― クロムシェルド・レギオス:Part 8 ―
体の芯から凍り付いていく感覚。
そんな懐かしい思いにとらわれながら、己は一人、自立移動都市最下層部、非常灯が不気味に照らす闇の統べる空間で裸体を晒していた。
シャッター脇の勝手口を開いた瞬間漂ってきた埃の混じった空気。踏み出せばうっすらと積もった埃の上に足跡が残る。
目指すものは直ぐに見つかった。一年前、自分が使ったときのまま、適当にダンボールに押し込まれて隅に積まれていたから。
埃を払って蓋を開け、中のモノを引きずり出せば、何処か滑った様な輝きを放つ特殊な繊維性のアンダーウェアが出てきた。
汚染物質遮断スーツ。
身体にぴったりとフィットするその服を着る為に、手早く制服を脱いで行く。
上下ツーピースで、しかし特殊な構造をしているためか、腰元で合わせるとぴったりと張り付いて密着する。
着れば肌に張り付くような感触なのに、伸縮性に優れ、また通気性も優れていて暑いという事も無い。
むしろより一層、体の奥底から凍り付いていくかのようだ。
隣のダンボールを乱暴に開ければ、グチャグチャにして押し込まれていた戦闘衣一揃えがしっかりと揃っていた。
機密性の優れた専用のメットも、棚に埃を被ったまま押し込まれている。
残念ながら移動用の単車は発見できなかったが、まぁ、良い。
敵はこのツェルニの直ぐ足元に居るのだ。この程度の距離なら自分で飛んだ方が早い。
地の底から這い登ってくるような悪寒は、時を経るに連れより一層深まってきた。
人気の無いこの下層域にすら、焦燥に囚われた人々の怯えが伝わってくるようだ。
今頃上では、未熟者達が集められて、必死で防衛線を展開しようとしている事だろう。そんな遊びに付き合っている暇も無いので、己はまず真っ先に自分が生き残るための行動をとった。
肩部胸部、各種関節部に装甲が供えられた戦闘衣を完全に着込み、その上に四本の錬金鋼を挿した剣帯を巻いた後、己は一言声を上げた。
「ストリップは楽しめましたか?」
カツン、と。備品庫の勝手口から足音が響いた。
「・・・思ったより、筋肉質なんですね。たまに、本当に女性なんじゃないかと疑っていたんですけど」
己は一つ肩を竦めた後、フルフェイスの防塵マスクの埃を払って片手に持ったヘルメットの中に放り込み、彼女を促して備品庫を出た。
足早に、薄暗い地下道を進みながら、言う。
「探す手間が省けて助かりました」
「何をしようって言うんですか」
非常灯に照らされて、フェリの髪はうっすらと輝いて・・・いや、違う。実際に念威が漏れて発光しているのだ。
感情が高ぶっている、らしい。
美しいなと、己は場違いな感想を持った。久しぶりの仕事だったので心配だったが、大丈夫。己は何時もどおり落ち着いている。
「見ての通りです」
「・・・一人で逃げる気ですか?」
フェリの言葉は、硬い響きが篭っていた。どうも、汚染獣が来ているから緊張していると言うよりは、何か嫌な事があってイラついていると言った風な印象を受ける。
あの腹黒眼鏡。この忙しい時に何してくれたんだか。
…それにしても、逃げる。逃げるか。そう言えば、脱出経路とか考えた事無かったな。
そもそも作戦目的以外で汚染獣から逃げると言う発想がなかった。この子も中々斬新な考えをしている。
都市を害する汚染獣は倒す。一匹残らず刈り取りつくす。
それが、自立移動都市に生きる武芸者と言う生き物の生態なのだから。剄脈を蠢かせながら、そんな当たり前のことを考えていた。
「それは魅力的な提案ですけど、生憎脚に取り付かれてますからね。逃げ場無し、ですよ」
上方から感じる複数の剄の気配。それがだんだん高まってきているように感じる。そろそろ幼性体が外延部に取り付くのも近いのだろう。己の答えに、しかしフェリは納得してくれなかった。
「貴女も一緒に逃げましょう。いつか言ってくれた。今がその時では無いんですか?」
その甘えるような声に、思わず足を止めてしまった。彼女に振り返り、その顔を見据える。
フェリも本気で言っているんじゃない、そんな事は解っていたのに。己は、僕は真剣に答えてしまった。
「冗談じゃない、御免です。ここで逃げ切っても、僕はきっと貴女の泣き顔を見続ける事になる。そんなのはつまらない。そんなのは絶対に嫌だ。僕は自分の人生を楽しくするために、普通の青春を送るためにここに着たんです。辛気臭い青春なんて、真っ平御免ですよ」
フェリは一瞬呆然として、凄い勢いで首を振って、頬を赤らめ、それから、何かいろいろなものが綯い交ぜになった顔をして、言った。
「普通の青春を送りたいなら、何なんですか、その物騒な格好は。ここには貴方以外にも戦える人が居る、貴方に戦いを強制できる人は居ません。良いじゃないですか、貴方が、」
「居ませんよ」
幼子が紡ぐ必死の言葉を、しかし僕はさえぎった。大げさな仕草で肩を竦めながら、続ける。
「居ませんよ、僕らを除けばこの都市で汚染獣を潰せる人間なんてあと一人しかいません」
ねぇ、ヴォルフシュテイン卿?
