一方的にしてやられた先の会戦。いえ、会戦というにはあまりにも小さな戦い。この戦いに於いて、私たち連合軍は大きな痛手を被った。
兵は一人として失っていない。物資は微塵も減っていない。兵糧は一粒もなくなっていない。にも拘らず士気は大いに損なわれた。
一矢の下に牙門旗を圧し折られた。連合軍に名立たる武将たちが、飛将こと、呂奉先一人にあしらわれた。
この結果、呂布の強さは強烈に兵士たちの内に恐れを刻んでしまった。そのせいで背後を見せて悠々と去っていく敵に手を出すことも出来ず、進軍も一時止めざるを得ないと思っていたのだけれど。
「まだまだ見縊っていた、ということね。麗羽を」
最前列を進んでいた先までと違い、麗羽たちの軍の後ろを進みながら、私は素直に賞賛した。
崩れた士気を立て直すのは容易ではない。だがそれでも行軍ができるまでには立て直して見せた。麗羽自らが先頭に立って進む事によって。
「このような事、華琳様の兵なら指揮官をこのような危険に晒す必要は生まれません」
そう言うのは桂花。その言葉に異論はないわ。即座に戦う事は無理でも、春蘭や秋蘭で充分上手くやってくれるだろう。だが、果たして自分で考えたのか、それとも誰かの入れ知恵か。兎も角として麗羽は自分の危険を顧みない行軍を行っている。
もし、今が乱世へ続く時代でなければ、素直に友の成長を喜ぶことが出来たのかしら。
いえ、有りもしない仮定の話を考えても無駄ね。
「秋蘭、貴女は前に上がって麗羽を守ってちょうだい。ないとは思うけど、万が一にまた呂布が出てくれば、せめて逃がさなければいけないわ」
「承知しました。姉者、華琳様を頼むぞ」
「うむ、任せておけ」
応える春蘭の声に笑みを浮かべ、馬の腹を蹴る秋蘭。
「華琳様、そこまで袁紹に尽くす必要はないのでは?」
「麗羽が死ねば私たちの負けが決まるわ。そうすれば私たちは逆賊。麗羽には生き残ってもらわないと困るのは分るでしょ?」
隣で尋ねてくる桂花にそう答えた。そう、これは必要な事だと判断したから。そう、これは合理的な判断なのだから。
詠視点
「つまり、王尚書令にわざと情報を漏らし、その決起に便乗する形で後宮に篭った董卓を討つ、ということだが……」
「その場合、どのような形で漏らすですかね。私も含めてこの中で王允に繋がり持ってる人います?私の言葉は多分、向こうが信じませんよ?」
今、王宮の一室でボクたちは『董卓打倒』の策を詰めていた。
この場にいるのは西涼閥のボクと張済、李儒。協力を条件に天牢から釈放した董昭公仁と荀攸公達。片や武装蜂起を扇動しようとし、片や暗殺という、異なる手段で『董卓』の抹殺を試みた気骨の士。
どちらも失敗したとは言え、董昭は智謀の士ではなく弁舌の士であり、荀攸は共謀者の裏切りが原因。少なくとも無能の輩と言う訳じゃない。
唯一、同じく天牢に繋がれている中で、儒家に影響力を持つ司馬孚の協力を取り付けられなかったのが残念だった。
「王允は公達殿を売る事で董卓に近付くことを狙ったっス。結果として後宮への出入りを許されたっスね。儒家の名門に生まれ、辺境の蛮人と、我ら涼州閥を蔑んできたあの爺さんが本心でうちらの風下に入ることなどあり得ないと思うっスけど……」
そう口にしたのは狐目とちょこんとした小振りな唇が印象的な少女。鼻に小さな丸い黒眼鏡をかけ、紫の布で髪を頭の両端で包んでいる。
馬韓の乱から陣営に加わった謀略の徒、李儒。当時次々と砦を落とされる中、砦をよく守った数少ない指揮官でもあった。
「アイツの対応はアンタがやれば問題ないんでしょう?この所、結構な額の賄賂が贈られたんでしょう」
「ええ、そうまで董卓の普段の所在を掴みたいんっスねぇ。お陰で私の府内は結構な貯蓄が出来たっスよ」
にまにまと、だけど感情の篭らない笑顔を貼り付けている李儒。その表情に合わないハキハキした物言いと、気だるげな仕草。まるで合わない継ぎ接ぎのような奴だけど、能力は確か。
そして王允は、董卓誅殺の突破口を李儒に定めた。なら彼女に王允の動きを操作させれば良い。
幸い、と言っていいかは和からいけど、王允には若干の私兵を持っている。他の清流派官吏も、戦力を有している者達も王允に追従する筈。
