巻の九十四「まるで、巌流島の決闘みたいね」 本当にどうでも良い事で不貞腐れた幽々子さんをどうにか宥め、僕は彼女に白玉楼へ来た目的を話した。 自らの真実を知るため紫ねーさまの所在を尋ねた僕に、幽々子さんはあまり残念そうに見えない笑顔で教えてくれた。「残念だけど今、紫に逢う事は出来ないわ。――恐らく誰にもね」「ど、どういう事ですか?」 分からないでは無く、‘逢えない’と来ましたか。 何とも意味有り気な幽々子さんの言い方に、不安感だけが増していく。 ……見当外れな訪問にはならなかったみたいだけど、状況が好転する事もなさそうだなぁ。 半ば諦めモードに入りつつも、僕は僅かな希望に縋って幽々子さんの説明を聞き続ける。 「紫は今ちょっと‘立て込んでいる’の。どうも、何事かを企んでいるみたいね」「た、企んでいるのですか?」「安心なさい、貴方には恐らく関係の無い話だから。……だけど、当分はどこにも顔を出さないと思うわ」 しかしその希望も、あっさりと打ち砕かれてしまいました。 ……まぁ正直、そんな気はしてましたが。 んもー、ねーさまってばこんな時に行方不明にならなくても良いのに。 いや、こんな時だからこそなのかな? 紫ねーさまに逢う気が有るのなら、どんな状況でも絶対僕宛ての‘道しるべ’を残すだろうし。「しょーがない。何か別の手立てを考えるか」「え? 良いのお兄ちゃん、そんなに簡単に諦めて」「正直良くは無いっす。だけど、あの人に本気で隠れられたら手の打ち様が無いんで」「その「ゆかりねーさま」って妖怪、そんなに凄いの?」「んー、凄いって言うか――‘線引き’の見極めが上手いんだよね、あの人は」「ふぅ~ん」 思いつくまま口にした例えに、自分自身ああなるほどと納得してしまった。 こちらの思考を全て読んだような言動も、唐突でありながら違和感を与えない登場も、言ってしまえば全て「それ」が大元なのだろう。 自然と不自然のライン、意識と無意識のライン、洒落で済む事とそうでない事のライン。 あの人はそれらを巧妙に読んで、時にラインの手前で止まり、時にラインを犯し、他人を煙に巻き続けているのだろう。 そうやって紫ねーさまの考察を自己完結させていると、何故か幽々子さんが興味深そうにこちらを見てきていた。 くりくりとした瞳を真っ直ぐこちらに向け、探る様な楽しむ様な笑みを浮かべた幽々子さんの姿が良く分からないけど凄く怖い。 特に根拠は無いんだけど、これから先の返答を間違えたら死ぬ気がする。本当に根拠は無いんだけど。「ねぇ、貴方」「は、はひっ、何でしょうか!?」「紫の「能力」が何か――知っているのかしら」「すいません知りません良く分からないけどゴメンナサイ!?」 質問内容も胡乱なままに、連続高速土下座に移行するドチキンな僕。 冷静に考えると、この質問で謝るのってかなりおかしい気がする。 あと、もっと冷静になるとさっきの幽々子さんは大して怒ってもいなかったような。 アレだね。何事も焦り過ぎちゃダメって事だね。「無知でありながら本質は見抜く、か。本当に聞いた通りの子なのね、うふふ」 いやでもコレ絶対誰だって謝るよ! だってなんか、幽々子さんすっごく怖いもん!? 怒ってはいないみたいだけど、妙な迫力があると言うか……白玉楼の主モードのスイッチが入ってしまったと言うか。 これならまだ、違うお煎餅が良いって駄々こねられていた方が良かった気がする。「でもお兄ちゃん。そのおねーさんに会えないのなら、これからどうするの?」「えっ? あ、うん。……どうしようか」 そんな幽々子さんの変化に気付いてないのか、割とどうでも良いと思っているのか、フランちゃんがズレかけていた話の軌道を戻す。 しかし、ぶっちゃけ紫ねーさまに会えば何とかなるんじゃないかと考えていた僕に次善策があるはずもなく。 