巻の八十九「溜まったツケを払わないと、新しい事は始められないでしょ?」 目を覚ますと、宴会はすでに終了しておりました。 どうやら宴もたけなわった後、そのまま皆寝静まってしまった様で。 まっ暗闇な境内の中、そこらかしこに寝転がっている皆の姿が確認出来る。「……そういや、何で僕寝てたんだろう?」 確か兎妖怪コンビに酒を薦められて――うーむ、そこから後の記憶が一切無いや。 酒の味すら覚えていないと言うのは、一体どういう事なんだろうか。 ……そして、僕の手足は何ゆえ縛られているので? 色々と謎の多い状況に戸惑いつつ、僕は身体能力の高さを無駄に活用して立ち上がった。 手足を縛る縄は、小さく巻き起こした風でとりあえず切っておく。「まぁいいか。――よしっと、そろそろ行こうかな」 この件は深く追求するなと僕の中のガイアっぽいものが囁いていたので、物凄く気になるけど頑張ってスルーする事にした。 軽く身体の調子と持ち物を確認すると、僕は境内の外へ向けて静かに歩き始める。「で、どこに行くのよ?」「はぅあっ!?」 気を付け過ぎてコソ泥みたいな歩き方になっている僕に、呆れ顔のアリスが声をかけてくる。 皆寝てると思ったけど、そうでも無かったらしい。もう少し確認しておけばよかった。 うっかり大声を出してしまったので、慌てて周囲の様子をキョロキョロと窺う僕。 幸運な事に、他に起きている人物はいないようだった。良かったぁ。「あはは、いやちょっとハバカリに……」「それだけ身支度を整えておいて?」「ま、間違えた。ちょっとコンビニに行ってこようかなと思って」「こんびに? ……良く分からないけど、せめて幻想郷で通じる嘘をつきなさいよ」「あぐぅ」 こりゃダメだ。完全に見抜かれている。 僕は無駄な抵抗を諦め、本当の事を話す事にした。 まぁ、アリスなら分かってくれるだろう。「実はね、白玉楼って所に行こうと思ってさ」「……冥界に? どうかしたの?」 そういや、アリスはそこらへんの事情知らなかったっけ。 僕は自分に真の能力がある事、その件に紫ねーさまが関わっている事を話した。 ちなみに、紫ねーさまが絡んでると聞いたアリスの反応は「ああ、やっぱり」でした。 紫ねーさまは泣いていいと思う。「なるほど。確かに、あのスキマに逢える場所といったら白玉楼くらいよね」「そういう事――だと聞いております。僕は分からないけど」「だけど、案内も無しにこっそり行く必要は無いんじゃない? 文当たりなら冥界の地理も把握しているはずよ?」「うん、分かってる。……だけど今回の事は、案内されちゃダメだと思うんだ」「どういう事よ?」 それが、僕の我儘である事は重々承知している。 しかし今度の件は、今までの「幻想郷巡り」とは少し違う。 自分の中にある『何か』を知るための、自分を探すための旅なのだ。 ……なんか、途端に痛々しくなった気がする。この表現はちょっとダメっぽい。 まぁ、要するにだ。「つまり、自分のケツは自分で拭けって事だよ!」「言いたい事は分かるけど、下品過ぎよ」 ゴメンなさい。良い表現が思いつきませんでした。 けどまぁ、男の子の意地は分かって頂けたようで何よりです。「つまるところ、いつも通り無駄な意地を張ってるワケね」 ……分かられ過ぎてて生きてるのが辛い。 噛み砕きまくった説明、どうもありがとうございます。 ううっ、アリスさんの刺す様な視線がとっても痛いっす。 反論しようにもその通りなので、特に言い返す事も出来ず沈黙する僕。 そんな僕に対して、真顔になったアリスが問いかけてきた。「そこまでして、知る必要があるのかしら。本当の能力なんて」「……アリス?」「心の追いつかない力を得ても、周りや自分を不幸にするだけよ。貴方には、今の力だけで充分だと思うけど?」「それは、今までの僕を見ていての結論ですかね……」「――プラス、過去の体験談って所かしらね」 そう言って何やら切なそうに、アリスは封のされた魔導書を撫でる。 アリスにも、そういう「力こそ正義! いい時代になったものだ」的な過去があったのだろうか。 ……今の頭脳派魔法使いの姿を見ていると、ちょっと想像がつかないなぁ。「とにかく、私は反対よ。そもそも、それってここまでして知る様な事なの?」「そういうワケでは――いや、そうだよ」 肯定の言葉を飲み込み、僕は確固たる意志を込めて否定する。 確かに何も知らない今の時点でも特に不自由は無いし、知る事で何か不具合が起きる可能性も捨てきれない。 だけど、僕は知りたいのだ。……知らなくちゃ、いけないと思うのだ。 僕はそう思う様になった理由を、アリスに対して語り始めた。「ここ最近、色んな事が立て続けに起きて思ったんだ。ああ、これは今までのツケを払ってるんだなぁって」「ツケ?」