― 二重奏 ―
「納得できるはずもない」
言って、ゴルネオはシャンテの後を追った。
「・・・・・・不快です」
誰にも聞こえないように、フェリは小さく呟いた。
・・・・・・つもりだった。
「機嫌悪そうですね」
ふわりと、夜が音を奏でるように。
その声は、フェリの耳元に届いた。
一度だって聞いた事のない、それは、何処か懐かしい音だった。
振り返る彼女の視界に。
滅んだ都市、無造作に積みあがった瓦礫の山に腰掛けた、着物姿の男の姿があった。
長い黒髪を簪で纏め、腰に挿した錬金鋼だけが、その男を武芸者だと告げていた。
整った顔立ちは薄く微笑みを作っていたが、フェリには理解できた。それは、作り笑いなのだと。
一度だって会った事のない、黒髪の男。女にしか見えないのに、彼女にはそれが男だと確信できた。
フェリがそんな自分の感覚に戸惑っているのを知ってか知らずか、男は優雅な仕草で瓦礫の上から彼女の前に降り立った。
正面に立つ、それほど背が高いとも思えないその男に、フェリは何もかける言葉が思い浮かばなかった。
当然だろう。
だって、彼女達は初対面なのだから。
そもそもこの廃墟に、この廃棄都市に、彼女が知る以外の人間が居る事がおかしい。
フェリは優秀な念威操者だ。このツェルニの進行方向内に迷い込んできた滅んだ自立移動都市に調査に赴いた時、真っ先に自身の念威端子を持って隅々まで調査した。生命活動は、野生化した動物以外、無し。
かつては威容を晒していただろう都市中央の巨大構造物から、農業プラント、工業施設まで余すことなく、何か人以外の巨大な力で破壊されていた。地下施設も同様だ。都市の環境維持にまで致命的なダメージを受けていた。
まともに人が生きていける環境ではない。
だが、目の前のこの男は居た。
明らかに都市外を旅するには不向きな優美な着物姿で、当たり前のようにフェリの前に存在していた。
当然だろう。
彼は何時でも其処にいるのが自然のような人間だから。
人を呼ぶべきか。
呼ぶべきだろう。フェリはそう悟っていた。
人なら、彼女の仲間達なら、彼女が背にしている元々武芸者達の待機施設だったと思わしき建物の中に、居る。
念威端子で異常を知らせれば、二階の窓からだって、フォンフォン・・・もとい、レイフォン達なら飛び出してきてくれる筈だ。
余り仲が良好とはいえない第五小隊のメンバーだって、こんなあからさまな不審者が居ると知ればたちどころに集まってくるだろう。
いや、待て。フェリは気付いた。
そういえば、第五小隊の念威操者はどうした。こんな安全の確認できない場所で夜を明かす事になっているんだ、建物の周りに探査子を放っているのが当然じゃないのか。・・・いや、そもそも自分だって、探査子を二重三重に張っていた筈だ。
何故、この目の前の男の存在に、気付かなかった?
「先ほどから」
フェリが黙考の深みに陥っていると、男が声を上げた。
「先ほどから何やら、不快な気配を感じるんですけど」
困ったように笑う男の言葉は、酷く、フェリの癇に障る物だった。
当然だろう。
その言葉は、何処かの誰かが並べ立てた言葉と似ていたから。
フェリは男をねめつけて、言った。
「何かご不快な事でもありましたか?お嬢様」
自分でもありえないなと思うくらい、酷くぶしつけで、むしろ無様で、そして拗ねた子供のような、そんな声だった。
フェリの言い様に、男はにやりと唇をゆがめた。悪党そのものの笑み、それがきっと男の本質なのだろうとフェリは知った。
「今の貴女の発言で不快だった理由は・・・・・・理解できませんね。と言うか、出来たら凄いですよね」
男は自分の言葉に自分で肩を竦めて反論していた。フェリがジト目になるのも構わず、続ける。
「さっきゴツイ男と何か言い合いしてたみたいですけど、何かありましたか?ひょっとして、痴情の縺れと・・・ッ!」
男の言葉は、最後まで続かなかった。
当然だろう。
彼女を揶揄する言葉を吐けば、鈍い痛みが待っているのだから。
奇妙な事になった。
フェリは見知らぬ男と二人、夜の廃墟を散策していた。
崩れたビル、折れた樹木、舗装路はひび割れ雑草が生い茂っている。
「ここもねぇ。昔は凄かったんですよ。あの向こう側に見えるデカイ廃墟。アレ何か、昔はエアフィルター突き抜けてたんですから」
男は自然体そのもので、フェリの傍らを歩きながらあちこちを指し示しながら何かどうでも良い事を話していた。
フェリはと言えば、自身の行動に戸惑っていた。
見知らぬ、あからさまに怪しげな男と、廃墟で二人きり。そして男は武芸者で、自分は一般人に毛の生えた程度の能力しかない念威操者だ。襲われでもすれば、避けようもないだろう。
だというのに、そんな事は絶対にありえないと、彼女は何処かで理解していた。
当然だろう。
この男が、自分から誰かに接触を持とうとする事など、滅多にないことだから。
全く自分らしからぬ理論も減った暮れもない思考に、フェリは知らずため息を吐いていた。
夜空を見上げる。それほど寒くもないのに、夜には虹色の天幕が架かっていた。
オーロラとは、珍しい。
「お嬢さん?」
隣の男が声を掛けてきているのが解っていたが、フェリは視線を外す事が出来なかった。
珍しいオーロラ、その怪しくも美しい光景に、引きずり込まれそうだった。
「あの、聞いてます?」
聞こえている。
聞こえているけど、目を離すわけにはいかない。
