―――自分の能力を使う時、いつも頭の中ではキリキリと幻想の機械が動いていた。 幾つもの歯車で動くその想像の‘機械’は、僕の持つ幻想の力を分かりやすい形にした、ある種のイメージなのだろう。 多くを知る程、力の使い方を覚える程、「他人の力を写し取る程度の能力」を動かす歯車はその速さを増していく。 そしてその度に、僕は妙な‘違和感’を覚えずにはいられなかった。 自分の中の‘機械’が大きくなればなるほど、その奥にある‘何か’が見えなくなる気がする。 その‘幻想の違和感’の正体を、僕はこれから知る事となる――― 目を覚ますと、そこには見覚えの無い天井が広がっていた。 和風建築に良くある板作りの天板や、恐らく機能を失っているのであろう蛍光灯が視界に映る。 ……訂正、見覚えはあった。 寝転がって眺める機会は無かったけれど、僕はこの天井を、多い時には週一で眺めていた事もあったはずだ。「ひょっとして、ここって社殿の中?」「正解。物分かりが早くて助かるよ」 独り言のつもりで呟いた台詞に、思わぬ答えが返ってきた。 ゆっくりと上半身を起こすと、自身の置かれた状況が分かってくる。 どうやら八坂様との弾幕ごっこの後、気絶した僕は守矢神社の中で介抱されていたらしい。 いつもの腋メイド服は数々のオプションパーツを外され、文姉の服とほぼ同じ仕様になっている。ウェスト緩い。 僕は落ちかけている頭の上の布巾を抑えながら、軽く部屋の中を見回した。 声の主は、すぐ隣に腰掛けている。「それで、気分はどうだい?」「すこぶる良いです。身体の節々は痛いですが」「あははははっ、そんな軽口が叩けるようなら安心だね」 カラカラと謎の少女は笑う。 外見の幼さに反して、その笑顔には妙な貫禄があった。 こんなにも分かりやすくタダモノで無いオーラを出せるのは、ある意味凄いと思う。 しかし何者なんだろう、この人は。 見た目はもう完全にただの少女なんだけど、琥珀の様な瞳の奥には底知れない神々しさを感じ取る事が出来る。 格好は、紫と白のツートンカラーで彩られた服に山吹色の麦わら帽っぽい帽子。 服にやたらリアルな蛙の絵が張り付いてたり、帽子に変な目みたいなモノがくっ付いてたり、おかしな所は多いけど……まぁ可愛いと言い切れるだろう。 「およ、どうしたんだい? そんなに私の事を見てさ」 けれど残念ながら、その格好から身元を割り出す事は難しそうだった。 多分、守矢神社の関係者なんだろうけどなぁ……。 ここに蛙の神様なんていたっけ? ミシャグジ様は確か蛇の神様だったよね。あれ、山神だったっけ?「んふふ~。なに? 私の姿に見惚れちゃった?」「いえ、特には。それよりちょっと聞いても良いですかね」「断言されると結構凹むなぁ。それで何だい?」 「えっと―――ひょっとして貴女がスワコ様ですか?」「……驚いた、良く分かったね」 こちらの問いかけに、目を丸くするスワコ様。 だけどスイマセン。実はかなり当てずっぽうでした。 前に名前だけは聞いていたので、外れても良いやの気持ちで尋ねたんです。 まさか当たっていたとは。何とも不思議な雰囲気といい、‘スワ’って名前といい、やっぱりタダモノでは無い気がする。「じゃあ改めて。私は洩矢諏訪子、君には『土着神の頂点』って名乗った方が分かり易いかな」「――まさか、洩矢神!?」「んふふふふ~、本当に物分かりの良い子だねぇ~。キュンキュンしちゃうよ」 洩矢神。八坂様――建御名方神に諏訪地方の支配権を奪われた、ミシャグジ神の‘別称’の一つだ。 もっとも支配権は奪ったモノの、前支配者の影響が強すぎてミシャグジ信仰を追い出す事は出来なかったらしいけど。 ……ってそうか。信仰が残るなら神様も残るよね。 何となく事情を察した僕は、何度も頷きながら諏訪子様の姿を眺める。 つまりこの人は、ある意味では守矢神社の真の神様になるんだね。 ……凄い状況に居るはずなのに全然ビックリしないのは、諏訪子様が当たり前の様にしているからなんだろうなぁ。「あ、ちなみに私は様付け要らないから。諏訪子ちゃんとかで良いよ。