― サイレント・トーク:Interlude3 ―
「日の出の頃まで此処で休んで、明日の昼過ぎには到着かな」
「そう、ですね・・・・・・」
奇妙な状況だなと、レイフォン=アルセイフは自身の現状を漠然と考えていた。
何処とも知れぬ―――本当に、何処とも解らぬ荒れた大地の片隅。光の届かぬ、漆黒の夜闇の中。
目指すべき敵の姿は、遥か彼方。だが、決して遠いとは言えない場所まで、辿りついている。
岩屋根に囲まれた天然の切り通しとなっている場所でサイドカータイプの二輪車を止めて、汚染物質遮断繊維で作られた簡易テントを広げて仮宿とする事となった。
サイドカーの座席部に押し込まれるサイズの小さなテントである。当然、人間が二人潜り込んでしまえば快適とは言い難い。
そもそも汚染物質を遮断するといっても最低限の要素しか持っていないので、其処に入る前に衣服に付いていた汚染物質までは洗い落とせない。一応携帯型のエアクリーナーで払い落としたのだが、完全防備のヘルメットを脱げばフェイスマスク越しに饐えた匂いが漂ってきた。
「飯食う時意外はマスクは脱がない方が良いぞ。・・・あと、寝る前に浄化剤飲んでおけよ」
慣れた手つきでテントを設置し、そして此処が我が家とばかりに寛いだ姿勢で携帯食料を齧りながら、カテナ=ハルメルンはレイフォンに忠告してきた。
「先輩、何か慣れてますね」
レイフォンは投げ渡された携帯食の封を開けながら、呟いた。
正直、布一枚隔てた向こうに荒れた大地が広がっていると思うと、今自分が座っているこの布の真下に乾いた荒野があるのだと思うと、レイフォンはどうしても落ち着けそうに無かった。自立移動都市の中に居るときと全く変わらずに泰然としているカテナの態度とは正反対である。
「まぁ、都市外での長期間の監視・待ち伏せ任務とかも結構あったからな」
「・・・罪人部隊、ですか」
三角テントの低い頂上部で明かり代わりに発光している念威端子を眺めながら、カテナは其処とは違う何処かを見ているようだった。
「戦いの前に肺をやられるヤツ。風の音に恐怖を覚えて発狂したヤツ。閉所恐怖症に懸かってヘルメットを被らずにテントの外に飛び出していったヤツ。・・・懐かしいといえば、懐かしいかな」
露悪的な笑顔で、想像が付くか?とレイフォンに振ってくる。
言われて、思い出す。レイフォン自身の戦場を。
天剣授受者だった頃のレイフォンが挑んだ戦場は、常に死と隣り合わせだった。だが、其処には常に最強の武器と、最高の装備、そしてバックアップが共にあった。都市外で、こんなちっぽけなテント一つに放り込まれて長期間生存しなければならなかったことなど、一度としてない。
過酷さという点では、随分と劣っているのではないだろうか。
「ま、想像なんてする必要無いんだけどな」
レイフォンがそんな風に考えて萎縮していると、カテナは肩を竦めた。え?とカテナを見るレイフォンに、苦笑してみせる。
「元々死刑直行の重犯罪者を便利使いするための部隊なんだ。そんな部隊に飛ばされるヤツに問題があるのさ」
「でも先輩、その部隊に居たんですよね。・・・・・・犯罪者でもないのに」
レイフォンが恐る恐るたずねて見ても、カテナはさて、と首を捻るだけだった。
念威端子の向こう側の少女と戯れているカテナを見て、レイフォンは大きく肩を落とした。
肝心なところで、結局は何時もどおりはぐらかす。
レイフォンにとってカテナ=ハルメルンという先輩は、つまりそういう人だった。
学園都市ツェルニに流れ着いて数週間。一年前のグレンダンでの事件の後からひたすらに鬱屈としたままだったレイフォンの心は、此処に来て漸く変革の兆しを見せ始めていた。
力の無い人々。戦いを知らない人々。戦い以外の何かが在る人々。
そういった色々な、レイフォンが今まで見ようとしなかった人々との触れ合いによって、これまでただ愚直に一点のみを見つめていたレイフォンの視界は、広く解き放たれようとしていた。
今まで考えようともしなった解決法を、徒に独りで立ち向かうべきではないと言う思考を、レイフォンは漸く身につけようとしていた。
倒れ付したニーナ=アントークとの会話の中で、その階を見つける事が出来た。共に歩む事。問題を誰かと分かち合う事。
誰に言われるでもなく、レイフォンは自分からそれを提示する事が出来るようになっていた。
端から見れば、提示は出来ても実行は出来ていないと言われてしまうようなレベルであったが、それは彼にとって大きな進歩だろう。
小隊。一つのチームであるから、協力して強くなる事が出来る。
そして今、レイフォンの目の前にいる男とも女とも付かない容姿をした先輩も、彼の所属する小隊の一員のはずだった。
共に、協力して、そういった関係に進むべきであるのだが、・・・・・・あるのだが。レイフォンは悩んでいた。