だって、美しいから。
「そろそろこっちを見てくれないと、貴女の事を嫌いになりますよ」
それは魔法か何かだったのか。
「・・・・・・貴方」
「あ、意外なところで釣れますね」
フェリは、立ち止まって男の顔を凝視していた。
男は笑っていた。ニヤニヤしている。
容赦なく脛を蹴った。着物に靴後が付いていた。いい気味だ。
男は項垂れながらも、彼女に忠告染みた事を口にしている。
「此処に居る連中の中では、お嬢様は一人だけ何ていうか・・・まぁ、因果ですよね。因果。諦めてください。しょっちゅう亜空間の構成に齟齬がでるくせに、こういうところは修正力が働かない仕様らしいんで」
一方的な上に、意味がまったく解らない。フェリは頭が痛くなった。
と、同時に自分は何故こんな怪しい男と普通に会話をしているのだろうと言う疑問が再び鎌首を擡げた。
自然すぎる。
自然すぎるから、少し、ほんの少しだけ。
男が彼女の頬に手を触れていた。
細い指。拭うような仕草。
それでフェリは、自分が涙を流していたのだと気付いた。
「泣き顔を見るのは、そう言えば、そうか。・・・・・・初めてでしたか」
知らない事の方が多いなと、男は呟いていた。
「知ったような口を利いて。不愉快です」
フェリは絞るような声で言った。
そのお嬢様と言う呼び方も。
不愉快で、不愉快で不愉快で、そしてたまらなく愉快だったから、彼女は、そう続けた。
「では何と?」
男は因果だな、という口の動かし方で、そう尋ねた。
フェリは自身の名を告げた。
男は二度三度、それを口の中で呟いた。
ロスさんですか。・・・・・・なるほど。
男は、宜しくとは言わなかった。自分からは、名乗ろうともしない。
だからこの出会いは、もう直ぐ閉じるのだとフェリは理解した。
ただ道を行くままに歩いていたら、いつの間にか分かれ道に差し掛かっていたから。
フェリと男は、ゆっくりと離れていった。
来た道からV字に折れ曲がっている道を進めば三角交差を経由して、何れ元居た建物の場所まで戻れる。
もう一本の道は、何処とも知れぬ場所へと、繋がっているのだろう。
男は後者を選んだから、彼女は前者を選ぶしかなかった。
連れて行きたいとは言えなかったし、連れ戻して欲しいとも、思えなかった。
だから、此処でお別れ。
分かれ道、数歩離れた位置で、互いに向き合う。
男は肩を竦めるだけだった。流石に、バツが悪い。
フェリさんはそんな男の仕草を鼻で笑った。
「見知らぬ他人が出会って別れる。それだけの事なのに、何を気まずそうな顔をしているんですか、貴方は」
男は答えられなかった。
明後日の方向を見て、頭をかいている。手が簪に引っかかった。
・・・・・・ジャニスめ。何の変装にもならないじゃないか、コレ。髪形を変えておけば誤魔化せるとか、適当な事を言って。
フェリさんはそんな男を見て、益々馬鹿にしたような顔になっていた。正直、さっきから視線が痛くて仕方ない。
呆れ顔のままため息を吐いている。
案外、別の女性の事を思い返している事に、気付かれたのかもしれない。
フェリさんは顔を伏せた。その拍子に、長い髪が揺れて、大好きな彼女の表情が隠れた。
そして。
ふわりと弾む、銀の髪。翻る、フリルのゆらぎ。整った顔、透き通るような瞳の色。
この子の笑顔は何時だって美しい。
ずっと、ずっとそう思っていた。
「本当に。・・・・・・本当に馬鹿ですねぇ、おハルさんは」
ああ、全くその通り。
男は・・・・・・ああもう、駄目だな。僕は笑う事しか出来なかった。
だから、この話は此処で終わりだ。
これ以上に何か、話すような事なんか無いだろう?
ここから先は、野暮な事だ。聞かないで欲しい。
だって、今はもう夜で、此処は分かれ道だ。
それぞれに帰る場所があるし、やるべき事もある。
「次こそは貴方の奢りで雰囲気の良いバーですか?夜景を眺めてグラスを傾け、ああ、ホテルはなるべく高い部屋ですね。値段的にも高度的にも」
端から適当な言葉を並べていくフェリさんに、僕は苦笑した。飯を奢るだけの筈が、随分高くなったものだ。
「どうでしょうね。・・・・・・次も案外、別の都市になるかもしれませんし」
会うならきっと、グレンダンでとか思ってたんだけどなぁ。・・・・・・結構近くに来てるんだよな、あそこも。
大体なんで、メルニクスなんて曰く付きの場所に居るんでしょうね、この人たち。ひょっとして山羊を探すの急いだ方が良いのか?
そういえば、事前にツェルニに顔出したら、狼男とばったり会っちゃったし。あの野郎が居るって事は、黒いロリも一緒って事だろう。大体、今は時系列的には老性体とドンパチした直後辺りだろうに、何でこんなにトラブル続きなんだ、ツェルニは。
まったく、因果因果。因果も極まれりか。
全部その言葉だけで片付いてしまいそうなほど、どうにもならない事態だ。
まぁ、良いさ。
僕はどうせ、足掻くよりは流されるままを好む性質だ。
目の前のこの、愛しくて仕方が無い人とだって。
何れまた、それが当たり前のように毎日幾らでも。顔を合わせて言葉を交わす日も来るだろう。
それに、約束があるんだ。
だから僕は、気軽な仕草で片手を上げて、フェリさんに言う言葉は、これだけ。
それじゃぁ、また。
今日はこれで、さようなら。
― 奏楽のレギオス:完 ―
※ 読了多謝。
次回更新にて総括的な後書きを載せます。