「仕官するなら執金吾」本文中にもある通り、この「執金吾」とはそれほど華やかでもあり、大げさに言えば王朝の威信を示す官職でもありました。「真・恋姫」の「魏ルート」で主人公が就任したのが、もしも、この「執金吾」なら、実はそれだけでも、ある程度は重用されていた事になります。--------------------------------------------------------------------------------††恋姫無双演義††講釈の35『許昌震撼』~陰謀は軽挙するべからず~「仕官するなら執金吾。妻をめとらば…」やがて後漢王朝の初代皇帝になる青年が、まだ無名の末端王族だったころに、そう公言してあこがれていたと伝えられる。この「執金吾」とはそれほど華やかな官職だった。帝都の巡察・警備を司る官であり、その「パトロール」はそのまま、帝国の威信を示す「パレード」でもあった。その執金吾の「パトロール」が都の大路を「パレード」して行く。その執金吾が曹仲徳であること自体、現在の許昌の都では誰が権力者であるか、を喧伝していた。ただ、いつもと異なる事に誰かが気付いただろうか。いつもの仲徳は、曹魏軍の「3人娘」というべき凪、真桜、沙和のうちの誰か1人を同伴しての「パトロール」が多い。だが、今回は「3人娘」がそろっていた。・ ・ ・ ・ ・物語は、華琳が梅林での酒宴に招待する、その数日前にさかのぼる。華琳は、この許昌でも、油断無く用間を使っていた。その1人の報告。ただし、本人の正体は最重要機密であるため、軍議の場で報告したのは華琳自身である。劉備に与えた邸宅を、昨日の深夜に不意に訪問したものがいた。劉備本人には会えずに帰ったという報告に、部下たちの多数は興味を薄れさせ、帰った理由にむしろ吹き出したり八つ当たりみたいな反応をした。… … … … … 「どうしたんだい?華琳姉さん」「それはこっちの言いたい事よ。さっきは、1人だけ別な反応をしたわね」来客の名前と訪問先が劉備だということにずいぶん驚いていたし、会わずに帰ったと聞いて安心していたし、帰った理由が「天の御遣い」の変な行動と聞いて、納得したようだったし。「何か「天のお告げ」があるのね。あの客は劉備に会わせてはいけない様な」「そこまで、見破られていたんじゃしょうがないな」仲徳はあっさり認めた。「俺や北郷が知っている話に間ちがいがなかったら、あの客の用件は、華琳姉さんの暗殺だった可能性がある」車騎将軍 董承「正史」によれば、献帝の側近でもあり、外戚でもある。「演義」では、曹操の「専横」に対して献帝の秘密命令を受けて暗躍する。劉備を含めた数人の同志と血判を交して、曹操の暗殺の機会をうかがう。「なんですって?」華琳でも、弟に驚かされる事はあったようだ。「劉備は会わなかった、というか、北郷が会わせなかったから、加担はしないよ」「…。…それなら、いいわ。「今」「ここに居る」劉備は、何も知らない可能性があるのね」「北郷がどこまで教えたかにもよるけどな」…しかし、成功を疑った劉備は、曹操の「英雄ただ2人」発言もあって、疑惑を受ける前に遁走(とんそう)。その後「正史」によれば陰謀は発覚して、流石に手を出せない献帝1人以外、全ての関係者が処断される…ここまでは華琳が聞かなかった。したがって仲徳も答えなかった。したがって「英雄ただ2人」の「イベント」は、華琳にとっては「やらせ」ではなかった。・ ・ ・ ・ ・「でも、ただ帰すのも惜しいわ」華琳は「人質」の名目で、愛紗を桃香たちから引き離すと、まるで恋人のように関心を引こうとした。いや、ある意味、華琳は愛紗に恋をしていたのにちがいない。そして「失恋」に終わる事も、誰より自身が知っていただろう。最初から華琳に取っては、それ以上の意味など、この件には無かったのである。――― ――― ――― さらに江東からは「小覇王」の遭難が伝えられた。――― ――― ――― 車騎将軍の官職にある董承は、曹魏の用間にひそかに「マーク」されていた。この「世界」でも、董卓の乱の後の軍事的に空白となっていた当時の帝都、洛陽と少年皇帝を守った、数少ない武官の1人が董承だった。当然「まだ」少年の皇帝から厚く信頼されている。それだけに、曹操の「専横」を心中、面白く思っていないことは「正史」と変わらないだろう。その董承が何人かの廷臣と、最近、忙しく往来している事は確かめられた。彼らの全員が官職は高く、皇帝に会う機会も多い。それだけに、朝廷=曹魏という「現実」は認め難いだろう。しかし、曹魏軍相手に実力行使に出るだけの軍事力も無く、知謀に優れた策士もいない。これでは、他から「軍事力」とか「策士」とかを、誰か引き込むか、それとも、暗殺といった完全な陰謀しかないだろう。華琳はそう結論付けた。「この面子では「天の御遣い」が付いている、劉備が逃げ出すわけだわ」――― ――― ――― 董承たちは、あせっていた。