「正史」での曹操も、袁紹の勢力圏を侵掠できたのは、袁紹の「死後」息子たちの兄弟争いにつけ込んでの成功でした。それだけ袁紹の勢力は強大だったのであり、官渡の勝利はあくまで優勢を逆転したという意味だったのです。--------------------------------------------------------------------------------††恋姫無双演義††講釈の37『倭使渡来』~姦雄と名家の決着~長城が目前にあった。曹魏軍のほとんどは、黄河よりも北を見るだけでも初めてだった。それが今や、長城に到達しようとしていた。・ ・ ・ ・ ・冀州州牧の「裏切り」を切欠に、河北4州の侵掠を成功させた曹魏軍だったが、その内の3州までが、長城を国境にして北方民族と接していた。その国境の安定という支配者の責任を、麗羽とておろそかにはしていなかった。長城の北に位置する草原の騎馬の民の内では、当時、最も有力だった“烏丸王国”との友好関係に成功していた。・ ・ ・ ・ ・当然、冀州州牧が麗羽に取って代わって河北の袁家勢力を欲するならば、烏丸との関係を解決すべきだった。華琳にそう言い渡されて、むしろ勇んで北へ向かった。一方、華琳は冀州と并州の州境付近で、黒山軍を名乗る独立勢力を率いていた張飛燕を降伏させていたりした。… … … … … 冀州州牧が烏丸に返り討ちにされてしまった。その報告が届いたのは、曹魏軍が一旦、魏城まで撤収していた時だった。「まさか、華琳姉さんは期待していなかった?」「どうかしら」ただ、袁一族の誰かが河北に居座っている以上は、いつかはまた戦う事になるだろうとは、思っていたけどね。どちらにせよ中華の丞相としては、胡(えびす)を勝ち誇(ほこ)らせておく事も出来ないわ。今度は、曹魏軍が烏丸と戦うべく、北進する事になった。「ところで、稟だけど。体調が悪そうじゃないかな」ただでさえ、俺たち南の人間には気候的にキツい土地への遠征になるだろうし、体調が悪かったら、連れて行かない方がいいんじゃないかな。それから、今のうちに華佗とかを呼んでいた方が。曹操は“若死にした”軍師郭嘉を惜しみ「彼」が生きていればと、赤壁で敗れた時に嘆いた。その「病死」は、烏丸と袁家の残党を討つべく、北へ遠征している時であった。――― ――― ――― 遼東おおざっぱに言えば、朝鮮半島の北に隣り合う、中国東北部の地方である。後漢末期から三国時代。この地方には「遼東公孫氏」と呼ばれる地方軍閥が割拠していた。ちなみに、公孫賛とは同姓で地理的にも近いが、同族ではない。この遼東公孫氏が魏の司馬仲達に滅ぼされた、まさにその年「倭国」の使者が「魏」に到達したのは、偶然ではなく必然だったのではないか。隣り合う朝鮮半島、そしてこの半島を経由して日本列島から接触する、最初の「中国」は遼東だった。遼東公孫氏は「中国」として「倭国」を受け付けていたと考えるべきだろう。――― ――― ――― 騎馬の民は、騎兵としては精強である。元々が農民の中国の歩兵より、兵士としては優秀かもしれない。だが、華琳以下、名高い武将、軍師が率いる曹魏軍はこれまでの「中国軍」のようにはいかなかった。何回かの激突の末、ついに烏丸軍は長城の北へ撃退されてしまった。この間に、烏丸軍に協力していて曹魏軍の捕虜になった、袁紹軍の残兵から情報が得られた。やはりと言うか、麗羽と美羽の袁姉妹は烏丸に逃げ込んでいた。しかし、今回の敗戦で烏丸にもいれられなくなり、今度は、遼東公孫氏の拠点に逃げ込んだらしい。… … … … … この際、遼東まで平定するか?曹魏軍が改めて軍議を開いている時、後方の魏城から連絡があった。華佗の治療などもあり、どうやら、稟は一命を取り止めたらしい。その稟からの進言が伝えられて来た。「長城までは遠く、何度もの遠征は困難です」この機会に烏丸とは、長城が何らかの形で安定するまで、対決すべきです。一方の遼東ですが、これまで袁家からは脅威(きょうい)こそ受けてきましたが、恩義はありません。したがって、圧力を加え続ければ、そのためにも、烏丸に対しては兵を引くべきでありませんが、袁姉妹をかくまい続けはしないでしょう。それを切欠にして、とりあえずの友好関係を持つ事も可能です。この進言を、華琳は採用した。・ ・ ・ ・ ・やがて、曹魏軍が、対烏丸と対遼東の本営としていた幽州の州牧公邸に、遼東公孫氏の使者がやって来た。