巻の八「鬼が出るか蛇が出るか」「妖怪の賢者、かぁ」「はい。幻想郷では知らない者がいないほど有名な妖怪ですよ」 どうも、清く正しい射命丸です。 しばらくの間驚愕していた私達は今、久遠さんにその理由を説明しています。 彼は、どうやらというかやはりというか、幻想郷における彼女の知名度を知らなかったようです。「そっかぁ……紫ねーさまって、そんなに胡散臭いんだ」 久遠さんは、相当量オブラートに包んだはずの私達の説明にすら、軽いショックを受けたようでした。 私としては彼女を、’頼りになって優しい妖怪さん’と評した貴方にビックリなんですけどね。 まぁ、確かにあのスキマ妖怪も、たまには普通に振舞う事があるのかもしれません。 ―――やっぱりダメです。軽く想像しただけでも、何かを企んでいるようにしか見えません。「その、元気出してください。久遠さん」「そうそう。確かに隙間妖怪は胡散臭い奴だけど、アキラが知っている一面だってウソじゃない……えっと、ウソじゃないよ、ね?」「わ、私に聞かないでよ!?」 フォローなんて出来ないわよ、さすがに! あやや、久遠さんの顔がどんどん渋くなっていきます。「……ねーさま、幻想郷で何やってるんですか」 いえ、むしろ好き勝手やった結果に幻想郷があるワケなんですけど。 これ以上久遠さんを泣かせるわけにもいかないので、それは黙っている事にしましょう。 しかしこの様子だと……彼が八雲紫と結託して何かを企んでいるというセンは無さそうですね。 残念、文々。新聞の独占スクープが――とは、思っていませんよ? それにしてあのスキマ妖怪、何を企んで久遠さんに接触したんでしょうか。 ……何だか、嫌な予感がしますね。「はははっ、いっそ八雲紫を見つけ出して文句でも言いに行くかい?」「んー、止めとくよ。幻想郷での姿がどうであれ、僕のねーさまへの評価が変わるわけじゃないし」「今は幻想郷を見て回る方が大事、ですか?」「そう言うこと」 相も変わらず逆さまな久遠さんが、同じく逆さまな私に不器用なウィンクで答えました。 その発言の深い意味を知っている私は笑顔を返します。 ――憧れのお姉様よりも大切なのね。自分の夢が。 その姿はとても微笑ましい。けど、同時に少し危うく見える。 彼がそこまで執着する、幻想郷という世界。 そこはけっして、お伽話のように甘い場所ではない。 だからこそ私は怖くなる。 いつか彼の理想と現実の幻想郷が、致命的な掛け違いを起こすのではないか、と。 「……射命丸さん?」「あ、あやや、どうしました」「どうしたってのはこっちのセリフだよ。急にぼーっとしちゃってさ」「いえいえ、な、何でもありませんよ」 どうやら少々考え込み過ぎていたようです。 にとりと久遠さんが、心配そうな表情でこちらを見ています。 ……こういうのを杞憂と言うのでしょうね。 私は頭を軽く振って、今の考えを追い出しました。「それよりも能力を使いこなす練習ですよ、久遠さん。目的が変わらないのなら、最初の予定通り動くべきでしょう」「ま、そうだね。アキラだって、早く幻想郷を飛び回れるようになりたいだろ?」「もちろん、そのつもりだよ」 話を誤魔化すのと合わせて、話題を元に戻します。 さきほどの不安は、とりあえず私の胸のうちにしまっておく事にしましょう。 ……やれやれ、私も随分と甘くなったものです。「しかし、能力を使いこなすねぇ。言うのは簡単だけどどうしたもんかね」「とりあえず、慣れるまで使ってみるしかないんじゃない?」「確かにそれしかないでしょうねぇ。そうなると問題は、使う能力ですが」「――――使う能力、かぁ」 ’慣れる’という目的のため使うには、彼本来の力は適していません。 久遠さんの持つ【相手の力を写し取る程度の能力】は、使い所が限定されすぎています。 目的が限定された力は、方向性が定まっている分制御しやすくなっていますからね。 実際、久遠さんは二度の模倣に成功しているわけです。 そういう意味でなら、彼は自身の能力を完全に使いこなせていると言えるでしょう。 なら、彼が使いこなせていない部分はどこなのかと言えば―――――まぁ、覚えた能力しかないわけですよねぇ。「普通に考えりゃ、【冷気を操る程度の能力】か【風を操る程度の能力】だろうねぇ」 にとりも同じ考えに至ったのか、肩をすくめながら言いました。 まだ風を操っている所しか見ていませんが、なにしろあの雑さです。 その分成長の幅があるという解釈もできますが、現状未熟であることは誤魔化しようがありません。 今の彼は、自らの身を守る事さえ出来ないわけですし。 ………そういえばそこらへんの問題もありましたね、彼には。「とはいえここに、覚えた力を使える本家がいるワケですからね。