― クロムシェルド・レギオス:Interlude 2 ―
「それじゃぁ、ハルメルン先輩もグレンダンの出身なんですか?」
「先輩と言い、レイとんと言い、やっぱりグレンダンは武芸が盛んなんですね」
和気藹々とした、少女達の姦しい声が放課後の喫茶店内に響き渡る。
そんな中、レイフォン=アルセイフは、胃痛を訴えてこの場を立ち去りたい衝動にとらわれ続けていた。
何故、こんな事に。ツェルニに着てから、レイフォンはそんな事ばかりを考えている。
手放したはずの錬金鋼を握る事も不本意なら、無くした名前で呼ばれる事もまた、遺憾であった。
それを利用されて、感情を逆なでされて、大上段に利用されている今の状況など、持っての他だ。
一体何故、こんな事に。
奥まったところにある六人掛けのテーブルは、一つを除いて全ての席が埋まっていた。
その日は、機関部清掃の就労時間までまだ暫しあった。訓練も無い。ならばと、クラスメートである三人の少女に付き合って、こうして学生らしく喫茶店にお茶を飲みに来た。
そこまでは、多分よかったのだと思う。
変なあだ名を付けられた事も、黒髪のメイシェンが明らかにレイフォンを見てうろたえていた事も、許容できる範囲だった。
喫茶店。明るくファッショナブルな内装の、少女向けに見える、恐らくレイフォン一人ならば絶対に立ち寄りそうの無いその店。
商店街の一角にあるその店に、お喋りなミィフィを先頭に揚々と乗り込んだところまではよかった、そう、よかったのに。
店に踏み込んだ瞬間、レイフォンはそれに気付いてしまった。
戦場の空気。
それを控えたものが行う、活剄の気配。
しなやかに洗練されて、余程でなければ気付けないだろう流麗な活剄だった。事実、同じく武芸科である勝気なナルキは気付く気配もなく、早速はしゃいでいるミィフィを窘めている。
視線を、横にずらしてしまった事がいけなかった。
レイフォンの視界の端に、銀髪の少女と共にケーキを食べている黒髪の少女・・、ではない、少年の姿が映ってしまった。
黒髪の少年は、明らかにこちらを見ても居ないが、その剄脈は確かに脈動を始めており、何か事が起こったのならば、もしかしたらレイフォン自身よりも早く反応して見せるかもしれなかった。
見間違いようも無い。
レイフォン自身が所属する第十七小隊の先輩、カテナ=ハルメルンだ。向かい合って座っているのは、フェリ=ロスで間違いないだろう。
カテナの活剄は見事なもので、この場に居る人間ではレイフォン以外に気付けるものは居なかっただろう。
それがレイフォンに対応するために編まれた物でなければ、ただ感心しているだけで済んだものを。レイフォンの心は深く沈んだ。
初対面の時から今日まで変わることなく、彼はレイフォンの事を警戒していた。その理由が納得できてしまうから、レイフォンはより一層心が重たくなる。
ミィフィたちには悪いが、用事が出来たと言って抜け出そうか。
その判断が、どうやら遅かったらしいとレイフォンが気付いたのは、ミィフィが店内を見渡した後に一点を指差し、大げさに驚いて見せた時だった。
「あ~~っ!お人形さんコンビ発見!!」
ズッコケそうになった。むしろ、入り口の階段を一歩踏み外して本当に扱けた。
「お、お人形?」
「ほら、あそこ!有名なんだよ、何時も二人でケーキ食べ歩いてる、お嬢様と男装の麗人コンビ!見ると貧乏になるって噂もあるし!うはぁ~、やっぱ絵になるねぇ」
何処を指差しているかなんて、確認するまでも無い。
カテナとフェリ。レイフォンにとってはなるべく関わりたくない先輩方を指差して、ミィフィは極めて上機嫌だった。
「お、なんだ、ハルメルン先輩じゃないか。・・・ミィ、あの人はれっきとした男だぞ。と、言うか以前助けて頂いただろう」
