― サイレント・トーク:Part6 ―
敵が来たのであれば、戦わなければならない。
どこかの都市に住む戦闘狂の集団のように、敵が来るのを待ち構えているような酔狂な人間ではないが、それでも敵が来ると解っていれば戦うしかないと思っている。
そして、戦うのならば、勝たなければ意味が無い。武芸者にとって尤も必要の無い物は、敗北と言うその二文字だから。
で、あれば正しく楽に生きたいと思っている人間が尤も楽に生きる方法としては、精々強くなるために手間を惜しまない事こそが近道であると考えるのも当然だろう。
とは言え、こうして一人で夜闇に紛れて竹林の中を鉄扇を振るいながら飛び回っていると、考えてしまう事も在る。
汚染獣と人間との間で行われるのは、ただ自然界の法則に乗っ取った生存競争に過ぎないのではないか。そこに意思など入る余地も無く、戦いと呼ぶような物ではないのではないか、と。
然り。之は戦いではない。所詮は露払いに過ぎぬ。
そんな思いが、腹の内を燻っている。敵は、独りであれば決して挑もうなどとは考えないであろう、脱皮を繰り返した強力な汚染獣。少し先の現実として訪れる死闘を前にして、しかし僕はそれを、戦いと呼ぶべきかどうかとの疑問を覚えているのだ。
ならば、自分が思う戦いとは何なのだろう。
敵は居る。戦いは在る。それはいずれ訪れるのだと、腹の内で何かが囁く。
向き合わねばならないときが、いずれ訪れるのだと、だから今はこうして、全身に剄を走らせて己を鍛えぬく。
全身を流れる剄路に蛇を押し流す。
ミチミチとひり付く様な感覚と共に、剄路を拡張しながらのたうち廻る蛇が剄そのものとなって、身体を焼く。
溢れ出る剄は体の外まで押し流され、自然と衝剄となって僕を白光で包んだ。
光満ちる姿のまま、独り扇を振り回し舞い踊る。果たして僕は、剄を躍らせているのか、剄に踊らされているのか。
高速で飛翔、と言うよりは跳躍を繰り返しながら、遂には竹林から外れ、外縁部の原野に躍り出る。
その勢いのまま、全身の捻りを持って剄の流れを統制し、扇を振りぬく動作に載せて刃として放つ。
外力系衝剄が変化、螺扇剄・衝刃
高速回転しながら空を奔る剄の刃が、エアフィルターを突き破って荒れた大地の夜闇の中へと突き抜けて行った。
「…全然駄目だな」
外縁部に着地し、蛇を腹の内に返した僕は、荒い息に混ぜて自嘲の言葉を口にしていた。
筋肉の疲労と言うよりは、無理に押し広げられた剄路が熱を持って身体を焦がしている。
両手の錬金鋼を見る。熱を持って変色しかかっているが、再調整を施せば問題ないだろう。以前の物と違い、剄を受け流しきっている。
問題は、錬金鋼ではなく僕自身である。蛇が生み出す莫大な剄を、殆ど制御できていない。だからあれほど無駄な剄を衝剄として垂れ流してしまっているのだし、剄路が熱を持つほど消耗してしまっているのだ。
斬剄が飛び去った虚空を見やる。普段の、自分の剄だけで放つ極めて薄い研ぎ澄まされた刃と違い、まるで振り子鎌を思わせる極太の刃が生成されていた。まるで、鉱石から荒く削り取っただけのようですらあった。剄を纏め切れていないのだ。
どう考えても、力に振り回されている。
何故だろう。これまで真剣に考えてこなかった事が急に悔やまれる。
この蛇は、元々僕が生まれながらに持っていた力のはずなのだから、僕が制御しきれないはずは無いのだ。
ハルメルンは自らであり、自らはハルメルンに等しい。
それなのに、力を御そうとすればするほど、次第にこう、ずれて行くとでも言うべきか。
『終わりですか?』
僕が錬金鋼を待機状態に戻して剣帯に戻していると、夜闇に浮かぶ桜の花弁が声を掛けてきた。
「ええ、終わりです。何ていうか、自分の才能の無さが嫌になりますよ」
『充分凄かった…と言うか、割と武芸者離れした動きをしていたように見受けられましたが』
頭上を舞う念威端子、まぁようは、それを制御しているフェリさんだが、彼女は何処か躊躇うような口調で聞いてきた。それで気付いたのだが、この子に僕は、この力を見せた事など殆ど無かったのだ。
普段の自主トレーニング中はコレを使う事など滅多に無いし、あの母体を磨り潰した時だけか。それは不審に思うかもしれない。
だが、これから挑むのは最低でも雄性三期。最悪の場合は老性体である。あらゆる状況を考えて、付け焼刃と言われてもあらゆる手段を講じておきたい。
「まだまだ見た目だけってトコです。僕はもっと整っている方が好みなんですけど、全然抑えが効かないんですよ」
『…その結果が、あの母体のすり潰しに繋がるんですか』
念威の向こうで顔をしかめているのが想像できる。そりゃあ、ライブで見ていたらかなりエグい光景だったに違いない。
「本当は首刎ねれば済む問題だったんですけど、どうもねぇ。止まってくれないんですよ」
肩を竦めて苦笑する僕に、念威端子がひらりと回って疑問の体を示す。
『変な言い方をしますね。まるで、貴方の中に別の誰かが居るような』
変に肩を震わせそうになった。
この子も何というか、体外鋭い。いや、僕が解りやすいのか。…それとも、僕は解って欲しいのだろうか。
『キミは決して、縁を求めてはいけない』
一々囚われすぎだ、馬鹿馬鹿しい。親しくなればある程度は、お互いの事に踏み込んでいくのは当たり前のはずだろう。
「例えば本当に居るとしたら、どうします?」
首を振って憂いを振るい、僕はいっそ気楽に声を上げた。
