「正史」の水鏡先生は、何かというと「好好」が口癖でした。お悔やみを言うべき時にまで「好好」で、流石に奥さんに叱られると「好好」とほめたと伝えられます。もしかしたら、これが乱世の知識人の生き方だったのでしょうか。--------------------------------------------------------------------------------††恋姫無双演義††講釈の52『帝都好好』~後宮の小ばなし(その2)~洛陽「北宮」北郷一刀は「聖フランチェスカ学園」を思い出していた。何せ、男女比が、ほぼ1クラス分などというのだから、どこの「美少女ゲーム」の“ハーレム設定”だと、ツッコまれるような学園だった。そして、目前にあるのは、その「乙女の園」を思い出す光景だった。「旧」蜀から、桃香、愛紗、鈴々、朱里、雛里、星、紫苑、翠、蒲公英、桔梗、焔耶、璃々……「旧」魏から、華琳、春蘭、秋蘭、桂花、季衣、流琉、稟、風、凪、真桜、沙和、霞……「旧」呉から、雪蓮、蓮華、小蓮、冥琳、穏、思春、亞莎、明命……その他にも、月、詠、恋、音々音、麗羽、美羽、猪々子、斗詩、七乃、白蓮……さらには華雄。この時点で、このうちのどれだけが「御手付き」だったかは、後世から結果を見ればヤボとすら言えた。この「北宮」は「後宮」としての、本来の機能を取り戻したかのようだった。ただし「まだ」形式上は「正式」の後宮ではない。――― ――― ――― 洛陽全体の城壁が“2つ”の「内城」の外側を包み込むようにめぐらされ、その城壁の間に都市が広がる。それが、漢帝国の「帝都」の基本形だった。主に「後宮」としての機能を受け持つ「北宮」と、それ以外の「官邸」と「公邸」の機能を持つ「南宮」である。・ ・ ・ ・ ・そして現在「南宮」もまた、無人ではなかった。“公式”の住人である皇帝が帰還していた。… … … … … 江東から洛陽への「帰路」は「往路」みたいな“お忍び”はもはや不要であり、堂々の凱旋行軍だった。そして、その途上「当時」は皇帝の所在地だった許昌に立ち寄り、皇帝に報告した。劉備玄徳。曹操孟徳。孫策伯符。三国の英雄たちがそろって、少年皇帝の御前に進み出た。そして、言明したのである。「本来」の帝都である洛陽から、この許昌へ陛下をお移しいただいていたのは、洛陽を帝都として成立させていた、天下太平が失われていたからです。しかし、今回の江東の戦によって、乱世は終わろうとしています。その通りだった、所詮、許昌は予州潁川郡の地方軍閥の拠点に過ぎない。その地方軍閥が皇帝を「保護」していたのも、乱世がための「緊急処置」だったのだ。しかし、天下はほぼ統一されたのである。こうして、洛陽への「凱旋」は“帝都”に帰還する皇帝の「お供」をするという形式になった。… … … … … 執金吾の焔耶などは、許昌と洛陽「北宮」のあいだで引き離されずに、この華やかな職務を続けられると、素直に喜んでいたが。・ ・ ・ ・ ・皇帝は「帝都」の「南宮」に入った。確かに、未だ「自分の」後宮を持たない少年皇帝だから、当面は「北宮」は必要ないかもしれないが。――― ――― ――― 洛陽は、帝都としての繁栄を取り戻しつつあるように見えた。そのにぎわう市内で、一刀は「制服デート」を楽しんでいた。と、言っても、一刀が着ているのは光り輝く「オリジナル」の制服でない。“ぽりえすてる”の無いこの時代では、代えの無い貴重品に成ってしまったため、「天の御遣い」として、例えば兵士に演説する時とか以外は、この時代の布地でつくった「レプリカ」を着ている。光り輝いていない「レプリカ」にしろ「正体」がバレるかも知れない格好で出かけてきた理由は、隣りの桃香だ。一刀の「レプリカ」と同じ布地でつくった、フランチェスカの女子用制服らしきものを、桃香は着ていた。細かい事に、リボンの色とかが一刀の同級生のものだったりする。… … … … … 「天の国」にいたころ、人並みにあこがれていて、ついに出来なかった事である。そして、それを他の誰でもなく桃香にする辺り、一刀の根幹では変わっていないところもあった。1個の肉まんを半分に割って、買い食いしているところなどは、ここが「天の国」と錯覚しそうな光景にちがいなかった。――― ――― ――― 荊州襄陽城。「赤壁」直前の1時の混乱も過ぎ去り、城内も城外も「水鏡女学院」も変わらず平和だった。「好好ね。