返答に困って右往左往していると、何故かニコニコ笑っている幽々子さんと視線があった。 えーっと、如何なさいました? 今の貴方に笑いかけられると、何だかとっても不安になるんですけど。「紫と会わせる事は出来ないけれど、貴方の疑問を解消出来そうな人なら知っているわよ」「へっ? ほ、本当ですか!?」「確証は無いけれど、彼女ならきっと‘白黒はっきり’してくれるでしょうね」「だ、誰なんですか!? その、解消出来そうな人って」 僕がやや喰い付き気味に尋ねると、幽々子さんはすっごい意地の悪そうな笑みを浮かべる。 ああ、これは分かる。幽香さんとかが良く見せる無茶振りする時の笑顔だ。「ふふ~ん、どうしようかなぁ~。タダじゃ教えられないわよねぇ~」「まぁ、死ぬほど無茶な事で無いなら構いませんが。――で、何をすれば宜しいのですか?」「……………どうしようかしら」「考えて無いの!?」「貴方達は、どんな条件が良いと思う?」「しかもこっちに振るんデスか!?」 自分で言っときながら条件が思いつかないらしく、幽々子さんは視線を彷徨わせる。 いかん、この人発想が斜め上だ。 このままでは、適当な思い付きでロクでもない条件を提示されるかもしれない。 僕は再び頭をフル回転させ、穏便に済む様な条件を絞り出そうとする。 しかし、僕が考えを纏め切る前に口を開いた子が居た。「はい、はーい! じゃあさ、教えてくれる代わりに一緒に遊ぶって言うのはどうかな!」「遊ぶ? おままごとでもやるのかしら?」「ううん、弾幕ごっこ!」 ちょっと妹さまぁ!? 僕が必死に避けようとした条件を、こっちから提示しないでぇ!? 最高に良い笑顔で悪魔の提案をするフランちゃん、マジ悪魔の妹。 そしてそんな提案に、どうやら幽々子さんは興味を示してしまったらしい。「面白そうね、それ」 うわぁーい、いつものパターン来ちゃったチクショーっ!! どう見てもフランちゃんの提案を受け入れつつある幽々子さんの姿に、僕はガックリと肩を下ろした。 ああ、紅魔館を離れてから久しくやってなかった、バトルロワイヤルと言う名の公開リンチが始まってしまうワケですね。 諦めの境地でそんな事を考えていると、申し訳無さそうな顔で妖夢ちゃんがやってきた。「申し訳ありません、ゆゆ様。お食事の準備ですが、もう少し時間がかかりそうで……」「あらあら、丁度良い所に来たわね妖夢。食事の準備は後で良いから、ちょっと頼まれてくれないかしら」「ええっ!? ゆ、ゆゆ様が食事の準備を後回しに!?」 あ、やっぱり驚くポイントはそこなんだ。 もとい。幽々子さん、妖夢ちゃんを呼びとめてどういうつもりなんだろうか。 戸惑う僕と妖夢ちゃんを置いてきぼりにして、幽々子さんは彼女に指示を出すのだった―― ……嗚呼、どうしてこんな事になったんだろうか。 意外と普通な冥界の空を眺めながら、僕は結論の出ない問題に悶々としていた。 そんな僕の眼前には、腰の刀に手をかけた妖夢ちゃんの姿が。「頑張りなさい、妖夢。その子は強いわよー」「頑張れー、お兄ちゃーん!!」 いや本当に、どうしてこんな事になったんだろうか。 条件を提示し受諾した当人達は、縁側で呑気にお茶をすすっているし。「あーあ、私も遊びたかったなー」「ゴメンなさいね。今回は妖夢に譲ってあげて?」「良いけど……お姉ちゃんは良いの? 一緒に遊ばなくて」「ふふ、私も我慢かしら。――私と戦ったら、あの子死んじゃうもの」 ま、まぁ、これで良かったのかもしれないね。うん。 幽々子さんが一瞬見せた冷徹な実力者の瞳の色に、ビビって日和る情けない僕。 ……とは言え、キツい状況である事にあまり変わりは無いと思う。 対戦相手である妖夢ちゃんからは、美鈴同様「達人」の気配が漂ってくる。 