― クロムシェルド・レギオス:Part 1 ―
混乱している。
混乱している、それ以外に言いようが無い。
そもそも混乱でもしていなければ、天剣授受者を前に錬金鋼を抜く仕草を見せるような愚を冒すはずも無い。
カテナ=ハルメルンは自殺志願者では無いのだから。
だが、動かしてしまった手を最早戻す事も出来ず、僕は、十七年の生涯において、最も単純で解りやすい生命の危機に陥っていた。
「何で・・・?」
どうして。さっきから頭が全く働かない。
現状がさっぱり理解できない。
僕は唯、当たり前のように都市警で警備の仕事を押し付けられて、講堂内で発生したらしい乱闘の後始末をしていた、それで、この十七小隊の訓練場に足を運んだ。フェリと話していた。それだけ、何時もの日常の筈だった。
だがいまや、目の前には模擬剣とはいえ、錬金鋼を握った天剣授受者が存在している。
悪い冗談、タチの悪い悪夢。
そうであればどれほど良いか。
普通考えれば、ありえる情景では無い、許容できる光景ではない。
女王陛下の庇護の及ばぬこの学園都市ツェルニに、対汚染獣決戦兵器が野ざらしで置いてあるのだから。
見間違いであれば良いと思う。
別人で、ただ、似ているだけで、僕が勘違いして暴走しているだけだと。
「何を言っているんだカテナ。こいつの名前はレイフォン=アルセイフだと言っただろう。その・・・ヴォルフ・・・何だ?とにかくそんな名前ではない」
ニーナ=アントークの呑気な言葉で、その期待もあっさりと裏切られる。
レイフォン=アルセイフなんだからヴォルフシュテインに決まっているだろうが!
叫びだしてしまいたかった。それでこの場の何もかもが解決するなら、そうしたかった。
だが、それも出来ない。
ともすれば叫びだした瞬間に切り捨てられかねない状況なのだから。
僕はただ、できの悪い彫像のように、天剣授受者を目前に身体を晒す事しか出来なかった。
レイフォン=ヴォルフシュテイン=アルセイフ。
何故此処に、何度もそればかり考えてしまう。何故こんな所に居るのか。
解るはずも無い。天剣は女王陛下の御意思で持ってのみ鞘から引き抜かれる。
至高の十二振り、その一振りが此処にあるのだから、それは女王陛下のご意思によってだろう。
常識的に考えればそれ以外の答えなど存在しない。
だが、理由が解らない。
天剣授受者が、そうだ、何かがおかしい。何処が?
表情を感じさせない、俯き顔。中肉中背、僕と然して変わらぬ、その姿。服装。白い服。白は天剣授受者の戦闘服。ならばおかしくは無い。いや、待て。握られた、剣。空いた剣帯。
レイフォン=ヴォルフシュテイン=アルセイフ。
天剣授受者。
「天剣が、無い?」
僕の言葉に、俯いたまま表情を見せなかったヴォルフシュテイン卿の肩が、ピクリと揺れたような気がした。
それが、違和感の正体。
天剣授受者を天剣授受者足らしめる、究極の錬金鋼、天剣が何処にも存在しない。
都市外には、グレンダンの外には持ち運ぶ事は禁止されている、そう言う事なのだろうか?
そうなのかも知れない。
だが喩えそうであったとしても、レイフォン=ヴォルフシュテイン=アルセイフが目の前に居る事には変わりない。
天剣授受者の豪奢な刺繍の施された白の戦闘服とは違うけれど、矢張り白の、武芸科の制服・・・いやいや、ちょっと待て。
武芸科の、制服だと?