ケロちゃんでも可」「じゃあ諏訪子さんで」「わりと引かないね、君も」「これくらいの抵抗はセーフだと判断しました」「あっはっはっはっはっ! ほんと面白い。面白いよ君!!」 良く分からないけど、僕の返答に何やらご満悦な諏訪子さん。 お前の挙動全てが気に食わんと言った様子の八坂様とはえらい違いだ。 何だろうね、この極端すぎる評価の違い。「ところでちょっと良いかな。聞きたい事があるんだけど――」「晶さんがまた無茶をやらかしたと聞いて音速で駆けつけました!!」「神奈子様がロクでも無い事をしでかしたと聞いてマッハで参上致しました!」 諏訪子さんの疑問を遮り、襖を乱暴に開いて現れる僕の姉と親友。 その後ろには、何だか疲れている様子の幽香さんと露骨に落ち込んでいる八坂様の姿も。 状況はさっぱり理解できないけど、何やらひと悶着あった事は理解出来た。 我先にと言った感じの二人は僕を見つけると、物凄い勢いでこちらに近寄ってきた。正直怖い。「晶君大丈夫ですか!? 何やら、神奈子様が大変な粗相を……」「いやいや、弾幕ごっこは同意の上だったしさ。ぶっ倒れたのも自分が原因だから、早苗ちゃんが謝る必要は無いよ?」「……そうですか?」「だから言っただろう。お前が思っているより久遠晶は頑丈に出来ているんだと――」「神奈子様は黙っていてくださいっ!!」「……スイマセン」 いえ、概ね八坂様の言う通りなんですがね? 早苗ちゃんの尋常ならざる迫力に、そんなフォローの言葉も出てこないチキンな僕。 だけど、この構図は正直どうなんだろう。 神と風祝というより、父と娘と言った方がしっくりくる気がする。 それも、シチュエーション的には娘の日記を親父が読んでしまったその直後、みたいな感じだ。 信徒激減間違い無しな光景である。幸運な事に、話を広めそうな新聞記者はそれどころじゃないみたいだけど。「まったく晶さんは……少しは自分を大切にしてください」「面目次第もありません」 さすがにお馴染過ぎて誤解し様が無いのか、文姉の方は呆れ顔で僕の額を突いてくる。 いやほんと、さすがにあの突進はやり過ぎたと思っています。 ちょっと欲を出し過ぎたね! と言うか絡め取る弾幕半分くらいで止めとけば確実に勝ってたんじゃ――うん、深く考えない様にしよう。「幽香さんも気を付けてくださいよ? 晶さんは『右腕一本失くすだけで勝てるなら、喜んで差し出してやるわぁーっ!』とか言いだす人なんですから」「文姉の中で、僕はどれだけデンジャラスな人になってるんですか」「事実でしょう?」「あら、事実じゃない」「事実ですよねぇ」「事実だろ」「あはは、事実っぽいねぇ」 まさかの全員肯定である。生まれてきてスイマセン。 前から思っていたけど、僕の周りの人は僕より僕自身の事に詳し過ぎやしないかな。気のせい?「けどそうね、少し期待が過度になっていた事は否定しないわ。晶、どうやらまだまだ修行が足りないみたいね」「うう、修行不足でスイマセン」「……まぁ、まだ‘狩る’には早いかしら」 幽香さんのお言葉に、僕は何の反論も出来ず項垂れた。 僕自身、成長していたつもりだから余計落ち込む。 だけど何故だろう。良く分からないけど、ギリギリの所で救われた気がする。「んふふ~。幽香さん、今ちょっと安心しました? 安心しました?」「――最近の貴女のウザさは、筆舌し難いモノがあるわね」 そして何やら楽しそうにじゃれてる二人、仲良さそうで何よりです。瞬く間に殴り合いに発展しかけてるけど。 僕がそんな二人を眺めていると、何かを思い出した諏訪子さんが徐に喋りだした。「そういや、君の戦い方でちょっと聞きたい事があるんだけど」「はい? 何か問題でもありました? というか見てたんですか?」「バッチリとね。でまぁ、問題というか疑問なんだけど。……何でそんなに効率悪い戦い方してるの、君?」 わぁお、いきなり人の心を抉りますねケロさん。 心の底から不思議そうな顔で、諏訪子さんは非情な質問をしてくる。 うう、僕だって好きで頭の悪い戦い方をしてるワケじゃないんですよ! 半泣きになりながら、僕は羞恥プレイを受けている心境で彼女の質問に答えた。「そりゃ、僕がヘッポコだからですよ。ぐすん」「ヘッポコって言っても限度があるでしょ? 