― クロムシェルド・レギオス:Part 3 ―
「お前は馬鹿か」
テーブルに広げられた書類を全て読み終えたあと、思わず正面に座っている銀髪の男に向かってそんな言葉を放ってしまった。
「・・・カー君?」
隣に座っているお嬢さんが、物凄い心配そうな声を掛けてきた。
まずった。グレンダンで犯罪者の皆様を躾けていた時の言葉遣いをしてしまった。
「スイマセン、えーっと。・・・なに考えてるんですか一体」
言葉を選びなおして、もう一度カリアン=ロス生徒会長に尋ねる。カリアン生徒会長は一瞬虚を疲れたような顔をしていたが、気を取り直して答えてくれた。
「何、と言ってもね。私の考えている事など一つしかない。このツェルニの存続だ」
それ以外に何があるね?そんな風に続けながら、ティーカップを手に取り優雅に口をつける。
そんな兄の気取った姿は、妹にとっては非常に気に障るものらしい。
「そのためならば、何をしても許されると思っていると・・・」
唸る様な声で、フェリさんは言った。日頃、聞かない声音である。
ここは、生徒会長公邸。
ようするに、ロス兄妹のツェルニにおける住いである。
代々の生徒会長職につくものが使用する事になる公邸であるから、別に彼らのために造られた家というわけではないのだが、その古めかしい調度の設えは、妙に彼らにマッチしていた。
キッチンで夕食の準備をした後『外食』を済ませた僕らは、カリアン生徒会長の帰還を待って、錬武館からの懸案について話し合っていた。キッチンから焦げ臭い匂いが立ち上っているような気がしていたが、リビングに集っている僕達は、誰もそちらを見ようとはしなかった。
「許されるかどうかは、そうだね、後世の人間の解釈にでも任すとしよう。私は、あらゆる手を尽くすだけの価値を、この都市に認めている。レイフォン=アルセイフを武芸科に転属させたのも、その一環だ」
「貴方の趣味に付き合わされる人間の身にも――っ!」
「だからこそ」
激昂しかかっているフェリさんを押し留めて、僕は生徒会長に言葉を重ねた。
「だからこそ、何を考えているって話なんです。貴方は、あの御方を何だと思っているんですか?」
「武芸の本場、槍殻都市グレンダンにおける最高称号の持ち主。最も優秀な武芸者の一人。そして今や、ツェルニの生徒だ」
カリアン生徒会長はテーブルの上のレイフォン=アルセイフに関する書類を指し示して言った。
僕は頭を抱えて前髪を掻き混ぜた。
「それが解っていてどうして平然としていられるんだ。グレンダンにおける最強の武芸者、つまり、この学園都市においても最強であると言う証明でもある。その意味が理解できているのか!?」
苛つく僕の言葉にも、カリアン生徒会長は当然と頷くだけだった。
「次の都市戦でツェルニの運命は決まる。必勝を期すためにも、彼の力は有用だろう」
自身の言葉に一片の疑いも持っていない。その顔を見ていると、矢張り馬鹿だろうお前と悪態を付きたくなる思いが心を擡げる。
「カー君?」
顔に出てしまっただろうか。心配そうなフェリさんの呼びかけに気付き、一つ深呼吸をする。
ソファに身体を預けながら、ゆっくりと言葉をつむぐ。
「レイフォン=アルセイフは武芸者として侵さざるべき禁忌を侵し、グレンダンを放逐された。武芸の技を、個人の欲望のためにのみ振るう事は、武芸者として絶対にやってはならない事だから。では、その理由は?」
其処で一旦言葉を切り、二人の顔を伺う。
フェリさんは、字義通り『やってはいけない事だから』以上のことは考えていないらしい。
カリアン生徒会長は、片手を顎に当て、深く考え込んでいるように見える。
僕は答えを待たずに先を続ける事にした。
「理由は、単純だ。武芸者が武芸者個人のために力を振るい始めたら、都市は、社会は成り立たないから。どんなルールも、唯の暴力であっさりと駆逐されてしまう。本来、外敵を払うべきものとして認識されているそれが、内側を容易に崩壊させてしまうものだと、そんな事実が万人に対し公になってしまったら、その都市は終わりだ」
ただの武芸者が、犯罪を犯した程度なら、まだ良い。
「レイフォン=アルセイフは天剣授受者だ。誰にも止める事は出来ない。このツェルニに、彼が暴走してしまった時に止められる人間は一人も居ない。天剣授受者という生物は、例えば僕達が明日の夕食はパスタを食べようと、呑気に口にするのと同じレベルで明日都市を滅ぼそうかな、と言えて、実行できてしまう生き物なんだ」
そして、実際に禁忌を侵して都市を放逐された天剣授受者が、レイフォン=ヴォルフシュテイン=アルセイフだ。
天剣授受者は何をやっても構わない。そう思っていたのだが、それでも普通に自立移動都市の中で生きていれば常識的にやろうとしない行為と言う物もあるだろう。
