巻の十一「縁は異なもの味なもの」「ところで、晶って外の人間よね」「ぶふっ!?」 そんな事を言われたのは、自己紹介も終わり、改めて出された紅茶を飲もうとした直後の話だった。 思わず、意味もなく空いた手でアリスの視線を遮ってしまう。「何よ、汚いわね」「ご、ごめん。つい驚いてっ」「ふーん」 本人に深い意図はなかったらしく、アリスは人形に指示して汚れてしまったシーツを取り換えさせている。 あれ、おかしいな? 今までのパターンからして、最低でも詰め寄られるぐらいの反応は覚悟していたんだけど……彼女は、至って冷静だった。「えーっと、確かに僕は外来人だけど、どうしてそれが?」「それ、貴方のでしょう?」「あ、僕のリュック」 アリスは、ベッドの横に置いてあった僕のリュックを指差した。 なるほどそれでか。確かに、持ち歩いていた道具を見れば一目瞭然だ。 幻想郷でも最先端の技術力を誇る河童のにとりでさえ、興味を惹くような代物が詰まっているわけだし。 ……ところで、僕はチルノの弾幕をモロ受けたんだよね。 中身、無事なのかなぁ。「晶の来ている服の素材も、外来人がよく使ってるモノでしょう? それで分からない方がおかしいわよ」「へぇー、そうなんだ」 少なくとも、某新聞記者は分かってませんでしたよ? あ、すいません想像の中の射命丸さん。 馬鹿にしたわけじゃないので、その蔑みの目は止めてもらえませんか。「という事は、外来人って幻想郷にも結構いるの?」「数はその時のスキマ妖怪の気分次第だけどね。最近は……わりと少なめじゃないかしら」「な、なるほどぅ」 紫ねーさま、アンタ何やってるんですか本当に。「少なくとも特別珍しい存在ってわけじゃないから、そんな露骨に緊張しなくてもいいわよ」「は、はははっ。ご忠告どーも」 アリスの言葉に、僕は苦笑を返す事しかできない。 どうも散々レアもの扱いされてきたせいか、僕の中に変な条件反射が生まれてしまったようだ。「……身体の方は、問題ないみたいね」「へ? 身体?」「貴方の身体、ほぼ半分凍ってたのよ。普通の人間なら軽く死んでるくらいの重症だったわね」「…………………マジ?」「マジよ。運が良かったじゃない、ラッキー」 欠片も感情を挟まない、抑揚のない声でそんな事言われても。 しかもあさっての方向見ながら。 興味が無いなら無理に相槌打たないでいいですよ。 それにしても、無事だった原因が分かっていたとしても、体半分凍っていたとか言われるとぞっとするなぁ。 ありがとう【冷気を操る程度の能力】、原因もお前なんだけどね【冷気を操る程度の能力】。「それじゃ、本題に入るわ」「―――本題?」「ええ、私は慈善で貴方を助けたわけじゃないから」「それは……そうだろうねぇ」 妖怪――魔法使いもそうだったよね?――が人間を助けるパターンは大きく分けて二つになる。 ひとつめは、その人間自体に興味がある場合。 興味の種類は妖怪によって違うけど、大体は変わった能力とか性格とかに興味を示す……らしい。情報源は射命丸さんなので、はっきり断言はできないけど。 いやいや、信じてないとかそういうわけじゃなくて、自分で確認してないから言い切れないというだけなんですよ? 当然、アリスはこのケースに含まれない。 何しろこれだけ会話していて、僕と目を合わせた回数が二度ほどしかないわけだし。 ちなみに、一回目が最初に出てきた時で、二回目がお茶を吹いた時。それ以外はずっとあさっての方向と目で会話してました。 ………興味がないにもほどがある。「分かっているなら話が早いわ。率直に言わせてもらうけど……それ、もらえないかしら」「それ?」 アリスが指さしたのは、僕のリュック。 やっぱこれは、もう一つのパターンなのか。 射命丸さんが教えてくれたふたつめのパターンは、相手が対価を求めている場合だ。 基本的に妖怪は、人間相手に対価を求める事はしないらしい。 まぁ、幻想郷における力関係を考えれば、それほど不思議な事でもないだろう。 例えて言うなら、大人が子供に対して「それちょーだい」と言ってるようなものだ。 さすがに極端すぎる例えだとは思うけど、それくらい妖怪が人間のものを欲しがるという事態は発生しにくいのだろう。 「まぁ、例外として何の理由もない気まぐれってパターンもあるけど」「何ブツブツ言ってるのよ」「いや、その……」 いけないいけない、つい現実逃避してしまった。 さて、どうしたもんかなぁ。 アリスは恩人だから、欲しいと言った物をお礼にあげたい気持ちはあるんだけど。「―――持ちモノ全部は、ちょっと」「なっ!? そ、そんな追剥みたいな要求はしてないわよっ!」 あ、慌ててる。さっきまでずっとクールな態度を貫いていたから、ちょっとビックリ。「私が欲しいのは、これよっ!」