― サイレント・トーク:Part1 ―
腹の中に蛇が居る。
その蛇は、僕の事を何時も心配してくれていて、ピンチの時には助けてくれて、この世界で生きるために必要な、いろいろな事を教えてくれる。
でも、だからこそ。
僕はその蛇のお陰で常に命の危険に晒されてきたのだと、そんな事はずっと、とっくの昔に気付いていた。
生徒会庁舎、その尖塔に続く屋根の上で。
僕は、未だ戦いの傷跡が癒えぬツェルニの夜景を眺めていた。
外縁部では夜通しで重機による汚染獣の死体の撤去作業が行われており、都市中央に位置するこの場所からでもその作業のための明かりの煌きが見えた。
おぞましい体液を垂れ流す巨獣の死体の山という山。
その光景を、たった一人が作り出したのだから、それがこの都市内で安穏と睡眠をむさぼっていると知っていれば恐ろしいとも思うだろう。
レイフォン=アルセイフは、汚染物質による内臓器官の損傷により緊急入院と相成った。
現代医学は実に素晴らしい物で、数日と立たずに復活してしまうらしい。正直、このまま死んでくれてもそれはそれでと思わないでもないが、まぁ、その程度では死なないからこそ、天剣授受者なのだろう。
外縁部を、眺め続ける。
この場所から錬金鋼を振るい、そして全てを殲滅した。
そこに、何とはなしに手を伸ばす。
この位置、この場所から、汚染獣たちに手を伸ばす。
例えば、焼け爛れた鉄屑になった錬金鋼が元のままなら、僕はここから全ての敵を屠れるだろうか。
渦巻く白蛇を剄に乗せて、暴風と化して解き放つ。いけるか?否さか、制御が仕切れまい。剄路が焼けるような熱を放っているのが自分でも解っている。瞬間的な放出でコレなのだから、全力を長時間維持しようなどと考えれば、結果がどうなるかは目に見えている。
いっそ、常時あの剄に慣らして置けば、剄路も強靭になるだろうか。
そう考えた瞬間、僕の中で何かが蠢いて、それは止めた方がいいと言う意思を伝えてきた。
こっちが今みたいな事を考えると、何時もこれだ。
よくよく人を生きながらえさせようと考えているくせに、いざ敵が来れば真っ先に殲滅する事を考えている。
そのくせ、効率よく敵を殲滅させる方法を提示すると、難色を示す。
長い付き合い、生まれた時からの。出会ってきた他人は片端から居なくなって、結局、一番長い付き合いのこいつだけは何時までたっても居なくならない。
守り神、そして疫病神でもある、腹の中の蛇。
ハルメルン。自らの名と同じ名の都市を滅ぼした汚染獣とその上に居る存在を憎悪する存在。
そしてまごう事なき、僕自身だ。
ハルメルンは自らであり、自らはハルメルンに等しい。
そろそろ、コレが何なのかを、真剣に考えなければいけないときが来ているのかもしれない。
もっとも、そういう事を考えようとしてもやっぱり、それは止めておいた方が良いと言ってくれるのだが。
心せよ。
さもなくば、因果に取り込まれるぞ。
「もうとっくの昔から、取り込まれているじゃないか・・・」
呟きは風に乗って、誰にも届くはずも無かったのに、だと言うのに、桜の花びらが聞き届けた。
「夜を肴に一句嗜めば雅でしょうに、何です、こんな場所で自嘲なんかして」
夜風に靡く銀糸がそっと、屋根に寝転がる僕の視界を淡く照らした。
視線をずらそうとして、幾らなんでも紳士的では無いだろうと思い直し、彼女が僕の直ぐ横に腰掛けるのを待った。
鼻を鳴らしたような音に、苦笑が漏れる。どうやら、踏みつけられる栄誉からは逃れる事が出来たらしい。
暫し二人で、ミニチュアのような都市の夜景を眺める。
緩い夜風に乗せて、淡い花の香りが漂ってきた。戦闘後なのだから、身を清めたくもなるだろう。
急に、軽く汗を流しただけの自分の匂いが気になったが、最早どうする事もできない。今度こそためらいなく視線をずらして、フェリさんの顔を眺める。
視線が絡む。
手を伸ばせばきっと、それも受け取ってもらえるだろうか。
肩を抱いたら、振り解かれないで済むだろうか。
・・・身体を求めればそれは、それはどうだろう。そういう事を望んでいるのか、僕は?
