― クロムシェルド・レギオス:Part 2 ―
突然だが、医療科塔は、錬武館の直ぐ傍に立てられている。
通りをはさんで向かいにあるのが、錬武館で、玄関口の正面を走っている大通りを進めば野戦グラウンドに辿りつく。
理由は説明する必要も無いだろう。
解らなければもう一つ付け足すが、錬金科、工業科、そして建築科等の建物も近接した位置にある。
ようするに、怪我人が多く発生する地区に病院を建てた、と言う訳だ。
そして現在、ツェルニ第十七小隊は、その立地を最大限有効活用していた。
医療科塔、その軽症患者を休めるための病室、その一室。
脳震盪を起して気絶した一人の患者が、消毒液の匂いが漂うベッドの上で、静かに息を立てていた。
喩え気絶していたとしても剄息が全く途切れていないのは、流石と言うほか無い。
レイフォン=アルセイフ。
僕の知る現実では、槍殻都市グレンダンにおいて、至高の十二振りの天剣の一振りに数えられていた少年。
最強の一角に数えられる、その男が、あろうことか学生武芸者の放った一撃に叩きのめされて此処に運び込まれた・・・いや、僕が運び込む羽目になったのだから、これこそ悪夢以外の何ものでもない。
呼吸は穏やかで、顔色も悪くない。
むしろ、ベッドの傍らで彼を見下ろす僕の顔の方が、青ざめている事だろう。
「それでカー君、この人は一体どういった方なんですか?」
僕の背後にひっそりと立っていたフェリさんが、そう尋ねてきた。
彼女は倒れた彼と言うよりも、どうも、挙動不審そのものだった僕を心配してくれているらしい。
それはありがたい。ありがたいが、だからこそ僕は、こんな危険物の傍に彼女を一時でも長く置いておきたくは無いのだが。
とりあえず医療科塔へ入る前も、病室へ案内される前も、帰るように促してみたが説明するまで引いてくれる気は無いらしい。
別に隠す事でも無いので、僕は簡潔に告げてしまった。
「武器です」
「・・・は?」
訳がわからないと言う顔をしていた。まぁ、そういう反応だろうと予想していたので、そのまま言葉を続ける。
「対汚染獣用に、人類にもたらされた最強の武器、最終兵器。その一振りです。これ・・・、彼らが居るお陰で、グレンダンは今日まで存在してこれました」
フェリさんはまだよく解らないという顔をしている。
それも仕方ないだろう。こればかりは実際に見てみなければ理解できないと思う。
だから、可能な限り解りやすく、続ける。
「人種、性別、年齢、人格、人柄、主義主張。人間を、武芸者を構成するあらゆる要素が不要とされ、不問とされる存在です。喩え悪党だろうと、聖人だろうとも構わない。善悪も、好悪をも必要としない。求められているのは、汚染獣を撃退するという、唯一点。その機能だけの存在。その機能の究極系。そうであれば、如何様にあろうとも構わない、構われない存在。すなわちそれが、天剣授受者です」
あくまで僕の意見ですが。
最後に一言それを付け足して、説明を終えた。
フェリさんは、僕の言葉を何とか解釈しようと眉をハの字に寄せて頭を悩ませている。
当たり前だ。
あんな説明が通じると思う方がどうかしている。まだ混乱しているのか、僕は。
いや、視界がグレンダンに戻りかけているのかもしれない。
重たい沈黙が少しの時間を満たす。
「ううわ、ありえねぇ」
その空気を破ったのは、パイプベッドを軋ませる、そんなお間抜けな声だった。
身悶えている。
天剣授受者が、至高の存在が、眼前で足をバタバタと弾ませながら、身悶えている。
今すぐ斬扇で何もかもをバランバランの真っ二つにしたい光景が、目の前で展開されている。
呆然と見ている間に、馬鹿そうな後輩は、ベッドから転げ落ちて、ぐへっ、とうめき声を上げていた。
気まずい。
何が気まずいって、向こうがこっちの存在に気づいていない事も、フェリさんの冷たい視線も、何もかもだチクショウ。
ベッドの向こうでは絡まったシーツを頭から引っかぶった存在が、まだ何かブツブツ自問自答している。
咳払いを、一つした。
もぞもぞと動いていたシーツのお化けの動きが、止まった。
「お目覚めでしょうか、ヴォルフシュテイン卿」
僕はフェリさんを一歩下がらせて、レイフォン=アルセイフに向かって呼びかけた。
ゆらり、と制服のジャケットだけを脱いだ少年が立ち上がった。
よく見知った、能面のような表情。
「質問があります」
「何なりと」
彼の問いに、僕はYesと返答した。
背後にはフェリ。その奥に、窓。ブラインドが掛かっている。此処は五階。突き落とせば・・・結果は変わらないか。
そんな僕の思いを知ってか知らずか、レイフォン=アルセイフは躊躇うような口調で、僕に問いを重ねてきた。
「僕をその名で呼ぶと言うと、先輩は・・・」
「グレンダン西区、市街防衛第二大隊隷下、特派第402強襲猟兵小隊長、カテナ=ハルメルンです。・・・もっとも、元と頭につける必要がある、今はただの脱走兵ですが」