絶対おかしいよ、‘能力で能力を作って戦う’なんて」 こちらの自虐的返答にも、あくまで疑惑の態度を崩さない諏訪子さん。 そろそろ泣いても良いかもしれない。ケロさんは僕の肉体では無く精神を攻めるおつもりですか。「うう、しょーがないじゃないですかー。僕の「相手の力を写し取る程度の能力」はそういう仕様なんですからー」 言い訳が出来なくなって、ほとんど泣き言に近い愚痴を漏らす僕。 ……そう、僕は気付かなかった。諏訪子さんの発言の真意に。 それだけ僕にとって‘当たり前の事’だったのだ、自分の能力も、おかしな‘条件’も。 ―――だけどそれは、たった一言で崩されてしまう程度の‘確信’でしか無かった。「何言ってるのさ。‘君の能力はそれじゃ無いでしょ’?」「えっ? あの、どういう事で……」「これでも神様だからね。‘自分と同じような能力を持ってる’なら、見るだけでも分かるって事だよ」「……えっ? えっ?」「何だったらもう一度言ってあげようか? ‘君の能力は「相手の力を写し取る程度の能力」じゃないよ’」 何でも無い事の様に、諏訪子さんが言う。 その言葉が意味する所に気付いた瞬間、僕の意識は暗転していった。巻の八十五「賽は投げられた」 『飛べる、飛べる、僕は飛べる……』 あれ? 何だこれ。 どこかで見たようなちびっ子が、やっぱりどこかで見たような家の屋根でブツブツと何か言っている。 危ないよ、君。落ちたら死ぬって。『……こわい』 ほら、そうでしょ?『やっぱりこわくないっ』 どっちやねん。 男の子はぶるぶる震えながら気丈に空を睨みつける。 『げんそーきょーでは、皆飛べるのが当たり前なんだっ』 そういって彼は………ってあれ、誰かと思ったら僕じゃないか。 何故か客観的な視点になっていたため分からなかったけど、屋根の上にいる少年は間違いない、八年前の僕だ。 ―――というかこの回想シーン、大分前にも同じ様に振り返った事があったよね? 以前とまったく同じ映像をぼんやりと眺めながら、僕はその事を‘思い出す’。 あの時は確か、親分に凍らされて……そうそう、アリスに介抱されながら夢見心地でこの光景を眺めていたんだっけ。 ……我が事ながらうっかりし過ぎだよなぁ。 色々とアレな記憶まで思い出し、口の中が酸っぱくなる僕。 さらにこの後の展開まで想起したせいで、僕は在りもしないムービースキップボタンを探してしまう。 『で、でも、飛ぶのは難しそうだから、まずは浮くことから』 もうほんと勘弁してください。この頃の僕は、信じれば何でも出来ると信じてたんです。 その結果がアバラ三本なワケですが――ん、そういえば? 苦々しさを抑えながら、僕は‘今まで忘れていた’記憶を引っ張りだす。 もしこれが、以前に見たモノと全く同じだとしたら……この後見る光景は僕の「事故シーン」では無いはずだ。『と、とりゃあー!』 ミニマムな僕が、良く分からない勇気を振り絞って飛ぶ。 本来なら重力に囚われてしまうはずの身体は、何故かふわふわと宙に浮いていた。 ……何で忘れてたんだろう。この‘記憶にない記憶’の事を。 以前見たはずの光景を改めて見直しただけの話なのに、僕は状況を理解出来ず唖然としてしまう。 一方知らない記憶の中の僕は無邪気に浮いた事を喜んでいたが、やがてそこから動けない事に思い当たり愕然とし始めた。 なるほど、ここらへんは今の僕が持っている「飛ぶ能力単体」の制約と良く似ているね。 あれも、他の能力と組み合わせなければ移動する事すらままならないワケだし。 ――それでどういう事なんだろう、これは。 何と言うか、色々とややこしくなってきた気がする。そもそも今更だけど、ここはどこなんでしょうか?『うぅ………うわぁぁぁあああああん』 等とこっちまでテンパッている間に、あっちの方の僕の限界が先に来てしまったようだ。 まぁ気持ちは分かるけど、さすがに二度目ともなると冷静に見てしまう。 ――ん、二度目? そういえばこの後、浮いた事よりもっとビックリする事があったよね。 何だったかなぁ。どーもさっきから記憶が渾々沌々として落ち着かない。忘れたり思い出したりを繰り返してる感じだ。