無謀と思いつつ、書き始めて、やっとここまでたどり着きました。第1部・第2部・・・といった構成なら、ここまでが第1部のほぼ中間あたりになると思います。この無謀な作品を読み続けていて下さる、みなさま方には、あらためて感謝いたします。--------------------------------------------------------------------------------††恋姫無双演義††講釈の13『魔王は消えて思惑が交叉し はるか蜀の天地に希望を抱く』帝都洛陽の皇宮、その一室で、今日も会議が続いていた。逆賊“董卓”を討つ名目で連合軍に参加した諸侯が「後始末」を協議していたのである。まず現状だが、董卓と軍師賈駆は「生き恥」を晒した以上「公人」としては、もう死んでいるも同然だ。もはや、没落王族に仕える、ただの“めいど”に過ぎない。張遼・華雄は曹操軍に捕らえられ、呂布・陳宮はどこへ落ちのびたか、行方不明。彼女たちを棚に上げて、涼州軍を乗っ取ろうとしていた、中級幹部は「首」になっている。涼州にあった元の拠点も、近隣の他の涼州軍閥、馬騰とか韓遂とかによって、現状は「切り取り次第」になっている。馬騰はここまで連合軍に参加してきたが、このために帰国したがっていた。もはや、旧「董卓」軍は壊滅したと見ていい。・ ・ ・ ・ ・「だから、もう連合軍が帝都に留まる理由はないわ」最初に決起を呼びかけ、最終的に帝都から涼州軍を追い出し、皇帝を救い出した、曹操(華琳)にそう主張されては、表立って反対も出来ない。それぞれに思惑を交叉させている諸侯が寄り集まっていればなおさら。それに、そろそろ留守にしてきた拠点が気にかかるのは、馬騰だけでもない。本来、黄巾やその類の「賊」とか「蛮族」と呼んでいる外敵とか、それやこれやの「討伐」に対して認められてきた軍事権を名目として、軍閥化してきた。ということは、現実にそうした脅威が存在するということである。それでも、連合軍に参加するにあたっては、目的もあれば、思惑もあった。それがある程度、達成されない内は、帰れない気もするのである。が、最も多くを主張できる立場の曹操が率先して、拠点の予州潁川郡に引き揚げると言い出したのだから、それぞれに思惑を交叉させているだけに、今後は居座り辛(づら)くなりそうだった。――― ――― ――― 無論、華琳は許昌の城に引き揚げる途上で、仲徳、春蘭、桂花etc.…といった側近たちには、思惑をあかしている。旧「董卓」軍は壊滅、連合軍も引き揚げれば、現在の帝都、洛陽は軍事的に空白となる。天下太平の治世なら、むしろ正しい形だろうが、今の時勢ではすぐにたえられなくなる。「そうなったとき、私たちの拠点、潁川は、他より洛陽に近いところにあったわ。好運にもね。」もしも、居座るものがでたなら、第2の“董卓”として討つか。それとも、その留守の拠点を攻めるか。華琳が率先して、引き揚げたために、誰かが居座る可能性はそう高くないし、華琳自身が攻撃される危険性は、とりあえず回避できた。「それに貰(もら)うものは、貰って来たわ」おそらく近い内に、陛下と大義名分を迎えられる、その時のために、いますぐすべき事に役立つものをね。『鎮東将軍』潁川郡許昌城のある予州から、隣(となり)の兗州にかけて、治安を回復すべしという「名分」これによって、拠点と勢力の拡大を正当化できる。おそらく、他の諸侯もこうしたものは持って帰ろうとするだろう。しかし、同じ事なら、すでに先手を取ったのはこちらだ。――― ――― ――― 時間は数日さかのぼる。曹魏軍の出立に先立って、洛陽城内、旧「董卓」時代の呂布邸。恋という少女は、無口で、人とのコミュニケーションが、音々音や月たち、身近な少数以外、苦手で、何かと誤解されやすかった。