― サイレント・トーク:Interlude4 ―
奏楽都市ハルメルン。
音楽と芸術と文化の都市。縦横無尽に水路が奔り、独特の様式美を持って碁盤目状に配された都市景観は優美の一言であったと伝えられる。其処では、人々はあらゆる現象に美を追い求め、新たなる美を形作らんと探究の日々を送っていた。
美の探究はすなわち過去への憧憬へと続き、自立移動都市成立以前の荒野に建造されていたと言われる都市廃墟にまで赴き過去の知識を発掘、復元まで果たす事となった。そしてカテナが手紙に記した文字を始めとする、古き時代の文明の遺産を保有するに到ったらしい。
そんな都市が何時滅んだのかは、正確な日時は判然としない。元々都市間の交流など細々とした物だし、ある日突然何処かの都市が壊滅したとしても、別の都市に住んでいる人間に直ぐに伝わるわけではないのだ。
だから、勇壮華美なるハルメルンは、多くの人々に気付かれること無く、いつの間にか滅んでいた。
その原因は、都市に住んでいた愚か者の一人が、滅びにこそ美を見出したとしてエアフィルターの生成装置を破壊したからとも言われているが、噂話の域を出ない。
『汚染獣や飛び散った人間の死骸が美しいなんて思えるのは、都市が絶対的に安全なものだと誤解してる馬鹿だけだろうな』
自身の故郷を語る、カテナ=ハルメルンの言葉は何時にもまして辛らつであったように聞こえた。
随分と珍しい事だなと、フェリ=ロスは薄暗いツェルニの下階層に位置するシェルター内の一室で無表情のまま驚いていた。
そもそもカテナが感情を面に表した場面を、フェリはそれなりに長い付き合いの中で殆ど見たことが無い。
カテナが彼女の前で浮かべる困ったような笑顔。それが、能面のように貼り付けられたものに過ぎないと気付いたのは何時だったろうか。それを壊せない物かと思うようになったのは何時頃だったろうか。そう思って、我ながら無様な仕草で踏み込んでいって、最近は漸く面に見せる表情に変化が現れてきた、そんな気がしていた。
だがそれも錯覚だったのかもしれないと、事ある事にそう思う。カテナの反応は、常に大部分はフェリの望んでいた対応をそのままなぞったような物ばかりだった。まるで、目の前に置かれた鏡が自分の理想を映し出している、近づけば近づくほど、そんな感覚に囚われる。望めば答えてくれるけど、望まなければ、凪のまま。何も其処には存在しないのと同じ。
彼の言ってくれた言葉が全て嘘だとは思いたくは無いが、その言葉の全てがフェリにとって余りにも都合の良いものばかりだったから、彼が何を考え、そして望んでいるのかを思えば不安になってしまう。
だから、今こうして念威端子の向こう、遥か彼方の荒野で怒りを示している彼を見ると、不謹慎ながら安心してしまう。
彼にはちゃんと、彼が望み、また望まないことがあるのだと、安心できるから。
一人息を吐くフェリを他所に、端子の向こうでは彼が住民疎開用の放浪バスの中から、グレンダンの人間によって救助されたという顛末が語られていた。
『・・・それで、先輩はグレンダンに?』
レイフォン=アルセイフが朴訥な顔で呟く。
『そ。サリンバンとか言う傭兵団が出がけに見つけて、下手すればそのままそこに引き取られることになったとか後で言われたなぁ』
彼の傍には、今は自分ではなくレイフォンが居る。
レイフォンはツェルニで唯一のカテナと共に強力な汚染獣と戦う資格の有る、優秀すぎる武芸者だった。
何処にでもいる、平凡な。そう言った慣用句が良く似合いそうなその少年が、カテナをあれほど慌てさせていた人間だと思うとフェリとしては妙な気分になる。カテナから接触を求められたことが余り無いせいかもしれないが、彼とレイフォンが二人きりで居るという状況は、どうにも得がたい不安を掻き立てる。
偶然指が触れ合ったことが一度。・・・それから、あの晩に唐突に抱きしめられた事があっただけか。その後何かあったかと言えば、誓って何も無かった。何も無すぎるだろうそれはと思うくらい、何も無かった。いや、意図的にフェリが彼を避けていたと言うこともあったのだけど、一応何と言うか、あんな事があったのだから、その後にもう一つ何かあっても良かったのではないかと、そう思わないでもない。
・・・・・・女性に興味が無いのだろうかと、たまに真剣に考えてしまう。いや、フェリの容姿が単純に勝てなの好みではないと言うことか?少なくとも、一般的な美的感覚からしてそれほど劣った容姿をしているつもりは無いのだが。
背の高い後輩や、スタイルのいい、彼の視線を追った先に居たのはこれもまた後輩か。年下好みなのだろうか。其処まで考えてフェリは気付いた。
レイフォン=アルセイフも後輩だった。
寒気がした。おのれレイフォン、今度あったら恥ずかしいあだ名で呼んでやる。
フォンフォンなんてどうだろう?