恐らく剣客として、相当な腕前を持っていると思っても良いだろう。 ううっ、強そうだなぁ。武器持ちだから、格闘戦だとリーチでも負けちゃうワケだし。……出来れば戦いたくないなぁ。 そうやって心が折れそうになりながら妖夢ちゃんを観察していると、当の彼女がゆっくりと剣から手を離してきた。 そのまま彼女は直立不動の姿勢になると―――物凄い速さと勢いでこちらに向かってお辞儀してくる。「よろしくお願いしますっ! 晶さま!!」「は、はぇ?」「晶さまのご勇名は、常々紫様よりお聞きしておりました! その様な方とお手合わせ出来るとは……光栄ですっ!!」 いえ、それは多分僕じゃない晶さまです。 妖夢ちゃんの全身から放たれる「憧れのスポーツ選手に会った系のオーラ」に、僕はさっきとは違った意味で気押される。 と言うかねーさま、この子に僕の事どんな風に説明したんですか。「あの、妖夢ちゃん? ねーさまから何を聞かされたのか知らないけど、僕はそんな大した事はしてないからね?」「何を仰いますか! 紅魔館の吸血鬼に認められ、永遠亭の姫を下し、守矢の神々にも一目置かれている貴方が、大した事無いはずが無いでしょう!」 うわぁ、強ち間違って無いから訂正しにくいなぁ。 ……実際の所、そんな凄い事したワケじゃないんだけどね。 認められてるのは玩具としてだし、下したって言っても勝ちを譲って貰っただけだし、一目置かれている理由は良く分からないし。 少なくとも、妖夢ちゃんに尊敬の目で見られる様な人間で無い事は確かですヨ? それと紫ねーさま。今までのアレコレを見られていた事実には驚きませんが、人の恥を脚色して他の人に説明するのは勘弁してくれませんか。「私自身、先ほどの高潔な態度で確信致しました。晶さまは尊敬に値する素晴らしい御方だと!」「こ、こーけつですか?」「私は自分が情けないです。晶さまは、互いの名誉のためにあの様な申し出をしてくださったと言うのに。私は白玉楼の財政ばかりを気にして……」「いや、それはその」 実は僕も同じ事を気にしていました、とは言えなかった。 なにこれ褒め殺し? まずは精神面から責め立てようって言うの? 効果覿面だよちくしょう! 「今日は、胸を借りるつもりで戦わせて頂きます!」「あーうん、程々でお願いしますネ」 勘弁してください。実際の僕は、君に完封負けしてもおかしくない程弱っちいんです。 と言うか、本格的にコレはマズいぞ。そんな態度で来られたら、油断を誘う事もハンデを貰う事も出来ないじゃん。 何て厄介な。自分の力量はきちんと把握して貰わないと困りますよ! しかし、ここで本当の事を言ったとしても彼女は「なんと謙虚な御方なんだ」とか思うに違いない。 ここは正々堂々、真正面から――卑怯な事をしてでも勝つしかないね! え、小細工無しで戦えって? ……勝てるならそうしますよ、勝てるなら。 「まぁ、何にせよやるしかないか。鎧展開っと」 僕は魔法の鎧を展開し、腰に仕込んであったロッドを取り出す。 こちらも展開させようと両手を添えた僕は、そこでふとある‘作戦’を思いついた。 ……でもコレ、タネがバレたら凄い怒られるんじゃないだろうか。 純粋そうな妖夢ちゃんに毛虫如く嫌われた日には、さすがの僕も首を括って死ぬかもしれない。 しかし他に手立てを思いつかない以上、勝つためにはこの方法を選ぶしかないワケで。 ――ええい、嫌われたら後で逆エビ回転土下座して謝れば良いさ! 僕は畳んだままのロッドの先端から、氷の刃を形成していった。 その長さは、およそ三尺三寸……になっていたら良いなぁ。 あ、実際は適当にそれっぽく見える長さに伸ばしただけですヨ?「名付けて、氷刀『備前長船長光』……なんちゃって」「――っ! ‘物干竿’ですか」「はは、名前だけの紛い物だけどね。