「それって……」 アリスがリュックから引き抜いた物は、撮影用に持ってきた三脚だった。 その三脚は、外の世界で『博麗神社』を調査するためにデジカメやプリンタと一緒に購入したものである。 僕が形から入る性分だったため、かなりお高い値段のヤツを買ってしまったわけだけど……。 なんで、三脚?「えーっと、写真撮影がご趣味なんですか?」「いいえ、違うわ。……これって、写真を撮るのに使うのかしら?」「うん、補助器具としてね」「そうなの。けど、正しい使い方はどうでもいいのよ」「ほへ?」「私が欲しいのは、この素材よ」 そう言って、彼女は三脚の足を軽く叩いて見せた。 えーっと、確かその部分は……。「そのカーボンが欲しいの?」「ふーん。カーボンって言うのね、これ」 アリスは興味深そうに三脚を眺めている。 そっか、幻想郷には炭素繊維なんて存在しないのか。 そういえば、にとりもコンパクトカメラの軽さに驚いていたっけ。 どうやら生成技術に関しては、外の世界の技術が幻想郷を上回っているようだ。「って、名前も分かってない物が欲しいの?」 それはいくら何でも変だ。 にとりあたりなら、見たこともない素材を解析したがるかもしれないけど。 どうみても、アリスはにとりと同じタイプには見えない。「……悪かったわね。私も少し煮詰まってるのよ」「煮詰まってる?」「私の研究で少し、ね。だから気分転換の一環で、新しい素材の人形を作ろうと思ったわけよ」「そのためにカーボンを?」「そう。羽毛みたいに軽いのに、骨みたいに堅いんだもの。人形の関節とかに使えそうじゃない」 確かに、炭素繊維は硬くて軽いのが特徴だけど……。 人形の関節に、使えるかなぁ? そもそもカーボンって、加工するのが凄く難しかったはず。 いくら何でも切羽詰まり過ぎじゃ無い?「……何よ」「いえ、何でも無いです」「一応言っとくけど、形を変えるのが難しい事は私も分かっているわよ? 加工の手間も含めて、の話よ」「あ、そうなんだ」 普通なら、カーボンの加工なんて一般家庭じゃできないんだろうけど。 何しろ相手は魔法使いだ。僕なんかじゃ想像もつかないような加工方法の心当たりがあるんだろう。「そういう事なら、どうぞ」「ええ、ありがとう」 彼女は、別の人形を呼んで受けとった三脚を運ばせた。 ……さっきから気になってはいたんだけど、いろんな作業を人形任せにしているのは何故なんだろう。 やっぱ、『七色の人形遣い』を謳っている以上、何をするにも人形を使わないといけない制約でもあるのか。 魔法使いもなんだかんだで謎が多いなぁ。「ところで、煮詰まってる研究ってなんなの?」 話も一区切りついたようなので、軽い気持ちで疑問をぶつけてみた。 ……のだけど、アリスの眉間にしわが寄ったのを見て、何も考えずに質問した事を即座に後悔する。「貴方ね。魔法使いに研究内容を尋ねるとか、どれだけ命知らずなのよ」「い、命知らずときましたか」「外の世界にだって研究者はいるでしょ。なら、自分がどんな愚行を犯したのか、少しは分かるんじゃないの?」 いえ、うちの世界の科学者達は結構オープンに研究内容を公表しているんですが。 だけどまぁ、彼女の言いたい事は分かる。 魔法は隠匿されるものだ。この基本は、魔女狩りが始まるだいぶ前から変わっていない。 おそらくそれは、魔法が毒と同じ危険物だからこそ生まれた習慣なんだろう。 無暗に毒を広げないため。そして、解毒薬を作らせないために。魔法使いは己の術を、知識を隠匿したのだ。 そういえば、その魔法使いの工房に今僕はいるんだよね。「何で笑ってるのよ」「いやいや。何でも無いよ、何でも」「ならいいけど……ちゃんと言いたいこと、分かった?」 それはまぁ、充分理解したけど。 魔法使いの工房で、魔法使いの研究が行われているワケだよね。 ……見たいなぁ。知りたいなぁ。「な、なによ。そのやたらキラキラした眼は」「研究内容は教えられなくても、工房ぐらいなら見てもいいよね? 僕魔法使いじゃないし」「そういう問題じゃなくてね」「絶対口外しないよ?」「……だ、だから」「じーっ」「ぎ、擬音を口に出さないでよっ」「じーーーーーっ」「そもそも私の工房は全然魔法使いらしくないのよ」「じーーーーーーーーーーーーっ」「…………………………はぁ、少しだけだからね」 アリスの中の何かが折れる音と共に、僕はぐっと拳を握り締めた。 七色の人形遣いは、意外と押しに弱いらしい。「わぁー! わぁー! すごーい!!」「貴重な人形もあるから、無暗に触らないでよ」「そんな事しないから大丈夫だって。うわー、うわー」 了承を貰って案内されたアリスの工房は、人形博物館と評するに相応しい内装をしていた。 古今東西の人形が、ところ狭しと飾られいる。 