巻の九十三「人や妖怪と一緒、家にも色んな形があるの」 ―――食べる。 ―――――食べる。 ―――――――食べ続ける。 互いの誇りと信念を賭け、勝利と言う名の栄冠を手にするために。 ただひたすら饅頭を食べ続けた、その結果――「ざ、材料不足で饅頭が作れなくなったため、今大会は両選手の同時優勝と言う事にさせて頂きます!」 まったく別の所がギブアップしてきました。 ……まだ、腹八分も食べてないんだけどなぁ。「失態ね、妖夢。大食い大会なんだから、お饅頭はたくさん用意しておくべきでしょう?」「申し訳ありません。まさか、ゆゆ様と同じくらい食べる方が居るとは思わなくて……」 それから大体四半刻後、撤収準備に入った大会会場で司会者の子がお姉さんに平謝りしていた。 どうも、このお姉さんが大食い大会の主催者だったようだ。 彼女は軽く肩を竦めると、申し訳無さそうに僕へ謝罪の言葉を述べる。「ごめんなさいね。こんな形で終わる事になってしまって」「あはは、全然平気ですよ。残念なのは僕も同じですけど、充分楽しめましたから」「ふふ、そう言って貰えると助かるわ。私も凄く残念だけど」「……本当に申し訳ありません」 司会の子――確か名前は妖夢ちゃん、が僕等に向かってペコペコと謝ってくる。 僕は別に「無いなら饅頭の材料買ってこいよ。五分以内でな!」等と言いだすほど勝負に括ってはいないので、そこまで気にしてはいないんだけどね。 あー、でも賞金とかはどうなるんだろう。やっぱり山分けになるのかな? そんな事を考えていたら、こちらの考えを見透かしたかの様にお姉さんが言った。「せめてもお詫び……と言うワケじゃないけれど、賞金は全額貴方に差し上げるわ」「ほへ? 良いんですか?」「主催者が同時優勝で賞金を山分け、なんてみっともなくて出来ないわよ。ねぇ?」 お姉さんは、同意を求める様に妖夢ちゃんの方へ顔を向ける。 妖夢ちゃんは物凄く何かを言いたそうにしていたけど、すぐに諦めて渋々と言った感じに頷いた。 ……なるほど、彼女達の財布を管理しているのは妖夢ちゃんなのか。 気前は良いけど金銭感覚も無さそうなお姉さんの姿に、妖夢ちゃんの苦労を察して苦笑する僕。 これは、さすがに全額貰う気にはなれないかなぁ。 先ほどまで彼女と同じ様に財布の中身で苦しんでいた僕は、頭をフル回転させて山分けするための言い訳を考える。 そうだなぁ……あ、思いついたこの路線で行こう。「えっと、他の参加者と同じ条件で戦ったんですから、お姉さんも立派な選手の一人ですよ」「あら、気を使ってくれているのかしら?」「事実を言っただけですって。それに、お姉さんが他の参加者と同じ扱いでないと僕が困るんです」「……困る? 貴方が?」「ええ。賞金を山分け出来ないと、‘引き分け’にならないじゃないですか」 うむうむ、我ながら大変それっぽい言い訳である。 フランちゃんや妖夢ちゃんなんかはすっかり信じ切って、僕の言葉に感激しているみたいだし。 ……ちょっとした罪悪感も湧くけど、それはあえて無視で。 ゴメンね二人共、実際はそんな高尚な事ちっとも考えてなかったんだ。 ぶっちゃけ、全額貰うのが申し訳無かっただけなんです。ほんと色々と申し訳ない。 「ふふっ、そうね。なら‘そういう事’にしておきましょうか」 そして騙すべき対象にはバッチリばれてると言う有り様。それでも察してくれたから良いけどさ。 しかもそんなこちらの真意まで見抜いているのか、お姉さんはご機嫌そうに笑っている。正直心が折れそうです。「紫から聞いた通りの子ね。とても面白いわ」「――へっ?」 あれ? 今、何気なく物凄い重要な事を言っておられませんでしたか? 紫ってアレですよね。人物ですよね? ご飯にかけて食べるゆかりじゃありませんよね? 