「今の所はうまく制御できてるっスよ。時が来れば、すぐにでも情報が漏らせる用意があるっス」
「けれど我々にも余裕はないでしょう。聞けば、并州閥との関係は決して強固な物ではないのですよね」
董昭と同じく、白地に囚の字が描かれた囚人服のままで会議に参加してもらっている荀攸は、こちらの戦力の確認をしてきた。
「ええ、呂布を肇とした并州閥は私たちとはあくまで密約で結んだ同盟関係。執金吾だった丁原の仇をとる代わりに戦闘に協力してもらってるだけ」
元々の主を殺された仇討ちがあるとは言え、状況が逼迫すればこっちを見捨てて洛陽を離れるかも知れない。所詮は密約だし、更に言えば派閥の代表者たる呂布や、次いで発言権のある張遼は多分、兵たちを犠牲にしてまで仇討ちに固執しないだろう。参謀役の陳宮も、退き所を誤ることは多分ない。
「国舅の董承も焚き付けましょう。根本が欲呆けた小物です。王允以上に扱い易いでしょうな」
董承も、宮中で相応の勢力を有する立場にある。そして何進死後、自分が宮中の権勢を握ろうとしたようだけど、結局宦官に出し抜かれた程度の奴。だからこそ扱い易い。
やたらと董姓多いけど、誰一人血縁って訳じゃないのよね。
「そうね。董昭、貴女の投獄はまだ誰にも伝わっていない筈よ。国舅の誘導は任せられる?」
「勿論。言いだしっぺですし、当然自信あってですよ」
「……確認しておくけど、貴女の家族はこちらの管理下にあるわ。分るわね?」
余りに緊張感のない態度に、一応釘を刺しておく。
「心配性ですね~。こういう企み、下手したら私も命がないんですよ?手は抜きませんって」
イッシッシと、信用ならない笑みを浮かべる。
本当にドイツもコイツも素直に信用したらいけないような雰囲気の奴ばっか。張済が洛陽に残せたことだけが救いだわ。洛陽内のなけなしの涼州兵は全て彼女の下に付けている。いざと言う時の切り札として。
その後、一応の方針が決定し、会議は解散。洛陽組の前では話せないことがあるから李儒と単独で話をしようとしていた所を、そいつは声を掛けてきた。
「あ、文和殿、一つお尋ねしたいことがあるのですが、よろしいですか?」
声を掛けてきたのは董昭。色々と油断ならない相手。
「何?貴女にはすぐに動いてもらいたいんだけど」
国舅の董承は小物。だからこそ効果的に使うには早めに仕込をしておきたいんだけど。
「いえ、まあ他の人がいると訊き難かったんですけどね?私たちが、いや、貴女たちが、が正しいんですかね?兎に角、どうにかしようとしている董卓って、結局誰なんですか?」
自分の唾を飲む音が、遠くから聞こえた気がした。
「……貴女の言ってる事の意味が分からないわ」
平静を装うけど、上手くいった自信はない。
「おや?私の勘繰り過ぎでしたか?」
何もかも分っているとでも言いたげな笑みを浮かべる董昭。でも、全てを知られている筈はない。そんなへまはする筈がない。何よりあいつは天牢から出てきたばかりだ。充分な情報なんて集める時間があったわけがない。
「思えば私、董卓の顔を知らないんですよ。私だけでなく、この場にいる貴女方涼州組以外全員が。そして彼の顔を知っているであろう人間は、劉協陛下を除き、誰一人生きていない。少なくとも宮中では。興味そそります」
そう、確かにこいつの言う通り、董卓と面識のある人間は今の皇帝だけということになっている。他に馬騰と韓遂は涼州を動いていない。そう、董卓の顔を知っているのは私たちだけということ。
「貴女に伝えるべきことはない。陛下を救い出し、他の男を一人残らず首を落とせば同じ事よ。どうせあそこには董卓に追従する者しかいない」
「ふむ、道理、ですかね。そういうことにしておきましょう」
それ以上は追求せず、董昭は立ち去った。
「いいんスか?何処までかは兎も角、何かしら気付いた様子っスよ?」
本来呼び止める筈だった李儒が自分から声を掛けてくる。
「厄介になるかもね。でも、だからって処理できないでしょ。少なくとも今は」
私たちと洛陽組に、信頼というものは存在しない。何時互いを裏切っても不思議じゃない関係。それでも互いの利益になり得る関係だから手を取っているに過ぎない。
