― サイレント・トーク:Part9 ―
『愚かな事だ愛し子よ。一人でならば、何処へでも逃げられるというのに』
白光が身体からあふれ出す。尋常ではない剄の放出をそのまま推力へと変換し、後方へ一気に飛びずさる。
視界を覆いつくす汚染獣の顎の前に遂に鬼札を切った己を、鬼札そのものである蛇が嘲る。
それを黙れと思考の端に押し流し、絶殺の一撃を間一髪で回避する。だが牙をかわしたとしても、老性体の巨体そのものが最早凶器だ。それをかわすために、手にした鉄扇すら使わずに、旋剄の要領で足に剄を込めて"空"を蹴り跳躍する。
突っ込んできた汚染獣の顔面を飛び越え細長い胴体へ着地。
足場となった硬い鱗の何処にも、アルセイフが二十四時間もの時間をかけてつけた筈の傷が無いことに気付き舌打ちする。
だが、千載一遇のチャンスを逃す気は無い。剄路を満たして余りある白蛇の剄をありったけ鉄扇へと押し流し、天へ掲げた両の手を、一気に足元に叩きつける。
外力系衝剄化錬 弧月・二重影
扇状に展開された巨大な剄の刃が、老性体の外殻を打ち付ける。
今まで己の攻撃を歯牙にもかけなかった老性体が、苦悶の咆哮を上げる。
一人で戦い続けて十時間以上、遂に攻撃が効いた。
だがそれも、硬い鱗にヒビを入れただけ。ダメージは内側には届いていない。
ならばもう一撃、化錬を保ち刃を形成したままの扇を再び振り上げたところで、老性体が自らの身体を大きく捻った。
背に乗った己を地に叩き伏せんと言うのだろう。のたうつ足場に姿勢を振り乱された己は、老性体の思惑通りに宙に投げ出された。
化錬を解いて扇を仰ぎ、天へと逃げる。
空中で一回転して姿勢を制御。眼下に居る老性体と向かい合う。
汚染獣は今や殺意そのものとなって己に突撃を仕掛けてきた。突起口からは瀑布の如く衝撃波が放たれてくる。咆哮は振動波となって己を磨り潰さんとする。まさしく一撃必死。それを、膨大な剄による力技で天を強引に駆け巡りながらかわしてかわしてかわしてかわす。
目障りな羽虫ではなく、戦うべき敵であると、どうやら漸く認識されたらしい。
『愛し子よ。逃げるならば今をおいて他に無い。縁を用いれば何処へなりと行ける』
今や全身を満たす蛇が、己にそう呼びかける。
逃げろと。
今すぐ自らをオーロラ粒子に変換し、縁のネットワークに乗れと。
「お断りだ」
それを、否定する。
自らに等しいはずのハルメルンの言葉を、自らの意思で否定する。
『愛し子よ。退け』
再度、己に逃亡を促す。
溢れ出す剄は敵を撃つ為のものではない。ハルメルンたる己自身を守るために有るのだと、轟然と言い募る。
今までと同じように、逃げろと。グレンダンに居た頃と同じように、最悪のこの状況から逃げ延びろと。
「そんな格好悪い事、出来るかよ・・・っ!」
汚染獣の大鎌のような脚の鉤爪を回避しながら、叫ぶ。
爪の一撃を交わせば先端に分銅のような大質量が付いた尾がしなって唸る。
避け切れない。
剄は今にも身体を粒子そのものに変換しようとしていたが、意思で以ってそれを押し留め、己は鉄扇にありったけの剄を押し込んで鞭のような汚染獣の尾と鍔競合う。
化錬による極太の刃と硬い鱗に覆われた尾が音速を超える速度で打ち合わされ、荒野に凄まじい衝撃波を撒き散らす。
『愚かな』
しまった。
そう考えた時には遅かった。
膨大なエネルギーが集約する空間の中心にあった、製作者曰く硝子よりも脆い錬金鋼は、その曰くに相応しい最後を迎えた。
内と外、その威力に耐え切れず、両手の鉄扇が木端微塵に掻き消える。
化錬による刃のみが残っているとは言え、基点となるべき錬金鋼が無くなってしまえばその形も維持しにくい。
元より翔扇剄は空の一点に押し留まれるような技ではない。拮抗の途絶えた力は、己を凄まじい速度で岸壁に叩きつけんとする。
身体が壁に接触する瞬間、僕は渾身の剄を脚に込めて、岩壁に押し留まり両の手で己を押し潰さんとしている汚染獣の尾を受け止める。