… … … … … 「袁姉妹は、すでに遼東におりません」何と、“東海の夷国(いこく)”からきた使者に「生口(奴隷)」として下げ渡した、などと言い出した。「胡散臭(うさんくさ)い」と曹魏側では思ったが、たまたまその使者が姉妹を見て、王へのみやげ物にしたいと言い出したので、いい厄介払いと思ったらしい。流石に信用するかどうかを含めて、曹魏陣営も「ひそひそ話」を始めたが、曹仲徳だけは好奇心を表した。「その夷国と言うのは、倭国ですかな?」「おや、将軍はお聞き及びで?」「もう、倭国に帰りましたか?」季節風の関係で、まだ帯方郡(朝鮮半島に置いた中国の出先機関)に居ると言う。「後、どれだけ滞在する予定ですか?この幽州まで往復する余裕はありますか」華琳も興味を刺激された。それに、袁姉妹について問い質したかった。・ ・ ・ ・ ・「倭の大使、難升米にございます」見事に「古事記」スタイルの使者が、幽州にやって来ていた。「“漢”の丞相、曹孟徳よ。色々と聞きたいことは有るけど…」かたわらの弟に続きをうながした。「倭国の王だけど、やはり女王なのかな?」(曹操が華琳姉さんだから、その逆はありうるよな)「確かに、卑弥呼様は女王にございます。とても可愛らしい御方にございます」(やれやれ、ちゃんと女王だったか。それにしても、まだ卑弥呼は若いみたいだな)そういえば「正史」で、倭国の使者が来たのは「黄巾の乱」から半世紀ぐらい後だった。しかし、個人的な好奇心は、不審を招かない程度にする必要があった。「天の御遣い」だと、告白している姉にすら“21世紀”の日本人だとまでは言っていない。それに、姉以外にはまったく「正体」をうち明けていない。「それで、遼東で下げ渡された生口だけど」使者が証言した容姿や言動からすると、確かに麗羽と美羽の姉妹らしい。「それで、何のために倭国まで連れて帰るのかな」(あれで見た目はいいから、まさか。女王だって言うし、華琳姉さんじゃあるまいし)「卑弥呼様は巫女王であらされるため、男子が近寄れません」お側に仕えさせる女の生口はいく人でも必要なのです。あのような生口は倭国では入手できませんゆえ。華琳は、難升米の言い分に納得した。「後は、倭国への船に確かに乗せられて出帆するところを、誰かが見届けるだけね。袁家に関してはそれでおしまい」「誰かって?」「この中の誰か」一瞬、流石に複雑な表情が一同に走った。遼東のさらに先の帯方郡まで行って来いと言うのだから。「そう、私のために、それだけの事をしてくれる忠誠心。そして私が、帰って来たその子の報告を信用する」いわば私のその子に対する信頼度。「ならば、わが姉妹だ」と春蘭が自薦(じせん)し、秋蘭が「やれやれ」という表情を姉に対してだけした。… … … … … やがて烏丸とは、長城を国境として確認するという内容の協定が成立し、曹魏軍の主力は魏城まで撤収した。その後を追いかけるようにして、夏侯姉妹が帯方郡から戻って来た。――― ――― ――― 春蘭と秋蘭が見守る前で、倭国の使節団が帰国のための船に乗り込んでいる。その使節団の中に、間ちがいなく麗羽と美羽を確認した。さらに、舟の漕(こ)ぎ手に紛れ込んでいる斗詩と猪々子、七乃を見付けていた。――― ――― ――― 魏城で、華琳は報告を受けた。「大した忠臣にはちがいないわね」「しかし、袁姉妹だけならともかく、あやつらがいては、いずれ戻ってくるかもしれませんぞ」「海の向こうから、何時になったら。その頃には、天下は定まっているわ」――― ――― ――― 人は知らない、名山の山中。「何とか「正史」をなぞってはいるが、テンポが速いな」「この「世界」はそういう“設定”になっていますからね。「イレギュラー」の存在だけが原因でもありません」「まあいい。その結果にしろ、この「外史」自体の結末が早くなるならばな」「それでは、次の布石を打ちに行きましょう。そろそろ、この「歴史」でも「左慈」の出番のようです」--------------------------------------------------------------------------------どうやら「魏」も含めて「正史」の「三国」が出そろった感じです。それでは続きは次回の講釈で。次回は講釈の38『成都爛漫(せいとらんまん)』~阿斗ちゃんは天の落とし子~の予定です。