天牢などとご大層な名前が付いてはいますが、実の所その中身はただの牢屋に他なりません。
「いや~、失敗しました」
白い囚服を纏い、木と鉄の枷で体を拘束され、藁の敷き詰められた牢屋に入れられたのはつい昨日のこと。
「まさか戦のこの混乱の中でも、事を隠しきれなかったとは。賈駆文和、涼州一の切れ者とは伊達ではありませんでした」
いや~、兵力を持たない舌先三寸で、董卓のような純武力相手に何処まで通じるか試してみたかったのですが。上手く行きそうな手応えはあったんですがね。
「所でさっきから私が独り言を大声でのたまう気違いみたいになっているのですが、何かしら反応を返して頂ければと思うんですよ。聞こえておられますかね、叔達(しゅくたつ)殿」
延々喋っていても反応を返してくれないお隣さん。お味方であった筈の王允殿に売られた方、洛陽に於いて儒の名家、司馬家の家督である司馬孚殿。董卓に政治を壟断されるまで、朝廷に於いて礼節を取り仕切る立場にあった方でも在ります。
「いや~、私は自分の舌先で天下をひっくり返してみたかった訳ですが、まあ、このようになった訳ですが。叔達殿、董卓を討つのは連合か、獅子身中の虫か、はてどちらでしょうな?」
「何処の誰であろうと構いません。あの男の暴挙を止め、王朝の社稷を建て直し、万民を安んじることが肝要なのです。天下を遊具にしか見れないのなら、貴女も董卓と如何程の違いがありましょうか」
おや、酷い。
「それは酷い誤解です。この董公仁、董卓みたいに俗な欲では動く心算はありません。私は誰かに感謝されるようなことがしたいだけなのです」
今、董卓ほど人に憎まれている者はいないでしょう。今、董卓ほど死を望まれている者はいないでしょう。
ああ、もし私が彼の者を討つ事が出来れば、一体どれ程の感謝と賛辞が私に贈られたか。
ま、そんなもの実際はどうでもいいんですけどね?そんなものもらって嬉しいのは儒者くらいでしょう。
「兎にも角にも、我らは董卓を討とうとして失敗した、云わば仲間みたいなものじゃないですか。少しは仲良くしようじゃないですか。万が一にも、我らにもまだ機会が巡ってくるなんてことも、あるかもですよ」
そう、万が一。機会があれば、私はすぐさま動く心算です。自身で武力を用いることなく、舌先三寸にて天下を遊戯する快楽、これを味わい尽くさずして何の弁舌の士か。
それにしても石の壁に隔たれているお隣様、つれないものです。言うこともお行儀良すぎて面白みもないです。まあ、儒の名家らしいと言えば、らしいのでしょうが。きっと今も、誰も見ていないのにお行儀よく正座してるんでしょうね。
あ~、やだやだ。つまんないですね。儒者との問答は、こんなもんですか。
さて、何か面白い事は起きないかと考えていたとき、彼女はやってきました。
小柄で華奢な体躯、二つの三つ編みになってる青緑の長髪、桃色の枠の眼鏡。
「おや、文和殿、こんな牢のまで足を運ばれるとは。一体何ごとですかね」
はてさて、まだまだ我が弁舌を振るうか否か。これが重要な訳でして。
「貴女たちに手を貸して欲しいの。董卓を討ちたいのでしょう?」
まあ、取り敢えず、面白い言葉が聞けました。
猪々子視点
汜水関を落として、既に一日が経っている。まあ、落としたと言っていいかは微妙な感じだけど。
敵の攻撃で痛手を受けた連中の部隊の再編が済んでないってことで、この関に足止めを喰らってた。けど、アタイや斗詩の部隊はそんな損害がないから、正直暇なんだよな。
姫様は公孫賛ん所の問題の話し合いをしている最中だし、斗詩は書類仕事の手伝いをしてる。丁度あの司馬の姉妹が出ばらっているから、アネキの見舞いに行くことにした。
「アネキ、アタイだけど入っていいかな」
アネキの天幕の前で声を掛ける。すぐに返事が返ってきて、アタイは中に入った。
「おう、どうかしたか?あ、お茶は自分で入れてな」
部屋には、喉に包帯を巻いたアネキが机の上に置かれた竹簡に目を通しながら、足で薬研(やげん)を動かしていた。鼻につく匂いがするけど、何か薬でも作ってんのかな?