突然の言葉に混乱する僕と、それを満足そうに眺めているお姉さん。 このままでは何一つ分かりそうに無いので、僕はパニック覚悟で話を進める事にした。「あの、紫ねーさまとお知り合いなんですか?」「ええそうよ、親友なの」 親友!? 今まで多くの人妖が「ああ、あの胡散臭いスキマね」と答えた紫ねーさまに親友が居たんですか!? ――っていけないいけない、余りに新鮮な反応につい失礼な事を。 しかし本格的に何者なんだろうかこの人は。紫ねーさまの知り合いって所は間違いなさそうだけど。 そもそも僕は一度も名乗っていないと言うのに、何故この人は僕がねーさまの話に出てきた「久遠晶」だと分かったのだろう。 はっ、まさか彼女は心の中を覗く能力の持ち主なんですか!?「どうも気付いていないみたいだから、一応教えておくわね」「はい?」「私はさっきの大会の主催者だから、当然参加者名簿も見れるのよ?」「……あ、左様でございますか」 そりゃ分かってて当然だよね。きっちりフルネームを書いてたもん。 素っ頓狂な推理をしていた自分が恥ずかしくて、僕はお姉さんから視線を逸らしながら頬をかく。 そんな僕の服の袖を、心底不思議そうな顔をしたフランちゃんが引っ張ってきた。「ん、どうしたのフランちゃん?」 「ねぇお兄ちゃん、さっきから何をそんなに驚いてるの?」「何をって……この人が紫ねーさまの事とか僕の事とかを知っているから、どうしてかなって。僕の事の方は解決したけど」「でも、幽々子お姉さんはその人と知り合いだって、お兄ちゃん言ってたよね?」 ……あんですと? フランちゃんの発言に、僕は思わず首を傾げる。 確かに僕は、昨日の宿屋で紫ねーさまの事をフランちゃんに語っている。 けれど少なくとも、僕の覚えている範囲で彼女にそんな事を説明した記憶は無い。 そもそも、僕の知ってる紫ねーさまの交友関係自体が驚くほど少ないワケだし。 幻想郷で知っている紫ねーさまの知人って言ったら、それこそ目の前のお姉さんか、次行く予定の白玉楼の主人くらいで――あっ。「……すいません、少しお尋ねして宜しいですかね」「何かしら」「その、お姉さんのお名前と、出来れば所属なんかを教えて頂きたいのですが」「良いわよ。私の名前は西行寺幽々子――白玉楼の主をやってるわ」 ――なんとご本人でした。そういえば、ルナサが西行寺さんは中有の道に居るとか言ってた記憶が。 しかしまさか、彼女がこんな所で大食い大会をやっているとは……世の中、何がどう転がるのか分からないモノだね。「……ひょっとしてお兄ちゃん、あの時白髪の人のお話を聞いて無かったの?」「ほ、ほぇっ!? 何故それをっ!?」「全部白髪の人が説明してたよ? この人が白玉楼の主でこの大会の主催者の、西行寺幽々子さんだって」 若干呆れ顔のフランちゃんが、僕にとっては驚愕の事実を教えてくれる。 ああ、やっぱり聞き逃していたんですね。しかも超重要な部分を。 これって同時優勝していなかったら、とんでもないすれ違いを犯す所だったんじゃないのかな。 僕は自身の大食い能力に、心の中でこっそりと感謝した。あと、ちゃんと話を聞いてたフランちゃんにも。「……白髪の人」 でもフランちゃん、妖夢ちゃんを見たまんまで白髪の人とか言っちゃダメだよ? 彼女、地味に応えてるみたいでガックリと項垂れちゃってますヨ?「ふふふっ、本当に紫から聞いた通りの子ね」「紫ねーさまから何を聞かされたのかも大変気になりますが、とりあえずそれは脇に置いておく事にします」「聞きたいなら教えるわよ?」「いえ、遠慮しておきます。それより幽々子さんに、もうひとつお尋ねしたい事があるんですが……」「尋ねたい事、ねぇ」 幽々子さんは左拳で顎を支えながら、何事かを考えている様だった。 何だろう、久々に嫌な予感がヒシヒシとしてきたよ。 