一番頼りになると、1度は考えた蜀の劉備は最初にあきれた応対をされたあげく、許昌からいなくなった。江東の小覇王と呼ばれた孫策も、突然の災難にみまわれた。どちらにも計画をうちあける余裕もなかった。では、自分たちだけで?どうやって?それを合議するために集まっていたのだが。・ ・ ・ ・ ・「曹仲徳。執金吾としての職権にて、ご無礼ご容赦」いきなり、門前で宣言され仰天した。華やかな「パレード」がそのまま、董承の屋敷を取り巻いていた。… … … … … 曹魏の軍師たち、桂花や稟、風たちの意見も一致した。「陛下には手を出せません。それでは、華琳さまが本当に反逆者になってしまいます」「ただし、今後は、こうした軽挙妄動は思いとどまっていただくべきでしょう。そのためにも」「今回の共同謀議に加わったものたちには、容赦はできません」「私も賛成よ。ただしこの機会に」何人もの臣下が朝廷からいなくなった。その欠員は曹魏によって埋められた。そして、華琳自身は、ついに「丞相」の地位に就任した。後漢王朝において、空席が不文律だった。臣下の極(きわ)み。「私の「丞相」は、あの“董卓”の「相国」とはちがうわ」確かにそうだろう。許昌に皇帝をむかえて以来、丞相がすべき事を華琳はやってきた。本格的な「屯田」を行って荒廃した農地を復興し、難民となっていた民衆や降伏した賊兵に帰る場所を与えた。その復興の継続に不可欠な、治水や治安の維持に目を行き渡らせた。その一方で、地道な、そして公正な民政を継続させてきた。その自負がある。その上での「丞相」だ。そもそも、これまでは何に対して遠慮してきたのか。「おそらく、麗羽などは、“董卓”の時と同じに、総帥気取りでやってくるでしょうね」今回の「董承事件」から「丞相」までの一連の事実を、あたかも、“董卓”が洛陽でやってしまった悪行の如く言い立てて、自分を正当化しようとするだろう。それを承知での宣戦布告だった。すでに白馬津で開戦しているのだ。無論、袁紹陣営からの檄文に他の群雄が呼応しないよう、外交と策謀の手段は取っておく。もっとも、現在、蜀は主君が身重。孫呉は突然に主君が交代したばかりで混乱から抜け切っていまい。その意味からも、今が袁紹軍との決戦の好機なのだ。――― ――― ――― 案の定、袁紹陣営は、お抱えの文章家を動員して書き上げた檄文で、自らの正義を主張した。幼帝の乳母から権勢をつかんだ祖母に始まって、直近の「董承事件」から「丞相」までを書き連ねた檄文を入手して、当の華琳が怒るより笑ってしまった。笑えないのは、袁紹軍の兵力である。河北4州から動員された、その兵力は最低でも10万以上。勢力圏内の守備隊を残すべきところには残して、黄河を渡渉して遠征してくる、すなわち曹魏軍と直接戦う決戦兵力だけで10万以上だ。これに対して曹魏陣営も、勢力圏内の各拠点の守備から、手を抜くわけには行かない。例えば、袁紹軍の別働隊に許昌を急襲されて、皇帝を奪われてはたまらない。許昌には、桂花と真桜を残留させた。他の各拠点にも配置した守備軍を差し引くと、華琳が直接率いて、袁紹軍にぶつける決戦部隊は2万数千。敵の4分の1である。それでも、天下全体を見渡した戦略からすれば、今が決戦の時だった。――― ――― ――― 蜀の成都。「シャオは、呉にというか、お姉さんのそばに居なくていいの?」「シャオも考えたよ。でも、お姉ちゃんたちのためにも、蜀に戻った方がいいと思ったんだ」「おそらく」竜鳳が口を挟んだ。「孫権どの以上に、孫策どのの「意志」を受け継ごうと、そう決心してしまった人が居るのでしょう」「それも、孫呉の重要人物の中に。おそらく、地位を継いだばかりの孫権どのでは押さえ切れない程の」「天の御遣い」には、心当たりがある。しかし、それは新たな悲劇の原因に成りかねない。「ちがうと言えないよ。でも、シャオは蜀と呉は、争ってはいけないと思うから。そのために戻ってきたんだよ」――― ――― ――― この時代の物流に不可欠な水運の上から、重要な運河である「官渡水」。その官渡水と黄河との合流点である敖倉に、春蘭の遊軍を配置する一方、華琳自身の決戦部隊は官渡水を堀とする防御陣地を固めて、兵力の不足を補った。長大過ぎる黄河では陣地防御で守りきれないと見て、あえて官渡水まで後退したのである。当然、これ以上の後退は危険だ。華琳は今度こそ、麗羽との決戦を覚悟していた。「三国志」において、曹操VS袁紹の「天下分け目」と名高い「官渡の戦い」そのカウント・ダウンが始まっていた。--------------------------------------------------------------------------------それでは続きは次回の講釈で。次回は講釈の36『官渡逆襲』~燃える烏巣の夜~の予定です。