剄脈を燃やし尽くさん速度で脈動させ、滝の如く白光の剄を生み出すが、それでも己の身体はじりじりと岸壁に押し込まれていく。
力が足りない。
制御しきれない剄が全身から衝剄となって溢れ出しているが、それでは意味が無い。
必要なのは方向性だ。
目的のために一点に集約させた力こそが必要なのだ。
何故、制御しきれない。これほどに無駄が出る。
ハルメルンは自らで、自らはハルメルンに等しい。
ならば、これは己の力のはずだ。制御しきれないはずが無い。
『もう良かろう愛し子よ。速やかに引くが良い』
だがハルメルンは、己に逃げろと促す。
僕は戦うと意思を決めているのに、僕であるはずのハルメルンは、全く逆の事を言う。
一つの身体に二つの剄。二つの思考。
それは、僕とハルメルンを決定的に別つ壁となって存在していた。
「そう・・・っだ!」
歯を食いしばる。
溢れ出る膨大な剄を、意志力で以って統制せんと、心を研ぎ澄ます。
僕はもう、ハルメルンではない。
あの人が呼んでくれたじゃないか。ハルメルンではない、本当の僕。
あの人が呼んでくれたのなら、それが僕にとっての真実だ。それを、真実にするのだ。
だから向き合う。
僕は僕として、生まれて初めて、生まれた時から共に有った存在と向き合う。
なんとは為しの馴れ合いではなく、個と個を正面からぶつけ合う。それを理解し、己が力にするために。
それは羽の生えた白い蛇。自らたる都市を亡くした者。
背に負う物は、数多の命の嘆きと傷み。
奏楽都市ハルメルン。その中枢たる、電子精霊。いや、最早それは亡霊と言うが正しい。
失われし己自身の代替として、此処に残された最後の一人を守りきらんがために、我が命、我が力。
憎悪の念すら超越し、其れのみに振るわんと―――。
そうして、僕は今こそ認識した。
僕に何を以ってしても生きる事を優先する事を強制していた、その意思を。
蛇はそんな僕を見て、何処か疲れた顔をしているように見えた。
『愚かな事だ愛し子よ。向き合わなければ、知らずに居れば、巻き込まれずに済んだ物を』
「五月蝿い、黙れ。誰もお前に守ってもらいたいなんて言った覚えは無い。僕がお前の言う事を聞いてやる理由も無い。だけどお前は、今まで勝手に僕の腹の中に勝手に居座ってきたんだ。これからも此処に居たいなら、これからは全部、僕に従ってもらうぞ!」
諭すような声を遮り、喚き散らした子供のような僕の声に、ハルメルンは発光する身体を数度瞬かせた後、ゆっくりと一つ、頷いた。
『愚かな子だ。・・・・・・だが、よい。いずれ訪れる旅立ちだった。ただそれが、今日であっただけの事』
その瞬間を、なんと表現すれば良いだろうか。
ただ全身を焼き尽くすだけだった剄が、確かな意味を持って一点に集約されていった。剄路を焼き尽くすだけだった剄は、今や清流の如く涼やかな流れを示す。
壊れた間欠泉の如く溢れていった剄が、僕の鼓動に合わせて収斂されていく。
制御が、出来る。
そう、向き合うからこそ理解できる。
例え同じ位置から同じ場所を見つめていても、見ている者たちが違う考えを持っていれば、いずれズレが生じてくる。
それがこれまでの僕とハルメルンのあり方で、だがこれからは違う。
僕の意思で、ハルメルンを制御する。
集約。有り余る剄を全身ではなく一点に集約。
今まさに僕を押し潰さんとしている汚染獣の尾を押さえる、両の手のひらに集約。
力は、抑えるために用いるのではない。それを打倒する為に振るうのだ。
ならば、それに相応しき形を。
意志力で以って、オーロラ粒子を物質に変換する。
それは原初たる存在より受け継いだ、電子精霊全てが持つ能力だった。
僕が振るうべきそれは、敵を討ち果たすためのそれは、果たしてその用途に似つかわしくない瀟洒な双振り。
突き抜けるような感覚が剄脈から剄路を伝い手のひらに満ち溢れ扇状に広がって行き、そこに白蛇の刻印が施された、白金色のきらめきを放つ扇を構成させた。要より靡く銀糸の刺繍が施された飾り帯が、清廉さの中にの優雅の華を添えている。