個人的には不義理と言われようと、聞くべき事を聞いてとっとと撤退したいんだけど。 ……気のせいで無いなら、それじゃ済まない空気が彼女から漏れ出てる気がしますです。 「そうね。なら、賞金山分けのお侘びと積もる話の清算を兼ねて、貴方達を白玉楼へご招待しましょうか」 良い事を思いついたとばかりに、ぽやぽやな空気を撒き散らしながら両手を叩く幽々子さん。 だけどその瞳に一瞬、計算高い策士の色が宿った事を僕は見逃さなかった。 ああ、この人は間違いなく紫ねーさまの親友なんだなぁ。もちろん同族的な意味で。 にこやかな笑顔の裏に真意を隠し切っている幽々子さんの姿に、僕は現在所在不明な後見人の姿を重ねた。 ……出来れば僕にも有意義な悪だくみでありますように。僕は切にそう願うのだった。 こうして僕等は、目的地である白玉楼へと招待された。 天まで届いていそうな長い階段を飛んで省略した僕等の視界には、広大な日本屋敷と美しい庭園が映っている。 恐らく開花の時季には、満開の桜並木と花吹雪を楽しむ事が出来るのだろう。 残念ながら、季節外れの現状では葉桜すら見る事は叶わないけどね。 それでも尚美しいと思える庭園を僕らがじっと眺めて居ると、何故かフランちゃんの顔つき不安そうなモノに変わっていった。「どうしたの、フランちゃん?」「ねぇお兄ちゃん。……ひょっとして私のおうちって変なのかな?」「え゛っ?」 何を今更――と言いかけた口はギリギリ噤めた。 世間一般から見れば不気味な事この上ない血の様に紅い屋敷でも、フランちゃんからしてみれば普通の家だったのだ。今までは。 しかし、‘比較対象’が出来てしまえば話は変わってくる。 本当の「普通の家」を見てきたフランちゃんは、どうやら紅魔館の景観に疑問を抱いてしまったらしい。 ……悪趣味だからなぁ、紅魔館の外観って。主であるレミリアさん自身も、そう見える事を承知の上で赤く染めてるみたいだし。 あの人、吸血鬼としての考え方は意外とステレオタイプだからね。 その巣窟である紅魔館はやっぱり不気味で近寄りがたい感じに、とか考えているのだろう。 でもフランちゃん的にはどうなんだろうか。こっちは吸血鬼としては規格外な奔放さの持ち主だからなぁ、その考え方を受け入れられるかどうか……。「他のおうちって、三階とか四階とか無いよね。なんで?」 あ、そういう意味でしたか。いやぁ、深読みし過ぎてヒヤヒヤしちゃったよ。 けどそうか。幻想郷は日本家屋がメインだから、二階建て以上の建物は滅多に無いんだよね。 その例外項が紅魔館なんだから、フランちゃんが不安がるのも当然だと言える。 言えるけど……嫌味にしか聞こえないから、もうちょっと言い方は考えてください。「ふふ、貴方の所と私の所では建て方が違うのよ。ケーキとお団子では作り方も形も違ってくるでしょう? そう言う事よ」「……変じゃないの?」「人や妖怪と一緒、家にも色んな形があるの。だから、他と違うからと言って気にする必要は無いわ。分かったかしら?」「うん! ありがとう、幽々子お姉さん」 大人の包容力を全身から漂わせた幽々子さんが、フランちゃんにフォローを入れてくれる。 例えは正直どうよと思ったけど、フランちゃんは納得している様なのでまぁ良しとしておこう。 僕はフランちゃんの後ろで、幽々子さんだけに見える様小さく礼をした。「ところでフランちゃん、一つ聞いて良いかな」「なに?」「……幽々子さんに、自己紹介とかした?」「あっ、まだだった! 今からしてくる!!」「あーうん、多分必要ないけど行っておいでー」 ……フランちゃんって、館に引きこもっていたからそこまで知名度は無いはずだよね。 姉弟子とか、名前は知っていても外見は知らなかったし。