良くやったわ」――― ――― ――― 一刀と桃香の「制服デート」が、華琳と雪蓮にバレてしまった。華琳の「九蒕春酒法」の実験を一刀は手伝わされ、今度は桃香が河豚になった。――― ――― ――― 長城。馬商人である張世平は、馬の買い付けにやって来ていた。どうやら、自分の「投資」は成功したようだ。幽州州牧が帝都の「北宮」に行ってしまっても、長城の向こう側が妙な気配も見せないのだから。――― ――― ――― 雪蓮に泳ぎに誘われた。それはいいだろう。いかにも長江育ちらしい。それに、帝都の城外に出るまでもない。流石に「北宮」には“プール”の役に立つような人工池ぐらいある。だが、雪蓮の泳ぐ姿は、どう見ても「ビキニ」に見えるのだが?(…先輩が関わっているんですか?…)その曹仲徳も、同じ理由で姉から問い詰められ、「やれやれ」と肩をすくめていた。そのオチが「スク水」だったりした。――― ――― ――― 益州永昌郡。南蛮との国境の郡である。「しょんなところはしゃむいのにゃ」南蛮王である美以の返答はこうだった。帝都の皇帝から南蛮王の「金印」を受け取るよう、益州を預かる狭霧たちがすすめていたのだが。もっとも、見た目とか、しゃべり方とか、蛮王らしい振る舞いとかの割には漢人の考える事をお見通しらしいから、疑えば、どの”皇帝から「金印」をもらうべきか、まで考えていた?かもしれなかった。――― ――― ――― 「正史」「演義」では、孔明が来るまでは糜竺、孫乾、簡擁が劉備陣営における、文官トリオだった。簡擁そして燕と礼は、地方を巡察していた。問題は無いとは言い切れないが、あれだけ急激に「三国」が接収されれば、この程度は当然だろう。むしろ、急速に安定化に向いつつあるといえた。1見、あきれるような、帝都の「北宮」という解決法は、どうやら正解だったらしい。――― ――― ――― 「北宮」でも、まさか「制服デート」とか「酒造」とか「プール」とかばかりをしているわけでない。むしろ、政務の合間にやっている。当然だ。幸いにして、文官にしても治安面を任せる武官にしても「三国」から動員すれば人手に事欠かない。だから、合間がつくれるのである。・ ・ ・ ・ ・本来、最高権力者の「官邸」は「南宮」である。その機能が「北宮」に移っていた事が、最終的にはこの乱世を招いたとも言える。そして、見方によれば、それ以上に現状は不自然かも知れない。その「不自然」を解決する方法はある。しかし、それは形式上の大問題でもあった。・ ・ ・ ・ ・いずれにせよ、形式上であれ、本来の「官邸」は「南宮」である以上、公式の「国事行為」は「南宮」で行われるし、ようやっと機能を取り戻しつつある、帝都の「官僚システム」を稼動させるためにも、「南宮」には、いわば「皇帝官房」というべきものが置かれる。その「官房長官」の人事が微妙だった。流石に「旧」蜀だけでは、これ以上は人手不足だった。だが「旧」魏や「旧」呉で、なまじ「名前」が知られている人物だと、まだ、妙な誤解をされるかも知れなかった。その意味では、微妙な時期だった。「だから、そういう意味で、下手に名前が知られてはいないけど、実績とか経験は、今から積めば期待できそうな誰か」についての“参考意見”を、華琳にも求めてみたのだが。推薦された人名は、一刀と仲徳に密談をさせるものだった。――― ――― ――― まるで「“黄巾の乱”も無かったように」“ただの”「アイドル」に戻っていた『数え役萬☆しすたぁず』の「舞台裏」に、「怪人物」が出現していた。「「「南華老師?!」」」――― ――― ――― 「まさか、ここでこの名前が出るとは。先輩はご存知でした?」「面識はあったよ。華琳姉さんの弟だからな」司馬懿仲達「三国志」を終わらせる人物だった。「演義」は「死せる孔明、生ける仲達を走らせる」で実質上は終わり、「正史」の三国時代は、司馬氏の息子や孫たちが、蜀を攻略し、魏を簒奪し、呉を攻略して終わった。「この“三国志”も終わろうとしているんでしょうか」--------------------------------------------------------------------------------もはや「三国志演義」ではなく「恋姫」FFに成り切ってしまいましたが、何とか“第3部”の「完」あるいは「起承転結」の「転」までは、たどり着くことが出来たようです。それでは続きは次回の講釈で。次回は講釈の53『皇帝決断』~天道に太陽2つ無し~の予定です。