今回、引用する「孫子の兵法」はあくまで抜粋であり、作者による(ところどころ省略した)抄訳です。「正史」の孔明は、子供のとき遭遇した曹操による徐州虐殺を、生涯許さなかったでしょう。しかし、軍師としての「彼」は、実際の戦争に対しては理性的でした。曹操が復刻し「正史」での世代差から考えると「彼」も読んだであろう、「孫子の兵法」を否定する事のない戦いを、孔明も実行していきます。--------------------------------------------------------------------------------††恋姫無双演義††講釈の18『益州侵掠(その4)』~百戦百勝は善の善ならず~益州永昌郡。南蛮王孟獲が率いる南蛮軍と、劉備軍はすでに7戦目を戦っていた。この第7戦で使用されたのは「伏竜鳳雛」がお得意の「八陣図」完全に包囲してしまえば、そのまま殲滅するのも降伏勧告するのも、動機と結果は正反対ながら、こちらの思いのまま。桔梗などは自分も犠牲者だけに、南蛮に同情すらした。彼女の時と同様、包囲が完成した段階で桃香が説得を始めた。その途中、「もう、こうしゃんにゃのにゃ―」…ちょっと、思いっ切りが良くないか?「しょのしょうこに、まにゃをおしゅえるにゃ~。みぃはこうしゃんしゅるにゃ―」「この」世界の少女たちにとって、真名を教える事がどんなに思い意味を持っているか。これが「漢人」同士なら、これだけで降伏を信じてもいいかも知れない。だが、「“南蛮”にも、真名ってあるの?」いずれにしろ「七だびはなつ」の作戦方針からいえば願ったりだ。南蛮兵たちも次々に武器を捨てだした。一番外側の兵だけは流石に盾を構えて身を守っているが、もうそれだけ。それを確かめて、軍師の白羽扇が振られる。「八陣図」がまた形を変え、包囲がゆるめられた。… … … … … 降参した南蛮王孟獲(美以)が、桃香や一刀たちと対面している。見た目やしゃべり方、それに“南蛮”に対する先入観からすれば、話している内容はしっかりしていた。従来の国境、つまり益州永昌郡までは「漢」の領土だと認め、それより南は“南蛮国”として相互不可侵を誓い合う。それを信じるか否かは、結局は、美以と桃香が互いに信頼できるかであり、美以の方は、完全に桃香を信じると言い切った。さらに細かい条件がいくつか取り決められたが、その1つとして「蜀」と南蛮との貿易関係についても話し合われた。美以が希望する「蜀」からの輸入品として、“食料”が挙げられた時に、北郷一刀はむしろ意外に思った。「天の国」つまり現代日本では、熱帯地方からさまざまな農産物を輸入しているからだ。むしろ“南蛮”の方が食料を輸出しそうな気がしていたのだが。その一刀の「お告げ」で、南蛮から「蜀」へ「トロピカル」なあれこれが輸出され、「蜀」から南蛮へ輸出される主食と等価交換される事になった。そう、等価ということが、この際は重要だった。つまり「中華」が「南蛮」を対等に扱(あつか)うという事。やはり「蜀」の面々も「中華」の民である以上、一刀だけがこの発想を持てた。それだけに、美以の心理には、信頼度という意味でトドメになったかもしれない。… … … … … 美以もとい孟獲は、永昌郡の南の「国境」を越えて引き揚げて行き、劉備軍は再び、巴郡を目指して北上しつつあった。南蛮軍が降参する際に投げ捨てた武器。特に南蛮王の持ち物である事も確かな美以本人の武器。さらに、貿易が取り決められて提供された「トロピカル」な輸入品。それらを大量に抱(かか)えて北へ帰還した。「これらを持って帰るのは、これから大事な意味を持ちます」すなわち、南蛮との問題を解決したという証拠品。この「証拠」をもって、桔梗さんとかが説得すれば、大きな効果が期待できます。確かに、巴城に立て篭(こ)もって、劉焉を益州に入れなかった厳顔(桔梗)だから説得力がある。そこへ「実績」を示すこの「証拠」が加わるわけである。「それで、成都を守っている賈龍さんが、納得してくれれば、無駄な戦いをする必要がなくなります」・ ・ ・ ・ ・魏の曹操が復刻し、後世に残した「孫子の兵法」(その3)「謀攻編」に曰く、戦争の法則は、国をまっとうするのが上策。敵国を破るのはその次。これは、最小の「1個分隊」にまであてはまる。百戦して百勝は、善の善ではない。戦わずして、屈服させるのが善の善なのだ。・ ・ ・ ・ ・桃香や一刀たち、同志一同の目的は「蜀」の国づくり。戦う事が目的で、益州を侵掠したのではない。前々任の益州刺史が戦死した後、その補佐官だった賈龍が有志を集めて益州を守ってきた。その功績を認めるつもりはあっても、出来れば戦いたくは無い。「(それに、成都の手前には「落鳳坡」があるしな。ここでの戦いはスルーした方がいい)」… … … … … 巴郡まで戻って来た劉備軍は、益州の州都、成都を目指して、四川盆地を横切るように進撃し始めた。