐ろしさを発揮するのは正直どうよ? 美鈴も怯えてるよ? 半分以上自業自得だけどさ。「そうね、躾はペットの教育に必要な事だから、十分気をつけなさい」「その忠告は素直に受け取っておくわ。是非とも貴方には効率的な躾の仕方を教えてもらいたいものよ、フラワーマスター」「ふふっ、アレは天然者、凄いでしょう? きっと貴女の主にも素敵で素っ頓狂な評価をしてくれるはずよ」 メイドさんの言葉から何故かペット談義を始める幽香さん。 そんな二人の視線は僕に。不思議っ! ……ああ、そういやペットって僕の事だったっけ。「…………そうですね。期待させていただきます」 メイドさんは軽く微笑んで、いつの間にか止まっていた歩みを再開させた。 知ってますか? そういうのを、世間一般では無茶な前フリと言うんですよ? 自分に良く分からない期待がさらにかけられたのを感じて、僕は小さくため息を吐いた。 ああ、やっぱりただのお茶会で済みそうにないなぁ。「頼りになるお姉さんですか。あやや、これは困りましたね」「……う、ううっ、今日はナイフ飛来率が非常に高いです。厄日です」 ところで、何故か惚けている射命丸さんと庭を真っ赤に染めんとしている美鈴は、ほっといてもいいんでしょうか? 「あちらが会場となっております」「え、あそこ?」「そうですけど……何か問題が?」「い、いえ、何も」 色々言いたい事はあるけど、あの矛盾した条件を満たす方法はこれしかなかったんだろう。 僕は、思わず出かかった言葉を何とか引っ込める。 確かに、‘ソレ’は日除けや雨宿りの目的を持って使われる代物だ。 茶会に相応しい場所に立ててしまえばあっという間に吸血鬼専用の会場が出来上がるのだから、‘ソレ’見つけてきたメイドさんの根性は素直に賞賛するべきだと思う。 だけど……。「あれは何です? 鋼の骨で家を組み立て、布で屋根を作るだなんて」「『スワローテント』というものらしいわ。贔屓にしている道具屋で買ったのよ」 運動会とかで使うテントの下でアフタヌーンティーって……シュールにもほどがあるだろうに。 どうやら幻想郷には、簡易テントというものが存在しないらしい。 いや、テント自体はあるだろうけど、それが外の世界でどう使われているのかまでは知られていないようだ。「道具屋? ああ、あの魔法の森にある……」「大きすぎて扱いに困っていたみたいだから、格安で手に入ったわよ。布に書いてある文字が気になりはしたけどね」「結構掠れてますね。読み取れるのは『小学校』の部分だけでしょうか。……小学校?」「店主も意味は分かってなかったみたい。色々考察はしていたみたいだけど、興味無かったから覚えてないわ」 ……あえてツッコミはすまい。 ここで正直に言葉の意味と使用の意図を説明したら、きっと色んな角が立つ。 幻想郷に来て磨かれつつある僕の直感が、そう訴えている気がした。 射命丸さんとメイドさんのズレたやりとりは黙って聞き流そう、幻想郷で常識に囚われていたらやっていけない。 僕は他の二人に倣い、黙ってメイドさんについていった。 大した距離はなかったので、あっという間にテントの前に到着する。「レミリアお嬢様、客人――久遠晶様と付き添い二名を連れてまいりました」「ご苦労。下がって紅茶の準備を」「畏まりました」 メイドさんが移動する事で、テーブルに座った少女の姿が明らかになった。 レミリア・スカーレット―――紅魔館の主にして『永遠に紅い幼き月』と呼ばれる吸血鬼。 その容姿は、僕が考えていたよりも遥かに幼く。しかし、僕が考えていた以上の威厳に満ち溢れていた。 