例えば、恩賞を金銭で貰いたがるとか。そのせいか、動物に「友だち」を求めがちだった。この邸には、あの「汗血馬」となぜか同名のコーギー犬をはじめ、数十の「友だち」が暮らしていた。音々音と一緒にやって来たセントバーナードから、大はどこから来たかゾウまで、犬、猫、鳥etc.…実は「お金」を欲しがるのは、えさ代だったりする。「しかしようもまあ、虎牢関攻めから包囲戦の間に、誰かに食べられるとかしなかったものやな」大型犬やらゾウやら数十が守っている邸を、襲撃するにも勇気がいっただろうけど。無論、月や詠、霞たちは、恋のすくない人間の友だちで、この邸にいる「友だち」とも知り合いだった。その霞たちから、事情を聞いた華琳は、あっさりと手配してくれた。この邸の維持と動物たちの食料については、洛陽に残していく、曹家邸の留守役に任された。「これで呂布と陳宮が買えたら安いものよ」味方にしたくなった相手には、大判振る舞いするのが、華琳もとい曹操なのである。そういうわけで、曹操軍と出立する前に、お別れに来たのだった。来ていたのは、霞たちだけではなかった。「ほんにお似合いやな。前からお人形さんみたいと思っていたけど、こうなるといよいよや」現在の月と詠は「メイド」だから、基本、主人から離れられない。北郷一刀が、気を利かせて、連れて来たのである。霞たちも、洛陽を出立するまでは、捕虜の身だから、曹仲徳が付き添っていた。野暮(やぼ)を避けて月たちだけにした結果、彼ら2人になったことで「天の国」の言い方で意見交換が可能になっていた。「公孫賛も、心境複雑のようだな。劉備軍の代弁者にならなければ、自分の手柄もない」「それでも白蓮さんと桃香の友情までなくすには、桃香はいい娘に過ぎますしね」「北郷が言うと惚気(のろけ)だがな」――― ――― ――― その後、曹操軍が引き揚げたのち、連合軍の諸侯も、1人去り、2人去りしだした。孫呉軍や、袁術軍、最大勢力の袁紹軍も、ついに引き揚げを検討しだした。こうなると、公孫賛(白蓮)も袁紹軍の先手を取って、引き揚げるか否かを決断しなければならない。現状からも「正史」からも、白蓮にとっては、袁紹軍が最大の脅威であり、しかも、帝都から自分の拠点まで帰るためには、その脅威の勢力圏を通るのだから。劉備軍にも公孫賛軍とともに、帰還するか否かの決断が迫りだした。そんな時、荊州の襄陽「名士」グループから、入手できた情報があった。益州州牧、劉焉(りゅうえん)、未だ荊洲にあり。――― ――― ――― 元々、漢帝国の地方制度では「郡太守」が皇帝に直属していた。州を担当する刺史も、最初は視察が任務だった。しかし、黄巾の乱などの治安悪化を理由に「州牧」という官職が設けられる。郡太守の上位に位置する、広域行政職であり「有事」には治安回復の任につく。すなわち、後漢13州の1つに、行政と軍事の権限を持つ。もはや「有事」が常態になりつつある現状では、軍閥を正当化するに近い。劉焉は、当時の霊帝や十常侍、大将軍何進などに運動して、「州牧」という官職を設置させると、自分は益州の牧に任官された。・ ・ ・ ・ ・その劉焉が、益州に赴任するために、隣の荊州まで来ながら、そこで足踏みしている。その理由というのが、南蛮が暴れていて、治安が悪化しているから。だというのだ。元々、そのために、権限を与えられている筈だった。しかし、益州にも入れないため、兵を集められない。とも言っている。いたちごっこだ。とはいえ、任務を果(は)たしていないと、難癖(なんくせ)を付ける事は出来る。それに、劉焉当人は秘密にしているつもりでも「天の御遣い」にはお見通しである。なぜ「帝国」の西南にある、益州の牧を選択したのかを。