巻の七「暗がりに鬼を繋ぐ」「お疲れ様。とりあえず、こんなところですかね」「終わったぁ―――ふぅ」 私が手帳を片付けると同時に、久遠さんは大きく背伸びをしました。 うーん、さすがに拘束しすぎだったでしょうか? 取材を始めたのは、太陽が登り始めていた頃でしたよね。 ですが太陽は今、もう真上……あやややや。「いやはや、久遠さんのお話は真に興味深いです。おかげですっかりこんな時間に」「僕自身の話はほとんどしなかったけどね」「話の内容は、外の技術のことばっかりだったもんねぇ」「……久遠さんの自己紹介もソコソコに、バッグの中身を逐一尋ね始めたのは貴方でしょうが、にとり」 まったく、昨日交わした約束は何だったんですか。 一応記者としての意地を通して、最後まで私がインタビュアーを務めはしましたけどね? 実際はほとんどにとりの質問コーナーになっていたじゃないですか。 おかげで上等なネタが手に入りましたから、結果的には問題ないわけですが。 やっぱり、釈然としませんよ。「ん? 何か言ったかい?」「いいえ、何でもありません」 ちなみに好奇心を満たした河童は今、私達から少し離れた所で彼のバッグを漁っています。 ……ほんっとーに好き勝手してるわね、貴方。「『でじかめ』……『でじかめ』……どれだっけ」「にとりが今、手に持ってるのだよ」「ありゃ? じゃあ『ぷりんたぁ』はどれ?」「ああ、それは……」 道具の大まかな理屈を知った彼女は、外の世界の製品を複製してみるんだそうです。 その第一弾が「でじたるかめら」と「こんぱくとぷりんたぁ」なのは――もちろん、私が希望したからなんですけど。 いやぁ、即座に写真の出来を確かめられ、その場で現像もできるなんて素敵なセット。ブン屋としては絶対に見逃せるはずがありませんからね! ……完成直後に、スキマ妖怪が持っていきそうな気もするんですが。「それで、久遠さん。これからどうしますか?」「……これから?」「はい。次の『文々。新聞』のネタは決まりましたから、しばらくは自由に行動できますよ」 出来れば最初の記事には、本人の紹介を書きたかったんですけど。 話を聞けば聞くほど、久遠さんの話はネタにし難くなってしまうんですよね。 ……いえ、彼に記事に出来ないほど悲壮な過去があったというわけではないんですよ。 ―――むしろ、何も無いんです。 私も新聞記者として、外来人に取材した経験はそれなりにあります。 そのほぼ全てがスキマ妖怪に神隠しされてやってきた、幻想郷を知らない人たちだったわけなんですが。「久遠さんって、そういう人たちとあんまり変わらないんですよねぇ」 彼に聞こえないように、小さくため息と愚痴を零します。 能力持ちで、外の世界にいた頃から幻想郷の事に詳しくて、妖怪にも慣れている。 これだけ普通の人との違いを見せつけられたら、何かあるんじゃないかと期待するのは無理もない事ですよね。 古き妖怪の末裔だとか、神の加護を受けた神子だとか、月よりの使者だとか、そういう背景情報があってもいいでしょう。 ……ええ、ありませんでしたよ。これっぽっちも。何一つも。 強いて言うなら、ちょっと幻想郷……というか人里に近い環境で育ったみたいですけど。 ははは、それだけでこんな風に育つもんなんですか?「……納得できるわけないじゃない、そんなの」「ん? 何か言った?」「あやややや、何でも無いです。それより、どうするか決まりました?」 「うーん……決まったと言えば、決まったかなぁ」「おっ、積極的ですね。なんですか?」「能力をね、もうちょっと使いこなせるようになりたいかなぁって」「なるほど……」 久遠さんの言葉に、私も思わず頷きました。 幻想郷で安全を確保する最も簡単で確実な方法は、自身の能力を使いこなす事です。 特に久遠さんは能力の特性上、複数の能力を操ることになりますからね。 今のうちに力を使いこなせるようになれば、幻想郷で起きるトラブルにも上手く対応できることでしょう。 ……内心、少しだけホッとしました。 どうも久遠さんは警戒心が薄いというか――幻想郷を、ひいては妖怪を恐れていない節があります。 人里あたりで大人しくしているのならそれでも構わないんですが、幻想郷を回りたいというのなら話は変わってきます。 幻想郷は、人間が無警戒に歩きまわれるほど優しくは出来ていませんから。 一安心です。どうやら彼も、人並の常識くらいは持ちあわせていたようですね。「そりゃいいね。アキラの能力は扱い難しいから、慣れていないと弾幕ごっこもできないだろうし」「え? ……ああ、そういえばそんなものもあったっけ」 あやや、久遠さん? なんですかその、指摘されて今気づきました。みたいな反応は。 能力を使いこなすのは、弾幕ごっこをはじめとした幻想郷の危険から身を守るためじゃないんですか? ―――私の安堵、返しなさいよ。