脅迫に対して警告を行う、それなら良い。
証拠を残さず暗殺するのもありだろう。あるいは、より大きな力に頼るか。
だが、衆目の集う中で、全力を見せ付けて片腕を奪うなんて阿呆な行為は、正直論外だ。
それならいっそ、原子レベルまですり潰してしまった方がまだましである。・・・その後の反論を許さないと言う意味で、だが。
下手に生き残らせてしまう、生き残って反論できる可能性を与えてしまうと言うのは、やってはいけないではない、やる事を思いつかない類の行為だ。
行為の結果を想像できない馬鹿なのか。
レイフォン=アルセイフが行った事は、要するに自殺行為そのものだ。
都市が死ぬと言う事は自分が死ぬのと同義。つまり、天剣授受者に許された自由も無くなる。
そんな意味の無い行為を何故平然と行えたのか、理解に苦しむ。
何を考えて―――、いや、何も考えていないのか。能面のような無表情を思い出す。あるいはあれは、無知が故に表情の作り方を知らなかったのかもしれない。
天剣授受者は戦うためだけに存在する。そのためだけに特化した生き物だ。
平穏に生きる人々からすれば実際は異常者の集団に他ならない。それを情報操作で素晴らしい存在だと誤魔化しているだけだ。
天剣は素晴らしい。天剣は清廉なれ。栄えある天剣の担い手、女王陛下に栄光あれ!!
・・・・・・現場で血を吐いている人間からすれば、笑い話にもならない。強ければ人格なんてどうでも良い。
だが、そう言う言い訳でもしなければ都市社会は成立しない。それは当たり前のように皆理解していた。
人の住める世界は、それほど脆弱に出来ているから。
都市に住む人間はそれを常識として受け入れているから、騙して、また、騙される事を由としている。
・・・普通、それを破るか?
いや、普通じゃないから天剣授受者なのか?
そうでもない、どう考えたって、天剣授受者としても普通じゃないだろう。
ああ、そういえばヴォルフシュテイン卿と言えば孤児出身だっけ。それなら社会常識を知らなくても・・・いや、むしろ孤児出身の方が余程社会と言う物に敏感になるだろう、生きるためにも。
報道特集とかではどちらかと言えば金持ちの馬鹿な餓鬼のような理想だけの思考と行動をしていたっけ。貧しい者の剣、いと気高きヴォルフシュテイン。・・・弟どもも憧れてたっけ。
政府のプロパガンダの一種かと思ってたけど、アレ、本気でやってたって事なのか、ひょっとして。
やっぱり理解できないな。
気分を切り替えるために自分のティーカップに手を伸ばそうとしたら、カリアン生徒会長が押し殺したような声を上げた。
「危機を振り払う光の剣を拾ったつもりが、破滅を呼び込む破壊鎚を手にとってしまったと、・・・そう、言いたいわけだね?」
うめくようなその言葉に僕はあっさりと頷いた。お茶を一口含み、言葉を紡ぐ。
「グレンダンなら良いですよ。アレ一つが暴走しても他の十一本が止めてくれますから。でも此処ではどうです?誰が彼の手綱を握れる?」
「・・・キミでは無理なのかな?」
その言葉に、僕は失笑を浮かべてしまった。
「僕にそんな事を求めるって言うなら、前にやらないって言った事、実行しますよ?」
言うが早い、足に鈍痛が走った。ソックスに包まれた足が、思い切り僕の爪先を踏みつけていた。
怖かったので視線を横に移すのは止めておいた。
そんな僕らを見て、多少は気が紛れたのだろう。カリアン生徒会長も苦笑いを浮かべていた。
「なるほどね。・・・なるほど、そんな事態は真っ平御免だ。手遅れかもしれないが、彼に当る時は、少し慎重に動く事としよう」
解ったような振りをしているが、この人きっと、いざとなったら自分の目的優先するタイプだろうなぁ。
しばらくは胃が痛くなりそうな日々を送る事になりそうである。
RiRiRiRiRi・・・・・・
場の空気も少し穏やかなものとなり、談笑へと移行しそうになり掛けた空気を乱したのは、カリアン生徒会長のポケットに入った個人端末の着信音だった。
失礼、と言って通話を開始した生徒会長は、通話口から聞こえる声に、眉をひそめた。
「・・・つまりまた、と言う事だね。・・・フム。・・・フム、ああ。一先ずはそちらで何とかしてみてくれ。いざとなれば・・・ああ、それじゃぁよろしく頼むよ」
端末を胸元に戻したカリアン生徒会長は、やれやれと言った風にため息を吐いた。
「面倒ごとですか?」
余り聞きたくなかったが、隣のお嬢さんが気になっているっぽいから聞いてみた。
生徒会長は肩を竦めた。
「ああ、面倒な事になれば君の方にもフォーメッド君から連絡がいくかもしれない。どうやら、都市の意識が逃げたらしい」
「は?」
間抜けな声で返事をしてしまった。都市の意識。・・・逃げるってどういう意味だ?
