― サイレント・トーク:Part7 ―
その日は、曇り空から降り注ぐ、弱い陽光の中で始まった。
どの道後で都市外装備に着替えるのだからと、トレーニングウェアを着込み提げ鞄に錬金鋼を詰めて早朝の暗い私室を後にする。
寮区の片外れにあるこの区域は、路面電車の駅までそれなりの距離があるため、学生が住まうには余り好ましい位置とは言えないらしく、静かな佇まいを見せているどの建物も全ての部屋が埋まっていると言う事は無かった。
ここら辺に済んでいるのは、底辺は嫌だけど場所は余り気にしないと言う僕みたいな若い男子学生ばかりだったりする。
この区域と正対する位置にある記念街区になると、うら若き乙女達が花盛りといった風なのだが、生憎とその香りは此処まで伝わってきたりはしない。
だから、まぁ。
この区域で出会う人間は大抵男ばかりであり、当然、朝靄の中僕を尾行している人間も、男性と言う事になる。
・・・と言うか、女性だったら別の意味で怖いよねーとか、くだらない事を考えながら僕は大きな道から徐々に入り組んだ路地裏へと外れていき、追跡者を撒こうと試みる。
だが、中々しつこい。歩く速度を上げて、と言うか最早壁を蹴って走っていたりしているのだが、余裕で追走してきている。
剄の流れから感じるに、向こうさんはどうやらこの追いかけっこを楽しんでいるらしいが、僕は別に楽しくもなんとも無い。
子供の遊びに付き合うのは、終いにするのが良いだろう。
僕は一瞬だけ活剄を強めて高く跳躍する。建物の壁と壁の間が殆ど無い路地裏で、その左右の壁に両足を広げてつけて、殺剄を使う。
追跡者の焦ったような気配が伝わってくる。そして、早足で僕の真下に姿を現したその男の背後を取るように、殺剄を使ったまま自由落下で地面に着地する。
その男は、僕が真後ろに居ると言うのに気付いていない。
まだまだ甘いなぁとか思いながら、僕はその男の尻尾のように垂れている金の髪を引っ張った。
「痛っ゛!!」
「いい歳して、朝から何を人のこと付回してるんですか。殺剄まで使って」
僕が冷たい声でそう言うと、男は肩を竦めて髪を掴む僕の手を払いながら振り返った。
「結構上手くなったろ、俺の殺剄」
男―――シャーニッド=エリプトンは全く悪びれもせずにそう言った。
「むしろ前より解りやすくなってますよ。自分が武芸者として成長期に入ってる事を考慮に入れてないでしょう」
確かに以前に比べて殺剄が自然な物になっているが、保有している剄が以前と比べて些か増えてしまっているため、隠しきれて居ない。そんな事を説明してやると、エリプトン先輩はガクリと項垂れた。
「免許皆伝は遠いわな」
「生憎僕の殺剄は死に掛けながら覚えた物ですから。そう簡単には超えさせませんよ」
何時弟子入りされたのかは知らんが。
「まさに必死で覚えたってヤツか。お前が必死になるようなヤツなんて、どんな顔してるんだ?後学のためにも教えてくれよ」
エリプトン先輩は、口元だけ笑みの形を作って、一片の隙も無い顔でそう言った。
今度は僕が項垂れる番だった。初めから解り切っていた事だが、やはり今回の鬼ごっこの趣旨は、そう言う事らしい。
「レイフォンがさぁ。最近ハーレイと居残りで馬鹿でかい剣振り回してるんだよな。んで、フェリちゃんは日を追うごとにどんどん不機嫌になって行くしな。どう思うよ?」
「アルセイフはともかく、乙女の秘めた悩みくらいは気にしないでやるのが男の甲斐性だと思いますよ」
適当な返事をしながら思う。研究室にあった馬鹿でかい剣。アレ、使える奴なんて居たのか。さしずめ天剣の代わりって事なのかな。