『私からは、どうも。…ああいえ。何かあるなら聞きますよ』
フェリさんの答えは、一層気楽なものだった。既にそうと決めている、そう決めていて、くれているのだろう。
それがありがたく思うし、それに答えられたら良いなと、最近よくそう考えているのだが、そこまで直ぐに割り切れるほど、僕は強くは無いらしい。何時ものように軽薄に笑って、そう、何処か遠くから放ったような口調で答えるだけだった。
「それじゃ、聞かせられるときが来たらって事で。…ところで、こんな遅い時間にどうかしました?」
花びらが項垂れる様に急降下したのが印象的だったが、余り気にしないほうが良いだろう。
『兄からの伝言です。ツェルニは進路を変更しません。このまま行けば明後日には汚染獣に探知される距離になるだろうとのことです』
その言葉に、全身の細胞が収縮するような感覚が奔る。
明後日には汚染獣の領域に踏み込んでしまうのならば、少なくとも明日の夜までには出なければならないだろう。
まぁ、予定通りだ。一晩身体を休めて、錬金鋼の整備。そして、戦いだ。何も変わらない。
心配するような口調のフェリさんを、せめて気楽にしてやるのが、この場での最善だろう。
「了解って言っておいてください。それにしても、ツェルニの電子精霊とやらとコミニュケーションが取れるって言うんなら、針路変更のお願いくらい出来ないんですかね」
『その方法も一応考えられたらしいですよ。でも、一番電子精霊と仲の良いと言われる…ああ、そう言えば』
そこで念威端子が何かを思い出したようにひらりと一回転した。
『スイマセン、報告が遅れました。ニーナ先輩が倒れたそうです』
「―――は?」
あんまりにも簡単に言われてしまって、一瞬意味が理解できなかった。
倒れた?ニーナ先輩って事は、アントーク隊長だよな。
『過労から来る剄脈疲労だそうです。発見したのはレイフォンですが、どうやら大分無理を重ねていて体が参っていたらしいので、しばらく身動き出来ないらしいです。…明後日の小隊戦は、棄権ですね』
フェリさんは淡々とアントーク隊長の病状を告げた後、最後にどうでも良さそうに一言付け足した。まぁ僕も、小隊のことに関してはどうでも良かったが。って言うか、小隊で無事なのってそうするとエリプトン先輩だけじゃないか?
それにしても、少しは自主的に誰かに気を回してみようかなと思った途端に、これだ。
慣れない事を考える物じゃないって、何か悪い物のお告げだろうか。
「アルセイフが見つけたって事は、アイツがちゃんと見てるって事で良いのかな?」
『ええ。半裸のニーナ先輩の寝姿を舐めるように見ていました』
…字義通りに解釈して良いのか、それ。
『貴方も見舞いに行きますか?』
フェリさんの刺々しい言葉を、しかし僕は首を振って否定していた。
「いや、遠慮しておきます。何か、病床の人に酷い事を言っちゃうような気がするんで」
そんな事をしたら、アルセイフにズバっとやられてしまいそうだし。
『意外ですね。女性と見たら誰彼構わず声を掛けるおハルさんの言葉とは思えません』
「…キミ、僕を何だと思ってるのさ」
思い切り脱力してしまった。
冗談ですと嘯いているが、どう考えても本気だったとしか思えないし。
「何ていうかね、あの人は僕にとっては眩し過ぎるんですよね」
気を取り直して説明する僕の言葉に、念威端子が一瞬明滅した。気にせず、続ける。
「失敗も絶望も知らずに、多分そういうものが必要の無い行き方をしている。例えば目の前に壁があったとしても、横にそれれば済む事なのにそれをせずに壁をどかす方法を考える。下手だけど、羨ましい生き方ですよね。…生き汚い人間の僕としては、そういう人を前にすると厳しい意見を口にしそうになるんですよ」
ああいう真っ直ぐ過ぎる人が傍に居てくれたら、あるいは僕もアルセイフのような理想主義の人間で居られたのだろうか。だが現実は悲しいかな、碌でもない大人たちと汚い社会にまみれて此処まで来てしまった。
「…だから、まぁ隊長の相手はアルセイフに任せておきます。僕は、そうですね。帰ってきてから頭下げておきますよ」
僕が笑ってそう言うと、念威端子の向こうでフェリさんが息を呑む音が聞こえた。
「…どうかしました?」
『いえ。…いえ、少し安心しました。帰ってきた後の事を、ちゃんと考えているんですね』
それは、違う事無き明確な安堵の音を伴っていた。
そうか。そうだな、不安に思う物かもしれない。
僕もアルセイフも、どうしようもない化け物が待ち受けていると知りながら、あっさりと戦うことを選択していたから。
まるで、死を恐れていないようですらある。自分の命を軽んじているように見える。
でも違うのだ、戻ってきた後の事を考えている、ちゃんと生き残るつもりだとか、そういう意味でもないのだ。
ただ単純に自分が死ぬ場合なんて考えても仕方がないから、それを平気な振りして自分を誤魔化しているだけ。それだけの事実だ。
それは、幾度も戦いを経た者のみが持つ、当たり前の現実的思考。
『戻ってくる…来ますよ、ね』
でも、未だ死闘の何たるかを知らぬこの少女に、そんな事を言っても解らないだろうし、何より僕は、そんな話をこの子の前ではしたくはない。
だからせめて、それが心底僕が思っている真実に聞こえますようにと願いながら。
僕は、勿論ですと、頷くのだった。
※ 今回、ラストまでバトルが無いからまったりしてますよね。
そしてニーナ隊長フラグは基本的に圧し折る。