呼びかけに答え暗い通路の奥から、制服姿の少年が姿を現した。
レイフォン=アルセイフはばつの悪そうな顔を、拙い所を見てしまったという顔を浮かべながら、こちらに近づいてきた。
来ない筈は無い、と言うか来ないと言うこと事態在りえない想像だったが、来てくれて一応安心した。
例え嫌でも汚染獣が来たらとりあえず始末するのが武芸者の生態だから、天剣授受者にまで上り詰めた男ならば、その本能に従い汚染獣を殲滅するために、こちらにアプローチを取ってくるのは当然である。
しかし、きつく当たっていた事もあったのでひょっとしたら来ないんじゃないかと要らない心配をしていたのだが、一安心である。
…いや、まぁ。
彼の目当てが己ではないって事は実は解っているんだが。
「すいません、フェリ先輩の剄を追いかけてたら・・・」
やっぱりフェリの事だけは認めてるんだな、こいつは。
すまなそうに頭を下げる後輩を、僕は首を振って答えながら手短に述べる。
片手に握った封筒のようなものが気になったが、今聞くべき事でも無いだろう。
「いえ、構いません。むしろ、たかが幼性体の駆除如き雑事に、天剣授受者足る貴方の手を煩わせてしまう事、真に―――」
しかし僕の言葉を、天剣授受者は取り合わなかった。
この学園都市では一度も見せた事が無いであろう、自らの力を確信している戦闘者の顔をして僕に言う。
「戯言は良いです。それより先輩、都市外装備をしているということは、貴方が母体を排除するという事ですか?・・・可能なんでしょうね?」
この言、この態度。まさしく天上人にのみ許された仕様。
そこには自身と同一たる天剣授受者しか信じない、まさしく天剣授受者そのものしか居なかったが、だからと言って、舐められているのも正直癪だ。
「これでも老性体から逃げ切った事ならあるんだ。それに比べれば、腹の裂けた母体を潰すだけなんて砂場遊びと変わらない」
なおも疑問符を浮かべる後輩に、こっちの所属は知っているだろうと圧し被せる。
上ではいよいよ頸が弾け、飛び交っている。どの道、無駄話しているほどの時間は無いだろう。
アルセイフは渋々と頷いた。
「・・・罪人部隊。信用して良いんですね」
「そっちこそ、自慢の天剣が無いからって、しくじらないで下さいよ」
僕の軽口に、アルセイフは鼻を鳴らして答えた。
何も問題は無い。むしろ、貴方が居ない方がやり易いくらいだと。
僕は肩を震わせて大声で笑ってしまった。
それは結構。
笑い顔のまま頷いて、僕は厳しい表情をしているフェリに向き直る。
「それじゃぁフェリさん。貴女はアルセイフについて幼性体の確認と、母体の位置特定をお願いします」
「待ってください、私は何も、」
急に急に。自分を取り残したまま廻り続ける世界に反発するように、割れたガラスのような悲鳴を漏らした。
暗闇の中に取り残された、幼い子供の姿。
それを、我侭を言うなと大人の目線で言い放つのは簡単だろう。
そういう場合じゃないんだと、そう言えばきっと、従ってくれるのも道理だろう。
それでも、そういう態度は、そういう時でも無いのに、取りたくないと僕は思った。
一つ、息を吸って口を開く。
せめて言葉が、伝わってくれますようにと願いながら。
「あのねフェリさん。愚痴も怨みも悩みも泣き言も、虚言も我侭も暴言も悪態も、夢も理想も希望も絶望も、寝物語だって後で幾らだって僕は聞きます、だから今は、」
「今はなんですか。道具みたいに、便利使いされろと?何で貴方までそんな事を言い出すんです。自分の才能を、望んでも居ない才能を使えだなんて!」
むしろ淡々としていて、その怒りの、嘆きの深さを思い知ったが、僕は彼女の肩を掴んで、言い含めるように、自分の気持ちを告げた。
「だから今は、お願いですから―――僕に、貴女の事を嫌わせないで下さい」
――――なにを。
言葉になら無い唇の震えを、最後まで確認しないまま、己は彼女の肩から手を離しアルセイフに告げる。
「それじゃぁ己は直ぐに出るわ。アルセイフは生徒会長に作戦を説明して、ああ、後アントーク隊長にあったら己は病欠って言っておいて」
「へ?ああ、はい。お気をつけて・・・」
間抜けな声で、表情で答える天剣授受者を見やって、己は一人暗い通路の奥を目指す。
そのまま二度と、角を折れても振り返らなかった。
あの子がどんな顔をしているか気になったけれど、己は足を止めなかった。
都市と外とを隔絶する、エアロックの門が見える。
この先に、住み慣れた死地が待っている。防塵マスクを装着して、その上からヘルメットを被り戦闘衣の首部のアタッチメントと繋ぎとめて密封処理を完了する。
巨大なハッチの片側に設置されていたパネルを素早く操作して開錠作業を行いながら、己は自身を包むように、抱きしめるように淡く輝く花びらに気付いて、笑みを浮かべていた。
さて、面倒な仕事の時間だ。
一年サボり続けた分、少しは真面目に働きましょうか―――。
※ 割と頭を捻った考えた、渾身の一言だったんですけど、どうですかね?
らしいなぁ、と思っていただけたら、実に幸い。
そんな感じで、ドラマ的なクライマックスは今回でラスト。最終回(二度目の)はひたすらアクションです。