ナルキは知り合いを見つけたと言う顔で気楽に言って、メイシェンは、ふわぁ綺麗・・・などと頬を赤らめて呟いている。どうやら、二人の整った容姿が、彼女の乙女なツボに入ったらしい。
入り口、つまりレイフォンたちに向けて背中を向けていたフェリの姿が、なにやらとても不機嫌そうに見えたのがレイフォンにはとても恐ろしかった。なにせ、あの傍若無人な生徒会長の妹である。怒らせたときどうなるかなど、考えたくない。
だが、ダラダラと冷や汗を流しながら恐れおののくレイフォンの心情を全く理解していないミィフィは、にぱりと満面の笑みを浮かべながらレイフォンに向き直った。
「レイとんは、あそこの二人と知り合いだよね?」
そしてあれよあれよと言う間に、この究極的に気まずい状況が完成してしまった。
当たり前のように三人並んで座る、同級生三人組。そしてその向かい、右端に座るレイフォンの隣には、解りやすいくらいに彼を警戒しているカテナその人が座っている。向かいの人間たちは気付いていないだろうが、腰が少し浮かんでおり、ついでに先ほどから常に片手が開いている。
其処までされるいわれは無いという憮然とした気持ちと、そうされて当然だと言う諦念が、レイフォンの中で並立していた。
カテナはグレンダンの出身で、レイフォンが何ものであるかと言う事を理解しているのだから。
元々同席していたフェリを、レイフォンの向かいの窓際に座らせているのもそのためだろう。いざとなれば、逃がしやすくするために。
同郷の者のこの対応こそが、己が今までやってきた所業に対する答えなのだと、まざまざと見せ付けられているようで、レイフォンの思考は暗澹としていく一方だった。
沈んでいくレイフォンの表情に最初に気付いたのは、彼の向かいに座っていたメイシェンだった。
しかし彼女は、何故レイフォンが沈んだ表情をしているのかまでは想像できず、もしや自分達が無理やり此処へ誘ってしまったのに気を悪くしたのではないかと言う、間違った思考に囚われた。
だが一人ではどうしようも出来なかったメイシェンは、結局、テーブルの下で隣に座っていたナルキの服の袖を引っ張るだけだった。ナルキは親友の行動の意味を誤解しなかった。向かいに座る男二人は、先ほどから一度も目を合わせていなかったことが、彼女にも気になっていたから。
さり気なく・・・、周りから見れば明らかに唐突に、しかし彼女の中ではあくまでさり気なく、ナルキは声をあげた。
「なぁ、レイとんとカテナ先輩は、仲が悪いのか?」
レイフォンは、明らかにギクリとした顔を浮かべた。
カテナは作り笑いのまま、固まった。
フェリは舌打ちして、ミィフィは紅茶を吹いた。メイシェンは今にも泣き出しそうだった。
発言したナルキ一人が堂々としている。
「ちょっとナッキ、少しは空気を・・・」
「だって二人は同じ小隊なんだろう?先輩もレイとんも良いヤツなんだし、仲たがいをしていたら良くないじゃないか」
慌てていさめようとするミィフィに、ナルキは堂々と反論する。
ナルキにとって見ればレイフォンは信頼できる友人だし、カテナは尊敬できる先輩だった。そんな二人が、どうやら余り仲のよろしく無い様を見せ付けられていると言うのは、我慢できない。
さて、レイフォンはあわあわと慌てているだけである。こうなると、上手く場を納められるのは自分しか居ないのだろうなと、カテナは作り笑顔の下で思っていた。
かといって、いかにも平和そうな三人の少女に、彼らの・・・いや、レイフォンの事情を語って聞かせる事など出来そうも無い。迂闊にしゃべったら切り殺されてしまうかもしれないしと、レイフォンに言わせれば冗談じゃないと言う事を考えていた。
