― クロムシェルド・レギオス:Interlude 1 ―
レイフォン=アルセイフにとって、この現状は、全く許容できる物ではなかった。
彼は全てを捨てて、否、捨てさせられて、此処へ来た。
学園都市ツェルニ。
此処に、既に終わってしまったものを、この後もずっと終わらせ続けるために。
そのはず。
そのはずだった。頭を抱えて思いつく限りの罵詈雑言を思い浮かべてみても、最早それは叶わない事は、レイフォンには理解できてしまった。
一体何故、こんな事に。
真新しい白い制服は、彼の身体に驚くほどフィットしており、彼の腕を掴む、細い指は、驚くほど力強い。
昼の日差し輝く、自立移動都市の河川敷の遊歩道を、彼は年上の少女に手を引かれて歩いていた。
ニーナ=アントーク。
金色の短髪。力強い瞳。彼女はそう名乗った。
この男を私に下さい、そう、生徒会長室の主である銀髪の男に宣言した後、レイフォンの手を掴むや否や、部屋を飛び出していって、此処にいたる。
自分と同じ、白い制服。違いは、性別と、それから、胸元の銀バッジ。
その違いの理由は解らないし、ついでに、腕を引かれて何処へ連れて行かれるのかも解らない。
そもそも、ニーナがレイフォンを必要とする理由は何だ?
生徒会長が、自分の事を知っていた理由は何故だ?
何もかも、解らない事だらけ。見知った人が一人も居ない場所に放り出されて、訳の解らない状況に巻き込まれ続けている。
レイフォンは、急に不安になった。
腰に巻かれた剣帯に、錬金鋼が差し込まれていない事が、これほど不安に感じるとは。
あの頃は、グレンダンに居たころは、剣さえあれば全てが解決したのに。
いや待てレイフォン。
僕はそれで失敗したから、このツェルニに着たんじゃないか。
いや、でもさ。だからってこの仕打ちは、一体、何時まで続くのさ?
ありていに言って、レイフォンは泣き出しそうだった。
こういうときは、楽しい事を考えよう。そうだ、リーリンに手紙を書かないと・・・。
涙を堪えて現実逃避がてらに空を見上げたレイフォンは、エア=フィルターの気流が巻き起こす涼風の中に、淡く輝く花びらが散っているのに気付いた。
その花びらは、幾度かレイフォンたちの頭上を舞った後、ひらりと川沿いに流れ始めた。
視線を戻し、その行方を追う。
都市深部の空調を司る排気口、その大きな円周の傍らに、錬金鋼を握った銀色の少女の姿が見えた。
レイフォンたちを、じっと見ている。
その瞳は憐憫とも哀れみともつかない・・・強いて言えば、諦観に近いか。そんな表情で、レイフォンを見ている。
思わず立ち止まってしまったレイフォンに、腕を引っ張っていたニーナも気付いた。
「フェリか。・・・あんな所で何をしているんだ」
レイフォンがニーナに視線を移すと、彼女は銀色の少女を手招きしていた。
どうやら、知り合いだったらしい。
トコトコと近づいてきた少女は、ニーナと二言三言会話した後、グルリと首を動かして、無表情にレイフォンを見上げてきた。
何ともいえぬ存在感に、思わず一歩たじろいてしまう。
「・・・ご愁傷様です」
だが、結局。少女はその一言でレイフォンから全ての興味を失ってしまったようだった。
ご愁傷様。まさに今のレイフォンに対して相応しい言葉である。
見知らぬ少女にそれを言われたとあっては、レイフォンには戸惑うしか出来ないが、ニーナが簡単に説明してくれた。
あの生徒会長の、このフェリ=ロスという少女は、妹らしい。そう言えば、風に靡く銀色の髪がカリアン=ロスにそっくりである。
「では錬武館へ向かうとしよう。フェリ、お前もこのまま来てくれ。シャーニッドとハーレイはもう向かっているはずだ。後は・・・」
「遅れてくるそうですよ。さっき、都市警察の人間と談笑していました」
はぁ、と。
フェリの言葉にため息を吐くニーナ。
全くどいつもこいつもと、なにかブチブチと呟いている。
レイフォンはますます、このわけのわからない状況を嘆きたくなった。
錬武館。武芸科生徒が訓練をするために使用する施設。