「いや、どうにも暇になっちゃったからさ。アネキの様子でも見ようと思って。もう仕事してても大丈夫なのか?」
「大したことないって、軍医も言ってろ。それに仕事って言っても体使うわけじゃないんだしよ」
寧ろ首の傷より、馬から落ちた時の打撲の方がきついわ~、とどこか冗談めかしながら笑うアネキ。
「そんでさ、何時頃虎牢関に向かうんだ?アタイら正直やることなさ過ぎるんだけど」
だったら休めよ、その時間、と今度は呆れ顔になる。
「正直思ったより早く相手が逃げたからな。準備が整っても二日は動かない。ただ、二日後に動けない連中は置いて行ってでも動く」
二日か。まあ、その時に動けない連中がいるとしたら、今回の戦いで損害受けた弱っちい奴らか。まあ、いなくても問題ないな、あれなら。
「猪々子と斗詩は并州に駐留してたことがあっただろ?呂布と張遼か、有名所は。勝てそうか?そこら辺」
気が重い、と言う感じのアネキ。
「大丈夫だって!アタイと斗詩に勝てる奴なんて「正直にな」……」
アネキが不安そうだったから大げさに言おうとしたら叱られた。そりゃ~、アネキに褒められたいって下心はあったけど。
「張遼には武技で負けてはいない心算だよ、本当に。でも馬術の差かな、馬の上じゃ一人で勝てないと思う」
黄巾賊や、異民族関係で何回か共闘してるから、悔しいけどその強さは直接見てるから。
「……けど、正直呂布は、あれは……」
強い弱いの次元じゃない。はっきり言って、アタイたちじゃ……
「いつも自信満々な猪々子がその反応ね。病気にでもなって死んでくんないかね」
どうしたもんかなって呟きながら、アネキは竹簡を読み続けている。
「そういやアネキ、その作ってる薬って何?」
さっきから足でゴリゴリやって、何かの薬草をすり潰し続けている。
「今度の戦は大変そうだからな。試しに飲んでみるか?」
アネキの口振りからすると、戦に使う薬。ん~、痛み止めや血止めの類かな?
「やめとく。匂いからして苦そうだもん」
好き好んでそんなもの飲まないよ。だろうな、ってアネキは笑った。
黒羽視点
猪々子も帰った後、あたしは改めて現状の確認作業に戻った。一応怪我人ってことで仕事の殆どはよそ様に回された訳なんだが、それでも把握しておかなけりゃ不味い事は色々あるのだ。
先ずは味方。一応麗羽様をボスとして、他の連中が下に付くという構造なんだが、ちゃんとした組織じゃないからしたが横一列なのだ。そのせいで、いざって時に上下関係で面倒なことになりやすい。汜水関攻略で見方が混乱した時も、他に上位の指揮権持った人がいれば、被害は減らせたかもしれないのだ。
孟徳さんとか、孟徳さん、それと孟徳さんとか。
次に、ここに来てくれている諸侯の領土の問題。各州の支配者が、軍を引き連れて出張してきているため、地元の守りが手薄になっていることもある。
黄巾賊の残党などは、まだ完全に掃討しきっていないこともあり、地元の治安に不安が出てしまうのだ。
他にも権力闘争も。特に目立つのは伯珪さん所。幽州の軍事を実質取り仕切っている伯珪さんが居ないうちに、そこの刺史であり且つ皇族である劉虞様が対立している異民族と和平に乗り出そうとしていることとか。
まあ、幽州のタカ派の代表に何時の間にか旗頭にされていたと言う伯珪さんと、ハト派の筆頭劉虞様の対立は結構長いらしい。実際の所、伯珪さん本人は異民族との和睦そのものは構わないが、実際に血を流してきた将兵たちを鑑みないやり方に反発せざるを得ない、というのが実情らしい。でなければ頭である伯珪さんを振り切って、幽州内で変事が起きかねないと。