結構、バレたらヤバい理由なのだ。かつて、十常侍などがいたとき、盧植なんかがどういう目にあったかを思えば、州牧を取り上げられても当然だ。… … … … … 荊州から届いた情報を検討していたとき、北郷一刀は、劉焉の秘密の動機をあかした。その理由は「西南に天子の気があると予言した占者がいた」ことと、自分が「劉」氏である事を結び付けたという。現代人よ、笑うなかれ。この時代の「占」は、後世の「科学」とほぼ同じ意味なのである。だから一刀も、最初から「天の御遣い」として、待ち構(かま)えられていた。結局、この「天子の気」は、別人を予言したものと伝えられる事になる。益州の軍閥化に成功しても、劉焉の息子が益州から追い払われて、予言の人物が取って変わったのだった………………北郷一刀の態度が変化した。「これがもしかしたら最後の「お告げ」かも知れない」「お兄ちゃん、大げさなのだ」「そのとおり、余程の重大事をうちあけようとしているみたいですぞ」「…そうだね…(そう見えるか)」「伏竜鳳雛」は流石に気付いた。「ご主人様は真剣です。現に…」「この場には、白蓮さんや月さんたちもいません。ご主人様はそれを確かめてから態度を変えました」「(星はいてもかまわんけどな)」「ご主人様。いえ「天の御遣い」北郷一刀様」私たちは、私たちの意思であなた様を「天の御遣い」と認めたのです。だから「真名」を許しました。みな、その気持ちにうそはありません。わかったよ。桃香、みんな。「劉備玄徳は「伏竜鳳雛」の英知を得て、自らの王国を建てる。そういったよね」その国の名は「蜀」・・・そう、今、劉焉が天子の気に目を付けている益州の事。件(くだん)の天子の気は、蜀の王、劉備を予言していたんだ。やはり「伏竜鳳雛」だった。数瞬の驚愕のあとは、頭脳が大回転しだした。「出来ます。劉焉ではなく、桃香様が益州の主になることは可能です」「あの「天府の国」なら、桃香様に相応しい国がつくれます」… … … … … ……先輩、いや曹仲徳。俺は、桃香を蜀の王にします。それが「天の御遣い」の役目でしょう。・ ・ ・ ・ ・袁紹(麗羽)袁術(美羽)そして、表に出た白蓮も、いまの段階で益州州牧を引き受けるのは「火中の栗」と考えた。劉焉が立ち往生している理由は、真っ赤な嘘(うそ)でもない。公孫軍からも離れた、劉備軍の小勢力では、打開可能とも思えない。(実はそう思わせた)その程度で、あれだけの功績に対して満足するのなら、さっさと面倒事をすませて、自分の拠点に帰ろう。――― ――― ――― 袁紹軍、袁術軍そして公孫賛軍も、帝都洛陽から引き揚げ、連合軍はなし崩しに解散した。そして、劉備軍は公孫軍とも離れた孤軍となって、帝都を出立した。益州州牧、劉焉と交替して赴任すべく、まずは荊州へ。――― ――― ――― 「な?!」「(華琳姉さんが、筆を落とした)」北郷め、やってくれたじゃないか。姉さんが「魏」の国を建てるより早く、劉備が蜀を取るのを繰り上げてくれた。アイツ「歴史」を急加速するつもりか。--------------------------------------------------------------------------------劉備が孔明とともに、ついに拠点を得たとき、曹操は手から筆を落して驚いたと伝えられます。それだけ、ライバルとして評価していたという例(たと)えですね。もちろん「正史」では「赤壁」の後の事です。仲徳にいわれるまでもなく「この」外史「も」どんどん繰り上がっていきます。どの程度「正史」と乖離して、どこでつじつまを合わせるか。これからも、無謀を続けます。それでは続きは次回の講釈で。次回は講釈の14『西南には希望を求めて出立し 東北には故郷に知己を送る』の予定です。