「なんで、武芸科の制服なんか・・・?」
「カテナ。そいつは一般教養科から武芸科に転科したんだ。入学式での騒ぎを収めてな」
壁際から、エリプトン先輩がそう、説明してくれた。
おどけているようにも見えるが、その目はまずは落ち着けと、僕の心情を正確に理解しているように見える。
狙撃銃を肩に担いで、その手はグリップを握っており、指は、引き金に直ぐに掛けられるようになっていた。
その姿を確認した拍子に、彼の傍に居たフェリの姿が見えた。
不安げな、こちらを心配しているような、そんな顔を、無表情の中に織り交ぜている。
フェリさん。そんな顔を見るのは、そう言えば初めてだ。
その顔を見て、時も場合も考えずに、僕は、衒いの無い笑い顔を浮かべてしまった。
まずは落ち着く事。
目の前の、天剣授受者以外の何者でも無い存在を、もう一度よく観察する。
うん、間違いなくヴォルフシュテイン卿である。
そもそもグレンダンの人間が、あの無個性と言う言葉とは間逆の位置に存在する十二人の事を見間違えるはずも無い。
つまり今、この学園都市ツェルニの、第十七小隊訓練場で、僕の目の前に錬金鋼を握って立っている少年は、間違いなくレイフォン=ヴォルフシュテイン=アルセイフなのである。
その顔は、いつかモニター越しに見たように、何ものも寄せ付けぬような能面の・・・いや、待て。うん、少し待とう。
その顔。額から頬にかけて、幾本もの青い縦線が引かれていそうなその顔。
それは、そう。
余りのショックに表情を失ってしまったような。
そんな間抜けな顔をしていないか、目の前のコレは。
・・・・・・さっきまでとは別の意味で混乱しそうだ。
この御方、こんな表情を作れたのか。そんな訳の解らない感慨が起こりそうですらあった。
今まで天剣授受者に抱いていたイメージが、音を立てて壊れて行きそうな・・・。
壊れて、いきそうな。
壊れてしまったような。
其処まで考えて、何かを理解してしまった。
僕は錬金鋼から手を離し、目の前の存在に問うた。
「・・・レイフォン、アルセイフ君?」
怯えるような、恐れるような、戸惑うような。
そういう綯交ぜな雰囲気の瞳が揺れて、僕を見ている。
ああ、と。
やはりかと。
僕は理解してしまった。
「・・・ヴォルフシュテインじゃ、無い」
その問いに彼は、泣きそうな顔で、頷いた。
僕は大きなため息を吐いた。
ヴォルフシュテインじゃ、無い。
レイフォン=アルセイフはヴォルフシュテインじゃぁ無い。そうでは、無くなった。
「すいません隊長。どうも勘違いだったらしいです」
アントーク隊長に振り向いた僕は、肩を竦めて苦笑いを浮かべながら、言った。
彼女も流石に不審気な顔をしていたが、僕が何でもないという風に壁際に引こうとすると、そうかと一つ頷いた。
場を仕切りなおすように咳をした後、気合の入った声でレイフォンに構えるように促す。
その姿を、漠然と見送りながら、僕は心配そうな顔をしているフェリさん達の元へと戻っていく。
「で、どう言う事だよ?」
狙撃銃を待機状態に戻しながら、エリプトン先輩が僕に問う。
僕は長椅子に座っていたフェリさんの隣に腰を落としながら答えた。
「どうもこうも、僕の方が説明してほしいですよ」
前髪を撫で上げやれやれと天井を見上げていたら、横から差し出されたシルクのハンカチが、僕の頬を撫でた。
汗を、冷や汗を流していたらしい。
「どういう理屈で動いていたのか理解しかねますが、貴方らしくないですよ」
汗を拭いてくれるその手を額まで伸ばしながら、窘めるようにフェリさんは僕に言う。
急にその手に触れたくなった。自分の手が震えていることに、気付いたから。
すいません、本当に申し訳ないと思って謝罪の言葉が勝手に口から出た。
目線を、ヴォルフシュテイン卿達に戻せば、アントーク隊長が高速の刺突を彼に叩きつけているのが見える。
当たり前のように、それをガードしている。
だがそれも初撃まで。そこで彼を動かす発条が途切れてしまったという事なのか、次々と繰り出されるアントーク隊長の攻撃を前に、無様に後退していく様が見えた。
「・・・遠くから見てれば解るな。つまりカテナ、お前さんと同じで、奴さん手を抜いてるってことか」
エリプトン先輩が考え込むような呟きを漏らした。
未熟な学生武芸者に追い詰められる至高の天剣授受者。
眩暈がしそうなほど狂った光景だ。
・・・・・・何てことはない。
彼はきっと、壊れてしまったのだ。
壊れて、きっと捨てられて、そして、此処へ流れ着いた。
だが喩え壊れていても、天剣であった事実は変わらない。
その事実が後にどのような変化を呼び込むのか、今の僕には全く想像もつかなかった。
※ レイフォン=ヴォルフシュテイン=天剣=超強い=犯罪者
全てイコールで結べる人間が実はまだ17小隊には居なかったり、というのがポイント。
そんな訳で、感想を見た限り一話初っ端の出オチ感を無事演出できたようで、一人でガッツポーズしてます、作者です。
まぁ、アレです。主人公(偽)と主人公(真)が出会うって言うのは既に確定された事実だったので、普通にやっても今更誰も驚かない。
それじゃぁどうするか、と言う事でチェス盤を(物理的に)ひっくり返してみたら、ああいう変則的な形になりました。
しかし、今回は一話丸々主人公が混乱し続けていたお陰で同じ単語を延々下記続ける羽目になって大変でした。