「それは、貴方が今‘どっち付かず’な状態に居るからですよ」「……どっち付かず?」「そう。全部忘れることも、全部思い出す事も出来る、中途半端な立ち位置」 確かに、言われてみるとそんな感じだ。 相変わらず頭の中はゴチャゴチャしているけれど、自身の状況を把握できた分楽になれた気がする。 ――それで、ねーさまはなんで当たり前の様にそこに居るんですか? 妙な空間の裂け目から上半身だけを出している紫ねーさまは、泣いていたチビっこい僕を抱きかかえ微笑んでいる。 そういえば、こういう事もあったような無かったような。ああもう面倒臭い、これからは細かい事は気にしない様にしよう。 ちなみに、抱きかかえられたちぃちゃい僕は火が消えた様に静かになっている。 しかし落ち着いたと言う様子では無い。どちらかと言うと、話しかけるまで無意味に同じ動作を繰り返しているイベントキャラみたいな感じだ。「ふふ、面白い例えですね。あながち間違ってはいませんわ」「ま、間違っていないんですか?」 「ここはあくまで過去の記憶なのです。だから、どれほど克明に映っても現実では無いのですよ」「つまり、超リアルな3D映画を見ている様なモノなんですね」「そういう事です」「………ねーさまもCGなんですか?」「それに近いですわね」 近いんだ。気にしないって言った直後でアレだけど超気になる。 そんなこっちの表情で疑問を察したのか、紫ねーさま(CG)は妖艶な笑みを湛えて説明を付け加えた。「より正確に言うなら、私は『力の残滓』で『記憶のストッパー』なのです」「ほへ?」「久遠晶、私は貴方に選択を迫らねばいけません。ですがその前に、貴方の身に何が起こったのかを話しましょう」 ねーさまがそう言うと同時に、世界にノイズが走る。 右も左も分からないモノクロの場所には、僕とねーさまだけが存在していた。 全身を露わにしたねーさま(仮)は、本物と変わらない優雅な仕草で僕に語りかける。「まずは結論から説明致します。『八雲紫』は貴方の記憶にある改変を行いました」「あー、みたいですねー」「……意外と冷静に受け入れましたね」「いやぁ、そこを受け入れないと話が進まないでしょう?」「くすくす、仰る通りです。では話を続けましょう。――記憶改変はたった一度、貴方が最初に‘能力に目覚めた’時に行われました」 それは何時の話なのか、等と改めて聞く必要は無い。 幾ら頭の中がゴチャゴチャしていると言っても、ほんのちょっと前の事を忘れるほど混乱しているワケでは無いのだから。 僕の記憶とは違う。紫ねーさまとの恐らくは‘本当の’ファーストコンタクト。 それが、僕の改変された記憶なのだろう。「なるほどね。つまりその‘本当の記憶’の中に僕の能力を知る答えが―――」「ありませんわ」「……無いんですか」 そう簡単に行くワケねーだろ。と言わんばかりの笑顔を浮かべるねーさま。 ちょっと期待していただけに地味にヘコむ。「けれど、答えを見つける『切っ掛け』にはなります。だからこそ、八雲紫は‘私’を残したのです」「―――ほへ? ねーさまは紫ねーさまじゃ無いんですか?」「私は、八雲紫が行使した能力の残滓に‘式’を加えたモノです。少し変則的な式神だと思ってください」「式神なんですか!? それが僕の頭の中に!?」「ええ。もっとも与えられた能力は限定的で、式神と呼ばれて良いのかは微妙な所ですがね」 そういって、紫ねーさま(式)はちょっと恥ずかしそうに肩を竦める。 言われてみれば今更だけど、本物のねーさまよりちょっと言葉遣いが丁寧になっている気が。 しかし分かんないな。切っ掛けにしかならないと言うのなら、何でねーさまはワザワザ式まで残して記憶改変を行ったんだろう。「改変したからこそ、些細なモノになったのですよ」「……どういう事です?」「思い出せば分かりますよ。八雲紫が記憶を改変した‘意味’も」 式のねーさまがそう言うと同時に、背後に二つの扉が現れた。 何の変哲もない木の扉には小さな窓が付いており、そこから中の様子が窺えるようになっている。 片方の窓から見えるのは、気を失う前に居た守矢神社の社殿だ。皆の姿もチラホラ見える。 