― サイレント・トーク:Part8 ―
僕は死んだ。
いや、今のところは一応生きて居る。だが、遠からず死ぬだろう。この後に生き残る可能性がまったく見つからないのだから。
轟。
暴風と共に汚染獣の巨体が空を落ちる僕の体を地に叩き付けんとうねる。
僕は必滅の一撃を鉄扇を振りぬく事により気流を制御し、瞬間的な揚力を得て空高く舞い上がる事によりかわす。
しかし汚染獣は、空を舞うのは我一人で充分とばかりにその長い体の両側面に幾つも張り付いている突起口から、衝撃波を僕に浴びせかけてくる。
如何にも牽制の一撃に過ぎないものだが、直撃を受ければ人間は即死だ。武芸者ならば衝剄を噴出して防ぎきる事は出来るだろうが、この都市外の汚染物質が蔓延する荒野において、遮断スーツが破けてしまえば意味が無い。僕は、空中で水平方向に跳ねる事によりそれをかわし切った。
牽制には牽制だ。
Uの字を書いて過ぎ去った頭部を僕の方向へ向ける汚染獣に対し、その鼻面目掛けて斬剄を打ち出すこと六度、七度。
音速を超える速度で飛翔し、大型の汚染獣の皮膚を切り刻む筈のそれはしかし、この敵の外殻を貫くには威力が足りなかった。
多少身体を燻らせる効果しか与えていない。舌打ちする気力もわかない。だが、身体だけは剄の反射によって次の回避動作に移っていた。
再び汚染獣が鋭い牙を剥いて僕に迫るその最中、扇を振りぬき旋回飛行によってそれをかわした僕の視界の端に、崩れ落ちた岩壁が目に入った。
それが、ただ一人の人間が叩きつけられた衝撃によって成立した光景だと思うと、寒気が走る。
ともすれば次の瞬間には、自分もそうなっているかもしれないから。
いや、かも知れないではない。確実に、そう遠くない時間の先に、僕はその光景と同様の目にあうのだ。
なぜならば、あの岩山の中に居るのは、レイフォン=ヴォルフシュテイン=アルセイフ。
僕よりも遥かに強い武芸者なのだから。彼よりも弱い僕が、彼をそんな目に合わせた敵に挑みかかったとして、彼よりましな結果を得られる確立はゼロに等しい。
アルセイフは、あの中で生きているだろうか。生きていても、まともな状況では有るまい。
だから、僕は死ぬだろう。
遠からず、肉片も残さずに。
まったく、何だってこんな目にと思う思考の淀みに関わらず、ただ身体だけは、剄が求める最良の結果を求めて動き続けている。
勝利を求めて。
曇天の荒野で一人、戦いを続けている。
油断なんて無かった。
日頃の相性の悪さも、いざ戦闘となれば最高の連携を成立させた。
戦術に問題があったとも思えない。可能な限り、最善の方法で挑んでいったはずだ。
敵が強大である事はたどり着く前から解っていたから、例え眼前に立ち塞がったのが老性体の二期目だったとしても、恐れを抱く事は無かった。否さか、心が恐れを覚えても、武芸者たる自身を動かすのはただ剄の導きのみ。
事実、身体は万全の動作を示した。
だから、何も問題なかったはずだ。
少なくとも、戦闘開始から二十四時間目までは。
僕が翔扇剄を使いながら老性体の眼前で牽制に専念し、アルセイフが隙を見て攻撃に専念する。
最早爬虫類を通り越して、童話に登場するような竜の如き姿を持っていた老性体であろうとも、天剣授受者の渾身の一撃を食らえば、その金剛の様な皮膚すらも傷つかぬわけが無い。流石に周期を重ねているだけあって再生能力も半端無いものだったが、それでも与えているダメージの方が多かった。時を経れば経るほどに汚染獣の皮膚は斬痕塗れとなっていき、羽根を構成していた皮膜は引き裂かれ、サファイアの如き殺意のきらめきを放っていた瞳の片方は爛れて行く、まさに満身創痍と言うに相応しい姿を表現していった。
戦闘はこちらの思い通りに進んでいる。
アルセイフが何時の間にか、馬鹿でかい複合錬金鋼を振り回して翔扇剄の真似事まで始めたお陰で、状況は時を経るごとに有利な方向へ進んでいった。
そう、全く以って有利というほか無い状況だったのだ。
少なくとも、戦闘開始から二十四時間目までは。
唯一不安があったとすれば、僕らが用いる道具の事だろう。
勿論、戦闘開始と同時に塵屑と同義語となったランドローラー二台の事ではなく、自らの手の内に有る錬金鋼の事である。
鍛え上げた武芸者である僕らが、飲まず食わずのまま一週間以上戦闘行動が可能だったとしても、言ってしまえばただの金属で有るに過ぎない錬金鋼が耐え切れない。
事実、構造の脆さにおいては右に出るもの無しと製作者自らが太鼓判を押してくれた僕の七色水晶錬金鋼もどきの鉄扇は、早々に四本目に突入しており、剣帯に残っているのは後半分となっていた。
アルセイフも同様に、得物を幾度も持ち替えていた。遂に完成したらしい複合錬金鋼の巨刀は、汚染獣の硬い皮膚を切り裂くたびに精製口から蒸気を噴出し、剣身を灼熱の赤に変えた。
