††恋姫無双演義††講釈の33『汗血流転』~駆け抜ける千里の道~「今日も華琳様は、関羽を呼んだのか」秋蘭の見る限り、姉の態度は焼き餅にしか見えない。しかし、無理も無いとも思う。最近の主君の態度たるや、関羽べったりといっていい。「おや、ボチボチでんな」こういう時に限って、何故か愛紗の接待役みたいになっていた霞に出くわした。「また、関羽の「お見送り」か」「ちゃう。お礼参りの応対や」関はんたら、華琳様からいただいた金銀財宝の類を、右から左に寄付してしまいよる。おまけに、華琳様のお名前で寄付するから怒れへん。寄付されたもんのお礼が、華琳様の方へ来てしまいまんねん。「それで華琳様は」「ニコニコしてはるわ。ただし、関はんが手元に置く気になる贈り物を何か考えろと、命令されましたわ」――― ――― ――― 桃香や北郷一刀たちが許昌に滞在していた時に、与えられていた邸宅。現在、愛紗は、この邸の門番小屋で生活していた。1人暮らしである。霞が訪問した時も、自分で応対した。その事を霞に指摘されると、困惑するそぶりを見せた。「華琳様は、関はんを邸も使用人も無しにするつもりも、そんな事で蜀の方から文句を付けられるつもりも有りまへん」「しかし、主君持ちの身で、主君以外から身に余る待遇を受ける訳にも参りません。ご無礼をお許し願いたい」帰りかけた時、ふと、門番小屋に戻らず奥へ向かおうとしている事に気付いた。「いや、これは…弁明するつもりではないが、厩(うまや)だけは使わせていただいている」「武将なら、当たり前でっしゃろ。馬の世話人くらい手配しまっせ」「ご容赦を」… … … … … その次に、華琳に呼び出された時。帰りかけた時、華琳自身が馬場まで見送りに来た。「あの馬に見覚えが無い?」徐州の戦いの時、愛紗自身が取り押さえた馬だ。何より、手綱を引いて来たのは「メイド」姿の恋だった。「あの馬に乗ってみたくは無いの?」「あの「汗血」の名馬に、私がですか?」まず、隣の華琳に聞き、それから、馬を引いている恋に視線を移した。「今の恋は“めいど”。もう「赤兎」と一緒に走れない。新しい友だちが「赤兎」にはまだいない」「されば1度だけでも」と言って、愛紗は赤兎馬に騎乗し何周か馬場を回った。「気に入ったのなら、そのまま乗って帰ってもいいわよ。ただし、手放さない事が条件」「まことですか」「二言は無いわ」「感謝いたします。この「千里の名馬」なら、成都まででも一駆けで帰れるでしょう」――― ――― ――― 「旧」劉備邸の門番小屋。追いかけるように訪問した霞に対し愛紗は明言した。「私の信念で行動させていただいている。無礼は承知」その無礼のお詫びの分と、これまでのご厚意のお礼の分は、必ずお返しする。わが主君を敵としない限り存分に戦い、いわば「義理」を果たした上で、退散させていただくつもりだ。――― ――― ――― 「申し訳ありまへん」「完敗ね」華琳はむしろ、どこかさわやかだった。ここまで見事だと、いよいよ手元に置いておきたいけど、無理ね。劉備には嫉妬するけれど。そこへ、桂花が軍師としての報告を持って来た。「袁紹軍が動き始めました」ただ、なまじ4州もの広い領土から、兵を総動員するには時間がかかります。その時間を稼ぐため、自分の直属の精鋭をまず出動させました。「という事は、指揮は顔良か文醜ね」いずれにしろ、こっちが総動員数で負けている以上、最初から先手を取られるわけにはいかないわ。その意味で、悪い戦術ではないわね。だから、そのまま実行させたくないわ。――― ――― ――― 黄河は大河である。そして、この時代の水運の地位は高い。だから、黄河の岸にはいくつもの港がある。もちろん、それぞれの港は黄河の北岸と南岸で向かい合い、渡渉点を兼ねている。・ ・ ・ ・ ・黄河南岸の港の1つ、白馬津。袁紹(麗羽)の側近でもある、文醜(猪々子)と顔良(斗詩)は、黄河を南へ渡渉し白馬津を占領していた。まずは、最初に先手を取れた。しかし、斗詩は憂鬱であり、猪々子に疑問に思われていた。憂鬱の原因は「船頭が多くして船が山に上がる」自陣営の体質である。自分たちが、というより自分がいなくて、あの主君に常態化している大論戦をさばけるか?斗詩の苦労は、あの七乃だけが同意するかもしれない。――― ――― ――― 曹魏軍は、白馬津を占領され、早くも先手を取られたことを知った。「ならば、先手を取り返すわ。霞。貴女の涼州騎兵の出番よ」ただ、霞1人に、顔良、文醜が2人がかりになる場合が問題だった。加勢といっても、涼州騎兵より速くなくては、足手まといだ。… … … … … 電撃戦。対応されるより速く状況を展開させ続ける事で、主導権を取り続ける。この場合、後年の「戦車」役となる速さと強さを兼ね備えた雄将が、陣頭で突破口を開き、後方や側面は後続に任せて、ひたすら突破し続ける。赤い汗を流す快速の名馬に乗った、美髪を翻(ひるがえ)す雄将が「青龍偃月刀」で切り開いて行く。斗詩たちは無能な将ではないが、戦況の展開が速く、後1歩、対応が後手に回り、後手に回っている間に敵将が目前に迫った。「“蜀”の「五虎大将」がうち、一の大刀、関羽雲長…参る―っ」対応するには「赤兎馬」が速過ぎ、応戦するには愛紗が強過ぎた。