彼にとってカテナ=ハルメルンという人物は、どうしようもなく理解しがたい人間だったから。
常に常に、表面的には落ち着いて見える顔。失礼な話かもしれないが、能面のようにすら見えるときがある。
誰に対しても人当たりがよく、誰に対しても、一定の距離を置いている。
端から見ればカテナと、今現在彼に電撃を浴びせている念威端子を操っているフェリ=ロスは親しい間柄だと言われているらしいが、レイフォンにはそうは思えなかった。
上級の武芸者が指導をするとき下級の武芸者の技術に合わせて相手をするという事があるが、それと同じような風に見える。
つまり、カテナはフェリの会話に合わせているだけで、自分という部分をまるで見せていない。ただ彼女が望む会話のリズムに合わせているだけのように見えるのだ。
一番カテナと親しいように見えるフェリに対してですらその態度なのだから、他の誰と付き合う時もそれ以上親しいという事は在りえないだろう。
レイフォン自身に対してはどうか。
初対面の時から、徹底的に邪険に扱われてきたようにも思える。だがそれも、レイフォンが思う疎まれるべき自分自身という姿に答えて貰っているだけなのではないかと思えるときがある。レイフォンがカテナに対して―――カテナの背後にあるものに対して思う忌諱の心、それ自体を鏡のように反射しているだけなのかもしれない。
鏡に映るのは、詰まるところ向き合う自分自身。その背後にいるカテナの姿は、決して映らない。
共に問題に立ち向かうべき小隊の仲間の一人であるはずのカテナは、しかしレイフォンにとってとても遠い人物だった。
其処まで考えて、レイフォンの思考は一巡した。
かつてこれまでのレイフォンであったなら、解らない物は解らない物として放置したまま、興味すら示さなかった。
だが、ツェルニに来てからのレイフォンは、良くも悪くも変化を始めている。
周りにあるいろいろな物に興味をかられて仕方が無い。周りの人間の反応が、気になって仕方が無い。
目の前に解らない物がある。
それならば、解るように努力すべきだろう。レイフォンは自然とそう考えられるようなっていた。
「そういえば先輩、結局ニーナ先輩のお見舞いに来ませんでしたね」
話しの取っ掛かりを掴むなら、共通の知人の話題が良い。それが時事の内容であれば尚理想的だろう。
レイフォンは、過労の末に倒れたニーナの事について、カテナに聞いた。
「ん?ああ。まぁ病人の神経をささくれ立たせるのもどうかと思うしね。・・・・・・大体、電報は送っておいたろ?」
ゼリー状の携帯飲料を啜っていたカテナは、不義理をわびる事もせずにあっさりと言った。
ゲルニさんに渡してくれるように頼んだはずだけどと続ける言葉に、レイフォンはその手紙に気付いた。
「デンポウって・・・あの、よく解らない模様の書いてあった紙の事ですか?皆で不気味がってましたよ」
ミィとかメイとかと眉を顰めながら言うレイフォンに、カテナの肩が一瞬下がったように見えた。またか、と口元が動いているようにも見えた。
「模様じゃなくて文字だよアレは。無病息災・健康祈願って書いてあったんだ」
空にその模様をなぞりながら言うカテナの言葉に、レイフォンは首を傾げる。
彼の知る文字と言うのは、Aから始まりZで終わる、大小各二十四文字から構成される都市間公用語である。筆記体を初めとする書体自体は複数存在するが、文字数自体が変わる訳ではない。
あの手紙に記されていたような複雑な点と線とはらいによって構成された記号のようなモノを文字というなどとは聞いた事はない。
尤も、この歳までまともに勉学に励んだ事の無い自分の知識である。レイフォンの知らない文字というのがこの世に存在してもおかしくは無い。
「えっと・・・、どこかの専門機関とかで使われたりするんですか?」
「ハルメルンで祭事に関わる時に使われていた古い時代の言葉だって聞いたな。何でも、世界が"こうなる"前に何処かの国家で使われていたんだとか」
古い世界では国家ごとに全く異なる言語が使用されていたらしいと続けているカテナだったのだが、そんな理解の及ばない世界の話ではなく、レイフォンには気になる事があった。
「ハルメルンって・・・」
『奏楽都市ハルメルン。貴方の本当の故郷の事ですか』
レイフォンの疑問に答えたのは、天井で煌く念威端子から響いたフェリの声だった。
「奏楽都市・・・ハルメルンって、あの。カテナ先輩?」
横から割り込んできた声により尚更疑問が深まってしまったレイフォンに、カテナはさらりと肩を竦めて自身の身の上を話し始めた。
その語られた内容は、天剣授受者だったレイフォンを以ってしても、いや、そうであったからこそ俄かには信じがたい事だった。
― Interlude out ―
※ 凄い俺設定の回。
原作設定的にギリギリアウトっぽいよね。
で、一話で纏める積もりだったんですけど長くなったので次回も続きます。