病的なほど白い肌と宝石のような赤い瞳が、人形のような美しい顔立ちの彼女に人ならざる者としての魅力を与えている。 しかしそれよりも目につくのは、薄い紅色で統一された服の背後から生えている蝙蝠の翼。 なるほど、何とも分かりやすく吸血鬼しているじゃないか。 少なくとも、要素ゼロで河童と主張する某N・Kや、何の妖怪かも判別付かない某Y・Kさんよりは親切な外見をしていると思う。 あ、ごめんなさい幽香さん。何かを察してこちらに笑いかけるのは止めてください。ごめんなさい。「ようこそ紅魔館へ。私はこの館の主、レミリア・スカーレットだ。突然の招きに応じてくれたお前に、まずは感謝の言葉を送らせてもらおう」 レミリアさんは、そう言って妖しげに微笑む。 紅魔館の主に相応しい威厳ある態度に、緩んでいた気分が引き締まった。 彼女は思っていたよりもずっと、上流階級的な立ち振る舞いをする妖怪だ。 いつも通りの態度を通せば、それだけで無礼者になってしまう。 僕は佇まいを直し、招かれた人間に相応しい挨拶を返すことにした。「こちらこそ、お招き感謝しています。私は外の世界よりこの地に訪れた人間、名を久遠晶と申す者です。以後、お見知り置きを」「ふふっ、幻想郷で会った人間の中では一番社交的な態度だな。だが、そのように畏まった物言いではせっかくの紅茶の味も分からないだろう? 遠慮せず、お前本来の態度で振舞うと良い」「自らを不相応な立場に持ち上げる気はありません。招待された身として、畏まる事は当然かと存じ上げます」「そこに畏怖が混じっていれば、私もお前の態度を是としたろう。しかし恐れも敬いもしない者に畏まられても、私に不快以外の感情は生まれないよ」「……えっと、一応僕なりに敬意とかそういうのを込めたつもりだったんですが」「欠片も感じなかったな」 無礼者ごめんなさい。 思わず平伏しそうになる気持ちを抑え、苦笑だけをレミリアさんに返しておく。 素直に謝罪しても、根本的な原因となった部分を理解していなければ誠意ある対応にならないだろう。 にしても、畏怖も敬意も無いときますか。僕としては、どっちもある程度は入っていると思ってたんだけどなぁ……。「晶ですものね」「久遠さんですからね」 いつのまにか席についていた二人が、ため息交じりに同じような意味合いのセリフを呟いた。 何それ、僕であるってだけで不敬の理由になるの? それからほぼ初対面の美鈴さんや、僕の後ろで「なるほどなるほど」とか言って頷くのは止めてもらえませんか。「この世界は、「在るがまま」を好む。あらゆる幻想を受け入れるためだな。おかげで、礼儀を弁えん輩が多くて困るよ」「誰の事かしらねぇ」「あやや、誰の事でしょうか」「……猫かぶりの得意な妖怪は多いようだがな。だがそれもまた幻想郷の美しさだよ。無礼者ばかりでも、決して不愉快ではないね」「この前、魔理沙さんに侵入された時には不愉快だってあぶっ!?」「心のままに振舞え、それが幻想郷における最大限の礼儀だ。くくっ、簡単だろう?」「はぁ……そうですね」 なんだろう、すごい良い事を言っているはずなのにこの違和感。 射命丸さんに「天狗になっちゃダメですよ」と忠告された時と同じ、お前が言うな的な気持ちが……。 き、気のせいか。気のせいだね。気のせいという事にしておきますはい。 だからメイドさん、密かに背後をとるのは止めてください。「分かればいい。ならばお前も座り――」「なんだ、まだ始まってなかったの」「はぐっ!?」「…………はぐ?」 今、紅魔館の主らしからぬ鳴き声が聞こえてこなかった?「ご、ごほん! 気にするな。気のせいだ」「気のせい? でも……」「気のせいだって言ってるでしょ! 