巻の十四「精神一到何事か成らざらん」 キリキリ、キリキリと頭の中で歯車が廻る。 幻想を具現化するための強固なイメージ。巨大な幻の機械が生み出す、確固たる力。 その源となる歯車が、大きな音を立てて廻り続けている。 ギリギリ、ギリギリと歯車が異音を鳴らす。 力を使えば使うほど、幻想が強くなれば強くなるほど。 噛み合わなくなる。歯車の廻る速度に、繋がれた機械が追いつかない。 キリキリ、ギリギリ、キリキリ、ギリギリ。 歯車は止まらない。 廻れば廻るほど、違和感が強くなっていく。 それが何を意味するのか。今の僕には、何も分からなかった。 意識を失っていたのは、ほんの数分だったようだ。 視界が開けていく。身体の節々が痛い。 ……直撃を避けられたのは、本当に偶然だった。 氷翼の速さが無ければ、咄嗟の動きだけでは回避しきれなかっただろう。 それでも、余波には巻き込まれてしまったようだけど。 目の前の惨状を見れば、それがどれほど軽い被害だったのかがよく分かる。 えぐれた地面は、あまりの高熱に変質しかかっている。 空気は焦げ、風景を歪めて映している。 それどころか、世界が丸ごとひっくり返ったみたいにナナメに―――― そこまで把握して、僕はようやく自分が倒れているのだと気づいた。 体が動かない。立ち上がろうとする気力すら湧かない。「……ここまで、かしらね」 陽炎の向こう側に、幽香さんの姿が見える。 その視線に込められた感情は、落胆。 僕は、彼女の期待にこたえられなかったのか。「なんて事を……風見、幽香!!」 僕と彼女の間に、射命丸さんが立ちふさがった。 背後から表情を窺う事は出来ないが、明確な怒りが彼女の背中からも伝わってくる。「あら、いきなり失礼ね。全て同意の上での出来事よ」「弾幕ごっこにもルールはあります。これは明らかにやり過ぎです!」 幽香さんの視線が、初めて射命丸さんに向いた。 剣呑な雰囲気が流れる中、幽香さんは射命丸さんに対し微笑を浮かべる。 その笑顔には、明確な嘲りの色が含まれていた。「ヌルいわねぇ鴉天狗。その人間に感化されて、フ抜けたのかしら?」「なっ!」「確かに『弾幕ごっこ』には、人と妖怪が対等に戦うためのルールがあるわ。だけど、それは両者の安全を確保したルールではないはずよ」 彼女の視線が一瞬だけこちらを向く。 未だ立つことすらできない僕に対して、幽香さんは何かを伝えようとしている。「結局のところ、人間と妖怪が対等である事など出来ない。貴方も、それはわかっているのでしょう?」「……ええ、人間は生も短く力も弱い。そんな相手と対等である事は、わたしも難しいと思います。ですが」「対等であろうとする事は出来る、と?」「少なくとも、私はそう思っています」「そうね。私も、貴方ならそう難しい事じゃないと思うわ。力さえ振るわなければ、貴方は人間と同じ位置でいられるでしょうね」「随分、あっさりと認めるんですね」「私も似たようなものだからよ。こちらの領分を侵さないなら、相手の背伸びくらい目をつぶってあげられるわ」 彼女達の認識が、おそらくほとんどの妖怪が持つ人間への見解なんだろう。 それだけの差が人間と妖怪の間にはある。 僕もそれは知っている―――知っていたのだと、ずっと思っていた。 だけど今、僕は認識の甘さを痛感させられている。 思っていた以上の差が、人と妖怪の間にはあったのだ。「だけどね。妖怪にとっての’お遊び’が、人間を死に追いやる事はあるのよ。どう気をつけてもね」「例え「弾幕ごっこ」のルールがあっても……そう、言いたいんですか」「人は脆いわ。妖怪側の’情け’だけで、対等を気取り続ける事はできない」「それは……」「それでもなお、妖怪と対等にありたいと思うのなら……どうするべきだと思う? 晶」 はっきりと、彼女が僕の名を呼ぶ。 