龐徳(真名翡玉)はやっとのことで、長江から這い上がった。だが、自軍の陣地は、すでに地上も水上の船団も区別できないまでに炎上していた。先刻の関羽も、見覚えの無い訳でもない翡玉に気付くまで、何合か撃ち合った程の乱戦なのだ。その何合かの間に首を取られなかっただけでも、好運だったのだろうか?だが、あの乱戦にもう1度飛び込んでも、主君に追い付ける希望は少ない。現在の主君である曹孟徳に報いる恩義がまだあるなら……・ ・ ・ ・ ・翡玉を突き落とした蜀の将はと言えば、もはや魏軍を虐殺する呉軍を手伝うまでも無いとばかり、自慢の「汗血馬」の馬首を返した。――― ――― ――― 蜀軍の今回の基本戦術は、呉軍の火攻から逃れる曹魏軍の追撃である。だが、近未来の戦略としては、勝利を得たら得たで、その勝利の分け前の奪い合いになるのは見えていた。その最初の奪い合いになるのは、まず間ちがい無く荊州江陵。したがって、追撃戦の後は、江陵城の包囲戦に移行しつつ再集結する。孫呉軍と並んで、長江南岸の「赤壁」に布陣していた本営も、そのつもりで出撃時に引き払っていた。… … … … … 竜鳳の軍師をしても、想像のななめ上を飛び去る現実というものがあり得るらしい。愛紗が合流した時、江陵を包囲している筈の味方は、すでに入城していた。城内に入った愛紗は、帳(とばり)越しに報告を行った。・ ・ ・ ・ ・ここ江陵が「旧」劉表軍の「水軍基地」だった時から、おそらくは荊州の「小皇帝」だった劉表のために設けられていたであろう、城奥の最も上等の部屋。4面に帳がめぐらされた豪華な寝台。その帳の中に、主君たちである北郷一刀と桃香、そして曹操いや、いまや真名で呼ぶべきだろう華琳とともに、3人で引きこもっていた。その状態で、愛紗たちの報告を受けるというその事が、今回は、そのまま勝利を意味していた。… … … … … 複雑きわまる内心を、複雑きわまる態度と表情に表した愛紗が、他の文官・武将の、たまっている場所まで下がってくると、その中に翠と蒲公英を見つける事が出来た。「そうか。翡玉がいたか」「翡玉姉さまの事だから、呉軍の小船を1艘ぶん取って、魏軍へ帰ろうと位はするよ」――― ――― ――― 蒲公英の予想の通りの行動を取った翡玉だったが、やはりと言うか、江陵の近くまで来てみると、周辺の岸辺には、孫呉水軍が進軍して来ていた。その水軍のスキにつけ込んで上陸し、おそらくは江陵城を包囲しているであろう、呉軍か蜀軍のスキにつけ込んで入城する。そのスキをうかがっている間に、突然、孫呉水軍の統制が乱れ始めた。(…好機…)まさか、孫呉水軍の総帥が憤慨のあまりに気絶した、とまでは想像し切れないまま、敵の混乱につけ込んで上陸した翡玉だったが、なぜか包囲している筈の敵軍に会う事も無く、入城できた。… … … … … 奇妙に違和感のある城内で、奇妙にしょんぼりした沙和に出くわした。「于文則どの。貴女がご無事ということは、丞相もおいでなのであろう。ご無事にちがいなかろう」連れて行かれた帳の前で、翡玉は放心する思いだった。いや、実際に記憶が途切れていた。次の記憶では、蒲公英に介抱されていた。「翡玉姉さま。お久し振り」………。……。…草原が懐かしい。現在、翠と蒲公英、そして翡玉の前方には、見慣れた涼州の草原が地平まで続いていた。「3人そろって、涼州の草原に戻って来れるとはな……」あの大会戦の直前には、むしろ想像のななめ上だった現状。しかし「現状」では「旧」魏陣営から続いて、涼州に隣り合う「旧都」長安を守護する鍾元常の援軍に来ている。――― ――― ――― 涼州軍閥の生き残りである韓遂は、日本戦国における松永久秀とか、宇喜多直家の前世であっても有り得るぐらい、したたかな反逆者である。その韓遂にとって、これまでの状勢は、決して不満足でもなかった。他の涼州軍閥である「旧」董卓軍も「旧」馬家軍も、曹魏軍などの中原の軍に敗れた。その曹魏軍が「赤壁」で不覚を取った。涼州を取る好機の筈だった。韓遂にしてみれば。… … … … … ところが、長安を守護する鍾元常の立場は、そのまま動揺せず、したがってつけ込むスキが無かった。おまけに、その鍾元常の援軍として、馬超に馬岱に龐徳までそろって来ている。計算ちがいどころか、想像のななめ上を飛び去っていた。結果として、韓遂は「羌」(ラマ仏教が伝来する以前のチベット系部族と推定されている)に亡命してしまった。………。……。…玉門関。万里の長城の西の端であり、後漢帝国の西北の角。この関門を預かる「郡太守格」としての駐屯は、翡玉の出身からすれば「故郷に錦」だった。だが、翠と蒲公英は、名残惜しそうだった。姉妹はこれから、基本的には帝都洛陽の「北宮」で生活する事になる。しかし、翡玉は笑顔で見送った。これが今生の別れでもない。現在での洛陽と玉門間との「距離」よりも、赤壁と烏林をへだてていた長江の幅の方が遠かった。あの時の、お互いの立場では。現在は、実測値としての距離がへだてるだけだった。そう「天の御遣い」たちだけは知っていた。「正史」における龐徳の「悲劇」からすれば、これは「ハッピーエンド」なのだと。