「……それじゃあ久遠さんは、何で能力を使いこなそうと思ったんですか」「うん。僕さ、空を飛べるようになりたいんだよ」「空を飛ぶ?」 こちらの呆れ具合にも気づかず、キラキラした目で夢を語るように久遠さんは言いました。 というかこの人飛べなかったんですか? 確かに久遠さんは、氷精に襲われていた時も必死に走って逃げていましたけれど。 うふふ、あの時の久遠さんのパニックっぷりは最高に愉快でしたよ―――と、これは今関係の無い話ですね。 とりあえずこれで、何故あんな効率の悪い逃げ方をしていたのか、という謎は解決しました。 ですが、そうなってくると新しい疑問が湧きあがります。 ………空を飛ぶって、そんなに難しい事だったでしょうか?「アキラは変な事言うねぇ。能力を持ってるなら簡単だろ? 空を飛ぶなんて」「ですよねぇ。久遠さんなら飛べなくても、どこかで空を飛ぶ能力を覚えてくればいいワケですし」 幻想郷において『空を飛べるようになる』力は、それほど珍しいものではありません。 妖怪も人間も、弾幕ごっこをする者のほとんどが飛べているわけですしね。 しかし、彼は私達の言葉を難しい顔で否定しました。「とりあえず、改めて覚える必要はないんだ。一応僕も飛ぶ事は出来る’はず’だから」「はず? どういう意味ですか」「……うーん。実際に見てもらった方が早いかなぁ」 そういって、久遠さんは腕組みしながら立ち上がりました。 私とにとりが注目する中、彼は小さくジャンプして―――そのまま、ゆっくりと静止します。「あやや。久遠さん、空飛べるじゃないですか」「……本当に、そうだと思う?」「へ?」 久遠さんはふわふわと宙に浮き続けています。 だけど何故か、彼は腕を組んで憮然とした姿勢のまま。ソレ以上動こうとはしません。 ……あれ? もしかして久遠さんって。「久遠さん、失礼します」「…………どうぞ」 私は浮いたままの久遠さんに触れて、そっと彼を押しました。 すると久遠さんは、私が押した勢いそのままにゆっくりと移動し始めます。 春を告げる妖精のように、部屋の中を浮いたままふわふわと動いていく久遠さん。 結局彼は移動進路上にいたにとりが受け止めるまで、一切流れに逆らわず浮遊し続けたのでした。「……あやややや」「アキラ、ひょっとしてあんた」「うん。僕って――――’浮く’事しか出来ないんだよね」 ああ、やっぱりそういう事なんですか。 ……確かにそれは、意地でも飛びたくなりますね。 中途半端に浮く事だけは出来るわけですから、悔しさも尚更なんでしょう。「能力の使い方を教わった時に、合わせて飛び方も教わったんだけど……どうも力を使いこなせていない僕は上手く飛べないみたいでさ」「なるほどねぇ。だから、力を使いこなせるようになりたかったのかい」「うん。それに幻想郷にいる以上、やっぱり自由自在に飛べるようになりたいじゃん。心情的に」「……そこらへんの感覚は、元々飛べる私らにはちょっと分かんないけど。まぁ、飛びたい理由としては納得かな」「あはは、分かってもらって良かった」 移動する過程で逆さまになった久遠さんと、彼の肩を掴んだにとりが顔を合わせて笑い合います。 良く分からない部分で分かり合えたようですが、何ともシュールな光景です。 って、気にするポイントはそこじゃないでしょう。「……今、久遠さんの発言に大分聞き捨てならない部分がありませんでしたか?」「へ?」「はい?」「ああもう……これだから天然は」 そもそも目的の部分ですでにツッコミどころ満載ですよ。 なんですか、その夢見がちな乙女みたいな動機は。危機感なんて皆無じゃないですか。 ……まぁそこは、幻想郷に慣れていないという事で見逃しましょう。 久遠さんだって幻想郷の実態を知れば、多少は警戒するようになるでしょうしね。「ですから、あえてそこはスルーするんです。ツッコミ疲れたわけではありませんよ」「どうしたの射命丸さん? 急にブツブツと呟いて」「まぁ、文にも色々あるんじゃない?」 ……もうツッコミは入れないわよ。 「ですから、久遠さん! 少し尋ねたい事が―――」「そういやアキラ。アンタの能力とかって、誰かに教わったのかい?」「そうだよ。そういえばそこらへんの話してなかったっけ……って、射命丸さん!?」「どうしたのさ、文。いきなりすっ転ぶなんて」「……この、天然どもめ」 落ちつきなさい射命丸。ここで暴れるのは清く正しくないわ射命丸。 私は、叫びだしそうになる激情を必死に押さえこみました。 その間にも、二人は話を進めていきます。 ……理不尽です。色々と。「んで、話を戻すけど……やっぱり誰かに教わったのかい?」「うん。能力と合わせて、知り合いの妖怪に」「よ、妖怪ですかぁ!?」 なんと! これはいい事を聞かせてもらいましたよ!! さっきまでの不機嫌具合が一気に吹き飛びます。 