我ながらぴったりだな、とフェリが一人で悦に入っている間に、カテナ達の会話はいよいよ核心へと突入していた。
『・・・あれ?先輩。ハルメルンって滅んだんですよね』
『ああ。又聞きの話だけど、放浪バスの路線図からもロストしてるって事だからほぼ確実だぞ』
念威端子の音声集約機能が、轟とテントの薄布を揺らす突風の音を伝える。
『じゃあ、先輩は何処でハルメルンの言葉を覚えたんですか?』
レイフォンがその言葉を放った瞬間、念威端子の視覚伝達機構がカテナの表情が変わるのを捉えた。
それは、獲物を罠に嵌める事に成功させた猟師のような、酷薄な笑みをだった。ニヤリとした笑みが言葉を紡ぐ。
『王宮』
「は?」
しかし、言葉は予想外に短い物だった。身を乗り出して聞き入っていたフェリも、思わず声を漏らしてしまう。
レイフォンも同様の驚きだったらしい。理解が出来ぬと聞き返していた。
『えっと・・・王宮って、何処の』
『勿論、槍殻都市グレンダンのだ。中央政府を兼ねる王城内の、王家とそれに連なる限られた人間だけが入ることを許される内裏の更に奥。その中にある旧時代の事を記した書物・・・・・・まぁ、データだったけど。とにかくそういう物が存在する秘密書庫が存在するのさ。そこで覚えた・・・・・・いや、覚えさせられた、だな。実家の事くらい知っておけとか言われて、首根っこ捕まれてそこへ押し込まれたわ。その後からどうも調子が悪いなって思ったら、髄液漏れてたって話だぞ、あの怪力ババアめ』
ああすっきりした。
そう言わんばかりの顔を、カテナは浮かべていた。
つまり、どう言う事だろうか。
いや、カテナが話したとおりだろう。ようするに、グレンダンには古い時代の事を記した書物があって、カテナはそれを読んでその時代に使われていた言語を覚えたらしい。うん、生まれた時から知っていましたとか言う夢みたいな内容ではない、真っ当な事情である。・・・・・・真っ当か?
『ちょ、ちょっと待ってください。何でカテナ先輩が内裏に入ることが出来るんですか!?あそこは天剣授受者を含めた限られた人間しか入れない筈でしょう!』
レイフォンが慌てたように声を上げる。
そう、そうだ。フェリにもおかしいと解った。カテナはこの都市社会の何処にでも存在する唯の孤児に違いなく、一国の王家の住まいに侵入できるような権威は有していないはずだ。
『たまには頭を使って自分で考えてみろよ。答えを他人に求めてばっかりだと、また失敗するぞ?』
カテナはそのレイフォンの驚きこそ我が本懐だとばかりに楽しそうに笑っている。
レイフォンはカテナの言葉に苦い顔を浮かべて、そして彼に言われるがままに頭を抱えて考え出した。
フェリも暗いシェルターの中で一人考える。今の話は、彼女も初耳だ。それをレイフォンとの会話で披露するのがまず納得いかないが、それでも彼の方から自分の事について話してくれるのは嬉しく思う。
『―――えっと、王宮に踏み入るからには、相応の権利を有するか、もしくは内部の人間から招いてもらう必要がある・・・でしたよね?』
『・・・その辺のルールって実際に王宮勤めだったお前の方が詳しいはずじゃないのか?』
カテナの呆れ声を、レイフォンは苦笑いで回避していた。
フェリはグレンダンの人間ではないので良く解らないのだが、レイフォンが就いていた天剣授受者という地位は、グレンダンにおいてはその統治者たる女王直属の武芸者であり、その位置に相応しい権威を有しているらしい。
『それで確か・・・・・・そうだ、しかも内裏なんですよね、その書庫とか言うのは。内裏ってのはつまり、陛下の私的な住まいでもあるか・・・・・・らって、え?あれ?』
内裏は、グレンダン王の私的な住まい。そこに招かれると言う事は。というより、そこへ人を招ける人物とは。
レイフォンの顔が青ざめていた。
『カテナ先輩、ひょっとして・・・・・・』
貴方は、女王陛下とお知り合いなんですかと、レイフォンは聞いた。
そしてカテナはその言葉に、あっさりと頷いた。更にレイフォンを驚愕させる言葉を持って。
『エアリフォス卿が、女王アルシェイラ・アルモニスの影をやっていらっしゃる事を知っている程度には知り合いだ』
『・・・・・・それこそ、最高機密の一つじゃないですか』
殆ど、うめき声だった。グレンダンの人間だったレイフォンからすれば到底信じられない事実だった。その驚愕の度合いから、フェリにも事の重大さが伝わってきた。それと同時に、全く別の意味で焦燥感を覚えた。
一年以上の付き合いなのに、知らない事ばかりだ。
