広大な縦穴。
穴。そうとしか形容の仕様がない、深く、広く、そして暗い。
斯くも広き縦穴の中を、幾本もの、本来であれば余りにも巨大なと形容されるはずの配管が、蚯蚓の様に走り回っている。
天を見上げても決して日の光が届く事は無く、この縦穴の最深部、この、円形の広大な空間は、ポツポツとともる作業灯の明かりに照らされて不気味に、神秘的にその姿を映し出している。
それは、あらゆる危険からその身を守るための絶対防護のシェルターのようにも、フィルム画像でしか見た事がない古代の神殿に安置された巨大な管楽器のようにも見える。
自立移動都市、その中枢。巨大な、しかしとても小さな人類の生存圏を制御する、電子精霊が住まう場所。
僕は今、其処に居た。
「機関部ですか?」
「おう、先日納品された配管の設置作業が本日行われる。お前、その作業の監視役やって来い」
その日、都市警察強行突入課の事務所に出頭した僕に、先日出世したばかりの上司が徐に告げた。
お前、今日は機関部行って来い。
何時ものように唐突で、多分、こちらが逆らう事など考えていないのだろうし、まぁ僕も、逆らうのが無駄だとは解っていたが、それでも一応聞くべき事はある。
「そんなの、巡察課の仕事じゃないですか。ウチは血と硝煙の香り燻る強突課ですよ?」
仕事始めの頃はまったく気づいていなかったが、都市警察にも色々な部署が存在する。
巡察と言うのが所謂、商店街などを巡回している『街のお巡りさん』であり、僕が所属している強行突入課は、文字通り荒事専門の危険な部署である。
危険な部署である強突の方が配属希望者が多いと言う辺りに、武芸者と言う生き物の性が感じられる。
僕は何度巡察への転属を希望しても通らないのになぁ。
先日昇進した上司のガレンさんは、そんな事は解っていると肩を竦めた。
「この時期は放浪バスの往来が増えるだろ?連中、交安と入管の方に人を貸してて人手不足らしいんだよ」
都市外からの来訪者が増えれば、それだけ警備や調査に人を取られる。だからと言って内側を見張る人間が減ってしまうと言うのはどうなんだ。
「それで、最近暇なウチですか」
「ああ、近頃は怪しい実験をして煙出してる錬金科の馬鹿共くらいしか問題起こすヤツもおらんからな。都市警察皆で仲良く協力しましょうってヤツだ」
顔に似合わぬお題目に思わず噴出してしまった。
「そりゃぁ良いですね、仲良くするのは大好きです。…で、本音は?」
「業者が前回と違う、請負代金が安すぎる。ついでに納品は本来一週間後を予定していた」
都市根幹の整備保全に関する物品は、学園都市連盟を仲介した業者によって納品される。
だから、普通に考えて心配は無い筈なのだが、事は何しろ都市の根幹に関わる事柄である。
慎重を期するに越した事は無い。
…と、言うか。
「ダウトですよね」
「おそらくな。八方手尽くして当たって見たが、業者の名前を確認できなかった。お上はアレで案外お役所仕事が過ぎるからな。心配しすぎて余りあると言う事は無い」
だからこそ他称都市警のルーキーこと、僕らしい。
「小隊員を貸し出してくれと生徒会長に申請したが、手持ちの戦力で何とかしてくれと言われてしまってな。なぁに、都市の心臓部に何かを企む様な不貞の輩だった場合は遠慮は要らん、殺れ」
許可は取った。
その言葉とともに錬金鋼の安全装置解除許可証を僕に手渡してきた。
「…最近、僕の扱いが生徒と言うか、ナガレの傭兵になってきている気がする」
続々と運び込まれ、くみ上げられていく鉄パイプを見上げながら、そんな事を呟いていた。
目の前には良く解らないけど、何か凄いと思わせる機関部の中枢の姿が見える。
少し視線を上に上げれば、遥か上方からクレーンで吊るされている、清掃用のゴンドラがミニチュアのような心細げな姿を晒している。
…そう言えば、アントーク先輩がここでバイトしてるって話だっけ。上流階級の人間に見えたけど、アレで結構苦労人なんだろうか。もっとも、今日はこっちの作業があるせいで清掃業務は休みらしいが。
そうこうしているうちに、件の業者は我が都市の土建課と協力して、古い配管と新しい配管との交換作業を終えてしまった。
…何も、無かったな。