しまっていた手帳を再び取り出し、久遠さんに正対するため私も逆さまに浮かびました。 「それはぜひとも詳しく話をお聞かせ願いたいです!!」「……射命丸さんって、特ダネっぽい話を聞くとわりと見境なくなるよね」「ま、文だからね」 何と言われようとも、今の私には効きませんよ!「その妖怪と言うのは久遠さんの里に住んでいる妖怪なんですか!?」 少なくとも、これで彼が異様に妖怪を恐れない理由も分かりました。 何しろ知り合いに妖怪がいるんです。しかも、自分の能力を教えてくれるくらい親しい間柄の。 そりゃ、警戒心なんて抱きませんよね。……ええ、それが、原因ですよね?「いや……分かんない。そんなに会った事ないから」「分からないって、何回ぐらいお会いした事が?」「両手で数えられるくらいかなぁ。会話は長くて三時間、最短で三十分ほどだったはず」「……あやや、そんな短い付き合いの妖怪の言う事を信じたわけなんですか?」「だって、妖怪の言うことだから」 前言早々に撤回いたします、この人の妖怪無条件信頼は天然でした。 ああもう、何でこの人はここまで素直に妖怪を信じる事ができるんですか。「アキラ、アンタが思ってるより妖怪は自分勝手な生き物だよ」「うん、知ってるよ? だけど約束はちゃんと守るよね」「それは……そうだけど」「その人とは約束の上で色々教えてもらったんだ。だからウソじゃないよ」 ううっ……中途半端に妖怪の性質に詳しいということが、こんなにもタチの悪いモノだったとは。 久遠さんはニコニコ笑顔で言い切りました。 彼、頭の方はそれほど悪くないはずなんですけどねぇ。 どうにも根本的なところがお人好しというか、ずれているというか。 ほんと、どういう育ち方したんでしょうか。「久遠さん、約束を守るかどうかは相手の妖怪にもよりますよ」「そうだよ。アキラの私らに対する信頼は嬉しいけどさ、妖怪にだって不誠実な奴はいるんだよ?」「確かにそうだけど……やっぱりウソはついてないと思うよ?」「……これならいっそ、里の人間達みたいに妖怪なんて信じられないと思ってくれた方がマシですね」 ちなみに、信じられない妖怪の筆頭は天狗だったりするんですが。 ………いえ、ちゃんと約束を守る天狗もいるんですよ? ただ、気まぐれ者でお調子ノリが多いせいか、約束をきちんと果たす天狗も多くないんですよねぇ。 ま、それは今関係のない事です。私は約束をきちんと守る、清く正しい射命丸ですから。「ところで、久遠さんに色々吹き込んだ妖怪はどんな方だったんですか?」「えーっと……なんだったかなぁ。聞いた事ない妖怪だったのは覚えているんだけど」「知名度の低いな妖怪なのかい?」「うん。少なくとも、外の妖怪関連の書物には乗ってなかったよ」 それは……ますます疑わしいです。 久遠さんが言うような約束を確実に守る妖怪は、低級になればなるほど数が少なくなりますからね。 横目でにとりと視線を合わせると、彼女も気まずそうな顔で頷きました。 ……あやや? でも、良く考えると久遠さんの能力は間違っていませんよね? うーん、これはどういう事なんでしょうか?「どんな妖怪だったのか、思い出せませんか?」「難しいなぁ。……名前なら、覚えているんだけど」「名前、ですか」 それだけ分かっても特定は難しいでしょうねぇ。 その方が高名な妖怪でしたら、マイナーな種族でも何らかの書物に載せられているはずです。 そうなると、外の世界で幻想郷に関するであろう資料を読み漁っていた久遠さんが見つけていないはずがありません。 ……知名度が低くてマイナーな妖怪だとしたら、もはや見つかる可能性は絶望的でしょう。 さすがに私も、幻想郷の外にいる妖怪まではカバーしきれませんしね。「……とりあえず、名前だけでも教えてもらえませんか」 まぁ、久遠さんの性格形成に悪影響を与えた戦犯の一人として、片隅ぐらいには覚えておくことにしましょう。 ……まったく、所在さえわかれば今すぐにでも文句を言いに飛んでいきたい気分ですよ。 おかげで久遠さんが、見ていて不安になるほどの『のほほんくん』になってしまったではないですか。 いえ、私が心配する事ではないんですがね。 ………なんだかほっとけないんですよね、この人って。 何でこうなってしまったのか分からないまま、私はため息交じりで久遠さんが口にする名前を待ちました。 ―――それが、幻想郷に小さな’異変’をもたらす、始まりだとも気づかずに。「確か、『八雲 紫』だったかな。紫ねーさまのフルネームは」「………へ?」「………は?」「だから、八雲紫だってば。その妖怪の名前」 「「え、えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええええええっ!?」」 小屋の中に妖怪二人の叫び声が響き渡りました。 ……確かに’マイナーな妖怪’ですよね、スキマ妖怪は。