隣に座っている銀髪の少女のプレッシャーも大きくなってきている気もするし、どうしようか。
カテナは考えて、結局何時もどおり適当に煙に巻こうと決めたのだった。
「―――まぁ、そう言う訳でも無いんだけどね。僕が一方的に、アルセイフ君の事を知っていただけで。それでまぁ、色々と思うところがあってね」
ぶふぉぅっ。
間を持たせようとオレンジジュースに口をつけていたレイフォンが、思い切り咽た。
この人、いきなり何を言い出すんだ。レイフォンは泣き出しそうだった。
向かいに座っていたメイシェンが慌ててレイフォンの背中をさする。
「やっぱり、レイとんってグレンダンでも有名なんですか?」
威勢のいい後輩、確かミィフィと言ったか。案の定、興味深げに彼女は身を乗り出してきた。
カテナはさて、とキザったらしく笑うだけだった。爪先に痛みが走ったが、あえて無視した。
「僕らの年齢でそれなりに動けるってのは、やっぱり稀なんだよ。都市社会なんて案外狭いものだからね。似たような人間は目に付くものさ」
「はー、なるほど」
「なんだレイとん。やっぱり優秀なんじゃないか。近所の道場で少し剣を握っていただけとか言ってたくせに」
感心するミィフィに、ナルキが口を尖らせて言葉を重ねる。そんな彼女らに、カテナの言動にレイフォンは、ああいや、と碌な言葉を返す事ができなかった。
「だからね、僕はアルセイフ君が結構出来る事を知っていたから、そんな彼がどうしてグレンダンを出たのか、ちょっと戸惑っていたのさ」
スラスラと嘘とも本当ともつかない言葉を重ねるカテナを見て、フェリはこの男、相変わらず口だけは上手いなと考えていた。
「でもそれ、先輩にも言えることじゃないんですか?」
ミィフィがおもむろにそんな事をカテナに聞いた。カテナの眉が一瞬跳ね上がる。どうやら、彼の予想していなかった質問らしかった。
「・・・うん、まぁ、それを言われると・・・、ね」
笑顔を浮かべたまま、高速で頭を回転させるカテナ。
いや、待て。何故僕ばかり質問に答えているのだろうか。そもそもアルセイフの問題なのにと、心の中で悪態を付居ている事は、フェリ以外に気付いている人間は居なかった。ただ、メイシェンだけは何か空気が悪くなって無いかな、と感じていたが。
カテナは何か困った時は、常にしゃべりながら考え、取り繕う癖がある。今回も彼は、躊躇わずにそう動いた。
「武芸者として見る目があると言う事は・・・さ、簡単に言えば汚染獣と戦う時に戦力として有用だ、と言う事だろう?そして、グレンダンは汚染獣の来襲が多いって事は、聴いたことあるかい?」
ギリギリの発言だった。レイフォンの顔が、また青ざめる。
ナルキはそのでまかせの言葉に、気付くところが在ったらしい。
「それじゃぁ、その。先輩は汚染獣と・・・」
恐る恐るたずねる後輩の言葉に、カテナは我が意を得たりと頷いた。よし、これで纏めに入れると考えていた事実は、やはりフェリ以外に気付いている人間は居ない。
「本当に、怖かった。だから少しの間だけでも、其処から離れたかったから、学園都市に入学した。僕の事情はそんなところだよ」
そんな言葉に、武芸科ではないミィフィとメイシェンは、ほわぁーと頷くだけだった。世界が違いすぎて、イマイチ実感できなかったらしい。
ナルキは、同じ武芸者として、尊敬する先達を持ってしても恐れる相手が居ると言う事を理解した。素直に人の話を聞きすぎているこの後輩の態度に、後日、カテナが罪悪感を持ったのは言うまでも無い。
さて、一人状況に付いていけなかったレイフォンと言えば、彼の言葉を字義通りに解釈する事は、流石に出来なかった。
何しろ発言の冒頭からして、多大な嘘が篭っているのだから、それも当然と言える。
彼は初対面・・・、正確にはその少し後だが、レイフォンに自らを名乗った時にこう言った。