優美にして華麗ながら、しかし絶対たる凶器として君臨した其れは、僕の手に元からあったかのように、よく馴染む。
握り締め、これまで以上の剄を込めて振りぬく。
之まで切れぬ筈だった老性体の鉄鞭のような尾を、深々と抉った。激痛に呻くように汚染獣が蠢き、僕を岸壁に押し込もうとしていた圧力が緩む。
振りぬいた勢いのままに翔扇剄を発して、飛翔。岸壁と老性体の間より脱出する。
今やそうで有るのが当然のように空中に静止しながら、僕は汚染獣に向けて斬剄を連射する。
回避不能、身動きが取れぬほどの斬剄の雨。
それらは不細工な振り子鎌ではなく、まさしく匠の業でもって鍛え上げられた刀の如き洗練された斬撃だった。
「・・・・・・駄目なのか?」
『うむ。足止めにしかならぬ』
傷は付いている。眼下の汚染獣は、僕の攻撃で確かに傷ついている。僕の意思で制御された攻撃は、之までの比ではなく凄まじい威力を発揮している。
だが弱い。これでは直ぐに再生してしまう。
「もっと力を出せないのか」
『・・・・・・愚かな子よ。己は既に全てを汝に与えている。御しきれぬとあらば、汝の未熟よ』
ハルメルンは僕の言葉に叱責じみた事を返してくる。
黙れ蛇。皮を剥いで財布にでもしてやろうかと罵りたくなった。
冗談はともかくとして、まずい状況だ。最初の一撃のように渾身の力を込めれば、あの硬い皮膚も打ち破れる。
だが肉と骨を抉るための第二撃を打ち込む隙を、老性体は与えてくれないだろう。次の一撃を打ち込もうとする頃には初撃の傷は修復されてしまう。それでは意味が無い。
それに、今のこの状態を何時まで維持できるのかという不安が有る。
これまでハルメルンの力を用いてきた時は、殆ど短時間で済ませてきた。それだけでも、使用後に身体に大きな負担が掛かっている事は理解できた。
今は、制御しているからこれまで以上の時間は力を振るい続けられるだろう。だがこれは所詮、僕以外のものから分け与えられた力だ。僕自身のものではない。本来であれば、僕の身に余るはずの力だ。
長時間の戦闘を持ち堪えられるかどうか、判断が付かない。
「・・・早めに決着を付けたい、処だけど」
『その事ですが、提案が有るそうですよ』
身体は斬剄を放つ動作のまま、首だけで辺りを見回してしまった。
突然声が、僕とハルメルン以外の声が響いたのだ。
『先ほどまでほんの十二時間ほど忙しそうで声が掛けられなかったのですが。今なら平気と思ったんですが、違いましたか?』
鈴が鳴るようなその声の持ち主を、僕は一人しか知らない。
「・・・フェリさん」
『ええ、フェリ=ロスです。さっきからブツブツ独り言を言っていましたが、平気ですよねカー君』
声には、明確な安堵の響きが伴っている。気のせいか、何時もより少し掠れた様な感じもした。
ああ、そうか。自己の内面でハルメルンと対話していたせいで気付かなかったけど、ひょっとして、ずっと呼びかけていてくれたのだろうか。
きっとそうだろう。
でなければ僕は、当の昔に死んでいたのだから。
こちらが如何返した物か困っていると、フェリさんは淡々と自分の提案を進めていった。
『回線を同期します』
その言葉と共に、フルフェイスのヘルメットのバイザーの片隅に、音声通信の連結サインが浮かぶ。
『アー、アー、こちら狙撃手。やる気無し小隊小隊長殿、応答どうぞー』
『まて、何だその隊名は。それに小隊長は私だぞ!』
『あの、隊長。そんな事言ってる場合じゃないんですが・・・』
果たしてそれは、勝利の女神か、ただの道化か。
僕には今ひとつ、判断付きかねていた。
※ 最新刊の描写を見る限り、『天剣』ってようするにこういう事ですよね。
疑問としては、滅んだ都市が12個しか見つかってないから12本しかないのか、それとも
眠り姫が12個しか作ってくれなかったから多少質が劣っても似たような物を探そうとしているのか。
二つ名が滅んだ都市の名前って想像は流石に穿ちすぎか。
・・・・・・その辺実際、どうなんでしょうね。