流しなさいよっ!!」「は、はひっ!? 分かりました気のせいですゴメンナサイ!」「……ぷっ、くくっ」「文、笑うのは二人に失礼よ。ふふふっ」 そういう幽香さんはいつもより楽しそうですね。 ここまで来ると、僕も何となく違和感の正体がつかめてくる。 なるほど、猫かぶってたのは僕らだけじゃ無かったと言う事かぁ。 ま、まぁ紅魔館の主という立場ある人間――もとい妖怪なら、そういう態度をとってしまうのも当然だよね。 年齢相応の顔立ちになったレミリアさんを見ながら、僕はそんな事を考える。 「―――っ!」 そしてそれは、しっかり彼女に伝わってしまったようだ。 説教した手前僕には怒鳴れないのか、悔しそうな彼女は威厳を粉砕する原因となった彼女を睨みつける。 薄紫の長髪と水晶のような瞳が特徴的な少女は、しかしレミリアさんの殺意ある視線を受けてなお飄々とした態度を崩さない。 むしろそんな紅魔館の主を観察するように、淡々とした表情で彼女の眼を覗き込んでいた。「……また、いつものカリスマごっこ?」 「カリスマごっこ!? 違うな、私は紅魔館の主として相応しい態度を――」「その言葉づかい、変よ」「パチェ、少しは私の話を聞きなさいよ! 今私は、こいつらに舐められないよう威厳をもって」「はいはい、カリスマカリスマ」「パーチェー!! もー! いいかげんにしなさいよぉー!!」 わぁ、かわいー。 すでにカリスマも威厳もへったくれもない様子の彼女に、出せる感想はこれしかなかった。 射命丸さんは机に突っ伏して笑うのに夢中で、呼吸出来ているかも怪しそうだ。 幽香さんも幽香さんで、この世の春と言わんばかりに満面の笑みを浮かべているだけで動こうともしないし。 何とカオスなお茶会だろう。これが本当に、幻想郷における最大限の礼儀なのか。 ……幻想郷は、まだまだ不思議で一杯なんだなぁ。「ねぇ、貴方」「ほへ?」 現実逃避していると、カリスマブレイクの原因である少女が話しかけてきた。 ちなみに、未だ憤ったままの吸血鬼はガン無視だ。「貴方がレミィの招待した人間?」「あ、はい。くお」「名前はいいわ。特別仲良くする気も無いから、イエスかノーで答えて」「……イエスです」 流れをぶった切って要点だけを聞き出す少女。 きっと彼女の辞書には、社交辞令という言葉が存在していないのだろう。 ……なんかこのノリ、どっかの七色の人形遣いを思い出す。 あっちはまだ取っ掛かりがあったけど、それでも全体的な雰囲気というか話題の切り出し方が何となく似ているような。「『七曜の魔法使い』パチュリー・ノーレッジ。紅魔館の大図書館を管理する貴女が、なぜこんなところに?」 射命丸さんの言葉で疑問が氷解した。 なるほど似ているわけだ。彼女も魔法使いだったんだ。 ……合理的で科学者気質な行動をとるのは、やっぱ魔法使い特有の傾向なのか。「説明的ね、鴉天狗。いつからそんな親切になったのかしら」「あ、あやや……」「どう考えても影響はあの子でしょうね、ふふっ」「……ふぅん」 パチュリーさんが、こちらを探るように見つめ回してきた。 彼女の、まるで心の奥底まで覗くような視線に何となく恥ずかしくなって一歩下がる。 ……そういえば、主賓なのに僕だけ座らせてもらってないぞ。 他二人の要領がいいだけなんだろうけど、何だか少し切なくなった。「ま、そこらへんの事も試してみれば分かるわね」「―――――はい?」「まずは様子見。コレぐらい避けなさいよ?」 ―――――――火符「アグニシャイン」 一瞬で、僕の視界全てが赤色に染まる。 理不尽な展開に疑問符をつける間も与えられないまま、巨大な炎が僕を包み込むのだった。