「そう、ツケ。今まで問題を先送りにしていた」 いつか帰るって話も、本当の能力の話も、以前から考える機会自体はあった。 だけど僕は『いつか必要な時に考えればいい』と思い、それらの問題を全て気にしない様にしてきた。 その結果、それまで見ないフリしていた問題が一気に湧き出てきたワケだ。 「溜まったツケを払わないと、新しい事は始められないでしょ? だから、出来る事をやっていこうかなって」「……はぁ、どこぞの魔法使いに聞かせてやりたい言葉ね」 呆れ顔のアリスが、肩を竦めてそんな事を言った。 ――納得したワケじゃないけど、この馬鹿を説得する事は確実に不可能だろう。 アリスの表情からは、ありありとそんな言葉が読み取って見える気がした。 本当に、常々ご迷惑おかけしますアリスさん。「もう良いわ、好きにしなさい。――今夜私達は会わなかった。それで良いんでしょう?」 渋い顔をしたアリスが、苦々しげな声で告げた。 「見逃す」と言わず「会わなかった」と言うあたりに、アリスの妥協具合が良く出ている。 本当は、行かせたくないんだろうなぁ。 不器用な彼女の優しさに、思わず土下座したくなった。「申し訳ありません、御手数おかけします」「ほんとにね。……だけど、一つだけ約束してくれないかしら」「ほへ?」 表情を引き締めたアリスが、そんな事を言ってきた。 彼女に‘引いてもらった’僕としては、特に拒否する理由は無い。 いやその、あんまり無茶なのは困るけどね。 「冥界に行って知るべき事を知って、それでもどうして良いか分からなかったら――その時は、必ず‘誰か’に相談するって」 真っ直ぐこちらの目を見つめたまま、アリスは言う。 ……何とも、良く分からない『約束』だ。 そもそも、誰かって何だろう。アリスに言うんじゃダメなのかな。 僕が彼女の意図を掴めず首を傾げていると、こちらの戸惑いを察したアリスが苦笑しながら続けた。「別に、頼る相手は私で無くても良いのよ。ただ晶は、一度決めたら死ぬまで意地を張る悪癖があるから」「死ぬまでって言うのは大袈裟では……」「冗談でも何でもないわよ。――ったく、普段は焼き土下座してでも他人に頼る癖に、どうしてこう変な所で一人頑張ろうとするのかしら」「色々突っ込みたい所はあるけど、素直にゴメンナサイ」 以前にも似た様な会話を交わした気がするのは、きっと気のせいでは無いのだろう。 どうにも久遠晶と言う人間の性根は、ちょっとやそっとで変わるモノでもないらしい。 だからこそ、アリスは「約束」なんて形をとったのだろう。 ――途方にくれた僕が、意地を張ったままでも他人に頼れるように。 ううっ、心配かけまくるほど極端すぎる人間でマジすいません。「そういう事だから約束しなさい。後ついでに、無事に帰ってくる事もね」「うん、分かった。……って、ええっ!? 冥界ってそんなに危ない所なの!?」「危険度は他と同じくらいかしらね。――でも貴方、普通の場所でも何かしらの危険を引き寄せるでしょ?」「あぐっ」「やたら頑丈な癖にすぐ死にかけるし」「うぐぐっ」「うっかりするし」「げぼっ」「馬鹿だし」「も、もう勘弁してください……」 豆腐の様な柔らかさを誇る僕のメンタル面が、がんもどきになってしまいます。 そんな僕の凹み具合を見て満足したのか、アリスがしたり顔で頷いた。 とりあえず、出来る限りは自重します。出来る限り。「落ち込むくらいなら、突っ走るのも程々にしなさいよ。で、どうなの? 約束できるの?」「さ、最善は尽くします」「……まぁ、貴方の性格的にそれが限界かしらね。――なら、私はちょっと散歩に出かけてくるわ」 やれやれと肩を竦めながら、僕に背を向け歩き出すアリス。 彼女は鳥居を潜る前に一旦止まると、背を向けたまま軽い調子で僕に言った。「それじゃあ、後ろの子の説得頑張って」 ……ん、後ろの子? アリスに言われ、背後の様子を窺う。 すると、そこには――「お兄ちゃん……またどこかに行っちゃうの?」 すでに涙目になっている、フランちゃんの姿がありました。 うわぁ、色んな意味でマズい事になったなー。「ふ、フランちゃん!? いつから起きて」「『実はね、白玉楼って所に行こうと思ってさ』って所から」 わぁ、起きてる人を探して周囲を窺った直後の話ですね。……僕ってば本当におバカさん。 全てを聞いていたらしいフランちゃんは、顔を下に向けあからさまに落ち込んでいる。 そんな彼女を見て、僕は思いつく限りの言い訳を口にしようとした。 だけど、すぐに思いとどまる。 フランちゃんの友達として、教育係として、口先で誤魔化すわけにはいかないと思ったからだ。「うん、やらなきゃいけない事が出来たからね」「……そうなんだ」「だから、フランちゃんには悪いけど――」「なら、私も一緒に行く!」