扱う能力は決まっているようなものでしょう」 最悪飛べなかったとしても、私の能力を使って飛べばいいんです。 私は誇らしげに自分の胸を叩きました。 しかしそんな私の正当な主張に、何故かにとりは苦笑します。 なんですか、その嫌な笑顔は。「……何か言いたい事があるんでしたら、どうぞ」「いやいや、可愛い弟分が出来たようでなによりだと思ってね」「それは馬鹿にされていると思っていいの?」 何やら考え込んでいる久遠さんを軽く押して余所にやりました。 事と次第によっては、弾幕ごっこに移行するのも辞さない覚悟です。 にとりもそんな私の剣呑な気配に気づいたのか。冷や汗をたらして後退します。「あ、あはは。仲よきことは美しきかな、って言ってるだけじゃないか」「そうね。上から目線でそう言ってるだけよね」 もちろんそれは、私がそういう態度嫌いなのを知った上でやっているのよね? ―――――分かったわ。表出なさい。 私は爽やかな笑みを浮かべつつ、意志表示としてスペルカードを取り出す。 ふふふっ、久遠さんには実戦を見る事で力の使い方を学んでもらいましょうか。「やたっ、できたー!!」「あやや?」「おや?」 にとりが苦笑しながらスペルカードを取り出したところで、居間の端に移動していた久遠さんが声を上げました。 やけに大人しいと思っていたら久遠さん、何かしていたんですか。 私達は同時にスペルカードをしまい、彼のいる端の方に顔を向けました。「どうしました、久遠さん?」「えへへー。見て見てー、名づけて『踊る蝶々』だよ!」「なっ――――」「へぇ……」 無邪気に両手の間にある『ソレ』を見せつけてくる久遠さん。 私はそれを見て絶句しました。「最初は、氷の塊でも回してようかなーって思ったんだけど……やっぱ、遊び心は欲しいじゃん」「ははは、なかなか面白い事考えるねぇ」 覗き込むにとりに見せつけるよう、久遠さんは両手のなかにある『氷の蝶』を掲げます。 稚拙で、左右の対象もとれていない氷像。 だけどそれは、まるで命を与えられているかのようには羽ばたいています。 無機物である氷の蝶を操っているのは、周囲を漂っている冷風。 ……間違い、ない。「久遠さん―――あなた」「しゃ、射命丸さんどうしたの? 何だか顔が怖いですヨ?」「能力を’併用して’使う事ができるんですか……」「へっ?」 冷気だけでも、風だけでもない。 二つの能力を同時に使ったからこそ可能になった、『踊る蝶々』。 気づいていない。久遠さんは、自分がやったことの意味に。「……どうなんですか? 答えてください」「え? えーっと……で、出来るみたいだね。知らなかったけど」 ……知らなかった? では、彼はどうして出来たというの? 急激に体が強張っていく。 警戒している。私が、先ほどまで『自分の身も守れない』と思っていた彼に。「ちょっと文、睨み過ぎだってば」「―――――えっ?」「ごめんなさいごめんなさい、生まれてきてごめんなさい」 あ、あやや。なんだか久遠さんがすっかり怯えちゃってますね。「そんなに驚く事かい? アキラの能力なら、十分あり得ることじゃないか」「……た、確かにそうですね。久遠さんの能力の特性上、想定できることです。すいません」「はわわ、だ、大丈夫です。はい」 改めて見てみれば分かります。氷の蝶は、騒ぐほどのものではありません。 あの氷精でも、【冷気を操る程度の能力】単体で再現できるでしょう。 あ、あややややや。「……何で私は、あんなに驚いたんでしょうか」「いや、知らないよ」 そもそも元となる久遠さんの力が低いんですよね。 もちろん、そんな彼が能力を併用したところで、驚くほどの結果なんて出るはずありません。 非常識な能力だらけの幻想郷以外ででしたら、警戒すべき力かも知れませんけどね。 ううっ、申し訳ない事をしたものです。 おかげで久遠さんが、隅っこの方で蝶々遊びに逃避し始めてしまいました。「でも確かにあの時、私の天狗としての勘に何かが引っかかった気がするんですよねぇ」 「気のせいじゃない?」「そうはっきり言われると否定できませんが……」 まぁ、今は久遠さんの新しい可能性を改めて喜んでおきましょう。 ……そのためにはまず、彼を隅っこから引っ張り出さないといけませんね。「久遠さーん。さきほどは本当にすいません。だからいい加減……」「閃いたっ!!」「あ、あやや!?」 「おおっ!?」 こ、今度は何なんですか? いきなり立ち上がった久遠さんの顔には、悪戯を思いついた子供のような笑みが浮かんでいるのでした。「やっほー!! ふったりっともー!!!」「…………」「…………」 にこやかに手を振る久遠さんに、私とにとりは呆然と手を振り返します。 今度は、にとりも絶句しています。 ですがそれも、当然でしょう。 ―――軽やかに飛ぶ彼の姿を見れば、二の句をつげる事なんて出来ないはずです。「驚いたね。あんな蝶々遊びからこんな飛び方を思いつくなんてさ」「そう、ですね」 空を舞う彼の背中には、氷でできた翼が生えていました。 鳥の羽を模した’ソレ’は、久遠さんの起こした風を受け本物のようにはためいています。 ――それにしても、早い。 自重が無くなった彼の身体は、風の速さそのままに動く事ができるようです。 ……まぁ、速過ぎると本人が加速に耐えられないようなので、速度は多少緩めているみたいですが。 何も考えず最高速を出せば、天狗に匹敵する速さで動けるかもしれませんね。「さっきの’警戒’の理由は、これかい?」「……どうでしょう」 私達の視線の先にいる久遠さんは、今だ呑気に飛び続けています。 あの浮かれ具合、本人は全然気づいてないのでしょうね。 彼の生み出した氷翼が、本人の錬度にあわない高度な出来栄えであるという事に。「―――目的を限定した能力はより使いやすくなる、ね」 【冷気を操る程度の能力】で生み出された氷の翼は、本物の羽と同じ役割を持たせるため、同能力で自在に形を変えています。 【風を操る程度の能力】も同様です。久遠さんが飛翔する際の推進力として、また防護幕として機能しています。 やや、風の方に与えられた役割が多い気もしますが。 彼が元々持っていた『宙を浮く力』がある以上、飛ぶための力は最低限で済むのでしょう。 それら全ての役割を組み合わせた結果が、あの氷翼なわけです。「……だけど、口で説明する以上に扱うのは難しいはずよ。少なくとも、力を使うようになって一日弱の人間が出来るような芸当じゃないわ」「出来たとしたら、そいつはよっぽどの’天才’ってことかな」「’天才’ね……」 確かに、そうかもしれません。 彼は純粋な才能のみで、あの氷翼を生み出しました。 それは’警戒’するに足る、確かな力です。 ですが―――才能という言葉だけで片付けてしまって良いのでしょうか。「本当に、ただの’天才’なのかしらね」 おそらく、彼の過去に『八雲紫』が関わっていると聞いてからです。 それまで無邪気だと感じていた笑顔を、空恐ろしいものだと思うようになってしまったのは。 ……考えたくない。けど、考えてしまうのです。 私は、とんでもない相手を助けてしまったのではないか、と。「どかーん!!」「あやや!?」 突然、にとりに体当たりされました。 彼女はぷんすかという擬音が聞こえてきそうなほど頬を膨らませ、私を睨んできます。 ……軽い態度に見えますが、これは相当怒っていますね。「文! あんたはそれでも新聞記者かいっ!!」「――――っ」「どんな情報だって平等に取り扱うのが、『真実一路』の文々。新聞なんだろ!」「……いえ、私は裏の取れていない情報を使わないだけで、情報に貴賎はつけますよ? それに枕詞は『清く正しい』です」「なのに情報を扱う側であるアンタが、偏見の目を持っちゃあおしまいだろ!」「無視ですか、そうですか」 ……まったく、好き勝手言ってくれますね。 情報を全て平等に扱った日には、他の天狗と変わらない嘘だらけの新聞になるじゃないですか。「いいですか、にとり」「なんだい? 言いたい事があるなら聞いてやるよ」「私は’清く正しい’射命丸。興味のある情報は隅の隅まで調べ尽くす、幻想郷一のブン屋ですよ?」「自称だけどね」「そんな私が、ただの推論だけで相手を疑ってかかるような失礼な真似、するわけないでしょう!」「……無視かい」 胸を張って、はっきりと宣言します。 そう、私はまだ彼の事をほとんど知らないんです。 彼の力の由縁も、笑顔の意味も。 知らないモノを知らないままにして、結論だけを出そうとするなんて……なんとも、愚かな事です。 ゆえに。「久遠さんの秘密は、この射命丸文がズバッと解き明かせてみせますよ」「ふふふっ……そうかい」 笑顔のにとりから視線を逸らし、苦笑します。 ……まぁ、今回は素直に感謝しておくことにしましょう。 例えどんな結果が待っているとしても、私は彼から目を離してはいけないんです。 それが彼を助け、約束を交わした『射命丸文』の責任なんですから。 私はくるくると螺旋を描きながら墜落して行く久遠さんを見つめながら、ニヤリと笑いました。 ……えっ? 墜落?「あ、あやややや!? 久遠さぁーん!?」「ア、アキラぁー!?」 私は風を纏い、超高速で落ちてくる久遠さんを受け止めに飛んでいきます。 ――――後日知った事なんですが、この時の久遠さんは背後の冷気を垂れ流しにしていたそうです。 ははは、アホですか貴方は。そりゃ身体も冷えて動けなくなりますって。 ……あやや、これは別の意味でも、目を離せなくなりそうですよ。