「おに」とは、日本独自の“モンスター”であり、中国での「鬼」は「死霊」の意味に近く、むしろ「キョンシー」とかをイメージした方が近いでしょう。――― ――― ――― 諡号(しごう)=おくりな歴史上、中国の皇帝など、東アジアの君主の記録された名前は死後におくられた名前です。したがって「現時点」での皇帝も「献帝」とは、自ら名乗っていませんでした。--------------------------------------------------------------------------------††恋姫無双演義††講釈の54『白鬼暗躍』~正しい歴史とは正義なのか~玉門関。万里の長城の西の端であり、後漢帝国の西北の角。草原の騎馬の民にしてみれば長城の南北、玉門間の東西に関(かか)わらず同じ彼らの草原かもしれないが、「漢」の側の認識では長城の南、玉門間の東は後漢13州の1つ涼州である。その玉門関からは南東に位置する草原を、堂々と進軍していた。中華帝国の「次期」皇帝を押したてて。… … … … … 北郷一刀は、帝都の「北宮」から乙女たちのほとんどを連れて来ていた。「まるで、フランチェスカの修学旅行だ」一瞬、脳内に浮かんだ妄想を振り切るようにすると、眼前の玉門関を見詰めた。後漢13州の内、東北の幽州、西南の益州(蜀)東南の揚州(呉)をその目で見、その足で踏んで来た。残る西北を皇帝になる前に訪問するのは、むしろ当然と思った。もっとも、後漢12代の皇帝の内、初代皇帝以外は、ほとんどが帝都洛陽の城外にすら出なかったのだが。それに「天の御遣い」には、長城が気になる理由があった。・ ・ ・ ・ ・「正史」では「三国」の後の再統一は、結局は長続きしなかった。長城の北や、玉門関の西から侵入した騎馬の民に、せっかく再統一した中華の北半分を占領されてしまい、この「南北朝」時代の後で、後漢以来の長期統一帝国が成立するのは『唐帝国』。何と、日本では飛鳥時代であり『西遊記』の(モデルになった)時代になってしまう。もっとも「正史」の「年代」を一刀と曹仲徳で確認した結果は、※黄巾の乱―西暦184年。騎馬の民の侵掠―西暦304年。“司馬氏”によって、三国が再統一される―西暦280年。※「この」世界の年代は、断言してハチャメチャだが、それでも“黄巾”から数年しかたっていない。・ ・ ・ ・ ・これから出来るであろう新しい王朝が100年以上も存続できるか、どうかも分からないが、それでも、長城を軽視は出来なかった。「ここまで「天の御遣い」をやって来たんだ」力の無い人たちが笑顔で暮らせる国を、少しでも長持ちさせる。それだけじゃないか。それに俺は1人じゃない。北郷一刀は、今は同志となった乙女たち、無双の英雄たちを見渡した。桃香、華琳、雪蓮、蓮華、小蓮……愛紗、鈴々、朱里、雛里、星、紫苑、翠、蒲公英、桔梗、焔耶、璃々……春蘭、秋蘭、桂花、季衣、流琉、稟、風、凪、真桜、沙和、霞……冥琳、穏、思春、亞莎、明命……月、詠、恋、音々音、麗羽、美羽、猪々子、斗詩、七乃、白蓮……華雄の真名は教えられていたかな?… … … … … 行軍は玉門関の直近で反転して、帝都への帰路へと向かった。その時、ふと一刀は境界付近の山脈の中に、なぜか心を引かれる山を見つけた。そして、乙女たちの中の涼州出身者に質問してみた。「魔王が落ちて来た山ね…」どこかで聞いた事のあるような気もけれど。そういえば…ここは玉門関の、つまり「中華」と「西域」の境界辺り…ここで思い出した。「天の国」にいた頃、計算してみた事があった。「西遊記」の時代マイナス500年が何時ごろになるか。「三国志」より数十年前。丁度、今さっき教えられた年代あたり。「それじゃ、あの山は両界五行山?“西遊記”までありなのかよ。この世界」もしかして「こんな」世界だから。孫悟空が女の子だったりするのかな。だとしたら、流石にかわいそうな気も……気のせいか、その山の方から吹く風が、泣いているような気がした。「…さびしいよ……まだなの…三蔵…」――― ――― ――― 帝都。曹仲徳と司馬仲達は「お主もワルじゃのう」的なノリで、自分たちの陰謀について語り合っていた。「しかし、良くぞ思い付かれましたな。これが「天の御遣い」という“こと”なのでしょうか」「まあ、そうですな」・ ・ ・ ・ ・北宋王朝の初代皇帝、趙匡胤は唐帝国が衰亡した後の「五代十国」と呼ばれた乱世を収束させるだけの、英雄の力量は確かに持っていた。その趙匡胤が、その時仕えていた国家に幼君が立つと、軍の将兵の人望が彼に集まったのである。それを見た、弟で後の第2代皇帝となる趙匡義と、この初代と2代の皇帝を宰相として補佐する事になる趙普が、兄が酔い潰れている機会に兵士を集め、そして、おそらくは趙匡義と趙普が用意した皇帝の衣装を、酔い潰れている兄に着せ掛けると、集まった兵士たちが皇帝への即位を迫ったのである。