他にも寄り合い所帯だから、味方同士に過去の怨恨があったりと、(馬軍と孫軍とか)問題には事欠かない、と。
後は別行動をしている公路小お嬢様を始とした軍勢だが、定期連絡でのやり取りでは、向こうの行動は順調のようだ。
やっぱ多勢力連合は足並みを揃えるって部分で既に難易度が高い。今の所表立った問題はないが。まあ、ほんと表側だけは、だが。
次いで董卓軍。次の関門は虎牢関。汜水関と同等の設備を誇る漢朝有数の軍事拠点である。更に寄せ手側が狭い谷間に展開させられる為、汜水関以上に数の優位を展開し辛い。結果その堅牢さは、汜水関の比ではない。
勘弁だぜ。
そんで敵のメンバー。先ず、汜水関から撤退していった面々。
華雄、張繍、徐晃そして張遼。
後から判明した訳だが、この面子は次も多分出てくるだろう。実際戦場に出てきたのは華雄と張繍の二人だが。
さて、華雄と張繍、と名前だけ並べてみると些か地味な印象のある武将だ。
華雄は関羽に瞬殺される役だし、張繍は典偉の最期の引き立て役。だがこれはあくまで演義の話。華雄は普通に孫堅に斬られているが、それまでは汜水関をよく守ったと言うから、一角の将なのだろう。一方張繍に至っては、三国志最強軍師の一角、賈駆文和をして「陣頭指揮が曹操でなければ誰にも負けない」とまで言われる程、実戦指揮能力で高評価を受けているのだ。
なんでこの二人をただの引き立て役にいたのか、羅慣中。
次は徐晃。負けずの徐晃なんて漫画やらゲームやらで呼ばれるほどの逃げ上手。そんなキャラなのに戦闘能力も並じゃない。時代的に結構先のことだが、関羽を撃退することに成功し、その死の一因となった奴である。
そして張遼。合肥で孫権率いる十万相手に、兵八百を率いてリアル三国無双をやらかした化け物。腕っ節はとんでもなく強くて、おまけに頭も結構いい。そして并州出身だけあって騎兵の扱いにも秀でている(賈駆の見立てではそんな張遼ですら騎兵の扱いは張繍に及ばないそうな)のだ。武将として死角らしい死角が存在しないのだ。
そして虎牢関からはほぼ確実に呂布が投入されるだろう。流石にここで更に温存と言うことはないだろうし。
正史に於ける呂布は、人格面に大きな問題があれど、殊戦闘能力はリアルチートと言うのが、日本人の一般的な印象だろう。もしくはあれだ。私欲のままに行動した、ダーク上杉謙信。政治関連は兎も角、本当に強かった訳だよな。
少なくともこの世界の呂布は、猪々子に別次元の強さと認識されるくらいには強く、一人で三万の敵を壊滅させたなんていう噂さえ聞くことがあった。
まあ、一人で三万ってのは流石にただの噂でしかないんだろうが、やはりそれが一定の信憑性を持って語られるくらいには強いということは確かだろうし。やはり演義のように、関羽と張飛を充てるべきか?その場合星も危なくなるかも知れないのがな。
さて、敵の面子の殆どは、騎馬の扱いがとんでもない連中だ。本来なら虎牢関との間にある狭い谷間で上手く動かせるとは思えないが……実際の所は馬軍に動いてもらって確認するべきだよな。涼州から天下に鳴り響く騎馬隊の力、并州騎兵もほぼ同等と見た方がいいだろう。
さて、欝になりそうなぐらいとんでもな連中が敵に揃っている訳だが、幸いにして、今現在という縛りがあるが味方も豪華ではある。
馬軍と曹軍、こちらで最も強いのはこの二軍だろう。どっちかを充てれば、張遼か徐晃を止めてくれるくらいは期待している。