そういうものが綯い交ぜになった、きっと端から見れば熱を持った視線とでも言うのだろう。そう言う物を感じたらしい、フェリさんは頬を赤らめていた。
「・・・なんですか」
「いえ、別に。フェリさんは何時ものようにお美しいと」
僕が薄く笑って答えると、フェリさんは愛らしい可憐な唇を尖らせた。
「どうして何時もどおりなんですか、おハルさんは。普通ここは、一人で震えていたり吐瀉物を撒き散らして鼻水たらして死んだ魚のような目を浮かべている場面でしょう?」
何で僕がそんな風にならねばならんのだ、と思ったところで、そう言えば汚染獣を殲滅した後だったっけと思い出した。
「アレですか?戦場が怖かったので、震えてますから抱きしめてくださいとか、言っておいた方がいいですかね」
茶化してみたら、真摯なほどの眼差しで、お望みですかとの言葉を頂いてしまった。
遠慮をしておきますと、モゴモゴと口を動かしてしまってから、何故だろうか。
とてもとても、後悔していた。
何故後悔などしたのだろう。考えるまでも無く、それはすぐに記憶から呼び起こされた。
戦いの残滓が、自分の中に残っているのだ。
昔はよく、作戦が終わって生き残った後は、悪い大人たちに連れられて可哀相な目をした女性達の処へ出かけていったっけ。
血の匂いを、漱ぎ落とすために。
そういえば、あの人たち、優しく抱きとめてくれたあの人たちは、今は元気だろうか。痩せこけた頬を化粧で誤魔化していた、あの美しい女性達は、生きているだろうか。
最近、昔の事を思い出す事が増えた気がする。
レイフォン=アルセイフ、彼のせいだろうか。彼の登場によって、僕は少しもグレンダンから離れられていないのだと、思い知らされているのだろうか。
潮時。
そんな言葉が、胸を穿つ。
ならもっと遠くへ、今度こそ、もっと遠くへ。
独りでなら、何処へだって行けるのだから。
不意に、頬をくすぐるような感触が滑った。
「駄目な人の顔になってますよ。・・・嫌いな顔です」
あやす様な仕草で言われて、ともすれば僕は泣き出しそうになった。身を起す事で、それを誤魔化す。
大きくため息を吐いて、言葉を紡ぐ。
「最近ね、どうも昔の事ばかり思い出すんですよ。・・・嫌な事ばっかりだったのに、何でかな。懐かしいんですよね」
嫌な事は酔いと共に押し流してしまえば良い、いつか誰かにそう言われた事を思い出して・・・ああ、コレも昔の事だ。
「良いじゃないですか、聞きますよ。・・・暇つぶしにも、なりますし」
その言葉は本当に、優しくて優しくて優しくて。易しいままに、僕も知らぬ僕の心を侵してしまいそうだった。
「貴方は昔の事を、あまり聴かせてくれませんから」
このままここで話し続けていたら、きっと僕は駄目になるだろうな。それは良くない、それの何処が悪いのか、並列する思考が心を乱すまま、それを誤魔化すように口を開いた。
「・・・なんか、ずっと前に似たような事言われましたね」
「ええ、ずっと昔に言いました。貴方にとってはそれも過去。今の私との会話さえ、きっと貴方にとっては過去の事なんでしょうね」
だってその時が来たらきっと、全部捨てて独りで逃げるのだから。
呟きは風に乗って、僕の心の深いところを揺り動かした。
『―――良いかいグレイホルン。キミは決して、縁を求めてはいけない。なぜなら、それは―――』
「ーっ。カー君?」
突然、跳ねる様に立ち上がった僕は、きっと異様に見えたことだろう。
フェリさんは心配そうな顔で、僕に続いて身体を起した。
心配そうな顔。細いからだ。そういえば、彼女にこそ慰めは必要だろうに。
笑い出したかった。何よりも、自分をあざ笑ってやりたかった。
畜生め。
嫌だから逃げる。それこそが。
じゃあ何か?