「ほへ?」 先ほどまでの沈んだ顔が嘘の様な爽やかな笑顔で、フランちゃんがそんな事を言った。 あの、フランさん? さっきまでの話は全部聞いてたんですよね? 出来れば男の子の意地的アレコレを、察してくれるとありがたいんですが。「大丈夫だよ。私、外の事分からないから案内出来ないもん」 ……あー、そう来ましたか。確かにその通りですね。 だけどフランさん、分かって貰えませんか? 貴方が味方に居ると、どうなるか分からない冥界行きが、ボム数無限残機最大オプション全開スタートのチートプレイに早変わりしちゃうんですよ。 そうなると、もう僕の勇気なんてモノは紙くずと同意義になっちゃうワケでして。「なので出来れば、僕一人に行かせて欲しいのですが」「むー、お兄ちゃんのイジワルー。なら、私にも考えがあるんだからね!」「ど、どうなさるんで?」 キュッとしてドカンは勘弁して欲しいなぁ……。 意地悪く微笑むフランちゃんに対して、いつでも逃げ出せる体勢をとるヘタレな僕。 可能なら説得したいけど、暴力に訴えられたら逃げるしかないもんね。 内心で言い訳も終えて、僕はフランちゃんの次の言葉に備える。 しかし、予想はあっさりと裏切られる事になるのだった。「―――泣く」「ほへ?」「ここで泣く。すっごい泣く。連れて行ってくれるまで泣く」 ……何と言う恐ろしい脅迫をしてくるのだろうか、この子は。 暴れられるより怒られるよりタチが悪い。フランちゃんも成長したもんだ、嫌な風に。 すでにフランちゃんは、俯いていつでも泣ける様にスタンバイしている。 ここで泣かれれば、間違いなく皆は目を覚ますだろう。 そうなれば、こっそり冥界に行く事は不可能だ。 いや、それだけならまだ良い。……フランちゃんが泣いていたら、紅魔館の方々がどんな手段に出てくる事か。 ――少なくとも、死ねれば幸せな目に逢う事は間違いあるまい。「すいません。その、それは勘弁して頂けないでしょうか……」「じゃあ、連れてってくれる?」「えーっとそれはー」「ふぇ……」「わ、分かった! 連れてく、連れてくから!!」「わーいっ」 あっさり涙を引っ込め、僕の背に飛び乗ってくるフランちゃん。 女の涙って怖い。そう思わずには居られなかった。「はぁ。……それじゃあ行ってきます。文姉、幽香さん」「行ってきまーす」 聞いていないのを承知で挨拶をし、僕はフランちゃんと共に冥界へと向かう。 さて、鬼が出るか蛇が出るか。 ちょっと自分の事を知りに、出かけるとしましょうか。 「……まったく、こっそり出掛けるならもっとこっそり出掛けてくださいよ」「晶らしくて良いじゃない。まぁ、寝たフリに気付くくらいはして欲しかったけどね」「ふん、あの程度の酒で寝るモノか。馬鹿にしおって」「(本当は寝落ちしていたのに意地張って話を合わせるお嬢様、素敵です……)」「だけど良いのか? 晶についていかなくて」「ふふ、晶が言っていたでしょう? 今回の件に『案内役』は不要だと。私もそう思ったのよ」「弟の覚悟を、静かに見守るのも姉の愛です。晶さんの意地をお姉ちゃんは支持します」「くくっ、お膳立てした甲斐があったと言う事か?」「おや、気付いてましたか」「当たり前だ、あまり紅魔館の主を舐めるな。……それにしても豪勢な話だな、晶を‘旅立たせるために’宴会を開くとは」「本人にその気が無ければ、本当にただの宴会で終わったわよ。少しは前に進む気概があった様で何よりだわ」「くくっ、まぁ無事に帰ってこられるかは分からんがな」「帰ってこられなければ、そこまでの器だったと言うだけの話よ。そこまで面倒は見切れないわ。……それより、貴女は良いの?」「む、何がだ?」「自分の妹を行かせて、不安なんでしょう?」「ふん、そんなワケがあるか。そろそろフランにも、外に出て経験を積んでもらわないといかんからな。これも、始めから計画していた通りの流れさ」「……本音は?」「しっかりしてきたのは嬉しいけど、手がかからなくなってちょっと寂しいわ――って何言わせるのよ!?」「分かります。同じ姉として」「生温かい目で同意しないでよ!?」「ふぅん……それだけ?」「――ふん、何が言いたい」「貴女の所の門番に聞いたわ。貴女、最近あの魔女に『住吉三神』に関する書物を集めさせているそうじゃない」「……ちっ、美鈴のお喋りめ」「住吉三神ですか? ひょっとしてレミリアさん、月に――」「おっと、悪いがここから先は極秘事項だ。……だが、面白い事が起きるのは保障しよう。くくっ、何なら一口乗るか?」「止めておくわ。貴方の保障は天狗の新聞並にアテにならないから」「失礼な。捏造だらけの天狗の新聞でも、この人の保障よりは多少マシですよ」「貴様ら揃って表に出ろっ!?」