いつまで倒れた振りをしているんだと、咎めるように。 ―――ふつふつと、折れかけた心の奥から何かが湧き出してきた。 自分に対する怒りが、怠けていた心に活を入れる。 軋む身体を無理やりに動かして、僕は何とか立ち上がった。 どうするかなんて、決まっているじゃないか。「強く、なればいい。人間だとか妖怪だとか関係ないくらい、強く!」 幽香さんが最初に言っていた「知らなきゃいけない事」の意味が、ようやく分かった。 これからも妖怪と対等に接するというのなら、僕はそう出来る力を手に入れなくちゃいけないんだ。 いつまでも、『無知な外来人』という理由が通用するはずないんだから。「久遠さんっ……」「射命丸さん、下がって。まだ、弾幕ごっこは終わってないから」「もう止めてください! 立っているだけで精一杯の貴方に、何ができるって言うんですか!」「だけど倒れていないのなら、決闘は続けられるわ」「風見幽香っ!」「どきなさい鴉天狗、これは晶自身の意志よ」 ここで折れたら、僕はもう今まで通りの自分でいられない。 なんだかんだと理由をつけて、きっと妖怪を、幻想を避けるようになってしまう。 それだけは、認められないんだ。 たとえ死ぬような目にあうのだとしても、夢から目を背ける真似だけはしたくない。「射命丸さん、お願い」「久遠、さん」「ごめん。前に不用意な行動をとらないって約束をしたけど……無理だったみたいだよ」「…………そんなの、だいぶ前からそうじゃないですか」「ごめん」 僕の言葉に、射命丸さんは苦笑する。 少し泣きそうになっているのは、今は気づかないフリ。 本当にごめん。後で、山ほど怒っていいから。「死なないでくださいよ、久遠さん。私はまだ、貴方の記事を全然書けていないんですから」「うん、頑張ってみる」「そこはもう少し、力強く答えてくださいって」 とはいっても、勝ち目がない事には変わりないからね。 もう氷翼を展開して飛ぶことも難しそうだし。 あれ? これってリンチフラグ? ―――ど、どうしよう。「そういう小芝居はいいから、さっさとどきなさいって」「こ、小芝居扱いしないでください! もういっそ私とやりあいますかっ!?」「うざったいだけだから遠慮しておくわ」「……喧嘩売ってるなら買うわよ」「売る気はないからどきなさい」 射命丸さんが離れた時に、弾幕ごっこが再開される。 それまでに考えなければいけない。 でも、何をすれば? 僕に残された手段なんて、何もないというのに。「いや、違う」 気づけば、僕は自分の考えを否定していた。 何かが、頭の中に引っかかっている。 そう、何か根本的な部分を思い違いしているような、そんな違和感が。 ……もう一度、考え直してみよう。 僕の持つ力は【相手の力を写し取る程度の能力】だ。 それは、相手の『能力』を覚える力で――― ガキンと、頭の中で何かが外れる音がした。 気付いた。僕の「思い違い」に。 イメージの歯車が別の幻想に繋がる。 廻る、さらに速く。新しい幻想が、新しいイメージが、固まっていく。「……っ! …………、………」「……、……………」 二人の声が遠くなる。 意識が、力の顕現に集中しているんだ。 身体の痛みも、いつのまにか忘れていた。「………………っ」 射命丸さんが、最後に幽香さんに何かを告げて離れていく。 二人の表情から判断するに、さっきの口論の続きだろう。まだ続いてたのか。 ……そりゃ、明確な実力差があるんだから、彼女らに余裕があるのは当然だと思うけどさ。 こっちはシリアスに頑張ってるんだから、その緩い遣り取りは勘弁して欲しんですが。 何か真面目に頑張ってる僕、すごい馬鹿っぽくない?「さて、それじゃあ続きを始めましょうか」 あれ? 声が聞こえて……わー!? 集中、集中しないと!! 