強襲猟兵小隊。
レイフォンの記憶が正しければそれは、グレンダンにおける犯罪行為を働いた武芸者達を処罰するために構成された部隊の筈だ。
それが事実だとすれば、・・・まず持って、非犯罪者である彼が何故そんな部隊に所属していたのかと言う疑問もあるが、最前線で汚染獣と戦闘した経験がある事になる。
そして、レイフォンの目が狂って居なければ、カテナはそれ相応の実力を有している、最前線で戦い、生き残れるだけのそれをだ。訓練中連携の確認をしている時も、雑談をしている時ですら、彼はレイフォンの間合いに可能な限り踏み込んでこようとはしなかった。彼がレイフォンと会話をしなければいけない時は、常に今のように何時でも逃げられるような姿勢を作っている。
そんな慎重さを持っている人間が、汚染獣との戦い・・・まして天剣授受者とは違うのだ、精々戦って雄性体程度だろう。その程度の事で恐れたりするだろうか。そもそも、本人は剄が練りにくい体質と嘯いているが、どう考えても訓練中見せる程度の剄量しか発揮できないような剄路の太さではない。天剣授受者の中でもとりわけ剄量が多かったレイフォン自身ほどとは言わないが、それでも相当量の剄を発揮できるのではないか。加えて手を抜いていても解るほどに、洗練された武芸。
つまり総合すると、一般武芸者が戦うレベルの汚染獣を恐れる要素など何処にも無いように見える。
それにそう言えばこの人、自分の事を脱走兵って言ってたっけ。
現在進行形でレイフォンを警戒している先輩を横目に見ながら、むしろアンタの方が危険なんじゃないかとレイフォンは思った。
この人がこんなにまで自分を警戒してくれなかったら、いや、この人がこの学園都市に存在しなかったら。
レイフォンはもっと心穏やかに学園生活を送れて・・・いや、それはありえないか。
自身が小隊に加入せざるをえなくなった理由は、彼が原因ではないのだから。
変わらない。何も変わりはしない。考えたところで、そもそも、碌な学など自分には無いのだから考えても無駄じゃないかと、レイフォンは投げやりに思うのだった。
笑顔で級友達と談笑する、放課後のひと時も、彼の胸中を取り巻く深い霧を払う事など、出来ようも無かった。
レイフォンが苦笑いを浮かべるしか出来ない間にも、空気はゆったりとしたリズムで回っていく。
その中に、自分は入れているのか?
結局、入れもしないのか。自分には、剣以外の道など無いのか。
腰に刺さった待機状態の錬金鋼が、とてもとても重く感じた。
それを大衆の視線の集う下、振るわねばならない日は、近い。
前期の小隊対抗戦が、もうすぐ始まるのだ。
― Interlude out ―
※ インタールード二度目。出てるの女の子だらけなのに、暗いわ!
ストックが二巻の一話目に入ったんですが、やっぱインタで始めてみると暗いんですよね。
主人公が普段気楽過ぎるだけかなぁ。
で、主人公が説明役を兼ねる関係上多少賢くなるのも仕方ないんですけど、うん、こいつ少し賢すぎるよねとか自分でも思う。
そんな訳で後付で言い訳でも考えてみたがどうだろう。
言い訳その一:蛇君に教えてもらった。
・・・この蛇、平気でネタバレとかするしな!
言い訳その二:率いていた部隊に体制批判の反政府主義者とかが居た関係で覚えざるを得なかった。
・・・割と妥当な感じ。きっと悪い大人に可愛がられて生きて来たに違いない。
言い訳その三:主人公が嘘を付いている場合。
・・・実を言えば彼の過去話は空くまで彼の主観を通して語られた物でしかない。
つまり、本人には忌諱したい過去であっても事実は別であったと言う可能性も、ある。
今のところ固定する予定は無いので、お好きな解釈でどうぞ。