『本当に何者なんですか、カテナ先輩。罪人でもないのに罪人部隊に所属していると思えば、本物の女王陛下とも知り合いだと言う。でも孤児で、西区の貧民街で育ったって言ってましたよね。無茶苦茶ですよ』
レイフォンの詰問にも、しかしカテナはさばさばとした物だった。
『そうだねぇ。何処から話した物か。単純に言えば、僕がハルメルンの最後の生き残り・・・・・・どうやってそれを調べたのかは知らないけど、とにかくそういう事らしい。で、それがどうやら女王陛下にとっては重要な事実らしいんだよな。・・・・・後は知らない。つーか、あの化け物ババアの考えてる事なんて知りたくもない。天剣授受者だったお前にだって解らないだろ?"あの"女王陛下が考えていらっしゃる事なんて』
カテナの言葉に、レイフォンが気まずそうな顔を浮かべて、確かに、と呟いた。どうやらグレンダンの女王とやらは、相当性格に難の有る人物らしい。
しかし奇妙な話だなと、フェリは思った。
滅びた都市の生き残りなど、探せば何処かからでも出てくるだろう。それほど、人類の生存圏と言うのは脆いものだから。その中の一人だからといって、一国の主が重要視するほどの何かが有るのだろうか。
武芸の本場、槍殻都市グレンダン。その女王が興味を示すとなれば、・・・どうだろう。フェリがその立場であれば、やはり強力な武芸者であれば目にかけるかなと思う。
そしてカテナは、優秀な武芸者だ。そう、彼は極めて優秀な武芸者なのだ。
その力は、汚染獣の母体を姿を留めぬほどに磨り潰してしまえるほど。天剣授受者なる資格を有した事も有るレイフォンを以ってしても、異常だと言わしめるほどの、彼は優秀な武芸者なのだ。
だがグレンダンに相応しい優秀な武芸者で有る彼のそこでの生活はどうだったろうと、聞いた事を思い返してみれば。
強襲猟兵部隊。罪人を一つところに纏めた、なにやら生還率の低い危険な任務にばかり従事する部隊らしい。と、言うよりも死んで当たり前の任務にばかり飛ばされるらしい。
そんなところに、折角目にかけた武芸者を配属させたりするだろうか?
普通なら、しない。
逆に言えば、普通でない何かが有れば、それは為される事なのだ。
普通ではない、何か異常な力を有する武芸者。滅んだ都市。その"最後"の生き残り。
『変な言い方をしますね。まるで、貴方の中に別の誰かが居るような』
「例えば本当に居るとしたら、どうします?」
そんな、何て事のないたとえ話のはずのそれが、フェリの脳裏に唐突に思い出された。
「カー君は・・・カー君、ですよね」
気付けば、そんな言葉が口をついていた。
念威端子にまで届いたその言葉に、カテナは彼女の方に振り向いた。
その顔は何時もの如く困ったような笑顔で、だからそれは、何も映していない能面のようだった。
『実は違う。そう言ったら、信じますか?』
違う?
その言葉の意味をかみ締めて、フェリの背筋は凍えるような感覚を覚えた。
「それは、どういう・・・」
今までの彼との間にあった何もかもが崩れていくような、そんな感覚を必死で否定したくて、フェリは喘ぐ様に呟いた。
だが、カテナの言葉はフェリの心情を知ってか知らずか、気楽そのものだった。
『カテナ=ハルメルンって言う名前も、その女王様から賜った物なんですよ。まぁ、偉い人から貰っちゃった以上は名乗らない訳には行きませんから、公的にはカテナで有ってるんですけど。・・・元々は、違う名前なんですよね』
有りそうな話ですねと言うレイフォンの苦笑混じりの言葉も、暗闇の中に一人居るフェリには届かなかった。
ようやく解った。
天啓の如く、フェリの脳裏に閃いた真実という名の空想。
彼は、カテナ=ハルメルンではない。だからそう、近づこうと思っても、幾らも近づいた気がしないのだ。
カテナという名はフェリを彼と隔てる扉の鎖。
それを断ち切ろうと思うなら、彼女は知らなければならない。
話の流れで言えば、全くおかしくは無い質問のはずだ。
フェリは一つ息を吸い込んで、姿勢を正して、念威端子の向こうへと問いかけた。
「それで、貴方の本当の名前は何と言うのですか?」
カテナはその言葉に、一瞬目を瞬かせ、照れくさそうに笑った後に、答えた。
轟と。
その言葉をかき消すようにテントを揺らす暴風が鳴り響く。
カテナと共にその場に居たレイフォンには、その声は届かなかった。
その言葉を、彼の真実を正しく聞き留めたのは、意思を媒介とする念威端子の煌きだけだった。
― Interlude out ―
※ 気付くと一巻編より長くなってるんですよね。 短くなると思ってたんだけどなぁ。
さて、そう言う訳で説明話はお終い。
次回より、長い戦いが始まります。