そしてもう片方の窓から見えるは、さっきまで見ていた記憶の光景だ。紫ねーさまが子供の僕を抱きかかえている。 えっと、これってもしかして……。「さて、説明した所で選択の時間です。このまま過去の出来事を思い出すか、それとも完全に忘れるか」「……あー、やっぱりそうなるんですか」「ええ、そうなります」「ちなみにコレ、選び直す事なんかは当然……」「出来ません。慎重に考えてください」 まぁ、そうなりますよねー。 しかし意外と親切な仕様だよね、望めば忘れる事が出来るワケだし。「知らない方が良い。という事もありますから」「……そんなにヤバい事なんですか?」「どうでしょう、私には分かりません。ですが………ひょっとしたら貴方は、事実を知る事で八雲紫を恨むかもしれません」 さらりと嫌な事を言う、式だけど忠誠心は無いらしい紫ねーさま。 どうやら本物のねーさまは、改変される前の記憶で色々とやってたらしい。 ……そこらへんは、何となくでも思い出せないな。さすがにそこまでサービスはしてくれないって事か。 さて、どうしたもんかな。 思いだしたら全て引っ繰り返る可能性があるみたいだけど、忘れてしまうと僕自身の謎を解く事が難しくなってしまう様だし。 これは中々に難しい選択かもしれないね。 何しろ、式のねーさまは‘完全に忘れる’と言っていた。 つまりここで『忘れる』を選べば、僕にとってこの記憶は完全に「アバラを三本折っただけ」の事になると言うワケである。 とは言え、それで何が変わるワケでも無い。 むしろ今まで通りに戻るだけだ、困る事なんて何一つ無いだろう。だったら……。「決まりましたか?」「はい。―――記憶、戻しちゃってください」 選ぶのは、より‘面白い’方に決まっている。 どうやら僕は、根っからの冒険野郎であるらしい。 例え自分の事であろうと、知らない事があるのは‘つまらない’と思ってしまうのである。 他に選考基準があるだろうに、真っ先に出てくるのがソレなんだから。我が事ながら呆れると言うか何と言うか。「私は、それで良いと思いますよ。貴方らしい、真っ直ぐな選択で」「……褒められてるんですかね」「はい。褒めています」 にっこりと紫ねーさまが微笑むと同時に、社殿が見えていた方の扉が薄れて消える。 それに合わせて、ねーさまの身体も半透明になっていった。 どうやら僕の選択の結果が、早速反映されている様だ。――で、何故に紫ねーさままで消えかけているんですかね?「私は記憶のストッパーですから。記憶が解放された以上、私が存在する理由はもうありません」「それは……何と言うか悪い事しちゃいましたかね」「お気になさらず。どちらを選んでも結果は変わりませんでしたよ」「へ? そうなんですか?」「記憶を完全に消すためには、私を構成する『力の残滓』を全て使いきらなくてはなりませんから」 あーなるほど、本当にねーさまは‘この選択のためだけ’の式神だったんだ。 消えかかっているのに、どこか満足そうな顔をしているのも納得できようモノである。 まぁ、こっちの心象的にはあまりヨロシク無い光景ですが。 いよいよ式のねーさまの身体が白黒の背景に溶け込んできたので、僕はこれから消えるねーさまへ一言だけ告げる事にした。「ねーさま。どうもありがとうございました」「……?」「いやなんか、まだ記憶ごっちゃなんですけどね。式のねーさまは今まで僕の事を守っていてくれた気がするんですよ」 改変される前の記憶を見れば分かるんだろうけど、その時にはもうお礼を言えないワケだしね。 僕がお礼を言うと――式の紫ねーさまは、本当に嬉しそうな笑顔で優雅に一礼してきた。「こちらこそ。貴方の記憶を見るだけの存在でしたが、存分に楽しませて頂きました」 そう言って式の紫ねーさまは、思いの外あっさりと消えていった。 役割上無理な事とは言え、もう少しお話したかったなぁ。 というか最後の台詞。邪推すると凄い嫌味に聞こえる気がするんですが、考え過ぎですか? 何ともやりきれない気分になりつつ、僕は最後に残った過去の記憶への扉を開く。 ―――さぁて、鬼が出るか蛇が出るか。じっくり見せて貰おうじゃないか。