其処でレイフォンたちを待っていたのは、狙撃銃型の錬金鋼を弄っている金髪の伊達男と、つなぎ姿が様になっている人の良さそうな男だった。
フェリは壁の端に備えられた長椅子にペタリと座り込み、肩に担いでいた学生鞄から雑誌を取り出し、無表情に読み始めた。
ニーナはまた一つ、ため息を吐いた後、レイフォンに言った。
ここ、パーテーションで区切られたちょっとした広さを持つ空間は、彼女らが所属するツェルニ第17小隊の専用の訓練場らしい。何でも第17小隊はまだ出来たばかりの小隊で、なるほど確かに、この空間は何処か新しい感じがする。
此処が何処で、彼らが何者なのかは理解できた。
だが、レイフォンには理解できない、否、理解したくない事があった。だから、聞く。
「あの、それで、僕はどうしてここに呼ばれたのですか?」
金髪の伊達男、シャーニッドの笑い声が上がる。
足をばたつかせて、大爆笑である。ニーナが苛つくように肩を震わせた。
怒鳴りつけるニーナ、軽々とあしらうシャーニッド。
そしてシャーニッドは自らレイフォンに名乗り、何故お前がここに居るのかと、その理由を口にした。
レイフォン=アルセイフ。お前をスカウトするためにここに呼んだ。
その言葉に、レイフォンが目の前を真っ暗にしている間に、ニーナは次々と言葉をつなげて言った。
さあ、好きな武器を取れ!
壁に立てかけられた様々な模造武器を示しながら、ニーナは自身の腰元から二本の錬金鋼を引き抜き復元する。
壁に立てかけられた、幾本もの、様々な種類の、武器。
それがつまり、お前の現実だと、逃げようも無い、お前の限界だと、そうあざ笑っているように、レイフォンには見えた。
「すいません、遅れました。もう遅いと思うので、帰って良いですか?」
そんな声が聞こえてきたのは、レイフォンが投げやりな気分で簡易模擬剣を選び取った時だった。
訓練所に居た全ての視線が、入り口に集まる。
其処に居たのは、ストレートの黒髪を肩口で切りそろえた、細身の・・・恐らく、男性。
顔立ち、立ち居振る舞い共に何処か女性的なものを感じさせるが、その声も、着ている白い武芸科の制服も、男性の物である。
男はやる気のなさそうな顔で訓練所に踏み込んできて、無表情に雑誌を捲っていたフェリに声を掛け始めた。
訳がわからない、と言う視線でニーナを見るレイフォン。
ニーナはため息を吐いた。
おい、カテナ。
そういう名前らしい。ニーナはフェリに蹴りを貰っている中性的な男を呼んだ。
今から新入生の入隊テストをやるというニーナに振り向いたカテナは、ついでレイフォンの方に視線を移して・・・愕然とした顔を浮かべた。
そして引き攣った声、かすれるような響きで、ニーナに問う。
「隊長、あの、これはどういう・・・」
カテナはふらふらと、壁際からレイフォンたちに近づいてくる。その手が腰に十字に巻きつけられた剣帯、その両サイドに備えられた錬金鋼に伸びていることに、レイフォンは気付いた。
「どうもこうも無い、このレイフォン=アルセイフは入学式の騒ぎを速やかに抑え、そして武芸科に転科する事になった。そこで、我が17小隊でスカウトする事にした」
「そういう事を聞いているんじゃない!」
だがカテナは、頭を振ってガラスが弾ける様な声で叫ぶ。
訓練場に居た全ての人間が、驚いたように彼を見る。
レイフォンはあずかり知らぬ事だったが、カテナ=ハルメルンを普段から知る人間にとっては、彼が此処まで取り乱すという事態は尋常な状態ではなかった。
そしてカテナは。明らかにレイフォンと対峙するかのごとく、ニーナと彼の間に身体を割り込ませ、その言葉を口にした。
「どうしてこんな所にヴォルフシュテイン卿がいらっしゃるんですか!!」
ヴォルフシュテイン。
それがつまり、僕の現実。逃げようも無い、僕の限界。死に体のレイフォンをあざ笑うかのように、拭えぬ過去は何処までも彼に纏わりつく。
レイフォン=アルセイフの視界は、今度こそ無明の闇に閉ざされた。
― Interlude out ―
※いざ、開演。