「なぁ、カテナ。あの幼性体どもを滅多切りにしたあのレイフォンが、んな馬鹿でかい剣を振り回して何を斬ろうってんだ?」
どうやら彼は、僕の戯言に付き合ってくれる気分ではないらしい。一方的に言葉を押し被せてきた。
僕はため息を吐いた。
「聞いてどうするんです?」
「どうでも良いだろう?・・・ああ、お前さんから何か頼みがあるなら、聞くぜ」
エリプトン先輩は気障ったらしく笑いながら肩を竦めた。
頼みごととは、大きく出たものだ。僕は苦笑してしまった。
「僕がエリプトン先輩に頼みごとをする人間に見えますか?」
「思わないから俺から聞いてやってるんじゃないか。なんでも独りで抱え込んで挙句に空回りのお子チャマカテナ君?」
フン。
鼻で笑って、冷たい笑顔を浮かべているんだなと、そうなった後に気付いた。
まさか、朝食前から知り合いに喧嘩を売られる事になるとは思わなかった。
「痴情の縺れで小隊クビになったようなヘタレな先輩に相談なんてとてもとても」
大げさに身振り手振りを交えながら言ってやったら、随分かちんときたらしい。エリプトン先輩はあからさまに表情をゆがめた。
「・・・言ってくれるじゃねぇか。未だに手を握る度胸も無い童貞ボウヤが」
ああ、ヤバい。今すっごい頭に来てるね、僕。
「何、ロンゲ。喧嘩売ってんの?」
口調が随分荒っぽくなっていると自覚出来ない事も無い。日の届きにくい路地裏と言うのもマズいか。・・・どうにも、グレンダンの貧民街を思い出してしまう。
そんな僕の心情を知ってか知らずか、エリプトン先輩は嫌らしい笑い方をしてくれやがった。
「どうしたんでちゅかぁ?図星をつかれたくらいでおおわてでちゅねぇカテナちゃん?」
「死ね」
ヤバい、と思った時には遅かった。クイックドロウの要領で右腕に剄を込めて顎目掛けて撃ち放っていた。自分でも惚れ惚れするほどの速度である。直撃すれば少なくとも顎骨は粉砕されるだろう。
だが、僕の拳を受け止めたのはエリプトン先輩のにやけ面では無く、重心部分が縦に幅広い、無骨な作り構えの黒鋼錬金鋼製の銃だった。
僕が殴ったのは丸みを帯びた柄部分。握りには棘付きの鉄輪の防護がついており、幅広い銃身はそれ自体が刀剣であるかの如く尖っている。剄で強化していたとしても、素手で柄下意外を殴っていたら怪我をしていただろう。
明らかに接近戦で用いる外装が施された銃。・・・何て言ったっけ。こういうのを使った戦闘法。
「銃剣格闘術・・・じゃなくて、えっと」
「銃衝術」
それだ。したり顔で正解を口にするエリプトン先輩に、思わず納得の顔をしてしまった。
拳を引き戻し、数度握り締めながら具合を確かめる。・・・うん、ヒビも入っていないらしい。
エリプトン先輩を見ると、ゴツい銃を器用に手の中で回しながら勝ち誇った顔をしていた。
その、悪戯を成功させたような子供の笑顔に完全に気勢をそがれて、僕は苦笑してしまった。
「何時の間にそんな物使うようになったんですか、先輩」
僕が尋ねると、エリプトン先輩は肩を竦めて笑っている。
「お前が見てないだけで、周りの人間だって考えて進歩しているんだよ。・・・知ってるか?ニーナが倒れたの」
「知ってますよ」
僕が簡単に頷いてしまうと、エリプトン先輩は眉を顰めた。
「・・・倒れた理由は?」
「慢性的な剄脈疲労でしたっけ」
余程無理をしていたんでしょうねと、肩を竦めるしかない。
「どう、思った?」
「特にどうも。・・・ああ、どうにかして欲しいなら聞きますけど」
僕の気楽過ぎる答えに、エリプトン先輩は長い息を吐いた。銃を待機状態にして腰に戻し、頭をかいて壁に背を預けて天を仰ぐ。
