万能の天才と言うべき曹操は戦争、政治、文学のほかにも酒造方式の「マニュアル」まで後世に残しました。若き日、“黄巾の乱”以前の県令時代に皇帝に献上した『九蒕春酒法』と呼ばれる酒造「マニュアル」は、現在の日本酒における「段掛け方式」という醸造法にまで、受け継がれているとも言われます。--------------------------------------------------------------------------------††恋姫無双演義††講釈の47『華林酔夢』~後宮の小ばなし(その1)~病室に入ってきた北郷一刀の姿を見て、曹仲徳はいかにもぶり返しそうな表情をした。無理も無い。片手に桃香が抱き付いているのは見慣れていないわけでもないが、もう片手には姉である華琳がぶら下がっている。現世は華琳の弟で、前世は一刀同様に、一夫一妻が常識の「天の国」での普通の青年だった仲徳だから、これでは、ぶり返したくもなりそうな光景だ。「これでは、曹魏軍も抵抗の気力が無くなりそうだな。流石に奇策を思い付いた、と言うべきか」「先輩、これはですね」「分かっているさ。いや、そのつもりだったんだがな」北郷ならばな。劉備みたいな可愛い素直な娘と子供までつくったら、他の女に手を出すとも思わなかったんだがな。「それは「天の国」での話でしょう。向こうには「後宮」とかは、無いそうね。」「姉さんには、何時までも驚かされるよ」むしろ、今までの姉さんからは考えられないな。春蘭や桂花たちは大号泣しただろう。「あら、私は美しい女の子“も”好きだけど、地上の男全部がブ男だとも考えていなかったわよ」私とともに覇道を歩む価値の無い男は、ブ男だと考えていただけ。コイツは「天」から落ちて来た時よりは、けっこう成長していたわ。劉備が筵(むしろ)織りの小娘から成長するのに合わせてね。でも、私のところに落ちて来て、私ともに成長させていなかったのが残念かしら。「仲徳は、どうしても弟だしね」桃香がめずらしく、後宮のある国の王族であれば、はしたないと教育されるような河豚になっていた。… … … … … こうした話は、さておいて、“三国”の英雄となれば、やはりヤボな用件といったものもある。現在、この許昌には皇帝がいる。その皇帝の命令という形式で、以下の布告が発せられた。「益州州牧、劉玄徳に対し、丞相、曹孟徳の職務代行を命ずる」「丞相府に代わって、旧都洛陽の「北宮」を貸与する」・ ・ ・ ・ ・曹操の首をはねる、あるいは免職として新たに劉備を丞相にするよりも、間ちがい無く「スムーズ」に、丞相、曹操の元で整備された官僚「システム」を、新しい主宰者の元に委譲できる便法だった。しかも、当人が「北宮」にとらわれていれば。――― ――― ――― 後漢の「帝都」だった洛陽には「皇宮」と呼ぶべき宮殿が2つあった。主に「後宮」としての機能を受け持つ「北宮」と、それ以外の「官邸」と「公邸」の機能を持つ「南宮」の2つの宮殿が、直接に隣り合う事も無く、城内に並存していた。それは、建前では「南宮」をその場とすべき国政が、いつしか「北宮」に移動していた、後漢帝国の歴史を象徴するのかもしれない。――― ――― ――― この場合「北宮」が「後宮」として周知であった事。これが政略上、大きい。どういう方法で「蜀」が「魏」を飲み込み、その「王国」を一気に拡大したか、それを認識させる効果があった… … … … … かつての「北宮」は、十常時と大将軍何進が共倒れした場であり、そのさいに火災にあっており、その後、少年皇帝が自らの後宮を持つ前に、許昌へと移動していた。さらに、洛陽自体が「帝都」では無くなっていたため、荒れていても不思議の無い「北宮」だったが、しかし「後宮」である事の価値を、意外な「プロセス」から取り戻したのである。――― ――― ――― そして、後漢が統一帝国だった時の「帝都」だった洛陽には、それだけの地理的、交通的な有利がある。“董卓の乱”のさいの戦災を免れたこともあって、都市機能や「インフラ」は温存されており、現在は許昌にうばわれている繁栄を取り戻すことも可能だろう。結局、許昌は予州潁川郡の、地方軍閥の拠点だった。今や、江東の「呉」といくつかの弱小軍閥を除いて、ほぼ全国を接収しようとしている、広域政権にとっては洛陽を無視できなかった。――― ――― ――― 残る問題は、当面、許昌に皇帝を置き去りにする形になる事。だが今は、洛陽と許昌の距離などよりは、はるかに広い勢力圏を接収しようとしていた。・ ・ ・ ・ ・「上手く考えたものだな。しかし、上手過ぎる」しかし、竜鳳の軍師の考えでは上手く考え過ぎているからこそ、これを言い出した曹操、いや華琳の降伏は本気だと考えていた。それほど、竜鳳をしてもウラは見抜けず、どこまでも都合が良かった。「愛紗は焼き餅なのだ」「妹」に言われるまでも無く、自覚できている。「鈴々は、悔しくないのか」「鈴々だって、焼いているのだ」これまで「天の御遣い」の寵愛(ちょうあい)を受けて来たのは、一刀とともに桃香を主君とする蜀の同志たちだった。