ここにいたって、趙匡胤も決断した。北宋帝国の建国を。・ ・ ・ ・ ・「しかし、太子殿下とお妃様たちのほとんど全員が「北宮」を留守にしても、この帝都は「南宮」も含め静かですな」「それが目的だと、あらかじめ、風聞がばらまかれていたからな」「そう、それが「何の」目的なのか。この「好機」に妙な事をたくらむ者ほど、思い悩んだでしょうな」――― ――― ――― 帝都の某所。繁栄を取り戻しつつある大都市には、多少のあやしい者が潜り込めそうな場所は少なくない。「だめですね。この「外史」での「献帝」は、あきらめが良過ぎます」「ならば、コソコソ小細工しても、踊ってくれんという事だろう。傀儡どもが」「まったくです。この「外史」の献帝と、その取り巻きはすでに「山陽公」の心境ですよ」“山陽公”とは「正史」の献帝が皇帝をゆずった後の称号である。「ふん。傀儡のくせに“オリジナル”以上に腰抜けか」「まあ、この「外史」の“ゆがみぐあい”が、それだけひどいのでしょう」「で?小細工はもう出来んのなら、どうするつもりだ」「2つしかありませんね。“イレギュラー”を直接殺すか、この「外史」そのものを直接、消失させるか」「最初からそうすれば、良かっただろう。セコいウラ工作をたくらむよりも簡単だった筈だ」「そうは行きませんよ。これは最後の手段です。これで失敗したら、どうなってしまうか」我々どころか「正史」にだって、予測し切れません。最初に最後の手段を試すのは無謀だったでしょう。「だがな。もうこの手段しかないのだろう」「そうです。だから、失敗は許されません」… … … … … 「まったく、ヤボねん」いつの間にか、謎の美女が出現していた。「貴女こそ、いい加減にしてほしいですね」「そうだ。どこまで邪魔をする。お前も結局は「正史」の傀儡だろう」謎の美女はあくまで微笑みながら、むしろ諭(さと)す様に語りかけた。「そんなに大事な事かしらん。「正史」とか「外史」とかが」「ほう。面白い見解ですね。自分が「正史」から割り振られた「南華老仙」の役を演じきっておいて」「あらあら、アタシは、ただの「プロデューサー」をしただけよん」後の事は、みんな、良い事も悪い事も、間ちがえた事すら、この時代を生きている「あの子」たちが、一生懸命生きた、その結果。「この」世界の歴史なんて、“この”世界でしか、つくられないのよん。――― ――― ――― 帝都の「北宮」太子として、正式にこの「後宮」の主となった「天の御遣い」と、その妃にして「三国」の王とその側近である乙女たちが、帰還して来ていた。そして、曹仲徳や司馬仲達ら、からの報告を受けていた。… … … … … 正式の報告の後で、北郷一刀は仲徳と「天の御遣い」だけがわかるような、しかし、重要な会話を交わしていた。「おおまかだが「国勢調査」の最初の報告は出来る」細かい正確な数値は、さらに調査とデータ処理が必要だろうが、現在の人口が、2500万人以下の可能性は少ないな。後漢帝国の安定期には、人口は5000万余人だった。そして「正史」では、“三国”を合計しても最悪の時点では、人口は約500万人にまで急減していた。「俺は、というか。俺たちは「正しい事」をしたんでしょうか?」「さあな。ただ、この「世界」の無名の民衆には、よりマシな事をした筈だ」――― ――― ――― その深夜。帝都城内を巡回する兵たちのうち「北宮」の周辺にいた兵は、周辺の市街からワラワラと空中に舞い上がる、アヤしい紙人形を見た。その紙人形がワラワラと城壁を飛び越えて「北宮」の内部に落ちると、落下点から、無表情な白装束の人影が立ち上がり、武器を取って、宮殿の中心部へ駆け込んでいった。こんなアヤしさ満点の術でも使われなければありえない様な、完全な奇襲だった。――― ――― ――― だが、この「北宮」の乙女たちは無双の英雄でもある。一方的な奇襲を受けっぱなしになるような、そんな筈も無かった。たちまち、宮殿中が、激しい戦いの舞台になった。アヤしい白装束は、実のところ1人ずつはそれほど強くない。雑兵クラスならともかく、この「北宮」の乙女たちのうちでも武将クラスなら勝てる。だが、倒しても、倒しても、後から後からワラワラと振って来る。キリが無い。しかも、ある1点を目標にしていた。軍師たちには、直に明らかになった。「狙いは「ご主人様」です!」――― ――― ――― 「“諸悪の根源”め。今夜が最後だ。あの資料館で、死んでいたと思え」--------------------------------------------------------------------------------ここから盛り上がって行くはずでしょうが、もしも迫力不足とかになった場合は、すべて作者の未熟です。それでは続きは次回の講釈で。次回は講釈の55『真相暴露』~真実とは常に?1つだけ?~の予定です。