「お前は・・・いやお前らは、か。どうしてそう、自分だけで片付けようとするんだ?後ろで見ている人間達が如何思うかを、何で考えようとしないんだ?」
僕は彼と向かいの壁に寄りかかって、足元を這う蟻の列を眺めながら呟いた。
「ま、塵掃除なんて誰かがやるしかないことですから。こういうのは、得意なヤツが率先してやる物ですよ。・・・後はそうですね、誰かに任せるのが不安なだけかな」
後に付け足した、その言葉がきっと僕の本音なのだろう。武芸者の思考の根本は力への信仰からなると言う生徒会長の言葉の通り、僕は結局、一番解りやすい自分の力意外を信用できていない。
「苦手な人間は・・・いや、苦手なつもりなんて無い。なぁ、カテナ。力の足りない人間は戦っちゃいけないのか?」
それは、振り絞るような声だった。下を向いていた僕はエリプトン先輩の顔を見ることは無かったが、ひょっとしたら泣いていたのかもしれない。そんな言葉に、心を揺り動かされることが出来たなら、きっと幸せな事だろうにと思いながら、僕は一層冷めた態度になっていった。
「経験則ですけど。力の無い人間に傍にいられると、邪魔で仕方が無かったという記憶しか無いですね」
空を切るような音が漏れた。エリプトン先輩が哂ったのだろうか。
「そうかよ。・・・まぁ、お前はそう言うだろうな。だけど俺は、俺たちはきっと戦うぜ。何故だと思う?」
僕は靴にまで這い上がってきた一匹の蟻を蹴り払いながら肩を竦めた。
「趣味ですか?」
「茶化すなよ」
エリプトン先輩の鋭い声が飛んだ。別に、茶化してはいない。会話の内容に興味が無いだけだ。そんな僕の気持ちを知ってかどうか、エリプトン先輩の演説は続く。
「仲間が何処かで必死に戦っているって解ったら、俺たちはきっと力不足でもそこへ向かおうとする。どんな状態であっても、きっと向かう」
それは迷惑なと、僕は蟻の行列を妨害しながら思った。
何も答えない僕に、エリプトン先輩は一人言葉を続ける。コレは会話なのか、独り言なのか。
「そうなったら、お前はどうする?」
見捨てる。
切り捨てる。
それとも、使い捨ての壁にでもするか。
あっさりと、同時に幾つもの答えを導いてしまった自分の思考に、自嘲の笑みを浮かべてしまった。
どうしようもないな僕は。最近少し、変われているんじゃないかと思っていたが、何一つグレンダンに居たころと変わっていない。
どうしてこうなんだろう僕は。きっとずっと昔から、変わりたいと思っていた。屑のような自分から離れたいと思っていたのに、結局何も変わっては居ない。
「如何すればいいんでしょうね、ホント」
蟻を踏み潰して、身体を起した。
薄日の空は、より一層雲の密度が増してきているように見えた。
エリプトン先輩を見れば、・・・・・・何故だろうか。衒いの無い笑みを浮かべていた。
僕に近づき、ぽんと肩を叩いた。
「ようするに、それで良いのさ。・・・・・・んじゃ、もう一度会うまで死ぬんじゃないぞ」
そんな一言を最後に、僕を残して路地裏から立ち去っていった。
独り取り残された僕は、天を仰いでため息を吐くしかできなかった。
行き場の無い心の膿を、本当に。如何すれば良いのか誰か教えてくれないだろうかと思いながら。
※ ターニングポイントにはシャーニッド先輩との会話。
と、言う事で今回も韻を踏んでみました。次回からいよいよ荒野へ。
後、ここ最近ばら撒いていた各種のネタを回収に入ります。
感想見ると中りを引いている人、作者以上の超展開を想像してる人、何処かから拾ってきた答えらしき物を書き写してる人
と様々って感じで楽しませてもらってます。
割とシンプルなんですけどねー。さてさて。