巻の十三「藪を突突いて蛇を出す」 互いに、スペルカードを提示する。 僕は五枚。幽香さんは三枚。 この二枚の差が、明確な実力の差を表していた。「先手は譲るわ。どうぞ」「それは、どうもご丁寧に」 彼女の態度は変わらない。 泰然としたまま、僕の出方を窺っている。 サービスのつもりなんだろう。 確かに、こういった勝負では先制の方が有利だ。 ただし残念ながら、今回のハンデは何のアドバンテージにもならないのだけれど。 何しろ、僕のスペルカードは一枚を除いて全てコピーなのだ。 オリジナルの「ダンシング・フェアリー」ですら効くかどうか怪しいというのに、他の劣化した弾幕が通用するとも思えない。 せめて相手が油断しているのなら、付け入る点もあるんだろうけど。「ふふっ、隙を窺っても無駄よ?」「そうとも言い切れないですよ。どんな強い妖怪だって多少の隙は……」「それを、素人の貴方が見切れるのかしら」「………無理です」 ただの人間相手でも、幽香さんは舐めてかかるような真似はしないようです。 笑顔で佇んではいるけど、その瞳の奥に輝く光は冷静にこちらを見据えている。 下手な弾幕は、無用な怒りを誘い貴重なチャンスを潰す。 つまり、選択肢は一つしかないわけだ。 こっちの持つ最大攻撃力を誇るスペルカードによる、先制攻撃。 不意を打つ事も、油断を誘う事もしない、速攻という名の『フェイント』をかけるのだ。 だけどそれって外した瞬間に勝敗が決定するって事でもありますよね。 相手も、それくらいの浅知恵は予想しているだろうし。 ……やっぱり、「アイシクルフォール」とかで様子を見た方がいいのかなぁ。ううっ。「久遠さーん、今すぐにでも貴方を確保して逃げましょうかー」「だ、大丈夫ですっ!!」 しぶしぶながらも距離をとってくれた射命丸さんからの言葉で思い直した。 意地で受けた決闘で、逃げに走ってどうするんだ。「行きますっ!」「ええ、かかっていらっしゃい」 ―――――――幻想「ダンシング・フェアリー」 起動するスペルカード。前回は発動しそこねたけれど、今度は氷翼を出してないから問題ない。 風が僕の両手に集まって、気流の渦を作り出す。 爆発しそうなほど圧縮された荒れ狂う風を、僕は幽香さんめがけて放った。「―――なるほどね」 幽香さんが、杖代わりにしていた傘を水平に掲げる。 乱気流と化した風は相手を吹き飛ばさんと猛威を揮うが、泰然とたたずむ彼女を動かしはしない。 予測はしていたから、驚きは無かった。 元々、この風は攻撃用に生み出したものではない。 僕自身にすら予測できない軌道を持つ乱気流は、これから放たれる氷弾の通り道となるのだ。 無秩序に踊る氷の塊と、相手の動きを阻害する強風を組み合わせた弾幕。 これが、幻想『ダンシング・フェアリー』の概要だ。「らしいスペルカードね。だけど……」 巻き起こる風に乗って、無数の氷弾が放たれる。 だがそれらは幽香さんに届く前に、全て吹き飛ばされてしまった。 彼女が日傘を振るって起こした風によって。 「私相手に使うには、少し貧弱じゃないかしら」「うぐぅ……」 なんつー力任せな。僕の起こした風を、傘を振った衝撃で散らしてしまうとは。 しかし、合理的で的確な対処方法である事は間違いない。 乱気流にその軌道を委ねている氷弾は、風の流れを読めなければかわす事が難しい。 いや、風の流れがぶつかりあい、ランダムに軌道が変化する乱気流相手では、読めたとしても対応するのは困難なはずだ。 だが逆に言ってしまえば、その風を何とかすれば対処が容易なのである。このスペルカードは。 まさかそれを一目で見破られるとは……。「ふふっ、弾幕ごっこらしく避けても良かったんだけどね。……あまり冷気に’慣れる’と、宵闇の妖怪の二の舞になりそうだしね」「な、何の事ですやら」「あら? 考えすぎだったかしら」 ……次点で用意していた策も、不発に終わりそうです。 策と言っても、やる事は以前戦った闇の妖怪の時と一緒。 氷弾をばら撒いて冷気を蔓延させたところで、一気に広がった冷気を纏めて相手を氷漬けにするってだけの話なんだけど。 そんな稚拙な罠すら設置する事を認めてくれないわけですか、貴方は。 ぶっちゃけ、もう手札切れたよ? …………いや、まだ一つ残っているか。 僕の持つ全能力の根底。【相手の力を写し取る程度の能力】が。 幽香さんの持つ能力さえわかれば、ひょっとしたら勝機が見えてくるかも――「それじゃあ今度は私の番ね。さぁ、避けてごらんなさい」「ほへ?」 再び幽香さんの傘が振るわれる。 そこから放たれた弾は―――――は、花!?