だが、決して、自分から戦おうとはしない。すでに同志となった、狭霧や桔梗たち、益州出身者たちが同郷の者を説得し、無血で開城させては、着実に前進して行く。こうして、盆地の中央付近まで来たところで、劉備軍の主力は進撃を休め、桔梗や狭霧たちが、成都へ説得におもむいた。――― ――― ――― 曹魏軍の陣営。物語は沛国へ向け、救出部隊が急行した時までさかのぼる。・ ・ ・ ・ ・「(間に合った。そういえば「正史」では、張遼と涼州騎兵はまだ参加していなかったな)」とはいえ、軽騎兵だけで急行してきたのでは、侵略してくる何者(?)に対して戦力不足。曹仲徳たちの役目は、曹夏侯一族を保護して撤収することだった。仲徳や、春蘭、秋蘭が証人になって、華琳の救援である事は信じてもらえた。しかし、すでにこの地方の豪族として3代目である。大人数であるだけでなく、捨てて行くのが惜しい財産は余りにも多い。だが、そんなものを抱えては、逃げ切れないだけではなく略奪の標的になる。そう華琳に言われた通り、仲徳たちは説得した。それを当主である祖母の華恋が聞き入れてくれ、他の一族を一喝してくれた。おかげで、脱出が可能となった。… … … … … しかし、一族郎党を引き連れての避難行動となっては、往きの様に涼州騎兵の快速に任せるわけにもいかない。仲徳たちは何度も襲撃者たちに逆襲の突撃を行い、その間に一族を逃がそうとした。当然、激戦になる。それでも、収容のため送り出されて来た、後続のより大きな部隊との距離を次第にせばめていった。… … … … … 後、1回か数回の逆襲で、おそらく収容部隊と合流できる。その時、春蘭がまともに顔面に矢を受けた。だが、尚も当面の敵が退却するまで戦い続ける。その気迫に敵も恐れをなしたか、返って距離を大きく取れた。・ ・ ・ ・ ・「春蘭、生きているの!」ようやっと、華琳自身が率いてきた収容部隊と合流できた途端、張り詰めていた気が切れたように春蘭が失神し、そのまま陣営に担ぎ込まれた。春蘭以外の曹夏侯一族の犠牲は最小限ですんだが、当然のように曹魏軍は殺気立った。しかし……「華琳姉さん…」「わかっているわ。わかっているわよ」「大丈夫、春蘭さんは死なないよ」「何でわかるのよ。それも天…いや、そうよね」華琳は自分の復刻した「孫子の兵法」を口に出して、自分を制御しようとしていた。・ ・ ・ ・ ・「孫子の兵法」(その12)「火攻編」に曰く、王は怒りをもって戦争を始めるな。将軍は怒りをもって戦争を実施するな。有利にあって実行し、不利にあって止めよ。怒りはいつか喜びに変わるかもしれないが、亡びた国は存在しない。死んだ者は生きられない。・ ・ ・ ・ ・曹魏軍に冷静を取り戻させたことは、2つあった。1つは、ふらりと現れた正体不明の医師が春蘭を治療した事。「命には別状ありません。傷も片目以外は残りません。ただ、失くした眼球を作り出す事だけは出来ませんが」「それで充分。いや、いくら御礼をしても足りないわ」「でしたら、いつか貴女様の頭痛を治療しに来た時、僕を殺さないでいてくれますか」「…?」ただし、仲徳だけは「?」の意味が異なっていた。… … … … … いま1つは、風が放った用間からの報告。「あの徐州軍らしきものの正体は、旧「董卓」軍にいた、済成です」「「「あの成(な)り済(す)ましもの!?!」」」しかも、かなり詳細な内情を探り当てていた。「よく調べがついたわね」「へへん」何故か、風本人ではなく、その頭上に乗っている「太陽の塔」(仲徳曰く)が代わって答えた。ああいう欲深は、似たり寄ったりの欲深しか信用できないのさ。でもよ、そういうお仲間は値段によっては、買えるのさ。「効率のいいお金の使い方ね」・ ・ ・ ・ ・「孫子の兵法」(その13)「用間編」に曰く、およそ戦争になってしまえば、国庫ひいては民衆の負担がどれほどあるか。それなのに、間者への恩賞をケチるなど、民衆への情け知らずとすら言える。・ ・ ・ ・ ・「裏が取れた以上、こんなバカげた陰謀に引っかかっては、余計に腹が立つわ」一旦、このバカ騒ぎに巻き込まれないところまで、全軍で離れるわよ。――― ――― ――― 益州四川盆地。物語は、劉備軍が進撃を休めた時までさかのぼる。・ ・ ・ ・ ・雨が気になっていた。「申し訳ありません。“蜀の犬は……”」桃「そういう意味じゃないの」刀「そういう意味ではないんだ」そう「蜀の王」であれば、気にして当然の事だった。これから「蜀」の国づくりをしていくのなら。--------------------------------------------------------------------------------どうやら、戦争より政治が大事な段階にきたようです。それでは続きは次回の講釈で。次回は講釈の19『益州侵掠(その5)』~いざ成都~の予定です。