「んじゃ、取り敢えずは放置の方向で。そんで、場所を変えるっス。『月』の居場所を見つけたっスよ」
その言葉に、今すぐ叫びだしたい衝動に駆られた。
「確かなの?」
「だと思うっスよ?一応、他人の意見が欲しいっスね」
「分ったわ。張済、貴女も来て」
月が監禁されている場所。漸く先が見えてきた。まだまだ穴だらけの計画だけど、必ず上手く行かせて見せる。
嵐視点
洛陽目指して、陳留から連合軍が西進しているであろう今、私たちは涼州の董卓派勢力の鎮圧と牽制をして回っていた。
涼州の東南部を中心に、州の三割が董卓の勢力だ。州刺史でありながら州全土を掌握しきれなかったのは、彼女が正式に着任した期間の短さと、姉様の影響力の強さ、そして私が裏で色々と引っ掻き回したから、ねぇ。
それに対し、私たちは範姉様を中心に反董卓派を糾合、これに対抗している。尤も姉様の軍勢は反董卓連合にも回されているから、こっちの主力は反董卓派の各郡太守の兵になってるけどね。
そして私は今、董卓勢力化で最もでかい城である天水の付近に展開している姉様の下に足を運んでいた。
「姉様、連合の方の連絡が来たんだって?」
天幕に入った私は、中央で椅子に腰掛けている姉様に声を掛ける。
「ああ、愛華の纏めたのがな」
そう言って椅子の横に積まれていた幾つかの木簡を次々投げ渡してくる。
「あれま、姉様の言ってた事が当たってたみたいだねぇ」
そこに書かれていたのは陳留から発ち、既に汜水関での戦闘を始まったと言う内容だった。まあ、陳留から天水まで、どうしても日数が掛かるから、情報の新鮮さは期待できないけど。
まあ、そこは然して重要じゃない。想定できてた事だ。私たちにとって大きな意味を持っているのはその前の軍議に関するもの。
軍議で諸侯は董卓を『彼』と呼んでいたと言う。
「董卓は偽者。恐らくは宮中の誰かに身柄を押さえられた、ってことだろうね」
「そして董卓の名を隠れ蓑にして、先帝(劉弁)陛下を手に掛けた、ということだ」
姉様の声には確かな怒り。姉様は漢王朝に対する忠誠心が強いからねぇ。ほんと、私が唯一姉様の事で好きになれない部分。それさえなけりゃ理想的な君主になれるってのに。
「で、どうるのさ。連合に説明するのかい?董卓は偽者で、本物に罪はない、とかさ」
姉様は無言で俯く。姉様は情に篤いが、それだけで動くほど青くはない。
「……現状はこのままだ。董卓には借りがあるが、私事だ。それに、私の推測が真実だとして、董卓の罪がなくなった訳ではない」
そりゃそうさね。それが表に出たとしても、欺君犯上の罪こそ免れるかも知れないが、今度は軍勢を利用され皇帝の権勢を侵すに利用されたことになる。死罪には余りある過失だね。
「そうさね。一筆したためて、姉様とこのにお嬢にでも送ればいいんでない?事後、皇帝に董卓の罪を軽くするように訴える内容のを。それで義理は果たせると思うけど」
死罪を免れるかは兎も角として、九族誅滅は免れるかも知れないからね。
「考えておく。嵐、暫く軍を頼めるか?」
「姉様の頼みなら何なりと」
応えて、私は天幕を出た。そして自分の天幕に戻る。部下を通じて幾つかの命令を前線に送る。
積極的に戦う必要なんてない。ただ、時間稼ぎをしていれば、洛陽は墜ちる。并州勢が董卓についた事だけが想定外だったけれど、所詮それだけさ。
結果は決まっている。この戦いで、漢王朝は完全に止めを刺される。諸侯に土地を切り取られるだけの存在に成り下がる。
今の所は、事態は私の掌中に。
後書き
天気が安定しない今日この頃、皆さま如何お過ごしでしょうか?どうも、郭尭です。
久しぶりの吉川的の更新、暫くは嘘予告とかがメインだったので、お待たせしてすみません。
今回は主に連合以外の視点で描きました。前回までは「連合には時間がない」という感じでやってきましたが、「実は董卓側にも余裕はない」という回。
恋の強さに関しては……まあ、強くしすぎたかな、とは思っています。だが、書いた以上この実力差で通しますが。
華雄伝と相互ネタばれになりやすいので、今後は華雄伝の頻度が上がると思います。
それでは今回はこの辺で、また次回お会いしましょう。