これからは、おそらく華琳が、桃香に次ぐ「第2妃」となるだろう。どうしても複雑な感情があった。それでも、一刀や桃香とともに追いかけて来た理想に向って、天下が収束しつつある。理性では、それは理解できていた。――― ――― ――― 流石は後漢帝国の、しかも後宮に権力が移っていた、その後宮である。規模自体の大きさから、修復は大規模になるが、しかし、全体の規模相当の修復で、洛陽の「北宮」は後宮としての機能を取り戻しそうだった。その修復工事が、あわただしく実施されるのと平行して、「旧」曹魏勢力圏の接収のための、各部隊が出立して行った。執金吾として許昌を守備していた曹仲徳が、無抵抗で開城した結果、この先の接収は軍事行動ではなく、行政手続きのはずだった。少なくとも建前では。接収に当たる各部隊の人事は「旧」蜀と「旧」魏の出身が、適当に混成されていた。華琳1人、洛陽の「北宮」で「天の御遣い」に抱かれていれば、これで良いはずだった・ ・ ・ ・ ・“董卓の乱”のあと、月や詠は「メイド」であり続けて来た。同様に「北宮」に入った後の華琳も、基本的に政務からは遠ざかっていたが、彼女が退屈などしている訳も無い。修復中の「北宮」で、土蔵を確保すると『九蒕春酒法』の実験を始めていた。… … … … … その酒蔵の中。居るのは華琳本人に、護衛役であるとともに、華琳が「食」に関係した何かを始めると、試食係をつとめる流琉、そして、同僚たちが「接収」に立ち会うために出立した後も、華琳の側を離れない桂花の3人。その桂花は、今だに「主君」の境遇に憤慨し、北郷一刀に対しての罵詈雑言、およそ百合百合な少女が「男」に対して思い付く限りの、罵詈雑言を並べ立て続けていたが、華琳の方はといえば「利き酒」の合間に、即興詩を歌っていた。流石「魏武」の名を残す天才詩人でもある。流琉や桂花を感動させていたが、内容が、まるでカナリアが人語で歌っているような恋歌だったのに、また落涙する桂花だった。… … … … … 落涙しつつ、尚も一刀を罵(ののし)っていたが、とばっちりが桃香にまで飛び始めた。「大体、あんな無能者に「覇王」たる華琳様が…」「“覇王”ね。そう名乗って「劉氏」の「無能者」を追い回していたのが、昔も居たわね」・ ・ ・ ・ ・中華の歴史上、おそらくは最強かも知れない。もしも同時代に恋や愛紗が居て、赤兎馬に乗って挑戦しても、おそらくは、あの「最強の覇王」だけは「別物」だ。その「最強の覇王」と百戦すれば、百回、逃走した田舎侠客あがりの“無能者”。中年ないしは初老のころまで、地方のケチな侠客でしかなかった、その「無能者」には、おそらくは、個人としての魅力しか無かっただろう。だが、その魅力に引き寄せられた侠客の弟分や、敵からも寝返らせた部下たちに盛り立てられて、最後の勝者となった。ついに、皇帝にまで成り上がった、その祝いの席で自ら語ったと伝えられる。有能か無能かならば、張良、蕭何、韓信と名指しした部下たちに自分は及ばない。と。張良などは、華琳自身が桂花という軍師を得たとき、その例えにしたほどの名軍師。その傑出した、自分より有能な部下たちを使いこなして、天下を取った。と。前漢の初代皇帝、劉邦の事跡である。・ ・ ・ ・ ・「桃香(すでに、そう呼んでいる)は、劉邦の子孫だと、今は信じたくもなったりするわ」最初はね、なんで、あんな無能者に愛紗や朱里がバカみたいに付いて行くのか、それが憎くすらなったわ。でもね。例えば、私自身が絶影より早く走る必要があったかしら。あの名馬を乗りこなすために。魅力だけの無能者は英雄になれないなら、“漢”王朝自体が無かったでしょうね。桂花の頭が悪いはずは無い。華琳の言いたい事は理解できる。しかし、納得できるかは感情の問題でもある。すっかり考え込んでしまった。その「忠臣」を黙殺するように、華琳は再び、“恋”を歌いつつ酒を仕込んでいた。そう、華琳は自分が恋をしていることを自覚し始め、そして、そんな自分を面白がり始めていた。その「面白さ」を、酒とともに歌っていた。――― ――― ――― 北郷一刀と曹仲徳の会話。「曹操、つまり「魏武」に“恋歌”が無いはずないですね。あれだけ情熱的な、天才詩人に」「ああ、後世に伝わらなかっただけさ。俺はいくつかは、聞いているよ」「どうせ、これからいくらでも、聞かされる気がします」「楽しみにしているんだな。“お義兄さん”」――― ――― ――― 華琳は歌っていた。酒を歌い、恋を歌う。それもまた曹操孟徳だった。“覇王”であると同時に。--------------------------------------------------------------------------------「後宮の小ばなし」と題しながら、色気の無い話に成ってしまったかもしれません。それでも「恋姫」世界での“三国志演義”を、何とかつじつまが合うまで書いてしまうつもりです。それでは続きは次回の講釈で。次回は講釈の48『倭人之条』~名家は出戻りする~の予定です。