「ひょ、氷翼!!」 背筋に走る悪寒から、攻撃方法を失う氷の翼を展開し空に逃げた。 舞い散る花びらの弾幕は、先ほどまで僕がいた大地を軽く撫ぜ―――大きく、地面を抉らせる。 何それ! 何ですかそれ!!「ふふふっ、素敵な翼ね。速さも申し分ないわ」「あはははは! どうもありがとうございますよコンチクショウ!!」 幽香さんは僕の翼を褒めてくれたけれど、ぶっちゃけ嫌味にしか聞こえないです。 ……実際、嫌味なのかもしれない。ひょっとすると。 彼女が事前にスペルカードの名称を口にしなかったという事は、あれは幽香さんの通常攻撃だという事になる。 どう考えても、『アイシクルフォール』並の威力と範囲があるアレが、だ。 それに対して僕は避ける事しかできないんだから、そりゃ皮肉の一つも言いたくなるってもんだろう。「ううっ、さすが最強の妖怪。凄いパワーだ」「ありがとう。褒めてもらって光栄よ」 褒めてません、愚痴っているだけです。 いくら何でも規格外すぎる。地力の差がここまで大きいとは思わなかった。 だけど、この能力を覚える事が出来ればっ!「言っておくけど、私の能力を覚えようとしても無駄よ」「へ? 何でですか?」「久遠さん……正直に「能力を覚える気でした」と白状してどうするんですか」 いや、ついうっかり。 ――って問題はそこじゃなくてさ。「た、確かに僕が覚える能力は劣化するけど、無駄って言い方は……」「そうじゃないわよ? むしろ、私の能力なら貴方も劣化せずに覚えられるでしょうね」「……ほへ?」「これが、私の【花を操る程度の能力】よ」 そういうと同時に、全ての向日葵が一斉にこちらを向いた。 おー、花を自在に操る事ができるのか。 ……………で?「あの、それだけなんですか?」「それだけよ」「さっき、派手に花の弾幕をばら撒いておりましたけど」「能力はほとんど関係ないわ」「……関係ないんですか」「ないわ」 にこやかに言い切る幽香さん。嘘だと思いたい。 だけど彼女がウソを言わないって事は、先ほどから嫌というほど理解しているワケで。「彼女の言う事は本当です。風見幽香が最強と呼ばれる由縁は、強力な妖力と身体能力にあります」「そ、それじゃあ、幽香さんの能力は……」「おまけみたいなモノです」 それって、僕にとっては最悪の事実じゃないかっ!? 今度こそ本当にネタ切れだ。 僕が持っている手札じゃ、どう逆立ちしたって勝てっこない。 本当なら、ここで素直に降参した方がいいんだろうけど。「それじゃあ、分かったところで続きを始めましょう。私はまだ、貴方に何も教えていないもの」 ……幽香さんにそう言われたら、そんな弱音は引っ込めるしかないよねぇ。「―――ええいっ! ガンガンいこうぜっ!!」「ふふっ、良い覚悟だわ」 半ばヤケクソなだけです、はい。 そして再びばら撒かれる花の弾幕――って、多い多い多い!? さっきの倍以上の数、弾丸が放たれる。 それを、氷翼を操って必死に避けようとするけれど……。 は、早くても小回りが利かないから避けにくい!? そりゃそうか、あくまでも氷翼の移動に使っているのは風なんだから、流れは急に曲げられないよねー。「うにゃー! 避けきれないー!?」 と、ととと、とにかく距離をとらなきゃ死んでしまう!! 氷翼を広げ風を受け、僕は可能な限りの最高速で幽香さんから離れた。「はぁ、はぁ……」「あらあら、逃げられちゃったわね」 だいぶ離れたおかげで、弾幕は回避しやすくなったけど……この距離だと僕も何一つ出来ないからなぁ。 ううっ、なのに幽香さんは随分と余裕そうですね。 笑顔のまま立っているだけで、距離を詰めようとする様子すら無いじゃないですか。 ………ひょっとして窺っているのかな、僕がどうするのか。「そもそも、氷翼展開した僕は弾幕を使えないしなぁ」 いっそ体当たりでも仕掛けようか。 速度だけはあるわけなんだし、氷と風でドリルみたいな鎧を作ってさ。 ―――あれ? なんかいけそうだソレ。「よし! 思い立ったら吉日!!」 幽香さんに向かって真っ直ぐ突っ込めるよう、翼の位置を調整する。 ……結構距離はあるけど、速度出し過ぎて気絶とかはないよね? それはいくら何でも間抜けすぎるもんね。 怖くない。怖くない。「あー、ジェットコースターの発車直前って良くこんな気持ちになるっけ」「久遠さん! 意地張ってないで降参してくださいよー!!」「スペルカード発動しますっ!」 嗚呼、悲しきかな意地っぱり。 どうしてこう、素直に射命丸さんの思いやりを受け取れないのか。 