無駄足掴まされた。後でガレンさんに嫌味でも言おう、僕は大きくため息を吐いた。
工事の音がやみ、機関部最奥は静寂に包まれる。
ポツリ。
ポツリポツリと、作業灯の火が落ちて、辺りは暗闇に包まれていく。
人の気配が消える。此処には誰も、底には誰も、生き物の気配は無い。
静寂。
それは己にとって、とてもとても懐かしい空気だった。
腹の中で、何かがそう囁く。
己は何時も此処からこうして、天井を、天上に住まう人々を見守ってきた。
過ぎし日の残照を思う、その時。
ふわりと、金糸が虚空を舞う。
視界の端に金の燐粉が跳ねるのが見えた。
踊るように舞うように、ソレはゆっくりと、己の前に姿を現した。
金色の、少女と言うより形容の仕様が無い、明らかに少女ではない存在。
之は己とは似て非なるもの。
之は持つもの、己は持たざる、いいや、まだ一人だけ。
金色の生き物は、己の周りを優雅に飛び回った後、困った顔で己の後ろを指差した。
振り返る。己の視界に。
仮面。狼の仮面。あらゆる物を喰らい尽くすもの、その眷属。
漆黒の巻頭衣に身を包み、その姿は不細工な紙人形の様にも見える。
「レストレーション」
とても自分の物とは思えない、鋼質な声が己の口から発せられていた。
腹の中の蛇は今や立ち上がり、己の眼前に愚者が有らば、その喉下を引きちぎれと吼え滾っている。
応。
応とも、あれは敵だ。
狂気を棄てて蹲る様な歪な存在で在ろうとも、眼前にソレが立ち塞がったとあれば、牙をむかぬ道理は無い。
ゆらりと陽炎のように歪む男の姿。
何時の間にかそれは一つではなくなり、ぐるりと己を、己と少女を取り囲むように集団と化していた。
次々と錬金鋼を復元していく男たちから庇うように、己は金の少女を背に隠す。
今や戦場は七色に歪むオーロラのカーテンに包まれていた。
好都合だ。
イグナシス、最早貴様には、一欠たりとも与える物などありはしない。
一斉に飛び掛ってくる、狼面の男たちに対して、己は白光の螺旋を滾らせて、獰猛な獣の笑みを浮かべた。
―――――――――――――。
『…すると、何も無かったのか』
「ええ、お役所仕事も馬鹿になりませんね」
僕は苦笑いを浮かべながら、機関部管理室の端末から都市警事務所のガレンさんと通信していた。
結局、業者には不審なところは一つも無く、僕は唯、数時間の間作業を眺めてぼーっと突っ立っている事しかやる事が無かった。
まぁ、何も起こらなくて良かったといえば、そうなのだが。
『何も無かったのなら幸いだろう。無駄手間を取らせて済まなかったな。そのまま帰還して構わん。…心配するな、手当ては弾んでやる』
ガレンさんも同じように苦笑しているのだろう、やれやれとばかりに言ってきた。
「解りました、それじゃ、失礼します」
『ああ、お疲れ』
カチャリと電子音が響き、通話が終わる。
僕は端末を置き、傍に居た事務員に謝辞を述べ、管理室を後にした。
暗い縦穴を抜けた先。明るい日の光が満ちている。
人々の生活の営みが、確かに見える。
退屈な時間をすごしてしまったせいなのか、全身が疲労感に包まれていた。
今日は授業を休んで、一日中寝ていよう。
ゆっくりと日常へ回帰していく僕の視界に、金糸が一つ、舞ったような気がした。
※ やる気が無いのと、やらないのとは違う、と言う話。
「ツェルニで無いの?」と言う質問が来ていたので、そう言えば出してなかったなぁと気付いて出してみた。
・・・何か余計な物まで出てきた!?
まぁ、オレキャラと原作キャラがひたすらラブラブしていると言う描写も二時創作的に色々アレなんで、
緩急つける意味でも、という事で後から差し込んだ話だったりします。
もう出る人は出たんで、そろそろ『その日』まで一直線なんでねー。
ところで、感想にあったゴルネオの強さに関してなのですが、正直よく解らないんですよね、原作読んでると。
まずもって、グレンダンの深い部分を知りえている彼が何故ツェルニに居るのか・・・。
そして汚染獣襲来時に活躍していたという描写も無い。でも学年的に二十歳近いんだから、武芸者的な
ピークも近い筈だから、弱いとも思えないし・・・。
アレたぶん、原作の人も余り深く決めてないんでしょーねー。