少なくともノーヒントで分かる程の有名人では無いと思う。 だから幽々子さん、今のはあくまで事前の会話から察したんですよね? 意味ありげにこっちを向いている気がするのも、単に僕が考え過ぎているだけですよね?「うふふ」 こわっ! この人こわっ!! 得体の知れなさ加減では、暫定トップのお師匠様に匹敵するかもしれない。 さすがは紫ねーさまの親友だ。と言うかぽやぽやした取っつき易い雰囲気をしているせいか、紫ねーさまより底知れない感じがする。 「それでは、客間にご案内いたしますわ。――妖夢」「はっ!」「ご飯の用意、お願いね」「はっ!!」 元気良く返事をして、そのまま台所に向かって駆け出す妖夢ちゃん。 予想はしてたけど、彼女白玉楼の食事も担当しているんだね。 こりゃ、下手すると咲夜さん並に働いているかもしれない。 ルナサの説明によると、彼女はこの白玉楼の庭師でもあるみたいだし――妖夢ちゃんが過労死しない事を祈ろう。 と言うか幽々子さん、大食い大会のすぐ後にご飯ですか。まぁ食べますけどね。「さ、客間はこちらよ。二人ともいらっしゃい」「はーい!」 妖夢ちゃんの姿が見えなくなった所で、僕等も幽々子さんに連れられて客間に辿り着いた。 大きく開けた障子の向こう側に一望できる、美しい庭園が素晴らしい。 部屋の中は純和風の作りで、特筆する事はあまり無いけど……テーブルがやたら大きいのはきっと食事のためなんだろうね。 僕等がぐるりと客間を見回したのを確認し、幽々子さんがゆっくりと床の間を背にして座った。「さ、貴方達も遠慮せずに座りなさい」「あっ、はい」「失礼しまーす」 彼女に促され、僕等はいそいそと座布団の上に腰かけた。 自然と正座の姿勢になってしまうのは、果たして真面目な話をするつもりだったからか、それとも場の雰囲気に呑まれたからか。 どこからか聞こえてくるししおどしの音が、自然と僕の身体を緊張させた。「失礼します。お茶とお菓子を持って参りました」 そうやって間合いを窺うように話始めるタイミングを計っていると、先にお茶だけを持ってきた妖夢ちゃんが客間に入ってきた。 よし、妖夢ちゃんがお茶を全員に配り終えたら話す事にしよう。 心の中でそう決めて、僕は妖夢ちゃんからお茶を受け取る。 しかし、僕が口を開くよりも早く、それまで沈黙を保っていた幽々子さんが動いた。 今までのぽややんとした雰囲気が嘘の様に、張り詰めた空気を放ちながら幽々子さんは呟く。「―――妖夢」「は、はいっ!?」 ただそこに居るだけで‘死’を感じさせる圧力が、妖夢ちゃんに向けられた。 誰かが、ひょっとしたら僕自身が、ゆっくりと息を呑む。 凍った空気の中、その原因となっている幽々子さんが言葉を続ける。「このお煎餅は昨日も食べたわよ~」 ――うん、まぁ正直その手の話になるんじゃないかとは思った。 中央に置かれたお菓子を摘まみながら、切なそうに文句を言う大きな子供。 しかも食べてるし。普通にバリバリ食べちゃってるし。 妖夢ちゃんも気が抜けたのか、思いっきり肩を落としてワザとらしく溜息を漏らした。 ちなみにフランちゃんは、良く分かっていないのか呑気にお煎餅に噛り付いている。平和で何よりだ。「こういう時は、お客様用に特別なお菓子を出すモノじゃないのかしら?」「……この後お食事も控えてますから、ここは軽く摘まめるモノで我慢してください」「えと、僕もお煎餅好きですから、これで構いませんよ?」 駄々をこねる幽々子さんに、何故か客側の僕がフォローを入れると言う不思議事態。 本当に、どうしてこんな事になったんだろうか。 結局この後、不貞腐れる幽々子さんを宥め、妖夢ちゃんを台所へ逃がすのにそれなりの時間を有した。 ――幻想郷の偉い人は、本当に好き勝手してるよなぁ。つくづくそう思った一幕でした。