車のギア入れ替えみたいに、一度止まったら最初からやり直しとかだったらおしまいだっ。 集中して……して……えーっと、何をする気なんだったっけ? ガキンと、頭の中で何かが外れ――― 「わー、なしなし! 思い出したからナシ! 今の無しで!!」「……続けないの?」「あ、いえ。続けます」 チクショウ結局台無しかこのヤロウ。 もーいいさ、どーせ僕にシリアスバトルキャラなんてできませんよ。 そもそも格好つけられる状況じゃ無いしね! 迂闊に勿体ぶって、不発に終わったら最高にカッコ悪いからこれでいいですよ、ふんだっ。 な、泣いてなんかいないもんねっ。「というわけで、悪あがき一発お見舞いするんで動かないでください!」「いいわよ」「ありがとうございますっ!」 さすがに余裕あるなぁ。幽香さんは。 けど、その油断が命取りになるのだっ! ……いやいや、それはちょっと悪役過ぎない? しかも小悪党系。「久遠さん。調子が出てきたのはいいんですが、だいぶ情けないです」「と、とにかく! スペルカード発動!!」 まさしくその通りな射命丸さんのツッコミをスルーして、三枚目のスペルカードを宣言する。 ―――「思い違い」の正体は、幽香さんとの弾幕ごっこの中にあった。 それまで僕は、己の能力を「相手の能力をコピーする」ものだと思っていた。 幻想郷で出会った妖怪達の全てが、能力を基点に弾幕を行使していたためだろう。 だから、気付かなかった。 僕が写し取るモノは、能力ではなく‘力‘なのだと言う事に。 突き出した両手の先に、光が集束する。 この弾幕ごっこで、唯一三つの条件を満たした’力’。「あ、あれはっ!?」「いっくぞぉぉぉおおおおおおお!」 ―――――――転写「マスタースパーク」 両の手から放たれる光の奔流。 これが、僕の能力のもう一つの使い方だ。 名前を知り、技を知り、概念を知ったスペルカードを自分のものとする。 能力の模倣は【スキルコピー】、スペルカードの転写は【スペルコピー】と名付けておけば分かりやすいだろう。「……彼の力は、スペルカードのコピーまで可能なんですか」 射命丸さんが驚愕している。 当然だ。僕自身ですら、こんな能力の使い方があったなんて知らなかったんだから。 驚かなかったのは、たった一人だけ。「遅かったわね。もう少しで、この決闘に飽きてしまうところだったわよ」 この場でただ一人、能力の詳細を’知らない’妖怪。 だからこそ、僕より先にもう一つの使い方に気づいていた女性。 ―――――――起源「マスタースパーク」 幽香さんが、二枚目のスペルカード使用を宣言する。「……何となく、そんな気はしてたんです」「あら、何がかしら?」 激突する二つの光。 そうなると不利になるのは、やはり模倣である僕のスペルカード。 少しずつだけど、ゆっくりと僕のマスタースパークは彼女のマスタースパークに呑まれ始めた。「幽香さんは、最初からこういう展開に持ち込むつもりだったんでしょう? だから、あんな弄るような戦い方をしていたんですよね」「ふふふっ、勉強になったでしょう?」「はい。それはもう、色んな事を教わりました」 先に発動した優勢は、とっくにひっくり返っている。 これが地力の違い。人間と妖怪の間にある、埋めきれない実力の差。 一度は絶望しかけた。対等でいられない大きな理由。 だけど、今なら分かる。 この差は、ここが幻想郷だとしても――ここが幻想郷だからこそ、決して覆せないものじゃ、ないんだ! 「感謝してます。だからこそ礼として、貴方の期待に応えてみせますよ! 幽香さん!!」「嬉しい事を言ってくれるじゃない。いったい、何を見せてくれるというのかしら?」「――――人間の、底力ってヤツですよ」 廻る、幻想の歯車が。 今までよりずっと速く、噛み違える事も無く。 新しい力が、構築されていく。 「四枚目、発動します!」 ―――――――幻想「フリーズ・ワイバーン」 放たれる光の奔流が、変化していく。 青い光が僕の放った光を上書きし、幽香さんのマスタースパークと拮抗した。 予想した通りだ。どうやら【スペルコピー】で覚えた技も、他の力と組み合わせる事が出来るようである。 これは【冷気を操る程度の能力】を加えた、氷属性のマスタースパーク。 氷翼の時に学んだ『複合技』の特性を生かし通常以上の威力を出す事に成功した、現時点で最高の威力を持つスペルカードなのだ。 ……だけどこの技には、思わぬ誤算が二つあった。 この「フリーズ・ワイバーン」を使うと、凄く疲れるという点がまず一つ。 歯を食いしばってないと気絶しそうなんですが、いくらなんでも代償大きすぎやしませんか。 そしてもう一つが。「それで、これからどう逆転するというの?」「あ、あははははー」 ……今の僕が出せる最高威力の必殺技が、幽香さんのマスタースパークと互角でしかなかったという点だ。 相手が本気でないから、いろいろプラス要素マイナス要素合わせて何とか勝てると踏んだんですが。 これがあれか、獲らぬ狸の皮算用というヤツか。「……どうしよう」「ど、どうしていちいちオチをつけるんですか! 貴方は!!」「好きで落としたワケじゃないやいっ!」 いや本当にどうしよう、コレ。 少なくとも持久戦に持ち込んだら負ける。確実に負ける。むしろ勝てる要素がない。「何かないんですか! 作戦とか、策とか!」「無いですっ! 何も仕込んでません!!」「あれだけやられたい放題されたんですから、そんな大技使う前に小細工ぐらいしておいてくださいよぉ」「そ、それは違うよ、射命丸さん!」 そう、違うんだ。 最初は僕も、勝つために色々と小細工を画策していたけど。 そもそも最初に幽香さんが言ってじゃないか。 この決闘には、勝って得られる損得なんてないんだって。「戦いには、策を弄するべき戦いと、策を弄しちゃいけない戦いがあるんだ。そしてこの決闘は―――後者なんだよ」「あら、言うじゃないの」「……かっこつけるなら、せめてちょっとくらいは勝ち目を見せてください」「……頑張りますっ!」 ですよねー。 ううっ、こうなったら、倒れるまで力を注いでやる! どうせこのスペルカードが破られたら、もう打つ手はなくなるんだ。「はぁぁぁぁぁああああああああああああっ!!!」 力を注ぎこみ続ける。 少しずつ、青い光が勢いを強くしていく。 いつのまにか、両腕が凍っていた。 あまりに強すぎる冷気の光が、余波で周囲を凍結させているのだ。 凍っていく。大地が、花が、空気が。 威力が強まると共に視界が狭まり、意識が遠のいていく。 また、何かが凍る。 もうそれを確認する余力も無いけど、二人の驚愕だけは伝わってきた。 よし、ここで一気に押し切る!!「これで、ラストぉ!!」 全力で意思をつぎ込むと、青い光がさらに肥大化する。 同時に、一気に意識が闇に沈んでいく。 ……どうやら、僕の意地が生み出した結果を見る事は出来ないようだ。 だけど、最後の最後で一矢報いる事は出来たかな? すでに何も確認できなくなった目を閉じて、僕はゆっくりと倒れていった。 そんな僕が、あの時点で互いのスペルカードが一枚ずつになっていた事に気づいたのは、目を覚ました後の話だった。 そういえばスペルカードって、相手が使い切っても勝ちになるんだったよね。 なら、とりあえずあそこで仕切り直して戦っていたら結末は変わったんじゃ……。 い、いや、あの時は正面から戦う事に意義があったんだから、ほら、えーっと、特に問題はないけど問題じゃん、それは。 それに、身体の方もだいぶギリギリだったはずだし! 普通にそこそこ動けてたけど! たぶん!! ……ううっ、結局最後も締まらないオチになるんだよなぁ、僕って。