他は……まあ、手元にいない孫軍とかは、今は考えるだけ無駄か。
「上手くやれればな」
タイミングが上手く嵌れば、虎牢間をやり過ごせる。早すぎればこっちが余計な被害を受ける。遅すぎれば公路様たちが危ない。あ~、ケータイがとかGPSとか欲しい。
溜め息一つ。
竹簡を机に放り出して、足元の薬研に目を移す。嗅いでるだけで味覚に苦味を感じさせそうな匂いの発生源。出血個所に塗り込めば痛み止めと血止めの効果のある薬草である。序でに口に入れると凄く不味い。間違ってももう一杯だなんて言えないくらい。
まあ、これ単体でも役に立つのだが、応急処置用の薬が欲しいのではない。
中国の言葉で『是薬三分毒』と言う言葉がある。どんなに良い薬でも、そこにどうしても消すことの出来ない毒がある、俗に副作用と呼ばれる物があるという言葉である。まあ薬と毒の差など人間の体調を変化させると言う効能が、本人にとってプラスかマイナスかという方向性の違いであって、本質的には同じものなわけだ。
人を治療する為に使う麻酔も、量を間違えれば毒に他ならない。
今回私が欲しいのは毒としての効能なのだ。痛みを止めるという事は即ち感覚の鈍化。止血の効能は血管の収縮。結果、運動能力の低下を招く。
まあ、医薬品として使われるものだ。その毒としての効能など高が知れている。これから色々混ぜたり何なりするわけだ。
それ程顕著な効果はないが、長く体内に留まる麻痺毒が出来上がるのだ。例え虎牢関で仕留め損ねても、次の洛陽で確実に仕留める。そのために三四日は効果を発揮し続ける毒だ。武で戦火を巡る将が、その武を鈍らされたら、それは致命的な筈だ。
本音を言えば、使わないで済むならそれに越した事はない。正直、イメージが悪くなって、袁家の評判に繋がることもある。だがまあ、猪々子や斗詩、仲間の命には、替えられないか。
溜め息一つ。あたしは立ち上がり、薬研の中身を布に包み、中身を用意してあった小さめの壷に翳して絞る。ポタポタと、黄緑がかった液体が滴っていく。
溜め息一つ。天幕内の匂いが酷くなっていく。さて、次の材料を用意しないと。
「お~い、儁乂、見舞いに来た、くさっ!?」
うん、その手の反応痛いです、伯珪さん。
後書き
もうじき花粉が気になりだす季節な今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか?どうも、郭尭です。
久しぶりのこの作品、無計画に連載を増やしてしまったがために随分と更新頻度が下がってしまいました。
内容としては、虎牢関までのインターバルです。それにしても拾いたい史実イベントをやろうとするとどうしてもオリキャラが増えてしまう。ここまで増やす心算はなかったのに、というかまだ外せないオリキャラが控えているのに。
さて、そんな史実ネタの収集元である三国志(史書の方)。赤壁関連を調べてたら凄いモンが書いてあったのです。フル漢文なので周瑜伝などの大凡の意味だけを抜き出します。
「赤壁の戦いでは孫権軍の援護を受けた劉備軍が、曹操軍相手に大勝した」
なんと劉備軍が正面切って曹操軍を打ち破ったのだと。ずっと劉備軍って美味しいとこ取りしただけの連中って思ってました。自身の研究不足と言うか勉強不足と言うか、まあもっと頑張る必要があることだけは痛感しました。
次回もまた時間が掛かると思いますが、見捨てないでいただければと思います。
それでは今回はこの辺で、また次回お会いしましょう。