「都市の意識と言う事は・・・電子精霊の事ですか?」
フェリさんの口から漏れた言葉に、カリアン生徒会長は正解と頷いた。
「そう言う事だ。ツェルニの電子精霊は、好奇心旺盛な性格らしくてね。この時期はホラ、新しいものが色々と訪れるだろう?」
つまり、新入生達が気になったから、電子精霊が遊びに出てしまったらしい。
・・・・・・と、言うか。
「電子精霊って、そんな人間みたいな感情とか持ってるんですか?」
この自立移動都市全てを管理していると言われるのが、電子精霊である。てっきり、超高度な情報処理演算機の集合体のようなよく解らないモノだと思っていたのだが、違うのだろうか。それを、牧草地に居る人好きの愛玩動物みたいな行動をすると言われても、想像がつかなかった。
いや、それよりも。逃げ出すって事は、特定の形を有していると言う事か?大きさは?電子精霊って自立移動都市そのものが体じゃないのか?
カリアン生徒会長も僕の想像している事が解ったのだろう。笑いながら説明してくれた。
「考えても見たまえ、『自立』移動都市だよ?自分で考え、自分で動く。確固とした自意識を有していて当たり前じゃないか。我々の生存圏、巨大な足元全てを制御する存在。だが、人とコミニュケーションをとることが出来る。意思の疎通は成立する。―――そう、それほど強大な力を持っている存在とも、コミニュケーションは成立する」
最後は、何か別の意味を含んだ問いかけのようだった。
僕は、その意味を誤解しなかった。
「それは、ヴォルフシュテイン卿の事を?」
都市そのものすら動かしてみせる生き物(?)とすら意思疎通が成立するのだから、汚染獣を苦もなく切り倒す化け物とすら、意思疎通が成立するのではないか、そう言いたいのだろう。
まぁ、夢があるのは良いことだ。それに、あながち無茶でもないかなと、今日の彼の無様を見ているとそう思えてくる。
その無様を晒していた後輩が、次の瞬間には自分をミンチに出来る存在だと忘れてはいけないだろうけど。
精々僕に火の粉が降りかからない処でやって貰いたい。
投げやりにそう言ったら、カリアン生徒会長は笑いながらこう仰った。
「何を言う。何のために君とレイフォン君を同じ小隊に所属させていると思っているんだ。君達は同じ武芸者で、しかも同郷の出身だろう。頑張ってコミニュケーションを成立させてくれたまえ」
無茶な事を言う。
苦虫を噛み潰したような僕を見て、生徒会長はさらに笑う。
「たいした無茶でもないと思うがね。キミは、私の知る中で最も気難しい生き物と見事にコミニュケーションを成立―――っ」
言葉は、最後まで続かなかった。
後日聞いた話だが。
入学式の翌日、カリアン生徒会長は利き手を焼けどした事により、政務が滞っていたらしい。
何でも、誤って紅茶の入ったカップを倒してしまったとか。
※ やるならちゃんとやろうぜ。と言うお話。
後は、皆様の盲点を付いてみた。そう、普通の人は『知らない』のです。
あー、後。期待していた方が多かったらしいですけど、原作でやったコントの焼き直しは余り意味が無いので放棄しました。