こんな良い女を目の前にして一度も手を伸ばす気にならなかったのは、あの偉大なるクソ女。あの化け物のせいなのか?
なるほど、あの化け物なら。平然と、腕に蛇を巻きつけたまま馬鹿笑いを浮かべそうだ。
その気持ちを考えもせずに、ああ、クソ。解った、いや解りなおしたところで、どうにも出来るはずもないか。
「カー君?あの、本当にどうしたんですか」
心配そうな、僕だけを心配してくれている、その少女。
それを、良いのか。本当に。
良い訳がない。
良いか悪いか、そんなものは、後で解る。そのぐらいの権利は、僕に寄越せ。
「―――ぁっ」
そうして。
きっと誰にも伝わらない内葛藤を投げ捨てて、僕は、彼女を抱きしめた。
夜闇の中、この街で一番高いところで。はは、馬鹿みたいに絵になる光景だ。
頬を撫で付ける髪に顔をうずめるようにして、囁く。
「フェリさんだって怖かったでしょうに。気を使わせてばかりで、ホント御免なさい」
耳朶を震わす距離で届いた僕の言葉に、胸の中に居るフェリさん身じろぎするようにして、それから、それから先は、先ほどよりずっと、彼女との距離が縮んだ気がする。
細い腕を、僕の背中に回してくれた。
こわくなんて。
普くようなその言葉を、そっと、彼女の背中を撫でさすっておし留めた。
「怖くないわけ無いんです。いえ、あんな光景を直視したなら、怖いと思うべきなんです。決して人が超ええぬ生き物を、苦も無く屠り去った所を見てしまったなら」
それが出来なくなってしまったときに、きっと僕の嫌いな都市の住民が完成してしまうだろうから。
距離が近い。今はとても近いから、そんな気持ちが伝わってしまっただろうか。彼女はきっと微笑んでいた。
「駄目な人の言葉を吐いてますよ。・・・でも、貴方はそんなのが丁度良いです」
それはそうだ。
こんなの僕の我侭ばかりで、ちっとも彼女を心配できていない。
ごめんなさい、と。悪戯をした子供のように、僕は一つ謝って。それから、多大な労力を払って、ゆっくりと身体を離した。
フェリさんは身体を離す勢いのまま、流れるようにくるりと廻り、それから、それからは何時もの彼女の顔に戻って、言った。
「元々、馬鹿な兄の尻拭いに来ただけですから、何を謝られる事も無いですもの」
朱の混じる頬を見て、朱の混じる肌を持ったまま、僕も、何時もの顔で何時ものように、言葉を返す。
「あの件なら、正直どうとも」
なにしろ、僕が言い出したことですし。
僕の言葉にフェリさんはとても楽しそうな顔をして。
そしてその晩の出来事は、最後は何時ものように、足の痛みで終わるのだった。
翌日。
戦いの空気冷めやらぬツェルニ上層部から、一つの令状が頒布される。
『第十七小隊所属、武芸科二年生カテナ=ハルメルン。当学生を特一級非常事態宣言下における武芸科生徒行動規定A項第一条及びB項第17条に違反したとして、無期限の小隊活動参加禁止処分とする』
※ ヱロスを隠れ蓑にした状況の整理と設定の再編回。
前に書きましたが、ニーナとレイフォンの関係には首を突っ込まないがこのSSのルールですので、
レイフォンとニーナの関係がテーマの二巻では他に話の主軸となる部分を用意する必要があるんですよね。
つー訳で、こんな展開。次回からは本格的に二巻の時間軸に乗ります。
まぁ、と言っても客寄せパンダ染みたフェリ先輩の萌えイベントとかはやりませんがねー。