すごい、なんかテンションあがってきた。「……人形を作っているだけの工房で、よくそこまで喜べるわね」 他人に工房を見られるのが気恥ずかしいのか、顔を真っ赤にしたアリスがそっぽを向きながら呟く。 本来なら彼女に気を使って工房から離れるのが礼儀なんだろうけど、今はあえて無視する。「何か変かな?」「……魔法使いの工房が見たかったんじゃないの?」「うん。だから見学させてもらってるよ?」「そ、そうなの。それならいいわ」 はて、なにを当たり前の事を言ってるんだろうか彼女は。こんなにも魔法使いの工房してる部屋はないと思うんだけどなぁ。 僕の答えに、何故か彼女は満足そうに頷いた。さっぱりワケが分からない。 ……まぁいいや、続き続き。 お、これは製作途中の人形かぁ。うーむ、さっぱり構造は分からないけど、とにかく凄い構造だって事は伝わってくるね。 たまーに魔法陣とか魔道書っぽいものが無造作においてあるのも『らしくて』いいなぁ。 えーっと、タイトルは『ソロモン……っとと、いけないいけない。「グリモワールのタイトルや記述は読まない方がいいよね」「そうね。片付けておくわ」「あれ? この人形のローブの模様、文字になってない? えーっと……」「そ、それも読んじゃダメよっ!」「これは同じ色の糸で、裏側に魔法陣を刺繍をしているのかな。ん? この真ん中に縫い付けてある宝石は」「覗かないの! 目がつぶれるわ!!」「あ、隠し扉みっけ」「嘘!? 魔理沙にだってバレなかったのにっ」「ブードゥー人形まであるんだぁ……このシンボルは、確か火と鉄の神格オグンだったっけ」「そ、それは拾ったものだから、私も詳細は知らないよっ」「んーと、これは……」「あーもう! 見学はおしまい!! はい、出ていきなさいっ!」「えーっ」 アリスに押されるまま、工房から締め出されてしまった。 あうぅ、まだ見たいものがたくさんあったのに。「もうちょっと見せてくれても……」「ダメよっ! ―――というか、貴方も危ないと思わないの?」「何が?」「……晶は工房立ち入り禁止ね」「は、はわわ」 何故か出入り禁止にまでされました。 よほど相手の機嫌を損ねる真似をしてしまったのでしょうか、僕は。 ……謎だ。「そ、そんな目で見てもダメよ。貴方はある意味、そこらへんの魔法使いよりも厄介なんだから」「厄介って……」「まったく、外の人間ってそんなに魔法に詳しいの?」「いや、僕は色々あって、そういう類の知識を調べていた事があっただけだよ」 子供の頃は、それこそ妖怪と悪魔の違いも分かってなかったからなぁ。 オカルト雑誌などを種類選ばず読み漁っているうちに、自然とそっち系の知識が蓄えられたもんである。 おまけに外だと西洋の魔道はわりと廃れているから、よっぽどグロい代物でもない限り比較的簡単に手に入るわけだし。「はぁ……タチ悪いわねぇ」 やっぱり魔法に関わる者としては、一般人にホイホイそういう知識を知ってもらいたくないのかな。 アリスは憮然とした表情で、小さく一つ溜息を吐いた。「ううっ、もう工房には入れないのかぁ」「そういう事、悪いけど諦め……」「じゃあ、今度は人形が見たい」「………えっ?」「工房に入れないなら、アリスの作った人形が見たいっ」 さっきの作りかけの人形は、人形に詳しくない僕の目から見ても分かるほど出来のいいものだった。 彼女が研究の一環として人形を作っているなら、きっと同じように素晴らしい人形を幾つも持っているのだろう。 それは見たい。是非とも見たい。「ほ、ほとんど普通の人形よ? 魔法的効果を付与した人形は少ないわ」「アリスが作った人形が見たいだけだから、魔法のあるなしは気にしないよ。あった方が嬉しいけど」「そ、そんなに私が作った人形が見たいの?」「見たいっ! ついでに、写真も撮らせてくれると嬉しいな」「……しょ、しょうがないわね。まぁ、工房をもう一度見せろと言うよりはマシだから、特別に見せてあげるわね」 どうみても口の端が緩んでいるのだけど、まぁ本人がそういうのならそういう事にしておこう。 こうして僕は、『七色の人形遣い』謹製の人形達を本人の解説付きで見せてもらうという、実に有意義な時間を過ごしたのだった。 その間にまたひと悶着あったりもしたのだけど、それはまた別のお話。 ところで、水車小屋に帰ってみるとにとりと射命丸さんが弾幕ごっこしてた上に、何故か僕が原因だと両方から怒られました。 ちゃんと門限ギリギリに帰って来ても怒られるのは、ちょっと理不尽だと思いませんか。―――――――――――――――――――――――おまけ 巻の十一 白黒落書漫画(雑)(http://www7a.biglobe.ne.jp/~jiku-kanidou/tensyouka11.jpg)