青鋼錬金鋼の剣と使い分けて何とか持たせているようだったが、それも何時まで続くか解らない。
だが事前に、自走式のトレーラーで武装その他を自立移動都市から補給してもらう事は提案済みだったから、いざとなればそれに持ち変えれば良い。補給の到着まで持たせればそれで済む。
僕らはそれが解っていたから、ただ最善の動きをとり続けていた。
それこそ、このまま一週間だって同じ動作を取り続ける事は可能だったろう。勝てないまでも、負けはしない。
その筈だったのだ。
少なくとも、戦闘開始から二十四時間までは。
何がどうなったのか。
どうして、突然汚染獣の背後で錬金鋼を振り被っていた筈のアルセイフの姿が掻き消えたのか。
次の瞬間僕の背後から砂煙が上がって、振り向いたらそこに在ったはずの岸壁が崩れ落ちていたのか。
戦闘開始から三十五時間程度経過した今でも、未だに理解できない。
とにかく、アルセイフがそこへ叩き込まれたらしい。汚染獣の一撃によって。
その瞬間、否。その瞬間の少し前に、耳元を何か人の声のような物が掠めたような気がするが、それが原因なのかどうかは解らない。ただ、僕もアルセイフが吹っ飛ばされたと同時に気流操作に失敗して地面に落下しそうになった。
しかしそのお陰で戦闘中に敵から視線をずらすという愚を犯したのに攻撃を回避する事が出来たのだから、世の中何が良い方向へ回るか解らない。
だが、幸運も此処までだろう。
僕の攻撃では老性体の皮膚を切り裂く事など出来ない。
二十四時間かけてアルセイフが築き上げた汚染獣の傷は、その後の十一時間でもって殆ど修復されていた。
時を経るごとに、汚染獣の動きは機敏に、活発になっていく。
その牙が、蹄が、鋭い突起の生えた羽が、僕の体を千殺せんと襲い掛かる。より高速の物となって、降り掛かる。
視界が狭まる、思考が歪む。
絶死の感覚に、脊椎から凍りつく。
最早自分の身体がまともに動いているのかどうかさえ定かではない。
脳は当の昔に身体のコントロールを剄に投げ渡しており、その動きを理解すらしていない。
超速で繰り広げられる巨獣と武芸者の戦闘は、ヒトの思考速度を以ってしては捉えきる事を叶わず、だから僕はこうして、人事のように自分の状態を確認したりしているのだ。
しかし、この思考も何時まで続くか。
気付けば次の瞬間、思考は閉じているかもしれない。否、首から下が跳ね飛ばされる様を僕のこの脳が認識する事になるかもしれない。
ひょっとしたらこの思考すら、死ぬ寸前に引き伸ばされた精神が作り出した妄想かもしれない。
もしそうで有るならば、こんな死ぬしかない戦闘の回想なんかではなく、もっともっと、楽しい光景を見せて欲しい。
楽しい光景。それはどんな物だろうか。
例えばそれは、碌でもない大人たちと肩を並べて挑んだ、絶対に敵わない暴力からの逃避行。
否。それは今と何も変わらない。
例えばそれは、数多とも知れぬ兄弟達との出会いと別れ。
否。顔も名前も、話した会話すら、記憶の端にも残っていない。
例えばそれは、屑みたいな親と、文字通り化け物そのものに振り回されていたかつての生活。
否。僕はそれが嫌だから、そこから遠くへ行こうとしたんじゃないのか。
だから僕が望むのは、何の変哲も無い日常。ただただ、幸せだとしか思えなかった一年間。
その姿。その声を。
僕は必死で懇願する。
ただ声を聞かせてくれれば、ただそこへ辿り付けるのなら、きっと僕は、この避けられぬ死の気配すら断ち切って見せるのに。
だから、声を聞かせて欲しい。
貴女の声を。貴女の言葉で。
貴女に出会えたから僕は、生と言うものが楽しい物だと初めて気付けたから。
それはあの時の、貴女との出会い。
広い講堂に整然と並ぶ、明日しか知らぬ子供達。それを冷めた目で見つめていた、隣の貴女が。
その声で、その唇で、僕の事を呼んでくれた。
僕の名前を呼んでくれた。
だからもう一度。
その声で、
『カナデ君っ!!』
―――、届いた。
その瞬間に、曇った思考と視界は澄み渡り、僕は眼前の何もかもを認識した。
今や死そのものを体現する、老性体の凶悪な顎が、僕の矮躯を喰らい尽くさんと迫る。
回避はもう、間に合わない。
だから、僕は死んだ。
何よりもまず、身体を動かしていた剄がそれを認識した。
次いで身体も、死を受け入れて動く事を止めた。
だが脳は、思考は、精神は。
決して死ぬ訳にはいかないのだと、渾身の意思でそう決意した。
だから。
※ 死ぬ。マジ死ぬ。誰か助けれ。(今回のあらすじ)
もう出てくるって皆解ってるだろうから、「うわー老性体だー逃げろー(棒)」と言う段取り芝居は止めにしておきました。
この辺、二次創作でバランスが求められますよね。
そして、二人プレイだとボスが強くなる恐怖のシステム。