スラスラと所属を並べていく僕に流石に一瞬能面のような表情が緩んで、年相応の少年のような顔が見えた。
・・・どっちが素なんだ、この人。
そして、あっ、と大声を上げる。
「強襲って・・・罪人部隊!?なんで学園都市に!」
「それは私が卿に質問したい事でもあります。何故天剣授受者である貴方様が、このような場所へ?ついで言って置きますと、私の身体に罪印は存在しません」
可能な限り丁寧な言葉を選びながら、其処だけは否定しておく事は欠かさない。
大体、天剣授受者に罪人部隊をどうこう言う資格は無いだろう。誰のお陰で、老性体が天剣授受者に有利な戦場へ誘導されていたと思っているんだ。まぁ、それこそ罪人だから仕方が無い、とも言えるのだけど。
レイフォン=アルセイフは、僕の問いに苦悶の表情を浮かべる。
かみ締めるように、僕に問うた。
「カテナ・・・先輩?は、僕の事を、ご存知なんですよね」
その問いに首を傾げたくもなったが、とりあえず当たり前の答えを返す。
「グレンダンにおいて、レイフォン=ヴォルフシュテイン=アルセイフを知らない人間が居るとは思えません」
僕の答えに、目の前の少年は引き攣ったような笑みを浮かべた。
「なら、解るでしょう?天剣を剥奪された僕が、学園都市に来た理由くらい」
剥奪、だと?
天剣を、つまり錬金鋼の方の天剣を、剥奪。
天剣授受者が天剣を返上する理由は、それが天剣授受者たるを果たせなくなった時である。
だが目の前の少年は、何処からどう見ても天剣授受者たる資格がある。
そのままの力を、有している。
仮に此処で、僕が腰の鉄扇を抜き斬扇を放ったとしても、あっさりとそれはかわされ、反撃の拳を受けて僕は死ぬだろう。
それだけの力を秘めているのが、解る。
解るからこそ、一体何をどうすれば、この状態で天剣を剥奪されるような事になるのか。それが理解できない。
「僕はもう、天剣じゃないのでここに居ます。武芸も、全部捨てて。此処へ来る事にしたんです」
俯きながら発せられたその言葉に、僕の背後で黙っていたフェリさんが反応した。一歩踏み出そうとしていたのは、流石に留まらせたが。
「武芸は捨てた、と仰いましたね。では何故、武芸科に?」
答えは解っているが、と言う響きが混じっている。確認のための問い。アルセイフも、だからなんとも決まり悪げな顔をしていた。
フェリさんはため息を吐いた。
「やはり、兄のせいなのですか・・・」
どんよりとした顔で頷く、元天剣授受者。
その姿を視界に入れることなく、僕にそっと寄ってきたフェリさんは、耳元で囁いた。
「埒が明きません。兄に聞いた方が早いと思います」
なるほど、確かに。僕は彼女に了解と言う視線を送った。
フェリさんが離れるのにあわせて、レイフォン=アルセイフに向き直る。
「概ねの事情は理解しました。ヴォル・・・じゃなかった、アルセイフ君?動けるのでしたら遅いからそろそろ此処を御暇しましょう」
僕の言葉に顔を上げたアルセイフは、その後、何かを思い出したように掛け時計を見た。
慌てていた顔が、ホゥっと安心したような表情に変わる。
・・・・・・何度見ても、この百面相には慣れそうに無かった。
この後、機関部清掃のアルバイトが待っているらしい。
着替えるために寮区の自室へ急ぐアルセイフを、フェリさんと二人で見送った。
「・・・私の家に行きましょう。兄は、9時過ぎには戻るそうです」
何時の間に飛ばしたのか。念威端子をふわりと広げて、フェリさんは言った。
僕はなんだかとても疲れた声で返事をした。
「正直、貴女の家にお邪魔するのなら、もうちょっと楽しいシチュエーションが良かったんですけどね」
フェリさんは重晶錬金鋼を待機状態に戻しながら、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「どうしようもなく、貴方らしいシチュエーションだと思いますよ、これは」
ガクリと肩を落とす僕に、フェリさんは少し楽しそうに、言った。
「夕食ぐらいはご馳走します」
ああ、それは少し、楽しみかもしれない。
レイフォン=アルセイフはもう、道の彼方に姿を消していた。
確実に、変わらざるをえない日々が、これから待ち受けている。
そのために少しは良い目を見て、英気を養っておこう。
僕とフェリさんは、まずは食材を買うために商店街へと足を向けた。
・・・でもこの子、料理とか出来るんだっけ?
※ また知ったかぶりしたら今度は凹まれた・・・っ!?
玄之丞さんの日記も再開されたみたいだしこれでマシューさんの日記まで再開されたらこの作品の出番も終わりかなと思うんだがどうだろうか。
いや、まぁ、冗談ですが。
元々あんなノリでやりたいなぁと思って始めた物ですし。・・・気付くと全然違うけどさ!