まぁ、それが出来たらこんなところにいないもんねっ! くそぅ!! ―――――――幻想「ペネトレイション・サーペント」 即興でスペルカード名を決め、半泣きで加速しながら飛び蹴りの姿勢をとる。 氷の翼が、螺旋を描きながら身体を守る鎧になった。 風が氷の鎧に沿うよう捻り集まり、小さな竜巻と化していく。 おおっ、思いのほか上手くいってる!? 「色々と思いつくじゃない。面白いわね」 幽香さんが傘を構える。 それだけで、何とかされてしまいそうだと思えてしまうんだから恐ろしい。「だけど、これだけの勢いでぶつかれば―――!」「はぁっ!!」「ふぎゃん!?」 あっさり負けたー!? 彼女の傘の一閃で、僕はあっさりと吹っ飛ばされた。 三角錐状の物体がスーパーボールのように跳ねながら転がっていく様は、きっと傍から見る分には面白いに違いない。 まぁ、中の僕はそれどころじゃないけどねっ!「く、久遠さぁーん!?」「あべしっ!?」 最終的に氷の鎧が度重なる衝撃に耐えかね砕け散り、僕は何とか停止できた。無事ではないけど。 っていうか脆い! 全然身体守れてない!! ただの氷だから当然だけど、気づくのちょっと遅かった! そのわりには幽香さんの一撃は防げたのが不思議だけど……そもそも、当たった時の感触もおかしかった気が。 ……ひょっとしてこのスペルカード、思いのほか穴だらけ?「何やってるんですか! 貴方の飛び方で体当たりなんて、無謀もいいところじゃないですかっ!!」「―――あ゛っ」「もうっ、うっかりにもほどがありますよ!!」 この飛行方法の起点となっているのは、あくまで僕自身の『浮く力』だ。 僕の力は、身体を大地に縛りつけている重力から解放させる、言わば無重力状態になる力なのである。 中途半端なのは、その状態から移動する力がないという点。 それを補うために氷翼があるんだけど……。 風と同等のスピードが出る時点で、ちらっとは考えていたんだよねぇ。 それってつまり、僕自身にかかるあらゆる抵抗がほとんど無い状態なんじゃないかと。 どういう事か分かりやすく説明すると。 「ペネトレイション・サーペント」 ≒ エアホッケーのパック ……ちょっとは痛いかもしれないけど、絶対弾幕ばら撒いていた方が強いよねぇ。 せめて、自分の意思で踏んばったり、加速したりできれば真っ当なスペルカードになるんだろうけどさ。 「貴方は私を馬鹿にしているのかしら?」 今の時点ではただの挑発ですよね! うっかり!!「あ、あははははー」「笑ってる場合ですか……久遠さん」「うぐぅ」 まったくもってその通りです。 だけどもう笑うしかないよねこれは。あははー。 ……むしろ泣けてきた。「晶」「イエッサー!」「私ね。貴方にはだいぶ期待しているのよ? あまりガッカリさせないでほしいわ」「は、はわわわわ……」 そういって微笑む幽香さんの顔がだいぶ怖いです。 うん。これは間違いなく地雷踏んじゃったね。 彼女はニヤリと笑って、傘の先端をこちらに向ける。 ……えっと、なにをする気なんでしょうか? 先ほどぶっ飛ばされたおかげで相当距離があるわけなんですが……もしかして伸びるの、ソレ?「『晶』―――私は、貴方の名を呼んでいる。それが、どういう意味を持っているのか分かるかしら?」「名前、ですか」「重要な事よ。名前は、全てのモノに意義と意味を与えるわ」 淡々と、彼女は語っていく。 それと同時に、僕の中で大きく警鐘が鳴り始める。 ――ヤバい。全ての感覚が、そう僕に警告している気がした。「私も、かつては名前が与える影響を軽視していたわね。意義も意味も与えず、力をただ力として振るっていた」 ゆっくりと、傘の先端に光が集束していく。 それは、ありえないほど強力な’力’の顕現。「私が名付けなかった「技」は、あるコソ泥に名前を付けられ意義と意味を得たわ。その瞬間から、その「技」は私のものではなくなったのよ」「――――まさか、その技は」「あら、さすが情報通の鴉天狗。気付くのが早いわね」「いけない久遠さん、避けてくださいっ! アレは危険です!!」 分かってる。対峙しているからこそ、痛いほど。 傘に集まる光は、最早幽香さんを隠すほどの量まで膨張している。 ……っていうかソレは洒落になってないと思うんですが。「皮肉なものよね。私は自分のモノだった「技」を、他人のスペルカードとして使わなければいけないのよ」 最後に、光が拳大に圧縮された。「『名前』にはそれだけの重さがある。それを自覚なさい、この一撃で」 ――――――――起源「マスタースパーク」 放たれる光の奔流が、一瞬にして視界を占める。 暴力的なその流れに巻き込まれ、僕の意識は途切れたのだった。