だけど、ただの氷塊だと思わない方が良いよ」「……ええ、分かります」 気で強化された氷の刃は、目に見える程強く、金属の様に鈍い輝きを放っている。 肉体の強化を必要最低限に抑え、残った『気』を全て刀の強化に回した結果だ。 これなら、妖夢ちゃんの持っている刀に最初の一太刀でスッパリ斬られる――なんて最悪の事態は避けられるだろう。 僕は「物干竿」の刃が、顔に対して平行になるよう構えた。 時代劇なんかで、とにかく暴れがちな将軍様が良く見せる構えだ。確か、八双の構えとか言うんだっけ。 「……?」 僕の構えを怪訝そうに見ながらも、妖夢ちゃんは二刀を下段に構える。 まぁ、達人級の腕前を持つ彼女から見れば、心底不思議だろう。 どう見ても剣に関してはド素人にしか見えない人間が、隙だらけで防御度外視の構えをとっているのだ、無理も無い。 出来れば、これで油断してくれれば良いんだけど――ダメだ。むしろ警戒が強くなってる。「二刀使い対大太刀使い……まるで、巌流島の決闘みたいね」「がんりゅーじま?」「二刀使いのお侍さんが、相手に勝つため遅刻したりイチャモンつけたり不意をついたりして、大太刀使いのお侍さんに勝つお話よ」「ふーん、お兄ちゃんみたいだね!」 幽々子さんそれは超訳し過ぎです。しかも肝心な所がほとんどハブられています。 そしてフランちゃん、思っていてもそう言う事は言っちゃいけないよ? と言うか僕は大太刀使いのお侍さんポジションじゃないの? や、敗北フラグが立つから認定されても困りますけどね?「まぁ実際の所、決闘と言うほど高度な戦いにはならないでしょうね。あの子、剣術に関しては完全に素人みたいだし」「でも、お兄ちゃんは強いよ!」「そうね。‘総合的な’実力では、きっと妖夢は彼に及ばないわ」 幽々子さんそれは過大評価し過ぎです。しかもそれを聞こえる様に言わないでください。 ああ、妖夢ちゃんがさらに気合いを入れてしまっているじゃないですか。 ……いや、逆に考えよう。これだけ気負ってくれれば、むしろ隙につけこみ易くなるはずだと。 そこまで考えて、これは確かにフランちゃんの言う通りだとちょっと自己嫌悪。いつもの事だと気付いて嫌悪倍プッシュ。 何くそ、今更この程度の精神攻撃で参るもんか! 妖夢ちゃんの褒め殺しの方がずっと効いたわっ!! うん、今ので自己嫌悪ゲージもマックスになりましたけどね。大丈夫、振り切ったよ、色々と。「とにかく、このまま睨み合っていても仕方ないからとっとと始めようか!」「は、はいっ! よろしくお願いしますっ!!」 溢れそうになる涙を堪え、僕は妖夢ちゃんに提案した。 このままだと、戦う前に僕の精神がダメになってしまうからだ。 僕の半ばヤケクソ気味な言葉に律義な返事をくれた妖夢ちゃんは、そこで大きく息を吸い込み‘意識’を切り替える。 そして再び彼女が眼を開いたその時――そこに居たのは、紛れの無い一流の剣客だった。 「改めて――魂魄流、魂魄妖夢。参ります」 アナクロにも為りかねない名乗りをいとも自然に行い、魂魄妖夢は身体を屈める。 発射寸前のロケットみたいな彼女に、僕も同様の名乗りを返――返したいんだけど……流派、どうしようかな。 ド素人なんだから我流とかそんなんで良い気もするけど、これだけ立派な名乗りをされるとそれじゃあ負けた気がする。 しかし、下手に実在の流派を名乗っても後で恥をかくだけだし、どうしたら……あ、そうだ。 僕は彼女を迎え撃つように腰を落とし、ニヤリと笑って名乗り返した。「では僕も――‘朧月流’、久遠晶。参る」 視線が交差する。僕の出鱈目な名乗りも、彼女は生真面目に受け取ったらしい。 さて、彼女はこの名前の‘意味’に、気付くだろうか。 ――僕は‘紅い’瞳を細めながら、彼女と同様に意識を切り替えるのだった。