偃月刀の一撃目はかろうじて受け止めた斗詩だが、ほとんど同時に「赤兎馬」の体当たりで馬ごと跳(は)ね飛ばされた。「斗詩―っ」猪々子が斗詩を助け上げ、一旦、後退しようとしたが、「アホかいな。赤兎馬から逃げられるわけないやろ。それも2人乗りで、1人は目を回していて」追い付かれるどころか、追い抜かれ、正面に立ち塞(ふさ)がれた。「カウンター」にすらなった一撃で、2人そろって馬から叩き落される。せめての事は斗詩が目を覚ました事だけだろう。互いの背中を援護しあう体勢で立ち向かうが、しかし、相手が強い。愛紗に勝てるのは恋ぐらいだろう。しかも、今は赤兎馬に乗っている。猪々子と斗詩の2人がかりでも、討ち取られないだけで靖一杯だった。その間に霞の率いる騎兵が追い付き、周囲を取り囲まれた。――― ――― ――― 「そんな?そんな―!」曹魏軍の中から、蜀の関羽が、呂布の乗っていた馬に乗って現れた。それ自体はありえただろう。曹魏と蜀の連合軍が呂布軍を破ったのはこの前だ。麗羽を絶叫させたのは、猪々子と斗詩が生け捕りになった、という悲報だった。「そ、そうですわ。公孫賛さんを連れてらっしゃい!」――― ――― ――― 袁紹軍から、捕虜交換の申し入れが来た。「我が曹魏の同盟者でもない公孫賛1人と、顔良、文醜の2人だと」などと言う者もいたが、華琳は愛紗に微笑みかけた。「捕まえて来たのは貴女よ。それに、貴女の主君には、助ける理由があったわね」「もう1働きさせて下され。私はそれでかまいません」曹魏側からは、白馬津から黄河の対岸への撤退を追加で要求する。と回答された。… … … … … 白馬津の袁紹軍は、白馬に乗った1騎だけを残して撤収した。「公孫太守。これ以上、巻き込まれない内に、ここを立ち去り、成都に向かいなされ」愛紗はそうすすめた。… … … … … 「良いのですか。袁紹の側近を生還させて」「そうよ。麗羽が自分の真名を許している程の側近」でも、他の将が捕虜になる度にこんな事は繰り返せないわね。結局は、不公平なひいきになるわ。元々、袁家陣営の弱点は、居過ぎる人材の間にむしろ不和の種がある事よ。そこに用間の使いどころがあるのよ。案の定、中級指揮官の1人が投降してきた。自分が捕虜になっても、顔・文のように救われるとは信じられない。なぜなら、顔・文以外の捕虜は返ってこなかったが、その中には自分の知人もいる。と言って。しかも、袁紹軍の作戦を漏らした。白馬津から撤収した袁紹軍は他の渡渉地点を求めて、やはり黄河南岸の港である延津を狙っている。この証言は、他の情報からも確認された。かくて、延津から上陸した袁紹軍と、待ちかまえた曹魏軍が正面衝突した。… … … … … 水際作戦では、待ちかまえていた方が有利。20世紀の戦艦が艦砲射撃でもしない限り。ついに、曹魏軍は撃退に成功した。愛紗は赤兎馬を駆けさせ、延津の戦場をめぐって戦った。ついに袁紹軍を水際に追い落とすまで「青龍偃月刀」を振るい続けた。・ ・ ・ ・ ・袁紹軍は、黄河の渡渉に一旦は失敗した。それでもその勢力は大きい。再戦は可能だった。最も、華琳が恐れていたのは、このまま戦い続けられる方だったが。どちらにせよ、袁紹軍が体勢の立て直しに入った機会に、曹魏軍も戦線の建て直しにかかった。そのため、華琳は一旦は許昌に戻ったが、再び黄河の前線へ戻ろうとした時には、愛紗の姿が許昌から消えていた。… … … … … 「けしからぬ。追って捕らえるべきです」春蘭などはそう主張したが、華琳は許さなかった。「やめなさい。このまま行かせた方が、この曹操の名は傷付かないわ」それに、無駄よ。赤兎馬に追い付ける?それに、勝てると言い切れる?…「それから、それどころでもないわ。袁紹軍との決戦は、これからじゃないの」――― ――― ――― 愛紗は駆け続けた。千里を行く「汗血」の名馬。運命の流転の結果、今は自分の愛馬となった赤兎馬とともに。予州潁川郡の許昌から西南へ、予州と荊州を駆け抜けて長江にいたる。その中原の大平原を、ひたすら駆け続ける。蜀へ。やがて、陸路は長江にさえぎられた。その長江に沿ってさかのぼるように道を変え、三峡の大渓谷沿いの山道を尚も駆け続け、やがて道が開ければ、そこはもう蜀の四川盆地。四川の名のゆかりとなった、いく本の流れと、山脈に囲まれた盆地が織り成す風景。ここは愛紗が生まれ育った地ではないのに、何故か懐かしい。いや、その理由はわかっている。ここには自分を待つ人たちが居る。「私には帰れるところがある。こんなうれしい事はない……帰ろう。赤兎。私と一緒に」「蜀の犬は太陽にほえる」他国人はそうからかう。そんな雲や霧までが、何もかも今はみんな懐かしい。--------------------------------------------------------------------------------原典「三国志演義」では、どこまでも関羽がかっこいい筈です。そうでなければ、ひたすらわが力不足に他なりません。それでは続きは次回の講釈で。次回は講釈の34『江東急転』~壮士の仇討ちと道士の呪い~の予定です。